家に棲むもの
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俺は俺の中の何かにケリをつけるために、ここに来たのかもしれない。
母さんが俺をここへ来させた目的や理由なんて知らない。無明歳刑流本家という、仰々しい名前の呪いを背負うのも、断ち切るのも俺の役目じゃない。だけど、もしも俺の人生に何か借りがあるというなら返してやる。それだけだ。
「辰伶と話がしたい」
戻るなり、世話役に言った。要求はすぐに通った。取次の間に隣接した小座敷に案内されて待っていると、程なくして辰伶が現れた。
「話とは」
「俺の母さんと辰伶の母親の間に何があったのか知りたい」
辰伶はちらりとゆんゆんを見た。
「俺が居ちゃあ話せねえなら、席外すぜ」
ゆんゆんは客間に居ると言って、世話役と一緒に小座敷を出て行った。俺と辰伶の2人きりになった。
「昨夜見た夢の話だけど」
そう言って俺は辰伶にも昨夜の夢の内容を話した。
「これって、ただの夢?」
辰伶はスッと立ち上がった。
「実際に見た方が早い」
辰伶に促されて、後について行った。辰伶は中門の前で立ち止まり、俺を振り返った。
「これが、この家で出された物を食べてはいけない理由だ」
辰伶が中門から外へ一歩踏み出した。その足に鎖が絡みついた。
「え?何コレ」
鎖は玄関から屋敷の奥へと続き、どこまで伸びているのか先が見えない。辰伶が中門の内側に戻ると鎖は消えた。
「この鎖がある限り、この屋敷を出ることはできない。この呪縛を解くには、人間の死に際の血が必要だ。1人を開放するのに1人分の命を必要とする」
「母さんは、辰伶の母親の命を代償にして屋敷を飛び出したの?」
ずっと何か引っかかっていた。それはこれだったのだ。母さんもこの屋敷に幾らかの期間住んでいたのだから、何も口にしていないはずがない。それなのに、どうして母さんはこの屋敷を出ることができたのか。これが、母さんの辰伶の母親に対する借りだ。
「これが知りたかったのだろう、熒惑」
「うん」
しまった。うっかり返事をしてしまった。辰伶が微笑みを浮かべてゆっくり近づいてくる。
「熒惑、お前の血を俺にくれ。お前の命で俺を解放してくれ」
辰伶は懐から小刀を取り出して、俺に差し向けた。名を呼ばれて返事をしてしまった俺はすっかり支配されて、意思とは関係なしに体が動いた。受け取った小刀の鞘を払って刃の切っ先を自分の喉に向ける。
「やめろ!」
ゆんゆんの声がして、手に握っていた小刀が弾き飛ばされた。地面に小刀とペットボトルが転がった。庭園側からゆんゆんと世話役が姿を現した。
「どうしてゆんゆんが?」
「話は世話役から聞いた。その辰伶は本家長子の怨嗟の集合体と同化しかかってる」
世話役がゆんゆんに日本刀を渡す。ゆんゆんは居合で辰伶に踏み込んだ。刀を抜いて鞘に納めるまでの動作は、俺の目でも容易には追えない。その目にもとまらぬ剣技で、ゆんゆんは辰伶の何かを切った。その瞬間、辰伶に重なっていた霊体のようなものが離れた。辰伶の婚約者とか言った女だ。
「もう少しだったのに。ああ、悔しい…」
女の姿は、無数の子供の霊にも見えた。怨嗟の集合体は憎々し気に俺を睨むと、屋敷の奥へ消えて行った。
「完全には同化してなかったお陰でなんとかなったぜ」
辰伶はふらりとよろめいた。随分疲弊している。
「意識はあったのだが、抗うことができなかった」
辰伶と怨嗟の集合体は霊的に馴染みやすいと言っていたが、体を乗っ取られるようなことになるのか。この危険があったから、昨夜のうちに世話役の支配を辰伶からゆんゆんに変えておいたのだそうだ。道理でゆんゆんとノリが合うわけだ。
俺たちは、昨夜ゆんゆんが結界張った客間の奥座敷で話をした。
「鎖の呪縛は、1人を解放するのに1人の命が必要って、本当?」
辰伶は無言で頷いた。やっぱりあの夢は過去に本当にあったことだったんだ。
「母さんは、辰伶の母親を犠牲にしてこの家を脱出したんだね。確かに返しきれないような大きな借りだ」
「それは事の一場面を切り取ったに過ぎない。お前の母親を呪縛から解放したのは、お前の母親の為ではない。俺を生かすには、お前の母親にこの家を出て行ってもらわねばならなかったからだ。俺の母の行為は全て俺の為だ」
辰伶は淡々と語りだした。
「この屋敷を建てたのは、俺たちの祖父の祖父の代だったと聞く。彼の若い頃は、この家は格式に見合った碌もなく困窮していた。それを富み栄えさせ、無明歳刑流を興した人物だ。どんな手段を用いられたかは、想像がつくだろう」
「魔物を縛りつけて富を呼ぶ呪法だな」
ゆんゆんの言葉に辰伶は頷いた。
「魔物が大きくなればなるほど家も栄える。その為に贄が捧げられた。贄は代々当主の子供がその役を担ってきた。一番大切なものを捧げるのが一番効果があるからだ。長子とされているのは、単純に解りやすいからだ」
例えば末子と決めてしまったとする。子供が何人生まれるかなんて確実な予測はできないから、何番目の子供が末子になるのか決定しにくい。その点、長子は生まれた時点で絶対に長子だ。
「贄の役の子供は数え7歳で魔物に捧げられる。その骨は呪具となり、頭、左腕、右腕、左脚、右脚、胸、腰の7つに分けられ、頭部は本家に、他の6部は六分家に分配される。本家では頭部は納骨室の最奥に祀られている井戸へ納められる。六分家では分配された骨を更に分けて、その筋の家に分配しているようだが詳しくは俺も知らん」
これが無明歳刑流の一族隆盛の秘密か。しかし六分家は断絶したというではないか。魔物が大きくなるほど、呪いも大きくなる。小さな凶事が見舞うようになり、やがて手に負えなくなるものだ。
「7つの呪具はそれ自体が妖鬼となった。六分家の6つの呪具は6体の妖鬼となって、それぞれの家を滅ぼして本家に帰って来た。本家の呪具は頭部だから、おそらく一番強い」
それが昨日の夕食時に広間で紹介された六分家の代表たちか。
「どうして今まで分家を繁栄させていた妖鬼が、家を滅ぼして本家に集まってきたの」
「俺たちの父が贄を捧げていないからだ。督促に来ているのだ」
そうか。母さんが逃げたから、辰伶が唯一の跡取りになってしまったから、捧げられる贄が無かったんだ。でも、それなら別の女に子供を生ませれば済んだ話じゃないだろうか。
「あ、だから辰伶の母親は親父を…」
「そうだ。これ以上、子供を作らせない為に、母は父を殺したのだ。しかし、当時の当主は祖父で、親戚筋からでも何でも、次期当主候補などいくらでもいた。だから、母は自ら命を絶って血の呪法で父を操った。母が死んだのは、お前の母親を解放する為だけではないのだ」
息子の為だから自己を犠牲にすることに躊躇なかったのだろう。辰伶の母親は辰伶を守ることしか考えていなかった。
「呪法で妖物と成り果てた母は、父が生きているように操り、子を作らせず、俺が生き延びるのに不都合な人間を排除していった。その母の力も限界で、今は幽鬼として薄っすらと現れるのみだが。ともあれ結果、今では無明歳刑流の一族は俺1人となった」
これでは一族の繁栄どころか滅びの呪いじゃないか。育ち過ぎた呪物の末路がこれか。
「俺には無明歳刑流の一族の最後の生き残りとしての義務がある。それを果たす為に、お前の母親に協力を求めたのだ。どうか、力を貸して欲しい」
頼むと、辰伶は頭を下げた。辰伶の言う義務が何なのか知らないが、辰伶はそれを1人で背負うつもりだ。俺は母さんのお陰でそんなものを背負わずに済んだわけだけど、血を分けた異母兄弟だ。辰伶だけに押し付けて逃げるのはカッコ悪い気がした。
呪術による繁栄の当然の帰結として、無明歳刑流の一族は大きな歪みを抱えることになり、やがて滅びる。一族の人間がいなくなって家が絶えれば呪いも消える。しかしそれと共に、長年育て上げられてきた妖鬼も消滅するということはない。無明歳刑流の呪縛を解かれた妖鬼は世に放たれることになる。
「俺は一族が育て上げた妖鬼の始末をつけなければならない。それが無明歳刑流本家の生き残りとしての務めだ」
とうに覚悟が決まっているからだろうか、語りながら辰伶は終始穏やかだった。
俺の写しを囮にして魔物を滅する。表主屋については俺の母さんの協力で、危険な魔物は全て片づけたそうだ。残っている雑鬼には大した力はない。耐性の弱い人間には影響するが少し体調を崩すくらいだ。
「俺の写しを囮にするってことは、俺って狙われやすいの?」
「無明歳刑流本家の血を引く人間を食らえば強い妖鬼になれるらしい。本当かどうかは知らんが、奴らはそう信じている」
「じゃあ、辰伶も狙われるんじゃないの?」
「俺は本家長子の怨嗟の集合体という強力な妖鬼に魅入られている。それが他の魔物たちへの牽制になって、計らずもガードになっている」
それまで黙って話を聞いていたゆんゆんが言った。
「具体的に、危険な妖鬼は何体居るんだ」
ゆんゆんの問いに辰伶が答える。
「写しではない本物の熒惑がこの家に来たことによって、分家の6体がおびき寄せられる結果となった。まずはこの6体からだ。この妖鬼たちは力が拮抗しているから、他を出し抜いて熒惑を食らうつもりだ。こいつらは他の妖鬼をも食らって大きくなり、やがて最も強力な本家の妖鬼をも食らうだろう」
「それを逆手にとって共食いで妖鬼が減ってくのを狙っちゃあどうだ」
「勝ち残った妖鬼がどれだけ強力になるか予想がつかない。それに、分家の6体が1体になるまで共食いを繰り返しても、おそらく、本家の妖鬼1体に及ばない。本家の妖鬼はむしろそれを狙っている」
「何でそんなに本家の妖鬼は異常に強いんだよ」
「贄になった本家長子たちの怨嗟が強く影響しているのは確かだ。本家の呪具が頭部だからというも無関係ではないだろう。無明歳刑流を繁栄させる為に縛った最初の魔物も、既にこれに呑み込まれてしまった」
「つうことは、本家の妖鬼がラスボスだな」
「これに力を付けさせてはいけない。だから、先に分家の6体を個別に始末したほうがいい」
「なるほどな」
「1体は、既に昨夜始末した」
「あと5体。まずはこいつらか」
昨夜、俺の呪い人形(俺の形代)に罠を仕掛けた要領で、まずは分家の残り5体を片付ける計画をたてた。今夜は5体まとめて仕掛ける。その内、3体の妖鬼はゆんゆんが倒す。残り2体は辰伶がやるそうだ。
俺は呪い人形を5体用意して、ゆんゆんの結界に隠れる。隠れるのは気に食わなかったけど、俺がいると人形が囮にならないかもしれないという理由で説得されてしまった。