家に棲むもの

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 客間に戻りがてら、世話役に表主屋を案内してもらった。大広間から出た廊下が洋館部分へ繋がっていて、この廊下の最奥、突き当りの扉が奥屋敷への唯一の出入り口だそうだ。

 六分家の6人は暗い廊下の奥へ消えて行った。廊下の闇の奥深くに隠されて扉は見えなかったが、遠くで扉の開閉音がした。

「やっぱりこの廊下の奥から来てるよなあ、ヤバイ妖気」

 ヤバイと言うゆんゆんの声は楽しそうだ。俺もちょっとワクワクする。あっちに行ってみたいなあ。

「こっちはザコしかいねえなあ」

 言いざまに、ゆんゆんは肩に乗った雑鬼を手掴みして握りつぶした。雑鬼は塵になって消えた。

「以前は表主屋にも危険な大物が沢山いましたが、辰伶様が片づけてしまわれました」

 世話役が申し訳なさそうに言う。ごめんね。申し訳ないのはゆんゆんだよ。ゆんゆんは雑鬼の掴み取りを楽しんでいる。あれは放っておこう。

「異界は沢山あるね」
「下手に異界を閉じてしまうと、帰れなくなった魔物で溢れてしまうので、敢えてそのままにしてるのだと、辰伶様が言ってました」
「異界から来ちゃう奴もいるんじゃないの?」
「残してある異界は、入ったらこちら側には出られない術に縛られてしまう、いわば袋小路の異界ばかりで、魔物が溜まったら辰伶様が処理しています」
「掃除機みたいだね」

 そういえば辰伶の周りの空気はいつも澄んでいる。ゆんゆんがやってるみたいに、身の周りの雑鬼を消滅させながら生活しているのだろう。空気清浄機だね。

「残したくないけど閉じれなかった異界や、大きすぎて消滅させられなかった魔物なんてのもいる?」
「辰伶様の手に余るものなんて、いくらでもあります」

 世話役はゾッとするような冷たい目をして言った。

「無明歳刑流本家が代々溜めに溜めこんだ呪いです」

 呪いは厄介だ。扱い損ねれば、とんでもないしっぺ返しを食らう。

 母さんが俺にこの屋敷へ来させたのも、何か大きな呪いの流れの中にあるのじゃないかという疑いの心が生まれた。以前に感じた外堀を埋められる感覚。俺は何かに呼ばれてここへ来たのだろうか。


 屋敷の見学はほどほどに、客間に引き上げた。俺もゆんゆんも空腹が限界だった。菓子パン1つきりじゃ切ない。

 ゆんゆんがコンビニで調達した食料に俺たちは飛びついた。おにぎり美味しい。

 世話役がポットで湯を持ってきてくれた。一応、ポットの中を視認する。異常なし。

 澄んだ水が大丈夫なら白湯はどうかと、世話役に質問したら辰伶に確認してきてくれた。澄んだ水は辰伶が浄化させたものだから危険はないということだ。浄水器か。辰伶が便利過ぎる。

 このポットの湯も辰伶の浄化済みだそうだから、安心して俺とゆんゆんはカップ麺を作る。

 それから、酒はもともと浄化の力があるから良いのだと、世話役はそんなことも聞いてきてくれた。ゆんゆんはお酒を部屋に届けて欲しいと世話役に頼んだ。

「そう言えば、そもそも何でこの家で出されたものは食べちゃだめなの?」
「この屋敷から、正確には中門より外へは出られなくなります」

 中門を通った時に肌に感じた感覚を思い出した。板塀で囲まれた中は別世界。結界の中みたいなものか。かつては使用人棟は板塀の外にあったという。今は、使用人に人間は1人もいないのだそうだ。俺たちをこの屋敷に連れてきた運転手も案内役も人間ではなかったのだ。

「辰伶は普通に食べてたね」
「もう手遅れですから」
「さらりと怖いこと言うね」

 辰伶が外出する姿を誰も見たことないという噂の裏付けがこんなところで出来てしまった。学校に行ってなかったのも、行けなかったからか。先代も先々代の当主たちが姿を見せたことが無かったのも、彼らが屋敷から出られなかったからだ。

 辰伶はこの家で生まれ育っているから、回避できようはずもない。俺だって、母さんがこの家で俺を産んでいたら。…だからか。だから母さんはこの家を飛び出して俺を産んでくれたんだ。

 何か引っかかった。何だろう。

「ああ、腹がいっぱいになったら落ち着いたぜ」

 ゆんゆんの声に呼び戻された。何だろう。今、何かに捕まりそうになってたような気がする。ヤバイかも。

「お風呂にいかれては如何でしょう。銭湯のようにはいきませんので順番にお願いします。どちらがお先に行かれますか」
「そりゃあ、一番風呂は師匠の俺に決まってるだろ」
「別にゆんゆんを敬ってじゃないけど、お先にどうぞ」
「何で一言多いんだよ」
「ゆんゆんが無駄に口が多いからだよ」

 ゆんゆんがお風呂に行ったので、その間にと世話役はゆんゆんの布団を敷きだした。手伝おうとして断られた。

「ねえ、桔梗柄の藍色の着物の女の人って知ってる? 辰伶の後ろにいた人」
「辰伶様の後ろにいたなら、それは辰伶様のお母様ですね。いつも辰伶様を守っておいでですから間違いないです」
「この人も俺に忠告してくれたんだけど、どうして辰伶の守護者が俺を助けてくれたんだろう」
「辰伶様のお母様は、ケイコク様のお母様に借りがあるからです。返しきれないくらい大きな借りが」
「知ってるの!?」

 驚いた。まさかここで母さんの言葉に繋がるなんて。いや、待って。母さんは辰伶の母親に借りがあると言っていた。辰伶の母親は俺の母さんに借りがあるって、同じようだけどまるっきり正反対だ。この齟齬は何だろう。

『そうねえ、共犯者かしら』

 母さんと辰伶の母親の関係は『共犯者』。背筋がゾクリと震えた。何だかとても厭だ。また何かに捕まりそうになっている。これって本当にヤバイんじゃ…

 そうだ、母さんのおまじない。おまじないに必要な材料を世話役に頼む。

「ねえ、何か人形っぽいものを作れそうなもの無い?…布とか紙とか、粘土でもいいから」
「これでいいか?」

 背後から布製の人形を差し出された。振り返ると辰伶がいた。


 辰伶から貰った人形に俺のもう1つの名前を漢字で書きこんだ。母さん直伝のおまじないだ。用途によっておまじないのやり方は色々あるけれど、これもその1つ。何か厭なものを人形が肩代わりしてくれるおまじないだ。

 俺がおまじないをしている様子を見ていた辰伶が言った。

「本当に、お前は本物の熒惑だったのだな」

 何ソレ。何処かに俺の偽物でもいるの?

「すまなかった。お前は本物ではなくて『写し』だと思っていたから」
「『写し』って?」
「形代の方が解りやすいか。お前がまじないに使った人形と同じだ」

 俺の『写し』を無明歳刑流本家に寄越すなんて、誰がそんなことを。勿論、俺の母さんだ。母さんにしかできない。

「辰伶は俺の母さんと連絡をとってたの?」
「俺がお願いしたんだ。この家の呪いを断ち切る為の手助けを」
「具体的には?」
「お前の『写し』を家に送り込んでもらっていた」

 母さんの入院治療費が無明歳刑流本家から出ていた理由が解った。母さんは力を使い過ぎて体を弱らせてしまったのだ。それも限界で、もう遠隔から俺の『写し』を送り込む力がなくなってしまったから、俺に行けと言ったんだ。そうまでして辰伶を助けるのは、辰伶の母親に借りがるから。そうなんだね。

 返しきれないほどの大きな借りって何だろう。またゾクリとした。

「今回来たのも『写し』だと思っていたから、何も注意せずに危険に晒してしまった。すまないことをした」
「注意って、食べるなってこと?」
「そうだ。注意が遅れてしまったから、もう何か食べてしまったのではないか?」
「母さんから話を聞いていたから。ゆんゆんが色々買って来て、夕食まえにも少し腹に入れたし」
「ゆんゆんはお前の護法か?」
「ゆんゆんはゴボウでもレンコンでもないよ。人間だし、一応、俺の師匠」

 バタバタと煩く廊下を走る音が近づいてきて、襖がスパーンと勢いよく開かれた。

「ヤベえ! 着替え浴衣だぞ! どうやって着るんだっけ」

 半裸に浴衣を巻き付け、帯を握りしめて叫ぶゆんゆんの姿に、辰伶が固まってる。

「旅館とかで着たりしないの?」
「ああいうとこのは誤魔化しきくだろ。でもこの浴衣、何か生地とか高級っぽいし、難しい柄が入ってるし。ちゃんと着こなさねえとカッコわりいだろ」

 ゆんゆんは『どうしよう、どうしよう』と狼狽えてる。そんなに重要なことかなあ。誰かに見せるわけじゃないのに。

 辰伶が申し訳なさそうに言った。

「浴衣が気に入らなかったようだな」
「違うと思う」

 ゆんゆんが浴衣に負けただけだよ。

「生地が悪かったのか、柄が好みではなかったのか。急いで別のものを用意しよう」
「無駄だね。代わりを持って来たって同じだよ。ゆんゆん、世話役の人がいるんだから、カッコよく粋なカンジに着せてもらえばいいんじゃない?」
「さすが、解ってるじゃねえか。やっぱり俺の弟子だな」

 解りたくないよ。ゆんゆんが登場すると気が抜けるっていうか、脱力する。ゆんゆんと世話役は、隣の部屋へ移動していった。辰伶は感嘆の声をあげた。

「凄いな。一瞬にして呪いの毒気を払っていった。ゆんゆん殿はきっと、相当厳しい修業を積んだ徳の高い霊能者なのだろうな」

 言われてみると、さっきまで背中に纏わりついていた厭な感じが消えていた。ゆんゆんはこれを狙って態と道化っぽいことを……違うね、そんなキャラじゃない。偶然に決まってる。

 でも、辰伶はゆんゆんのことを凄い霊能者だとすっかり信頼してしまったようだ。単純だなあ。家から出たこと無いから世間知らずなんだろうけど。

 あれ? そういえば六分家の人たちも普通に食事してた。あの人たちもここから出られないってことじゃないの?

「辰伶、あの六分家の人たちって、人間じゃないでしょ」
「解っていたのか」

 今気がついたところだけどね。

「六分家は全て死に絶えた。あの6人、否、6匹はそれぞれの家を滅ぼした妖鬼たちだ」
「この家、俺とゆんゆん以外で人間なのは辰伶1人だけ?」
「そうだ、と思うが、本当はとっくに俺も人間でなくなっているのではないかと疑うことがある。お前の目から見て、俺はまだ人間か?」
「人間だよ」

 辰伶は安心したようだ。本当は、俺には人間とそうじゃないものの区別なんてつかないけど、そう答えるべきだと思ったのだ。


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