家に棲むもの
-2-
迎えの車が高級車だったのが嬉しかったのか、後部座席の俺の隣でゆんゆんは楽しそうにはしゃいでいた。前の座席に座る案内役の人に、これから招待される家について色々尋ねては、やんわりとはぐらかされた。それでもめげずに道中途切れることなく話しかけ続けた根性は、素直に凄いと思う。運転手は一言も口を利かなかった。タクシーじゃないもんね。
門を通り抜けてからも車は暫く走り、2番目の門(中門と言うらしい)の前で降ろされた。大和張りの板塀に構えられた数寄屋門。門扉の格子戸を透かして、日本建築部分と洋館部分の2棟が結合した造りの屋敷が見えた。
「どうぞ、お入りください」
案内役の人に促されて中門の内側へ踏み入った。肌がピリッと震えた。何だろう。空気が変わった。
「ここから別世界だな」
ゆんゆんも何か感じたものがあったらしく、俺に耳打ちした。
玄関は日本建築側にあった。広い式台に使用人がざっと10人くらい並んで一斉に「いらっしゃいませ」されて、ちょと引いた。全員着物姿だから旅館っぽい。ここでは着物がスタンダードなの?
「よく来てくれた。俺は辰伶。知っているとは思うが、お前とは異母兄弟の間柄だ」
式台の奥の何か勿体ぶった場所(日本建築では取次とかいう部分らしい。後でゆんゆんが教えてくれた)から声をかけた奴が俺の異母兄の辰伶だった。細身で身長は平均的な成人男性よりも少し高め。俺より高い。まあ、そのうち余裕で俺が追い越すけど。その予定だけど。
辰伶は美しく整った顔立ちで、俺が見た人類の中では一番綺麗だ。和装が着慣れた感じで良く似合っている。銀色の髪は長く伸ばされ、腰まである。ちょっと触ってみたい。
初対面で『お前』呼ばわりってどうかと思うけど、『貴方』とか呼ばれるのは何か気持ち悪いから文句は言わない。その代わり、俺もこいつを『お前』呼びしてやろう。
「そちらは?」
「ゆんゆん。俺の付き添い」
珍しく、ゆんゆんに遊庵だと訂正されなかった。ここでは本名を知られたくないってことだ。俺も名前を呼ばれても迂闊に返事しない方がいいかもしれない。今の時点では解らないけど、用心に越したことはない。
「初めまして。ゆんゆんです」
自分で言ってる。
「…覚えてろよ」
事前に適当な偽名を打ち合わせしとかなかったゆんゆんの落ち度だ。俺は悪くない。
「では後ほど。客間を用意してあるので、夕食まで寛いでくれ」
そう言って奥へ去ろうとする辰伶を引き留めた。
「俺は相続放棄に来たんだけど。さっさと手続きして帰りたい」
辰伶は暫し無言で考えた後に言った。
「分家筋も交えての話し合いになるから、申し訳ないが暫く滞在願う」
「着替えとか、お泊りセット持って来てないからダメ」
「必要な物は用意するから……頼む」
頼む、か。こいつがそう言うなら、まあいいか。バケモノ屋敷に宿泊なんて、何か面白いことがおこりそうだし。
「じゃあ、この屋敷の中、自由に見て回ってもいい? ゆんゆんが建築の人で学術的興味があるそうだから」
「古い建物だから危険な場所もある。案内人を付けるから、その範囲でなら」
辰伶が使用人の列に顔を向けると、一番端から小学生くらいの子供が進み出てきた。使用人の子だろうか。顔立ちが辰伶に似ている。兄弟だったりして。親父が使用人に手を付けて生ませたとかさ。そうすると俺の異母兄弟てことにもなっちゃうなあ。
「これを世話役につける」
この子供も使用人なの? 児童福祉法とか大丈夫なのかなあ。ふと見ると、辰伶がじっと俺を見詰めていた。何か考え込んでいるようで、無意識にか、独りごとを呟いた。
「…本物? …いや、まさかそんな…」
意味不明だ。
「相続の話で呼ばれたってことは、親父は死んだんだよね。葬式とか出なくてゴメン。全然知らなかったから」
会ったことも無い、顔も見たことない親父に思い入れは無いけど、ちょっと嫌味を込めて言ってやった。連絡寄越さなかったのはそっちでしょ。そもそもいつ死んだのかも知らないし。
「香典はないけど、位牌に手を合わせるくらいはさせてもらっていい?」
「それはできない」
辰伶に拒否された。妾の子供の分際が立場を弁えろということならしょうがない。もともと本気の弔慰があったわけでもない。客としての礼儀で言っただけだし。
それまで控えていたゆんゆんが口を挟んだ。
「どんな家庭の事情か知らねえが、こいつの親父だろ。死に目に呼ばねえ、葬式は報せねえ、挙句に弔うことさえさせねえなんて、全部そっちの都合じゃねえか」
親父への思慕なんて欠片も無いし、この家に執着なんてないけど、ゆんゆんが言ってくれて気持ちがスッとした。
対して辰伶は、冷めた口調で説明した。
「何か意趣があってのことではない。位牌というものがこの家には無いのだ。葬式という儀礼もない」
「こんな大きくて旧そうな家なのに、先祖供養とかしないの?」
前情報でも近所の人とも冠婚葬祭の付き合いは無いようだった。仏教的な葬式とか法事とかしない家なのかも。宗教上の理由とかいうやつだろうか。
「仏壇も無いの? お墓は?」
「屋敷内に納骨室があるが、危険だから立ち入りを禁じている。この家では死者を弔うという習慣がないのだ」
つまり、納骨室にお参りに行くのも遠慮しろということだ。
「危険ってなんだよ」
納得しかねるのか、ゆんゆんが食い気味に聞いた。
「旧い建物だから老朽化が進んでいる。特に屋敷奥の洋館部分は危険だから立ち入らないでくれ。見学も表主屋のみということで」
「表主屋のみってことは、日本建築部分だけってことか。それはねえぜ。その洋館部分が面白いのに。和洋折衷建築とか擬洋風建築とか見るのが好きなんだよ。この屋敷なんて明治期だろ。重文クラスじゃん。公開しないなんて罪深〜いと思うね」
「何度も増改築改してるいるから、重要文化財としての価値など無いに等しい。学問の参考にはならないだろう」
「学問になるかどうかは、研究者が決めることだぜ。とにかく俺は面白い建物が見てえの」
ゆんゆんは頑張ったけど、辰伶の許可はおりなかった。
玄関から縁の廊下を通って客間に案内された。縁側に面した戸は障子張りで、今は昼間だから電気を付けなくても明るい。床の間があって掛け軸と花が飾ってある。お金持ちっぽい。客間は表座敷と襖で仕切られた奥座敷の2間続きで、客が宿泊するときは奥の座敷が客用寝室としての役割をするのだとか。
取りあえず俺たちは表座敷に腰を落ち着けた。
「夕食は6時の予定です。それまでどこかご案内しましょうか?」
部屋まで案内してくれた世話役の子供が言った。ゆんゆんが時計を見た。
「今3時か。まだ時間あるな。ちょっと俺、外に出て来るわ」
「車を手配しましょうか?」
「いらね。近くのコンビニに行くだけだから」
そういえば、迎えの車中からコンビニがあるのを見た。この家から歩いていけるくらいの距離だったと思う。
「案内はゆんゆんがコンビニから帰ってからでいいよ」
「承知しました。夕食の時間になりましたら呼びに参りますが、何かご用の際には手を2回叩いて下さい」
世話役は部屋から出て行った。俺とゆんゆんは旅行客が旅宿でするように、部屋の中を見て回った。隣の奥座敷には特に何も無かった。何も無い広々とした空間は、かえって贅沢さを感じさせた。正面の襖を開けると押入れで、布団が入っていた。障子戸の対面の襖を開けると、屋敷の中廊下だった。
「世話役の子、どこで待機してるのか知らないけど、手を叩いたときにちゃんと聞こえるのかなあ」
「耳で聞いて反応するんじゃなくて、手を叩くという行為で成立するんだろ?」
「意味わかんない」
「あれ人間じゃねーぞ。気づいてねーの?」
気づかなかった。俺は色々視えるけど、視え過ぎて、人間とそうでないものの区別がつかないんだよね。
「相変わらず、霊感は強いのに雑だな。ちなみに、さっき玄関で出迎えた使用人10人の中に人間じゃない奴が何人いたか解ったか?」
「6…ううん、7人」
「残念でした。人間は1人もいませーん。人間は辰伶だけでした。あばばばばば」
この人、何でこんな幼稚な煽り方してくるのかな。
「用心しろよ。この屋敷は異界だらけだ」
縁側から眺められる広い庭の奥には大きない美しい池がある。その池も、屋敷内にやたらと配置されている鏡や壺や絵画も、これらは異界の入り口だ。この部屋も、時々どこからか小物の雑鬼が現れては消える。ゆんゆんが雑鬼を1匹捕まえた。威嚇したり揶揄ったりして遊んでから放してやった。
小物の雑鬼がうろつくといってもこの程度。異界の入り口が多いのは気になるけど、風通しが良いのか空気が淀んでいない。表主屋は平穏だ。
不穏な気配は屋敷の深部から伝わってくる。強い瘴気の源は、きっと辰伶が侵入を拒む洋館部分にある。
「それから、お前のお袋さんから聞いた忠告だ。この屋敷で出されたものは口にするなよ」
「ゆんゆんがコンビニに行く用事って…」
「食料調達。泊まりになるとは思わなかったからなあ」
ゆんゆんが帰ってくるまで、俺は奥座敷で昼寝して過ごした。財産争いに巻き込まれて毒を盛られる夢を見た。