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或る猫の風景

-4-


 うつらうつらとした意識の外側で、誰かの話し声が聞こえる。声には険が含まれており、怒鳴り合いというほどでもないが、何か諍いをしているようだ。折角気持ちよくうたた寝しているところを邪魔されて、ほたるは不機嫌に耳を小刻みに震わせた。

「それで貴様は敵に背を向け、部下を見捨てて自分独り逃げ帰ったというのか」
「…いや、辰伶殿…それは……」
「何だ?他に解釈の余地があるなら、教えて欲しいものだな」
「…情勢を不利と判断し、このままでは王よりお預かりした五曜の兵をみすみす失うことになると、援軍の要請を…」
「あまつさえ、この俺に貴様の後始末をしろと言うのか。五曜星は相互不干渉が原則だ。断る」
「そこをどうか、辰伶殿」

 辰伶と誰かが揉めているようだ。辰伶が相手を糾弾し、相手は言訳ばかりしている。話の内容から、相手は五曜星の誰からしい。漢の声であるから歳子や歳世ではない。鎮明はもっと独特な話し方をするから違う。太白相手に辰伶はこんな口のきき方はしない。残るは火の五曜星・鶏告。辰伶に猫(ほたる)のことで嫌味を言っていた漢だ。

 どうやら鶏告が何かの任務に失敗し、辰伶に助勢を請うているらしい。ほたるは辰伶の膝の上で1つ欠伸した。ほたるが目を覚ましたことに気付いた辰伶は、ほたるを抱え直して立ち上がった。

「…俺の部下ではないが、王の財産たる壬生の戦士が無為に失われるのは忍びない。条件次第では、貴様の申し出を受けてやってもいい」
「じょ、条件とは…」
「五曜星の名を返上しろ」

 辰伶の声は鶏告を見据える眼差し同様に冷淡だった。

「……此度の不始末、最早五曜星は名乗れぬ。この通り、お願い申し上げる」

 鶏告は深々と頭を下げた。辰伶は忌々しげに溜息をついた。

「……場所は南の樹海だったな」
「おお、辰伶殿。行って下さるか」
「歳子・歳世に依頼して、救護班を編成して貰え。助かる者は可能な限り助けたい」
「ご自分の部下でもない者に対しても何と慈悲深い。この鶏告、深く感銘致しましたぞ」
「……無意味な追従はいらん。さっさと行け」

 それを最後に辰伶は鶏告には一瞥もくれず、その場を去った。それ故に見てはいなかった。鶏告の眼が昏く怪しく光り、その口元に薄笑いが浮かんだことを。

 辰伶の肩越しに、ほたるの琥珀の瞳だけがそれを見ていた。


「南の樹海で、出来損ないどもの叛乱があったそうだ」

 道すがら、先ほどの鶏告との間に交わされていた話の内容を、辰伶はほたるに説明した。

「実戦部隊を指揮する五曜星の内、南は火の五曜星が監視の任を仰せつかっている。鎮圧には火曜である鶏告が向かったのだが…」
「反対にやられちゃったんだ」
「援軍を請いになどと、よくもぬけぬけと。つまりは部下を見捨てて、自分1人だけ逃げ出したということではないか。五曜星の名折れだ」

 吐き捨てるように、辰伶は言った。見た目以上に頭に血を昇らせているらしい。そんな辰伶の様子を窺い見て、ほたるはのんびりとした口調で言った。

「樹海の出来損ないたちって、そんなに強いの?」
「中には侮れぬ能力を持つ者もあるらしいが…」
「五曜の部隊よりも強いの?」
「バカな!例えどれ程特殊な能力があろうとも、所詮は出来損ないだ。壬生の正しき戦士が遅れをとるなど…」
「…でも、殆どやられちゃったんでしょ」
「……」
「油断しない方がいいんじゃない?」

 ほたるの言葉に、辰伶は考え込む仕草をした。

「…確かに。鶏告は実力的には俺達の中では格下だ。とはいえ、曲がりなりにも五曜星の1人であるのだから、一般の戦闘員に劣るわけではない。それが逃げ出したというのだからな。それに、五曜の部隊の能力は拮抗している。火曜の部隊のみが格段に弱いということは無い。……ただの、出来損ないどもの叛乱ではないのか?」
「それから、あいつには気をつけた方がいいよ」
「あいつ?」
「さっきの奴。…あいつ、絶対に変」
「変とは、どこがだ?」
「ええと…」

 ほたるは鶏告の何に不審を抱いたか、思い返してみた。確か、笑ったのだ。嫌な印象の眼で。

「何か…変な顔してた」
「変な顔って…」

 辰伶は鶏告の顔を思い浮かべた。

「確かに、余り美男とは言わない顔立ちだとは思うが、そんな風に指摘するのは失礼だぞ」
「でも、変な顔してたし」
「変、変って、そこまで言うほど変ではないだろう。多少、目鼻の配置のバランスが変かもしれないが…」
「うん。目が変だった。でも鼻は変じゃなかったよ。変だったのは眼と口」
「そうか?鼻もベストポジションから程遠いと思うぞ」
「…辰伶、何の話してるの?」
「だから、鶏告の顔が不細工だという話だろう?」
「……」
「そういうことで他人を評価するのは良くないぞ。顔の拙さは能力や人格とは関係あるまいに。…しかし、あの漢の場合は品性の卑しさが顔に出ているのだろうな」
「……ええと」

 何の話をしていたのか、ほたるは忘れてしまった。

「別に顔が拙いから言うのではないが、確かに鶏告は余り信用できる漢ではない。お前が何か感じ取ったなら、何かあるのかもしれんな」
「それなのに、独りで行くの? 水曜の部隊は連れて行かないの?」
「信用できないからこそ、部隊を呼ぶわけにはいかん」
「部下を危険な目に合わせない為?」
「そうじゃない」

 辰伶は苦笑した。

「鶏告の真意が知れぬのであれば、俺の監視区域である北方を空にするわけにはいかん。それが理由だ。生憎と俺は部下に対してそれほど慈悲深くは出来ておらんのだ。壬生を守ること。それが最優先事項だ」

 油断している訳でも、情に溺れた訳でもないと知って、ほたるは安心した。片親のみの血の繋がりとはいえ兄弟なのだ。…バカじゃガッカリだ。

「…ほたる……すまない」

 突然の謝罪に、ほたるは意味が判らず2、3度瞬きした。

「何が?」
「お前を危険に晒すことになるかもしれない」
「…ああ」

 これから戦闘に向かうというのに、猫を連れてというのは何とも暢気な光景である。

「しょうがないよ。ゆんゆんと賭けしたんだから」
「お前には関係のないことなのに、巻き込んですまない。だが、俺は賭けに勝たねばならんのだ。…お前には絶対に怪我1つさせない」
「……うん」

 逆だと、ほたる思った。本当に遊庵と賭けをしているのは辰伶ではなくほたるなのだから。そしてその為に辰伶はほたるを抱えたまま戦うことになってしまった。これでは到底全力は出せまい。途轍もなく不利な状況である。

「……」

 賭けを放棄するよう、辰伶に言った方がいいのかもしれない。しかしほたるは言い出せなかった。自分の為に辰伶が真剣になってくれているのが、言いようも無く心地よかったからだ。

 ほたるが逡巡している間に、南の樹海の、鶏告から伝え聞いた地点に到着した。辺りには火曜の部隊も、叛乱を起こした出来損ないの姿もない。

「…どういうことだ」
「全滅した…って、様子じゃなさそうだね」

 そこで戦闘があったという痕跡自体が無かった。静かで薄暗い森が深く深く続くばかりだ。

「あいつ……辰伶に嘘ついたってことだよね…」
「だが、何の為に?…俺をからかって楽しもうという趣向ではあるまい」

 鶏告がそんなことをする理由が、辰伶には判らない。辰伶と鶏告は日頃から全く友好的ではないから、悪意があってのことだろう。単純に、辰伶に無駄足を踏ませて物笑いにしてやりたかったという解釈は成り立つだろうか。その為に鶏告は演技とはいえ辰伶に頭まで下げたのだ。

「…辰伶」
「ああ」

 隠し切れない殺気を漂わせる気配に、辰伶とほたるは囲まれていた。


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