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後継なき舞台

-3-


 雪は激しさを増していた。

「これでは、さすがに雪見どころではありませんね」
「……」

 寒風が身に沁みてきたらしい時人の様子を見兼ねて、辰伶は障子戸を閉めた。今度は時人も制止しなかった。火鉢の上に乗せていた鉄瓶から湯を汲んで、辰伶は空になって冷めた2人の湯呑に熱い茶を注いだ。時人は湯呑を両手で包むように受け取り、頬を寄せて温もりを求めた。

「僕が太四老だった頃…」

 時人は夢を見るように目を閉じた。

「あの頃は、事あるごとにひしぎに突っかかったっけ。僕は『吹雪さん』に注目して貰いたくて…独り占めしたくて、いっつも傍にいるひしぎが邪魔でしょうがなかった。嫌味言って、バカにして……きっと、凄く傷つけただろうね」
「……」
「なのにあいつったら、ゼンゼン涼しい顔…てゆーか、僕のことなんて全然問題にもしてないってゆーか、無感動で陰気な仏頂面を崩しもしなかった」
「陰気…」
「記憶を操作される前は、物静かで学者肌で温厚で優しげな人だなって、少し憧れてたけど。言っちゃ悪いけど、やっぱ気が滅入るんだよ、あいつを取り囲む空気の重さは。根が暗いんだよ。ネ・ク・ラ」
「そ、それは言い過ぎでは…」
「アレが初恋だったなんて、冗談じゃないよ。あーあ、初恋は実らないってのが本当で良かった」
「…時人様」
「やだなあ。そんな顔しないでよ」

 昔の自分が好きだった人。好きで好きで、いつも本ばかり見ている彼に構って欲しくて、研究の邪魔をしては父に咎められた。記憶を操作されていた時も、意地悪ばかりしていた。思い出せば出すほど、時人には彼を困らせていた記憶しかなかった。

 果たして自分は、ただの1度でもひしぎに『好きだ』と面と向かって言ったことがあっただろうか。彼に好意を持って貰える様なことをしただろうか。時人にとって、それが人生で一番大きな後悔かもしれなかった。そして、これ以上の後悔はしたくないと思う。

「好きだったよ、ひしぎのことが。そして、僕は優しい村正伯父様が大好きだった。綺麗な母様が大好きで、そして……父様…」

 涙が頬を伝った。1粒流れたら、後から後から溢れてきて、時人は俯き、小さな湯飲の陰に隠れるようにして、顔を隠した。

「父様は強くて、僕の自慢で……でも、父様…どんなに辛かっただろう。父様は壬生の為に全てを捨てたと言ったけど、でも、親子の縁を切って僕を捨てたのは、それだけは僕の為だった。新しい時代で、僕が光の中を生きていけるように」

 記憶を操作されていた頃の自分が『吹雪さん』に執着したのは、父親(村正)に捨てられた自分が、彼にまで見捨てられたら独りぼっちになってしまうという恐怖感があったからというのも確かだ。しかしそれだけではないと、時人は思う。

「僕が覚えてる『吹雪さん』は、僕に優しい言葉を掛けてくれて、僕のことを気に掛けてくれていた。僕の失敗を庇ってくれた。いつだって僕は、父様に愛されてた。だから僕は本当に『吹雪さん』が大好きだったんだよ。利用されたなんて思わない。だって、ずっとずっと、あんなに近くで守ってくれていたんだもの。…最期まで」

 吹雪に「ありがとう」と一言伝えることができたら。ひしぎに「大好き」と伝えることができたら。そして、自分は生まれてきて幸せであると、過去の人々にも今の人々にも、全てに伝えることができたら、本当に幸せなのにと時人は思う。

「ええ。吹雪様は全てをその身に負って、次の世代の担い手たる私達を、全身で守って下さりました。ですが…」

 辰伶はつと立ち上がり、時人に背を向け障子戸を前にして立ち止まった。障子戸を透かして外の雪景色を睨んでいるように、時人には見えた。

「時人様、偏見を承知で申し上げますが、これは漢である私と、女性の身であらせられる貴方様との考えの差なのでしょうか」
「え?」
「それとも、子である貴方様と、弟子である私の、立場の違いから来るのでしょうか。この憤りにも似たやるせなさは」

 背中越しにも、辰伶の憤りと悲哀が時人には伝わってきた。自らの頬を濡らしていた涙を忘れて、時人は目を見開いて辰伶の背中と震える肩先を見詰めた。

「ご親友であらせられたひしぎ様とも、私の立場は違います。だから吹雪様の心臓になろうなどと、この身に過ぎたことは申しません。でも私は、ひしぎ様のように吹雪様の苦しみを分けて頂きたかった」

 時人は掛ける言葉を見つけられず、独白のように坦々と続く辰伶の言葉を一方的に聞いていた。とても哀しい気持ちになり、新たな涙が両目に溢れて頬を伝い落ちた。幾つも、幾つも…

「吹雪様は俺を駒の1つとして扱われた。共謀者にはひしぎ様唯1人をおかれて、弟子である俺を協力者には採り上げて下さらなかった。それほどまでに、俺は吹雪様に信用されてはいなかったのかと、この辰伶の力を頼みとしてはおられなかったのかと思うと、己の力の無さが悔しくて、守られるばかりで何の力にもなれなかった自分が不甲斐なくて、悲しくて…」
「辰伶…」
「俺は、吹雪様の片腕になりたかった」



―――過去―――



「…吹雪様…な…なぜ……」
「…『悪』とは滅びるものなのだ…」

 覚悟せねばなるまい。

 壬生再臨計画を遂行するに、『覚悟』という言葉を何度胸に刻んだことか。しかし真に覚悟という言葉の意味を実感したのは、ひしぎが死の病を発症した時であったかもしれぬ。それは友を失うという意味を超えて、過酷な現実を俺の眼前に突きつけたのだ。

『シャーマン(人間の能力者)をお前の近衛隊長にするだと?…別にお前がいいならかまわんが…どういう風の吹き回しだ?』
『勿論、表沙汰にはしません。ただ、bP3はそのへんの壬生一族の者より非常に従順で優秀だということです。あの者ならば私が死んだ後でも私の記憶を元に死の病の治療法を見つけられるかもしれません』
『bP3か…それほど目をかけ信頼している者の名前も知らんのか。…まあ、お前らしいがな』
『…知っていますよ。…でも、名前で呼ぶと…情が移ってしまいそうで…』
『ひしぎ…』
『…心配いりません。必要なくなったらbP3も処分しますよ。他のシャーマンと同じように…』

 死の病は一族の誰にでも訪れる。勿論、この俺にもだ。もし、俺が死の病を発症し、俺の命の有る内に計画が完了せぬようならば、俺もひしぎ同様に、俺の後釜となるべき者を据えねばならぬ。

 人材となり得る者は…居た。1人だけ。俺が最も期待し、手塩に掛けて育て上げた俺の愛弟子。辰伶以外に、俺の後任を托せる者はいない。

 この壬生一族の秘密と、壬生再臨計画の真の目的とその全貌を知った辰伶がどんな反応を示すか、簡単に想像がついた。まずは驚き、俺に否定の言葉を求めるだろう。衝撃と絶望に打ちひしがれ、そしてついには感情を殺した瞳で言うのだ。御意と。

 そして俺と同じく全てを捨て去り、罪に手を染めて、苦悩に心を凍らせていくのだ。あれはそういう漢だ。だからこそ、俺はあれを弟子にと見込んだのだから。それ故に、俺は常に覚悟しておらねばならなかった。辰伶を、この忌まわしい計画の後継者とすることを。

『辰伶、水舞台の本当の意味を知っているか?一族1人1人の倖せを願って舞う水舞台は、俺の誇りなのだ』

『吹雪様、辰伶はいつかなりとう存じます。吹雪様のような一族を愛する真の侍に』

 辰伶、お前はお前の誇りである無明歳刑流の名を地に貶めて、お前があれほど夢見た水舞台を1度として演じることなく、お前が心から愛する壬生一族の歴史に『悪魔』としてその名を書き残されることになるのだ。そんな過酷な道であっても、お前は躊躇なく受け入れるだろう。そして俺はそんな残酷な未来を、お前に強いねばならぬのだ。覚悟とは、そういう覚悟だ。

 いや、それでは俺が全てを捨てた意味が無い。病に倒れ朽ち果てる前に、俺は壬生再臨計画を完了させねばならぬ。壬生再臨計画が完了するまでは、俺は決して倒れてはならぬ。この黒き舞台には代役も後継者も要らぬ。黒き舞は一代限りで消えるのだ。後世に汚れを残さぬ為に。

 辰伶、お前は後継者として俺の隣に並ぶのではなく、断罪者として俺に裁きの太刀を打ち下ろさねばならん。それがお前の役目だ。

「すべては…初めから決めていたこと…。俺の最期の役目は、俺とひしぎの悪業を…すべての罪をこの命で清算し『悪』の歴史を終わらせること」
「な……」

 村正、見ているか?そして笑っているか?お前の勝ちだ。子供達を信じたお前の。

 そして、ひしぎよ。お前にも見えるだろう。俺達の勝利が。俺達は村正とは袂を分かち、違う道を歩んで来たが、それでもずっと同じ『先』を見ていた。たとえ歩む道が違っていても、護りたかったものは1つ。俺も、お前も、姫時も、村正も…俺たちは皆、勝利者だ。

「吹雪様―――… 吹雪様ァ―――――――

 勝利者は、笑うものだろう? 


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アキ時が好きなんですが、ひし←時も捨てがたい……。はっ、これは吹雪&辰伶小説だった!

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