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今宵の宴に
-2-
「螢惑はん、螢惑はん」
「……ん」
「ええかげんに、起きたほうが宜しいのと違いますか」
「うるさい。…ほっといて」
「そう言わはりましてもなあ。そろそろ堪忍袋の緒が切れたお人が…」
バンッと、激しく机が打ち鳴らされた。
「…あ?」
螢惑(=ほたる)は、ボケた両の目を1つ瞬くと、ボケた声をあげた。
「螢惑!」
円卓を挟んで螢惑の真正面に、辰伶が怒りに目をむいて立っていた。
「いい加減にしろ!今が何の時間か判っているのか」
「…定例会議中。五曜星の」
螢惑の返答に、辰伶の秀麗な眉目が更に攣り上がった。
「判っていながら居眠りとは何事だっ」
「まあまあ、辰伶はん。そないに険悪にならんと。いつもサボってばかりの螢惑はんが会議に出て来てはるだけでもマシと思いますわ」
「「そうですわよ。いちいち気にしていては、神経が持ちません。ほら、血圧が上がってます。最近は胃の粘膜も荒れ気味のようですね」」
鎮明と歳子・歳世が辰伶を宥めにかかる。しかしそんなことでは辰伶の腹は治まらない。
「何を甘い事を。この漢は『場を弁える』とか、『自己の責任』とかいうものを、もっと自覚するべきだ」
辰伶は普段から螢惑の不真面目な勤務態度に苛立っていた。
壬生の中枢を治める九曜のうち、実戦部隊を指揮し、紅の王を警護する要職にあるのが五曜星である。彼らは太四老に次ぐ壬生の幹部である。
五曜星は相互不干渉が原則であるのだが、だからといって無関心というわけではない。互いの任務を邪魔し合うようなことがないように、ある程度は仲間の行動を把握しておく必要があった。そのための内部コミュニケーションの1つとして定例会議があるのだが、火を司る五曜星の螢惑はこの会議に遅刻、無断欠席と、ろくに参加したことがなかった。
そんな螢惑のことを、壬生で最も生真面目な漢と名高い、水を司る五曜星の辰伶が快く思うはずが無い。
今回ばかりはそれでは済まさぬと、辰伶は前日から螢惑にきつく言い渡し、当日である今日はのんびりと散歩中だった螢惑を掴まえて、会議の席に無理やり引っ張り出してきたのだった。しかし出席させてみれば居眠り三昧。この全くやる気のない態度に辰伶は黙って座っていられなくなってしまったのだった。
そんな辰伶の気配を慮って、『何事も平和的に』がモットーである土を司る五曜星の鎮明は、隣で眠りこけている螢惑の覚醒をずっと促していたのだが、小声で話しかける程度では全く効き目がなく、とうとう辰伶の怒りが沸点に達してしまったのだった。
「「はあ、困りましたわねえ」」
今回の会議では、木を司る五曜星の歳子・歳世が進行係を勤めている。2人は溜息さえも見事にハモらせた。
「辰伶」
いきり立った辰伶を鎮めたのは、低く落ち着いた漢の声だった。五曜星の長、金を司る太白である。辰伶はこの漢に対しては一目も二目も置いていた。たった一言、その名を呼ばれただけで、逆上した頭が冷静さを取り戻すほどに。
「そうですね。時間の無駄でした」
辰伶は立ち上がった時に倒してしまった椅子を起して座った。
「「というわけで、来月に行われます式典の後の、祝賀会での余興の演目については、これで決定ということでよろしいですわね」」
各々から了解の声が得られた。
「「では、今日の議題は以上です。定例会議をおわります」」
進行係が幕を下ろすことによって、会議は終わった。解放の空気が流れる。
「では、辰伶、螢惑、歳子・歳世、頼んだぞ」
太白に名を呼ばれた者たちが返事を返すなかで、一人だけ螢惑が「何を?」と疑問を口にした。それをしっかり耳にした辰伶の顔が強張る。
「螢惑、おまえ、いつから寝ていた」
「え…っと、会議室に入って、席に座って、…それから?」
バーンッ!と、辰伶は再びテーブルを叩いた。
「最初から最後までではないか!」
「そうかも」
これではサボったのと何ら変わりはない。生真面目な辰伶が怒るのも無理はない。五曜星の長である太白は、沈痛な面持ちで額を押さえた。
「歳子・歳世。螢惑に教えてやってくれ」
「「しょうがないですわねえ」」
歳子・歳世は議事録を開いた。
「「来月の式典の後に、祝賀会が催されます。御存じの通り、この祝賀会では、五曜星でなにか余興を見せるのが通例です。そこで、木を司る五曜星、この歳子・歳世が死人(しびと)によるラインダンスを企画したのですが、これについては太四老の吹雪様から却下されてしまいました」」
「なんで?アレ、面白かったのに」
「「ですわよねえ」」
「特にクライマックスの『しびともどし』がイイよね」
「「ですわよねえっ!」」
螢惑から思わぬ賞賛を得て、歳子・歳世は力一杯『死人ラインダンス』の中止を惜しんだ。『死人ラインダンス』とは、要するに歳子・歳世が蘇生させた死人を使ったラインダンスである。選りすぐりの脚線美の死人によるカンカンは、昨年の祝賀会の余興で、出席していた壬生の上級貴族達に大変好評を得た。
ただし、途中までは。
クライマックスで、ハデに『死人戻し』を行い、つまり生きた死人が、腐乱した死体になって辺りに飛び散ったため、出席者の九割以上がその後1週間にわたって悪夢を見せられる羽目になったのである。
『死人ラインダンス』を賞賛する螢惑であるが、実のところ別にスプラッタが好きだというわけではない。その時の辰伶の引き攣った顔が何よりも面白かったのである。
「「残念ですけど、吹雪様からの命令ではしかたありません。それならと、パフォーマンス『檀林皇后』(勿論、本人の死人ですわ)を重ねて提案したのですが、こちらもすげなく却下されてしまいました」」
当然だ!と辰伶は心の中で叫んだ。そんな悪趣味な演目を五曜星の名で催されては、壬生のエリートとしての品位はガタ落ちの大暴落である。
(さすがは吹雪様。こんな所にも目を行き届かせていらっしゃるとは)
そして、くだらない催しが披露されるのを阻止した師匠に対して、更に敬愛の念を深めるのを忘れない辰伶は、やはり生真面目な漢である。
「「結局、吹雪様から五曜連舞を要請されましたので、今年の祝賀会の余興はそれに決まってしまいました」」
「ふうん、残念だったね。…で、五曜連舞って、何?」
辰伶は驚きに目を瞠って叫んだ。
「お、お前はそれでも五曜星か!」
「……」
螢惑は不機嫌に黙り込んだ。知らないものは知らないし、それで五曜星かと問われれば、五曜星なのだからしかたがない。
「五曜連舞とは、重要な祭礼の時に我々五曜星が奉納する舞のことだ。これは五曜星の重要な役目の1つでもある。詳しいことは【註釈2】を読め」
「辰伶がメタなこと言うなんて珍しいね。それってこの話がギャグだから?」
「配慮の結果だ。露骨にメタなことをいうな」
「それってズルくない?」
「「話を元に戻して、五曜連舞ですが、余興であの長い連舞を15番全て舞うわけにはいきません。ですから比和舞、相生舞、相剋舞の中からそれぞれ1番ずつ、合計3番のみ選んで舞うことになったのです。どれを舞うかについては、全出席者からリクエストを募りまして、比和舞は『水』、相生舞は『水生木』、相剋舞は『水剋火』に決定しました」」
五曜連舞の中で最も優雅で美しいと人気が高いのが水の五曜星の舞である。その上に現舞手である辰伶は舞の名手として名高く、このリクエストの結果は当然のことと言えた。
「ふうん」
「何を他人事のような返事をしている。『水剋火』はお前が舞うんだぞ」
「そうなの?」
比和舞は独舞で、これの『水』といえば、水の五曜星である辰伶が独りで務める。相生舞と相剋舞は2人で舞う双舞で、『水生木』は水の五曜星と木の五曜星、『水剋火』は水の五曜星と火の五曜星が舞台を務めることになる。
鎮明がぽんと手を打った。
「ひょっとして、螢惑はんにとっては、今回が初めての五曜連舞と違います?」
言われてみれば、螢惑が五曜星に一員となってから、今回が初めての披露だった。道理で螢惑が何も知らないはずである。それでも知らなさ過ぎだが。
そして辰伶は深刻なことに気づいた。気づかざるを得なかった。五曜連舞の存在すら知らなかった螢惑が、舞の所作など知るはずがないのではということだ。
「螢惑、その、お前は舞いについては…」
「知らない。踊れない」
即答で返し、螢惑は席を立った。
「待て、どこへ行く。これから会食だぞ」
「いらない」
「いらないって、この会食も公務の内なんだぞ」
螢惑は立ち止まり、一度は振り返ったが、それきり何も言わず会議室を出て行ってしまった。
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