家に棲むもの
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俺が作った呪い人形5体は、大広間に仕掛けられた。1体1体、膳にのせて、まるでもてなしの御馳走のように並べた。ゆんゆんと辰伶が大広間に詰めている。
俺は客間の奥座敷のゆんゆんの結界の中にいた。ヒマなので世話役の子とタブレットでオンラインゲームで遊んでいる。この屋敷は世間から隔離された浮世離れした異世界のイメージだったんだけど、テレビとかパソコンとか普通にあるそうだ。辰伶もネトゲとかするのかなあ。ガチャの引きはいいだろうなあ。
「ケイコク様、辰伶様のお母様がしたことは辰伶様の為であり、つまりは自分自身の為です。負い目に思ってはいけません」
「辰伶も言ってたね。『俺の母の行為は全て俺の為だ』って、わざわざ念を押すみたいに」
「他人を犠牲にして生きているという思いは、本家長子の怨嗟に付け入られやすくなるようです。心に隙を作らないように気を付けて下さい」
辰伶の母親が死んだのは、俺や俺の母さんのせいだとか、そんな風に思っていたら無明歳刑流の呪いに絡めとられるから用心しろという忠告か。
「いくら俺の母さんが恩人だからって、どうして辰伶はこんなにも俺を助けようとしてくれるんだろう。俺だけがこの家の呪縛から解放されて自由に生きてることを、辰伶は恨んだりしないのかなあ」
「自由であることに負い目を感じてはダメですってば」
「ただの疑問だよ。恨みも妬みもしないなんて、辰伶は出来過ぎてる」
「辰伶様はケイコク様をずっと恋い慕っていましたから」
「…………は?」
世話役は辰伶がどれほど俺を恋い慕っていたか語りだした。社会から切り離されて、この屋敷の中だけで生きてきた辰伶にとって、繋がりがあるのは異母弟の俺だけ。辰伶にとって一番近しい人間として、俺に親愛の情を抱いていたのだと。親愛、親愛ね。恋い慕うなんていうからびっくりした。悪い気はしないけど。
「写真でさえも見たことのない異母弟でしたが、辰伶様はずっと心の中で大切に想っていました」
「写真は呪詛に使われるといけないから、母さんが渡さなかったんだろうなあ」
「辰伶様はケイコク様がこの家に縛られず自由に生きていることが、我が身のように嬉しいのです。無明歳刑流本家の血を引いていても自由に生きられると、ケイコク様は辰伶様の希望なのです」
大広間の方から落雷のような爆音して地響きが伝わってきた。
「終わったようですね」
世話役がタブレットから顔をあげて言った。
「何だかあっけないなあ」
「ケイコク様、それってフラグって言うんですよね」
「それを言っちゃうのがフラグだよ」
中廊下側の襖の向こうから辰伶の声がした。
「六分家の妖鬼は片付いた。このまま本家の妖鬼を祓う為に奥屋敷へ行く」
「ゆんゆんは」
「先に行っている」
怪しいなあ。世話役の子に小声で聞いてみる。
「そこに居るのは本当に辰伶?」
「本人です」
世話役はスッと立ち上がった。座っている俺を見下ろして言う。
「トランプやゲーム、楽しかったです。遊んでくれてありがとうございました」
「…まるで別れの挨拶みたいだよ」
「呼ばれたので行きます」
世話役は襖を開けた。廊下には辰伶が立っていた。その横をすり抜けて、世話役は廊下の奥へ行ってしまった。
辰伶の背中には黒い靄のようなものが見える。よくみるとそれは沢山の子供の霊だ。うわあ、引くなあ。本家長子の怨嗟の集合体と、辰伶は完全に同化してしまったのだろうか。
「入らないの?」
部屋の入り口で立ち尽くしている辰伶に言う。
「入れないとか」
辰伶はクスリと笑うと、躊躇せずに部屋に入って来た。背中の靄は女の姿になった。辰伶の背中から両腕を回してまつわりついている。
「ゆんゆんの結界があるから、部屋には入れないかもとか思ったのになあ」
辰伶の背後の女が笑った。
「こんなもの、弱い雑鬼にしかきかないわ」
ゆんゆん、こんなもの呼ばわりされちゃったよ。
「分家の妖鬼は片づいたの?」
「片付いたわ。3匹消されちゃったから、少し食いでがなかったけど」
女は笑っている。本家の妖鬼は分家の妖鬼を食らって力を増してしまったようだ。3匹消されたというのは、ゆんゆんが担当した3匹を消滅させたんだろう。じゃあ、辰伶が担当した2匹は失敗したのか。違う、最初から本家の妖鬼が食う予定だったんだ。多分、昨夜退治した奴も、本当はコイツが食ってたんだ。辰伶は最初から本家の妖鬼の意に沿って動いていたんだ。
辰伶の背後の女が言った。
「ねえ、家を相続して貴方が当主になる気はない?」
「ない。そもそも相続の権利放棄しにきたんだけど」
「もっと富を集めて、もっと家を繁栄させてあげるわ。どんな贅沢も望みのままよ」
「それで、贄を捧げて妖鬼を育てて呪われて滅びるとか、バカだよ」
俺が彼女の価値観を全く認めないことに機嫌を損ねたようだ。顔が怖くなった。美人が怒ると迫力あるなあ。
「どうして今更、俺を当主にしようなんて考えたのか解らないなあ。辰伶を当主にして、俺を贄にしたいというなら解るけど」
「辰伶は存在しない人間だから、相続人にはなれないのよ」
「存在しない?」
「本家長子は出生届けを出さないの。どうせ殺される子供だから」
「え…」
「辰伶は社会的には存在していないから、相続人は貴方しかいないの。貴方が相続してくれないと、家が絶えてしまうわ」
「本当に辰伶に戸籍が無いとしても、そんなの金の力で何とでもなるんじゃないかなあ。まだ何か別の理由があるんじゃないの?」
俺の疑問に辰伶が答えた。
「俺と俺の母は、お前の母親との約定で、お前を殺すことができない。俺が同化したことによって本家長子の怨嗟の集合体であるこの妖鬼も約定に縛られてお前を殺すことはできなくなってしまったのだ」
辰伶は女に向かって「ざまあみろ」と冷笑した。その悪人ヅラは、俺が見た辰伶の表情の中では最高に気に入った。
「俺を殺せないから、俺を当主にして無明歳刑流の呪いで縛ろうってわけか。陰険だなあ」
「貴方の為に富を集めてあげたいの。辰伶にとっては大事な肉親ですもの。辰伶と同化したせいで、私たちはすっかり貴方を大事にしたくなってしまったのよ。ずっと、この屋敷で私たちと暮らしましょう」
めちゃくちゃだ。本家長子の怨嗟の集合体って、集合体なだけで、意思が完全に統一されるわけじゃないみたいだ。中には俺を憎んだり、妬んだりしている霊もいて、色々な感情が混在しているんだろう。だから支離滅裂なんだな。
「貴方の自由の為に、どれだけの血が流れたと思うの。どうして貴方だけが自由に生きられるの」
「その手には乗らない」
世話役の子が教えてくれた。こいつらは負い目の感情に付け込んでくると。それに、俺は決めたんだ。辰伶を絡めとる鎖から、辰伶を解放してやるって。辰伶もこの家の呪縛から自由にしてやるのだから、負い目なんて感じないよ。
後になって、ゆんゆんから聞いた話だ。
大広間で六分家の妖鬼を消滅させたゆんゆんと辰伶は、奥屋敷へと向かった。案内の辰伶が先導していたんだけど、途中で姿を見失ってしまったそうだ。この時点でゆんゆんはおかしいと思ったそうだ。2人とも歩いていたのであって、走っていたのではない。辰伶が途中で猛ダッシュしたとしても、ゆんゆんだって俊足だ。姿が見えなくなるほど距離が空くとは思えないのだ。
廊下は折れることはあっても基本的には1本道で、他の部屋への扉や隠れる場所も無かった。引き返すか進むかゆんゆんが逡巡していると、廊下の奥の闇の中から扉が閉まる音がした。奥屋敷に続く扉だ。
「これは、あからさまに罠だよなあ」
さて、どうしたものか。ゆんゆんはこのまま奥屋敷に行くか、俺と合流するか迷った。そうしていると、背後から声をかけられた。いつの間にか世話役がいた。
「ゆんゆん様」
「おう、何だ、お前か」
「ゆんゆん様、中へお進み下さい」
世話役はゆんゆんを通り越して扉を開けた。
「ゆんゆん様、どうぞ中へ」
ゆんゆんは奥屋敷へ進んだ。奥屋敷の中は小さな雑鬼の1匹もいなかった。大物の妖鬼が1匹いるから、それを恐れて他の魔物や雑鬼が全くいないのだ。
「ゆんゆん様、どうぞこちらへ」
ゆんゆんは世話役の案内について進んで行った。屋敷の奥へ進むにつれて、瘴気が濃くなるように感じたそうだ。やがて、1つの扉の前に案内された。
「納骨室です。ゆんゆん様、中へお入り下さい」
納骨室。この扉の部屋の最奥に、贄の頭蓋骨が納められる井戸があると辰伶が言っていた。
「ゆんゆん様、どうぞ中へ」
世話役は扉を開けて中へ入ることを促す。ゆんゆんは言われた通り、納骨室に進入した。部屋の最奥には井戸があった。井戸を囲う石組みや柵は無い。地面にぽっかりと穴が開き、それを囲んで四隅に棒が立ててあり、その棒の上部の先端を縄で結んで四角形を作っていた。
「ゆんゆん様、どうぞ飛び込んで下さい」
「……ここまでだな」
世話役が驚いてゆんゆんを振り向いた。
「名前を呼んで返事をすると縛られる呪術だな。けど、残念だったな。俺の名前はゆんゆんじゃねえんだ」
ゆんゆんは大得意で種明かしした。そうして危機を回避した筈なのに、結果だけいうと結局ゆんゆんは井戸に落ちた。どうしてそんなことになったのか、ゆんゆんに散々問い詰めたら、どうやらこういう次第だったらしい。ゆんゆんが得意になってるところを隙を突かれて、世話役に「えいっ」と突き落とされてしまったらしい。何やってるんだよ…
世話役はゆんゆんの支配下に入った筈ではなかったか。どうやら世話役はより霊力が強いものの支配下に入ってしまうらしい。分家の妖鬼を喰った本家妖鬼の霊力(妖力?)が強力になった為、世話役はそれに支配されてしまったのだ。
井戸は水の無い空井戸だった。結構な深さで、落ちたら首の骨を折る高さだ。しかしゆんゆんは無傷だった。体が壁や地面に叩きつけられるのを、世話役が守ったらしい。ゆんゆんが世話役から聞いたことには、世話役に与えられた命令はゆんゆんを井戸に落とすことまでだったので、そこで一応役目が済んでフリーになったので、最後の力でゆんゆんを助けたそうだ。それきり世話役の気配は消えた。
井戸の底は真っ暗だったので、ゆんゆんは心眼で中の様子を見た。ゆんゆんは心眼で何でも見通せるそうだけど、詳しいことは俺も知らない。ゆんゆんは話を盛るからなあ。
井戸の底から天井へは梯子が伸びていた。それを登ろうとして、その対面の壁に横穴があることに、ゆんゆんは気づいた。横穴の奥にはいくつもの甕が安置されていた。その最奥の甕は一際大きく、封印の札が張られていた。