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今宵の宴に
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豊楽殿の前庭には、五曜連舞の為の高舞台が設置されていた。玉砂利の白い輝きに朱塗りの高欄が鮮やかに映える。余興の為の仮設の舞台ではあるが、舞うのは五曜星である。材質も良いものが使われ、造りも疎かではない。楽舎は舞台の左右にあり、管方が侍る。
式典は午前中に終わり、祝賀会は正午を過ぎて始まった。その後はこれまでの習いでいけば、夜まで酒宴となるだろう。
豊楽殿の前庭に面した広廂には太四老が座している。中央の一段高い御座に先代紅の王がいるはずだが、御簾によって遮られており、その様子は窺い知れない。
東の対屋には五曜星が詰めている。辰伶達の控え室としての役割の他、今回の舞台を務めることのない太白、鎮明、歳子はここから舞台を見守っている。
「はあ…せっかく歳世ちゃんに、タルイお役目を代ってもらいましたのに…」
歳子は深々と溜息をついた。
「どうした、歳子。浮かない顔をして」
「どうもこうも…」
太白が問いかけるも、歳子は更に深い溜息を1つ吐いた。
「祝賀会の間に素敵な殿方をチェックしようと思ってましたのに…せっかく気張ってオシャレまでしてきましたのに……はあ…遠い、遠いですわ…」
歳子の切なげな瞳は西の対屋へと馳せられている。
西の対屋には上級貴族の中でも特に家筋の良い者が上がることを許されている。歳子の夢みる玉の輿はそこにあるのだ。本殿を挟んだこの東の対屋からは遠い。
壬生一族の序列では、西の対屋の上級貴族達よりも、歳子達五曜星の方が上である。身分や家格も重要な要素ではあるが、それ以上に当人の能力を重視する傾向があった。それは人間の社会と比べて、より顕著である。
しかしそれは五曜星としての地位を示すもので、例えば歳子が五曜星の役を辞したとしたなら、東西どちらの対屋にも上がれたものではないだろう。歳子も五曜星に名を連ねる身であるから、そこそこ名のある家の出ではあるが、しかし西の対屋の上級貴族に比べるべくもない。それは太白や鎮明にも言える事で、唯一、辰伶のみがその身分を誇ることができた。螢惑に至っては公的には貴族ですらない。
歳子が西の対屋の上級貴族を射止めたとしたら、それは十分に玉の輿といえるのだ。
「なんだか期待ハズレ。……あら、このお菓子おいしいですわ。あとで歳世ちゃんと一緒に食べましょう」
比和舞『水』の段が終わり、辰伶は舞台から降りた。本来の五曜連舞なら途切れることなく相生舞『水生木』へと続くのだが、今回は本番と違って抜粋であるし、衣装替えのこともあり、一度は控えに戻る必要があった。本殿と西の対屋に軽い礼をして東の対屋に下がった。
「いつもながら、辰伶殿の舞は見事ですな」
「ほんとうに。見惚れてしまいますわ」
「これほど舞を能くする者は、過去にもざらにはおりますまい」
西の対屋では、辰伶の舞を賞賛する声に溢れていた。だが、彼らの口の全てが好感の歌を唱和しているのではなかった。
「今回の五曜舞は愉しみが多いな。螢惑は初舞台ということだが、噂によれば、舞については基本さえも全く無知で、辰伶殿を散々手こずらせたというではないか」
「所詮は何処とも知れぬ下賎の出よ。そもそも彼奴に五曜星たる資格があったものか」
「それに……『水生木』はアレでございましょう」
「よくよく、五曜星は死人を踊らせるのが好きとみえる」
その不快なさざ波は辰伶の耳に届き、彼の神経をピリピリと苛立たせた。その侮蔑の矛先が辰伶に向けられたものでなくとも、仲間である五曜星を軽んじ蔑むことは、辰伶を軽んじ蔑むことと同じに感じた。その悔しさを抑えて、歳世に囁きかける。
「雑音は聞くな」
歳世は表情1つ変えずに言った。
「大丈夫だ。舞に集中している」
その凛とした気高さは真の高貴と言えた。歳世の落ち着いた様子に、辰伶は冷静さを取り戻した。
中傷された当人が気丈に在るのに、自分が心を乱してどうする。
辰伶は次の舞の衣装に着替えた。その時にはすっかり心を澄ませていた。
「歳世、いくぞ」
「ええ」
管方の演奏が微風のように静かに始まる。笛や絃の音が重なり合い、次第に大きな音曲の大河へと成長する。悠々たる管絃の流れの中で、辰伶の手にする鈴が跳ね上げるように音高く鳴り響いた。舞の始まりである。
辰伶の鈴に応えて、歳世の鈴が鳴る。涼やかに鋭く。華やかに柔らかく。天より降る音と、地より湧き出でる音が、やがて1つに重なり命が生ずる。相生舞『水生木』のこの出だしは、五曜連舞の中でも特に美しいと言われる一節であり、最も重要な見所の1つである。この部分だけで、評価の6割方が決まる。
それを辰伶と歳世は完璧にこなし、そのまま至高の調和の世界へと滑り出した。一糸の乱れも無く、この場の誰1人とて、これが始めて合わせられたとは想像もしない。辰伶さえも、歳世とはもう何度も舞っているように錯覚した。歳世は自身の言葉通り、辰伶の舞に完璧に合わせてきていた。
ただ合っているだけではない。
歳世の描く線、型は、辰伶と並んで見劣ることがない。要素の1つ1つに無駄が無く、かといって無味乾燥にはならず、見るものを知らずに引き込む。歳世がこれほどの技量を持っていたとは、彼女を「創った」歳子すら知らなかった。
舞の後半に至るにつれて、辰伶よりも歳世の方がより引き立って見えるようになった。
(そうだ。これがこの舞の本来の姿だ)
水生木。水は木を生ず。これは水が木を活かす舞なのだ。過去、それが単なる調和の舞に終始していたのは、優れた水の舞手に木の舞手が負けていた為だ。
歳世という優れた舞手を得て、初めて本当の『水生木』が実現した。これが軽い余興の舞台であることを、衆目の全てが忘れた。
「素晴らしかった。歳世がこれ程の名手であるとは知らなかった」
「辰伶からそう言ってもらえるとは、光栄だ」
「途中から、舞が終わってしまうのが惜しくなった位だ。心の底から楽しいと思った。お前とはもっと舞っていたかったな」
その言葉が、歳世の心を隅々まで満たした。満開の桜花のような微笑みがこぼれる。
見物人からは賞賛の声が絶えなかった。しかし、それでも最初から歪んだ目で見ていた者には、どんなに素晴らしく優れたものも、その目に映らなかった。
「ま、見られる舞だったかな」
「人形なだけに、辰伶殿が糸で操っていたのではないかな」
その囁声を、辰伶は聞きとがめ、途端に眉が険しくなる。
「雑音は聞くな」
それは先の辰伶の言葉だ。歳世は彼の言葉で辰伶を押し止めた。
「言わせてやれ。それしか能がないのだから」
「能無しが好き勝手言うから、気に入らないんだ」
「心の乱れは舞の乱れに繋がる。貴方には、まだ最後の舞台があるだろう」
「それは、そうだが…」
心が萎んでいく。あれほど素晴らしい舞を経験したばかりだというのに、いや、だからこそ、それを心無く貶める言葉が辰伶の胸を冷たく刺し貫いた。
「なにグズグズしてるの。さっさと着替えたら?」
東の対屋に戻ると、螢惑が出迎え、開口一番にそう言った。
「早くしてくれないと、俺、振り付け忘れるかも」
「…ああ」
辰伶は反応に戸惑った。螢惑の台詞はいつも通り素気ないのだが、どこか不思議な温かみのようなものを感じた。
「まさか、な」
螢惑が他人を、まして自分を気遣うことなどあるはずがない。恐らく勘違いだろうと辰伶は結論付けた。
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