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雲より遥かな
-3-
今日で学期末のテストは全て終了した。家に帰っても、さて、昼食の用意があるわけでもないので、学校の帰りに駅前のパン屋に立ち寄った。大体どこの学校もテスト週間は同じような日取りらしく、店内は様々な制服姿の高校生で賑わっていた。
トレイとトングをもって品定めをしていると、隣の漢が目の前のパンを指して言った。
「あ、俺、このパン好きなんだよね」
見た感じ普通のパンだ。説明書きを読むと、このパンの中にはカスタードクリームが入っているらしい。…普通にクリームパンではないか。小振りで1つのパックに2個入っている。100円か。高いとも安いとも言いがたい値段だ。
「でもさ、2個もいらないんだけど。……ねえ、50円ずつ出して、1個ずつ分けない?」
「え?」
見ず知らずの相手にそんなことを提案されて、俺は驚いた。隣の漢の顔をマジマジと見ていると、彼も俺の方を見て怪訝な顔をした。
「…おまえ、誰?」
俺の方こそ聞きたいわ。誰だ、お前は。
「……てめーら、知り合いかよ」
背後からの声に、俺は身を硬くした。この声、まさか…
「あ、狂。…なんでそっちに居るの?」
振り返ると、間違いなく狂だった。
「隣に居るの狂だと思って喋ってたら、いつの間にか知らない人でびっくりした」
だろうな。その場で居合わせただけの人間に持ちかけるような相談じゃない。人違いをしていたというわけだ、この漢は。…狂と同じ制服を着ている。友人だろうか。
「狂の知り合い?」
人違い漢は、俺のことを指して狂に訊ねた。こら、指で人を指すな。失礼な。
「……まあな」
「ふうん」
狂の顔を見るのは、実に「あの日」以来だ。1年近い間に俺も背が伸びたが、狂は著しく長身になっていた。僅かであったはずの身長の差が、たった1年の間にこれほどまでに開いてしまっている。
昔は俺の方が高かった。俺の方が1学年上だから、それを当然のことに思っていた。知らないうちに追い越され、今では少し見上げる加減で彼を見ている自分を自覚してしまう。
それでも変わらないものがある。俺は狂の目が好きだった。迷いの無い澄んだ眼差しは、彼の振るう剣によく似ていた。当時、練習試合の相手には上級生でさえ不足であった俺にとって、唯一対等に手合わせできたのが狂だ。道場で彼に会えるのを楽しみにしていた。
俺が心惹かれた彼の眼。この2つの瞳には、俺はどのように映っているのだろうか。昔と変わらぬ澄んだ双眸が、この俺の心の奥底まで見透かしているようで、俺はとても居心地が悪くなった。しかし急に店を出て行くのも宛て付けがましい。まるであの雨の日のことを俺が根に持っているようではないか。
俺は狂とのことなど全く気になどしていない。本当に何とも思っていない。だから、普通にパンを買って、普通に店を出るべきだと判断した。そうだ、自然に振舞えばいい。俺は何も気にしていないのだから…
「で、いい?」
「…え?」
狂の知人が、俺に何事か許諾を求めてきた。何だ?何の話だ?
「ダメなの?」
ああ、そうか。2個入りのパンを2人で買って分けようという相談をしていたのだ。
「別に構わんが…」
「そう。はい、50円」
俺は50円玉を受け取って、あれ?と思った。そもそもは人違いで、本当は狂に持ちかけていた相談ではなかったのか?
「……」
狂が無言で見ている。俺はトレイにそのパンを取り、他にサンドイッチとクロワッサンを選んだ。隣の漢はカレーパンと……え?焼きナスパン?焼いたナスを醤油で味付けし鰹節とマヨネーズを掛けたものがパン生地の上に乗っている。面妖な。ふと、狂のトレイを見れば、焼きそばパンとメロンパンと…やはり焼きナスパンだ。…美味いのか?
とても居心地が悪いはずだったのだが、気付けば3人揃ってレジに並んでいた。そして自販機で飲み物を買い、駅前(店の前とも言う)の広場のベンチに3人並んで腰掛けて、噴水を眺めながら、今しがた買ったばかりのパンを食べていた。仕方が無いのだ。俺は狂の知り合いの漢とパンを分け合う約束をしたのだから。
…今更気付いたのだが、渡すだけで、一緒に食べていなくとも良かったのではないだろうか。
そもそもだ。俺は半ば強引に狂に抱かれたという過去があってだな、しかも狂は俺にとっては片恋(しかも恐らくは初恋)の相手で、挙句に軽蔑されているときている。こんな風に並んで座って長閑にパンを食べている場合だろうか。一体、狂は何を考えているのだろう。
いや、そうではない。何を考えているのか解からないのは俺だ。狂はただ友人と一緒にいるだけで、その中に紛れ込んでいる俺の存在の方が、狂にとっては謎だろう。俺のことを厚顔な奴だと思っているに違いない。俺もそう思う。一体、俺は何をしているんだ。
そもそも並び順がおかしい。何故、俺が真ん中なのだ。3人の関係から考えて、狂が中心になるべきだと思うのだが。……こいつらがベンチの両端にさっさと座ってしまって、真ん中しか空いていなかったからだ。
何故だろう。テンポが狂う。
「ねえ、どうかな?」
唐突に、狂の知り合いの漢が言った。どうって、何がだ。
「好き?」
ええい、意味が解からん。目的語を省略するな。狂もだが、この漢は輪を掛けて言葉足らずだ。状況から察するに、恐らくは彼と分け合ったパンのことを言っているのだろう。確かに美味いと思う。
「まあな」
「じゃあ、付き合おうよ」
「……え?」
今度こそ、本当に意味が解からない。俺がこいつと同じパンを好きだと言ったからといって、何故そこで「付き合おう」になるのだ。流れになっていないではないか。いや、そもそも「付き合う」とはどういう意味だ。一般的に「付き合う」と言えば恋人同士になろうということだと思ったが……俺の記憶違いではあるまいな。
「ダメ?」
「……」
こいつは俺が漢だということが解かった上で言っているのだろうか。…解からんはずがない。俺は今、制服姿だ。
「…フッ」
狂が笑いの息を漏らした。それを耳にして、俺の胸の中心が急に冷えた。狂に思考を読まれて嘲笑されたような気がした。漢だ何だと、この俺が…今更だ。
「…そうだな」
石畳を見ながら、俺は答えた。
「いいぞ、付き合っても」
石と石との境目に沿って一匹の蟻が歩いているのを目で追った。案外足が速い。
「じゃあ、今度の日曜日に遊園地に行こうよ」
「いいぞ」
遊園地か。そういえば、行ったことがなかった。
「狂もね」
何?
「Wデートしよ。狂の女も一緒にさ」
そうか、狂には彼女がいるのか。……おや?、蟻が見当たらない。何処に行ってしまったのだ?
「…いいけどよ。……てめーら、自己紹介したか?」
狂に指摘されて初めて気付いた。俺はこいつの素性どころか名前さえ知らなかったし、こいつに名乗った覚えもなかった。
「ほ、た、る……よし、完了」
俺は携帯電話に彼の名前と番号を登録した。ほたる。それが俺が付き合うこととなった漢の名前だ。
「ほたる…か」
これが、彼との出会いだった。
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