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後継なき舞台

-2-


「さっき辰伶が吹いてたのって、その笛?」
「ええ」

 辰伶は時人に笛を手渡して見せた。竹製で表面には桜の皮の巻きが施されている。見たところ普通の笛だ。時人は軽くそれを鳴らしてみた。

「何これ。狂ってるじゃない。さっきは何か変な音だと思ったけど、やっぱりこれ、ゼンゼン壊れてるよ」
「先日、螢惑が外から郷に戻った時に土産に貰ったもので、能管というのですが、これが世にも奇妙な笛で」

 時人から返された笛を、辰伶は緩やかに音を奏でて見せた。

「わざと律を狂わせる細工がされているのです」
「わざと?」
「ええ。この歌口と指孔の間の部分を「喉」と言うのですが、この中に細い竹の管が差し込まれていて、それによって律が狂わされるのです」
「変なの。わざと壊れてるってわけ?」
「そうです。わざとこういう笛なのです。外の人々は面白いことを考えるものです」

 律の狂った笛である能管の旋律は、竜笛などと比べてみても心地よく美しいとは言い難い。いったい能管の音の何が外の人々の心を捕らえるのかを辰伶は知りたくて、この数日、手空きの時にはこの笛と語らっていたのだ。

「螢惑も変なものを見つけてきたものだね」
「あいつがこんな気の利いたものを土産に思いつくものですか。恐らくこれを選んだのは、先の螢惑の帰郷の折に同行してきたアキラ殿でしょう」
「…アキラ」

 その名を呟いて、時人は薄く頬を染めた。時人も壬生の外からの土産をアキラから貰ったのだ。それはとても美しい布だった。

 アキラが齎す外の世界の情報は、螢惑のそれに比べるまでもなく遥かに正確で詳細で(紅虎あたりに言わせると知識を鼻にかけた薀蓄垂れだそうだが)、彼らが壬生の郷に滞在している間、辰伶はその豊富な話を興味深く聞いていた。能管の説明も螢惑ではなくアキラから聞いたので、彼が選んだのだろうと、辰伶は推測したのだ。アキラのセンスは、文化や芸術方面に対する関心の高い辰伶と波長が合った。

「辰伶も行っていいのに。憧れだったんでしょ。外の世界が」
「私は…」
「ごめん。僕が言えることじゃないね。壬生再建の重荷を、殆どお前に負わせちゃったんだから」

 鬼目の狂を中心とした、壬生の郷を大きく変えた闘いの後に、時人は太四老の地位から退いた。そして、もともと自ら望まずその地位にあった遊庵も、その肩書きを捨てた。辰伶は初代太四老である四方堂に元の地位に返り咲くことを進言したが、彼女は自分は既に過去の存在であると辞退した。螢惑は端から地位や権力には興味なく、結局、太四老と五曜星で構成されていた九曜の制度は自然消滅という形で解体された。

 しかし、平穏と秩序を望む衆人の群れは指導者を欲していた。その欲求は、壬生再建の為に奔走する辰伶へと自然に注がれ、誰が決定した訳でもないのに、いつの間にか辰伶は一族の中で多くに責任を負う立場となっていた。

「負わされた、とは、この辰伶、思ってはおりません。吹雪様や村正様やひしぎ様が愛された壬生を未来へと伝えることに、微力ながらも尽くすことができるなら、私には大いなる喜びです。…ですが、時人様にこそ壬生再建の旗頭になって頂きたいという思いは、今もあります」

 辰伶がそう望む根拠は、それは時人が先の太四老の長である吹雪の遺児であり、また、その前の長で人望の厚かった村正の血縁であることによる。血統に頼るなど愚かなことではあるが、しかしそれが状況によっては強力な吸引力となることも事実である。

「やめてよ。僕にはそんな資格ないもの。父様たちに騙されてた形ではあったけど、でも、僕が太四老の地位を利用して周りの人たちに散々酷いことしたのは、洗脳のせいじゃない。僕が拗ねて、ひねくれて、八つ当たりしてただけ。自分のことばっかりで、周りのことなんてこれっぽっちも考えなかった。そんな奴に指導者の資格なんて無いよ」
「時人様…」
「辰伶がなれば良かったじゃない。太四老の長に」
「嫌です。たった1人で太四老なんておかしいじゃありませんか」
「アハハッ、確かにね」
「それに、私の器量では荷が重過ぎます。長なんて畏れ多いです。やはり四方堂様や、或いは遊庵様のような…」
「だ〜め、だめ。あの2人じゃ、太四老の品位ガタ落ちだってば」
「そんな、時人様。お二方は過去には太四老を務めておられたのですよ」

 困惑気味の辰伶を他所に、時人は他愛の無い冗談を言っては、コロコロとよく笑った。

「でも、辰伶。紅の王もなく、太四老もなく、鬼目の狂も去った今、この壬生を1つにまとめてるのは、お前だと思うよ」
「私は…ただ必死で、夢中なだけです。私を頼みにして下さる人々の期待には出来る限り応えたいですが、残念ながら私は視野は広くないし、思慮深くもない。観察力も乏しいし、人々の想いに気付かないことも多い。村正様のような寛容さは無いし、吹雪様のような決断力は無いし、ひしぎ様のような英知も無い。あの方々に比べて、自分は何と狭量で優柔で浅薄なのかと、我が身の至らなさに恥じ入るばかりです」
「あー…、お前はホント、真面目だねえ」

 しかし、それも無理ないことと、時人は思う。辰伶が想いを馳せる故人たちは、力の大きさ、志の高さ、そして壬生一族に対する思いの深さの、どれをとっても比類ない偉人であった。彼らの背中は、辰伶にとっては永遠に追いつくことの出来ない目標なのだろう。

「あの方々に肩を並べて太四老を名乗ることなど、おこがましいことです。ましてや、長なんて…」
「実際、太四老の長なんて、よくやってたよ。父様も、村正伯父様も」
「はい。どちらもその位に相応しい、立派な方々でした」



―――過去―――



「本当に良かったのでしょうか。あなた方を差し置いて、私などが太四老の長なんて」

 新たな太四老の長として、村正の名が告知された。長への就任の儀式を終えた村正は、同じく太四老であり親友でもある吹雪とひしぎに、戸惑うその胸の内を明かした。

「皆、納得の上での決定だったではないか。何を心配することがある」
「しかし、吹雪。私は戦闘能力でもあなた方には及びませんし…」
「そうでもあるまい。村正は壬生最強と謳われる無明神風流を伝授されているではないか。長就任よりもそちらの方が、俺としては妬ましいぞ」
「そうですよ」

 ひしぎも、吹雪に同調した。

「吹雪は高潔過ぎて不正や怠惰に対して容赦が無いし、私は研究で忙しいですから。長なんてものは、貴方みたいなのが丁度いいんですよ」

 全く褒め言葉になっていないひしぎの励ましに、村正は人の悪そうな笑みを浮かべ、拗ねた口調で言った。

「何だか私が暇でいい加減な人物だから、長に選ばれたみたいですね」
「その通りだろう。お前の加減が、一番バランスがとれているということだ。なに、お前を表舞台に立たせて、俺たちが陰で操って壬生を支配してやろうと画策しているのさ」

 吹雪も滅多に言わない偽悪的な冗談を披露する形で、村正の長就任を支持した。それが吹雪に全然似合っていなくて、村正は大袈裟に腕を組んでわざとらしく溜息をついた。

「ひしぎはともかく、吹雪は陰謀家に向きませんよ」
「なに?」
「私はともかくというのが引っかかりますが、それは置くとして、確かに吹雪には向いてないですね」
「どういう意味だ」

 ひしぎは特に構えるでもなく、さらりと言った。

「貴方のような腹芸のできない純粋バカに陰謀家は務まらないということです」
「な…っ。誰がバカだ」
「いいじゃないですか。私は好きですよ。純粋バカ。我が妹も、貴方のバカみたいに純粋なところに惚れたようですから」

 一瞬にして吹雪は紅潮し、絶句した。

「ずっとバカでいて欲しいですね。『壬生の為に』」
「ええ、『壬生の為に』」

 己の口癖を揶揄されて、吹雪はむっつりと黙り込んだ。無遠慮な親友どもは…

「吹雪、吹雪」
「……」

 名を呼ばれて、吹雪は我に返った。いつの間にか睡魔に囚われていたらしい。文机に浅く凭れ掛かりながら、うとうととしていたところを、ひしぎの声に起こされた。

「お疲れですか? 無理せず休んでは如何ですか?」
「それ程でもない。…成果はあったか?」

 疲労の色を、その氷のような無表情で覆い隠し、吹雪はひしぎの研究のことを尋ねた。

「まだ、完璧には程遠い出来ですね」
「…そうか」

 完璧な戦闘人形には程遠い『出来損ない』たちを、ひしぎは処分してきたところだった。それに気付いた吹雪は、何気なく口にしようとしていた台詞を吐き出さずに飲み込んだ。

『昔の夢を見ていた』

 その一言を、吹雪は捨てた。


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 外の世界の話を得意げに話しまくるアキラと、それを熱心に聞き入る辰伶(+無言でムカついている螢惑)。意外に気が合うかもと思いました。アキ辰? 辰アキ? こういう2人、誰か書いてくれないかなあ…

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