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今宵の宴に
-5-
「駄目だ。袴がよくない」
「籠目地紋に火炎太鼓では如何でしょうか」
「…それは悪くないな。悪くないが、いまひとつパッとしない。螢惑にはもっと…」
辰伶の指揮の元に、螢惑の衣装選びが繰り広げられていた。水の五曜星が火の五曜星の家人に指図するというのは、本来ありえないことであるが、それについては誰も口を挟まなかった。辰伶の力を借りなければ、意思の疎通のない主人の支度を調えることは不可能だったからだ。螢惑が恥をかいて一番困るのは、実は螢惑に仕える彼らだった。主人に十分な支度を調えられず、用人としての能力を疑われるのは、彼らにとっては激しく屈辱的なことだ。火の五曜星の家人として、他でもない五曜連舞の衣装をお座成りに済ますわけにはいかない。
これでは火の五曜星である螢惑の立場が全く無い。しかし、螢惑は文句を言うでなく、好きにさせていた。立場や沽券など、螢惑には興味のないことだ。
しかし、この状態を螢惑が喜んでいたかといえば、そうではない。家人らが次々運んでくる雅やかな衣装に囲まれて、螢惑は心底うんざりしていた。
「……」
おめおめと辰伶に連れて来られてしまったことを、螢惑は不覚に思った。あの有無を言わさぬ強引な手を何となく、そう、何となく振り払えなかったのだ。それを今になって心底後悔した。こんな面倒なことになるなら、引っぱる辰伶の腕を切り落とすなり殺すなりしておけば良かったと思う。それをしなかったのは何となく、そう、何となく……面倒だったからだ。
辰伶と螢惑は野茨の険しい小径で共に掻き傷だらけになって進みながら、こんな話をした。
「お前は、何の為に五曜星になった」
「…寝る場所が欲しかったから」
螢惑の答えに、辰伶は怪訝な顔をした。樹海の民や、外の世界の人間のようなクズ共ならいざしらず、壬生一族、或いは壬生の眷属として壬生の郷に暮らす者なら、どんな身分の誰であろうと、最低でも寝る場所位は所有している。壬生の中枢に身を置く五曜星になってまで、あえて欲しいものとは思えない。
「あんな古びたあばら屋が欲しくて五曜星になったというのか?俺には理解できんな」
「……」
辰伶には一生理解できないに違いない、と、螢惑は思う。
螢惑が欲しかったのは屋根だ。雨に濡れない為に。
そして、最も欲しかったのは壁だ。その身を守るために。
その出自ゆえに幼い頃からその命を狙われ続けてきた螢惑は安息できる場所を求めていた。父親からの刺客以外にも、螢惑のような若者が独りでいれば、悪心を抱くものや樹海の民などの穏やかならぬ輩に狙われることは度々だったので、そういうものから身を守る手段が欲しかった。
五曜星というポジションは、その条件を充たしていた。
螢惑が五曜星という公の地位にあれば、刺客もおおっぴらに彼を殺すわけにはいかない。尤も、いつの頃からか、刺客が送られて来ることはなくなっていたが。
また、ごろつき達も五曜星の力(戦闘能力、権力を含む)を畏れて、徒に近寄っては来なくなった。実に便利なことに、五曜星の名は、螢惑をあらゆる悪意から守る壁になったのだ。
別に五曜星の名など無くとも、その実力で悪意や災難を斬り伏せる自信はあったが、雑魚に群がられてもウザいし疲れるだけである。だから、螢惑にとって『五曜星』という場所はそれほど悪いものでもなかった。
「あそこなら誰にも邪魔されずに眠れるじゃない。もっとも、今日は邪魔が来たけど」
「お前とはまともな話はできないようだ」
「する気ないし」
しかし、螢惑とて、今となっては本当にそれが自分の望むものか疑問だった。安息の場所は得たが、しかしそれで何かが充たされた訳ではなかった。螢惑の心はいつも、正体の知れない何かを求めて、どこでもない遠くを見ていた。
「螢惑、おまえは…」
その先を何と続けるつもりだったのか。辰伶はそこで言葉を切って、会話はそれで終わった。それからここに至るまで、私的なことも公的なことも何も話していない。
それまで着せ替え人形のように身動ぎもせず、為されるに任せているだけだった螢惑が、ぼそりと言った。
「ねえ、まだ決まらないの?」
辰伶は渋い顔をした。実は今の時点で衣装としては十分合格点に達しているのだ。しかしどれもこれも無難すぎて、微妙に不満な点が残る。
「おまえの意見はないのか?」
「…早く終わらせて欲しい」
本当に疲れたのだろう。螢惑の様子を見て、さすがに辰伶もこれ以上続けるのはどうかと思った。よくよく考えてみれば、所詮は他人の着る衣装である。本人さえ良ければ、適当なところで手を打っても構わないはずだ。
しかし、ここで妥協するには、辰伶は完璧主義過ぎた。
(この衣装では、見立てたのが俺だと知れるのは我慢ならんな)
辰伶は決心した。
「螢惑、もう少し付き合え」
「え…」
そして辰伶は来たとき同様、またもや螢惑を無理やり引っ張って出て行った。
「……いいけどさ、もう」
慌しく去っていった2人を、残された家人たちは、煌びやかな衣装の海から唖然と見送った。
辰伶が螢惑を連れて行った場所は、三芳屋という呉服を扱う商家だった。三芳屋は壬生の城下でも1、2を争う大店である。この店の上客である辰伶が顔を見せると、すぐに店の主人が立ち現れた。
「これは辰伶様。ようこそお出で下さりました。御用でしたら、お呼び下されば伺いに参りましたものを」
「急ぎだったのでな。今日はこいつの衣装を見立ててやってくれ」
三芳屋の主人は辰伶の後ろに佇む人物を見やった。
「こちらは五曜星の螢惑様では」
「そうだ」
主人は螢惑に向き直り、深く一礼した。
「お初にお目にかかります。手前が三芳屋の主人にございます。これをご縁に、どうぞお見知りおきを」
「…よろしく」
短く素気ないが、こういうことに物慣れない螢惑にしては、まともに挨拶が出来たほうだろう。
2人は奥の座敷へ案内された。貴人の上客専用の部屋である。辰伶は身分が高いだけでなく、この店とは家からの古い付き合いなので、対応もそれ相応なものになる。その辰伶の紹介であり、尚且つ螢惑も五曜星という大層な身分であったから、その待遇は並ではない。
「それで、どのような物がお要りでしょう」
「『水剋火』をやる。一式揃えてくれ」
「畏まりました」
主人は傍らの手代にいくつか指示を与えて、生地を取りに遣らせた。辰伶の衣装もこの店で仕立てているので、辰伶が細かく注文をせずとも、それに合う物を店の方で用意することができた。
「この辺りは如何でございましょう」
主人が勧めたのは金茶地に破れ紗綾形菊桐文様の反物だった。華やかで螢惑にはよく似合っている。
「なるほど。それなら…」
「袴を朱色地にするのでしたら、法被はやはり紫で、こちらの…」
主人が指し示すのとは全く違うところで、無造作に転がった反物に、辰伶の目が行った。
「待て。法被はこれにしよう」
純白の絹に銀糸で鳳凰が織り出された、非常に美しい布地であった。見応えのある柄である。
「ですが、これでは…」
「何だ」
「辰伶様の衣装が少々見劣りするかもしれません」
辰伶の衣装は濃紺地に菊尽くしの単、黒地に毘沙門亀甲柄の袴、浅葱地に波立涌の法被である。どれも格調の高い紋様であるが、鳳凰の絢爛さには負けてしまう。
「確かに。しかし…」
辰伶が考えるに、これ以上の組み合わせはないだろう。
「…確か、金糸で竜を織り出した絹があっただろう」
「ええ。あ、なるほど。あれで辰伶様の法被を仕立てれば見劣りすることはありますまい」
決まりだ。
「どれ位で出来る」
「5日ほど頂けましたら」
「2日で仕上げろ」
「承知致しました。それで、御代のほうは、どちらへ伺えば宜しいでしょうか」
辰伶は少し考えた。
「請求は俺の…」
それまで無言だった螢惑が、辰伶の言葉を遮った。
「オレが買う。当然でしょ」
言外に『おまえから一銭たりとも受け取るものか』という主張を掲げて、螢惑は辰伶を冷たく見据えていた。その凍てつくような瞳に強い意志の炎を燃やして辰伶に反発する。
辰伶は急激に酔いから醒めたような気分を味わった。
螢惑が彼のことを嫌っていることなど端から知っていた。そして、辰伶自身も決して螢惑を許容できない。
今回は舞を教えることになったが、それに対しても感謝や好意などを要求する気もないし、これを機会に関係の改善を図ろうなどとも、全く欠片も思いはしなかった。しかしそれでも、螢惑の敵意を剥きだしにした瞳に遭うと心が塞いでしまう。
「螢惑の衣装代は螢惑へ請求してくれ。これでいいか?」
セリフの後半は螢惑に向けた確認である。螢惑は頷いた。
そして、辰伶は三芳屋の主人と2つ3つ散文的なことを話しながら、頭と心を冷やしていった。
螢惑の殊更固い拒絶の態度は、辰伶には必要以上に依怙地なことに見えた。軽く受け流してしまうには、2人の立場は複雑だった。
その時、暮れ六つを告げる鐘が鳴った。それに辰伶は、はっと顔を上げた。
「しまった!歳世と申し合わせの約束が」
全くの不覚であった。螢惑の衣装選びにかまけて、歳世との約束をすっかり忘れていた。礼節を重んじ、時間や約束に厳しい辰伶が、約束相手に何1つ連絡も寄越さず、完全に待ち惚けを食わせてしまったのだ。こんな無礼で無責任なことをしてしまったのは、初めてのことだった。
「悪いが急用を思い出した。では主人、頼んだぞ。螢惑も、今日は色々と慌しくて悪かったな」
辰伶は挨拶もそこそこに、急ぎ豊楽殿へ走った。
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