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今宵の宴に

-3-


 結局、螢惑の存在を欠いたまま会食は終わり、それぞれの官邸へ帰るところを、辰伶は太白に呼び止められた。

「何ですか」
「螢惑のことだが」

 辰伶はあからさまに不快の感情を面に浮かべた。

「全く、何て奴だ。会議ばかりか会食までサボって。この会食だって、五曜星としての役目の1つだというのに。大体あいつには五曜星としての自覚がないんですよ」
「まあ、辰伶。それは確かにそうなんだろうが」

 太白はその唇に微笑を湛えた。その微笑みは豊かな奥深さを備えたもので、それを目にした辰伶は、螢惑の事を論っていた自分が急に矮小に思えて恥ずかしくなった。

「しかし、辰伶。俺はこの会食に義務感ばかりで出席しているわけではないぞ。五曜星として情報を交換することも大切だが、しかしそれ以上に、壬生の地を守る仲間として食事を共にする時間そのものが、俺には嬉しくも楽しくもあるのだ」
「それは…、俺もそうです。決して、厭々ここにいるわけでは…」
「だが、螢惑は違うだろう」

 辰伶は言葉を飲み込んだ。

「螢惑がこの場にいたとしたら、それは本当に『義務だから』という理由だけだろう。それではつまらないだろう」
「ですが、『つまらない』というのは、役目を放棄していい理由になりません」
「そうじゃない。そうじゃないんだ、辰伶。俺は、螢惑に義務感だけで居られたとしたら、俺たちにとっても、つまらない事だろうと言いたいのだ。勿論、協調性のない螢惑を排斥しようと言っているのではない。螢惑が自らの意思で来るようでなければ、この会食の持つ意味がないと、そういうことだ」

 少し考え込むような仕草で、辰伶は前髪をかき上げた。

「太白、言ったのが貴方でなければ、偽善者と思うところです」

 太白は苦笑した。そういうことを口にして言ってしまうところが、辰伶の若い潔癖さであり、それはこの漢の失って欲しくない特性だと、太白は思う。

「だから、待とうじゃないか。螢惑が心を開いて、俺たちと交わろうとしてくるのを」
「…そんな日が、来るのでしょうか」

 辰伶は、その瞳を僅かに翳らせた。

「俺がいる限り、螢惑はここには来ないのではないですか」
「辰伶」
「すみません。忘れて下さい」

 きっと、自分と螢惑は同じ場所に立てない。そういう星回りなのだと、辰伶は思う。だから、その意味では、辰伶が今いる場所は螢惑から奪ったものだといえる。そのため、辰伶は時々、螢惑に対して負い目のようなものを感じることがある。

 しかしそれでも自分がここに在ることを、辰伶は間違っているとは思わない。そこまで自虐的な勘違いに浸るような愚か者ではなかった。
 螢惑が辰伶の位置を望むなら、その手で奪えばいいと思う。この位置の重みに、自分以上に耐える自信があるのなら。

 辰伶は口元に乾いた笑みを刷いた。自分の想像が余りにも愚かだったからだ。それはありえないことだ。あの雲のような漢が、そんなことを望むわけがない。

 火と水。決して相容れることはない。それは自分たちの運命そのものだと、辰伶は思う。

 何か遥かなものを追うように、辰伶は遠くに眼差しを漂わせた。
 そんな辰伶と螢惑との間に横たわる深い溝と、それでいて離れ難い絆を太白は思い、静かに瞑目し、その目を開いて言った。

「辰伶、頼みがあるのだが」
「何でしょう」
「螢惑に五曜連舞を教えてやってくれないか」
「俺が…ですか」
「本来は俺が指導すべきなのだろうが、生憎と時間が取れなくてな。自分の舞台もあって大変だとは思うが」
「時間的には構いません。ですが…」

 果たして、螢惑が素直に辰伶から指導を受けるだろうか。

「当代一の舞手であるお前ならと、俺は思うのだが」
「当代一は言い過ぎです。ですが、そこまで買って下さるなら、引き受けないわけにはいきませんね」

 太白の賛辞に、辰伶は謙遜してみせるが、臆した様子はない。もともと彼は自信家の方であった。

「頼んだぞ。当面は『水剋火』だが、いずれは螢惑が担当する段は全て教えてやってくれ。お前の事だ、他人の段も全て覚えているだろう」
「ええ、五曜連舞は全編叩き込んであります」

 螢惑が五曜星であり続けるなら、いずれは必要なことだ。今回は余興だが、本番の祭礼の時に螢惑が踊れなければ、螢惑だけの問題では済まされないのだ。

「いいでしょう。俺の持つ舞の知識と技術の全てを、あいつに渡してやります」

 辰伶の眼差しが、滅多に見せない優しさに緩んだ。その瞳の中に異母弟である螢惑への真実の想いがあることを、辰伶自身は果たして気づいていただろうか。


 螢惑は河原の平らな岩に独り腰掛けて、雉の羽を毟っていた。

「こんなところに居たのか」

 辰伶は螢惑が手にしている雉をみて、訝しげに眉を顰めた。その様子を螢惑は横目で見た。

「何?」
「俺がお前に五曜連舞を指導することになった」

 螢惑は手を止めることはなく、顔もあげない。

「聴いているのか?」
「それって、太白の命令?」

 聴いてはいるようだ。しかも意外に鋭い。

「そうだ。お前のことを心配していたぞ」
「苦労性だね」

 螢惑の反応は如何にも素気ない。本来なら螢惑の方から教えを乞うのが筋だというのに、感謝の気持ちは欠片も無い様子だ。
 元から辰伶は、そんなものは期待していなかったから、今更失望もしなかった。

「それで、辰伶は引き受けたんだ」
「お前が恥を掻くのは構わんが、俺まで巻き添えにされては困る」
「俺は困らないけど」

 祝賀会は紅の王を初め、太四老の他にも壬生の要人たちが大勢出席する。その中で失敗したとあれば、常人であれば蒼白になる事態のはずだ。それなのに、当人は暢気なもので、肝が据わっているというのか、神経が太いというのか。
 辰伶には螢惑の考えていることがさっぱり解からない。自らどうにかする当てでもあったのだろうか。

(いや、単に何も考えていないんだ。コイツは)

「祝賀会は3週間後だ。はっきり言って時間が無い。明日から毎日特訓だからな」
「わかった」

 螢惑は素直に頷いた。もっと反発すると思っていた辰伶は、些か拍子抜けた。

(ひょっとして、これでいて螢惑も不安だったのかもしれんな)

 しかし、その横顔からは何も窺い知れない。螢惑は雉の羽を毟り終わり、内臓を取り出して換わりにワサビの花や葉を詰めていた。

「ところで、螢惑」
「何?」
「ここに来る前、陰陽殿の厨房の方で、雉が一羽無くなったと揉めていたが」
「それなら心配ないよ。ここにあるから」
「……」
「あ、辰伶も狙ってた?半分コする?」
「…いらん」


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