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鳥は還らない
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N崎は穏やかな内海に臨んだ風光明媚な土地で、温泉の豊かな保養地として名高い。鎮明が宿泊所として手配した濤鳴荘は、N崎でも由緒のある高級温泉旅館である。それを鎮明がどのような手段を用いたのか、彼らだけの全館貸切で利用していた。
濤鳴荘の目玉である海の見える露天風呂は、まさに絶景である。宿に到着した彼らは夕食の前に旅の汗を流した。鎮明と太白は先に上がって部屋へ行ってしまったので、今やこの広い湯船は辰伶が独占していた。おりしも時刻は日没で、真っ赤な太陽が西の海に沈みゆくところだった。
「海か。…壬生にも、これは無い」
樹海というのは、あれは勿論のことだが海ではない。どちらも測り知れない奥深さを持つが、海の開放された果てしなさは、辰伶の心を捕らえて遥かへと思い馳せさせる。
「いい湯ですわねえ」
「ああ」
「夕日の沈む海を見ながら入る露天風呂なんて、最高です。鎮明に感謝ですわ」
「そうだな……って、わっ!歳子、何故お前が男湯に!!」
「だって、夕日が見たかったんですもの」
歳子は泰然と湯船に身体を伸ばした。辰伶は慌てて海の方へ視線を逸らす。
「だからって、何故、男湯に入る必要がある?」
歳子はキョトンとした。
「辰伶。あなた、女湯を見たことありまして?」
「覗き見などするかっ」
「だったらご存知ないでしょうけどぉ、老舗の温泉旅館ってぇ、徹底して男尊女卑なんですのよ。まず湯船の広さですけど女湯の方はこの3分の1で、洗い場も狭いです。海も見えませんし、打たせ湯も、露天の岩風呂もありませんのよ」
辰伶が始めて知る事実である。そんなことに関心を持ったこともなかったし、辰伶には知りようのないことだ。
「だからと言って、男湯に乱入するなど…」
「大丈夫ですわ。ちゃんと、『混浴』の札を提げておきましたもの」
「何を勝手な!」
「殿方ばかりが良い思いをするという習慣の方が勝手ですわ。…ちょっと辰伶ったら、先ほどから海ばかり見て。ちゃんと相手を見ないで話をするなんて失礼じゃありませんこと?」
「失礼なのはどっちだ。羞恥心というものがないのか!」
「ええ〜〜〜〜。この歳子ちゃんの90、59、87(単位:センチメートル)のスペシャルナイスバディの一体何を恥じる必要があるんですかぁ?」
辰伶は苦渋に充ちて額を押さえた。
「…もういい。解かったからキンキン声で叫ぶのはやめろ。…こうしよう。今から一刻はお前に譲る。時間で区切って、一刻ごとで交代だ」
「どうして?私は全然構いませんけど」
「俺が構う」
「…?何か身体の悩みでもありますの?診て差し上げましょうか?」
「結構だ!!」
辰伶は局所を巧みに手ぬぐいで隠して浴場から出て行った。
「何を怒ってるのかしら。きっとカルシウム不足ね」
濤鳴荘の隣には歓杳楼という温泉宿がある。ただし、こちらの宿は濤鳴荘とは少し趣が異なり、遊興目的の男性宿泊客をターゲットにしていた。
平たく言えば、この宿では好みの女と一緒に風呂に入ることが出来るのである。勿論、一緒に入って単に背中を流すだけではない。
「じゃあな。てめえらもさっさと決めろよ」
黒の着流しの漢が、歓杳楼ナンバーワンの巨乳美女の肩を抱いて奥の風呂場へ消えていった。
「畜生、狂の奴。俺様が狙ってた女を」
「風呂が狭くなるのは嫌だなぁ…」
「狂ったら、お風呂のお世話だったら私がしてあげるのに。きぃーっ、あんの年増女っ。ちょっと私より胸が大きいからってっ」
「比べるような胸なんて最初から無い……いってえ!」
歓杳楼には、鬼目の狂と四聖天の一行が宿泊していた。
隻眼の大漢が梵天丸。高下駄を履いた無愛想な漢がほたる。女言葉で錫杖を持った「漢」が灯。灯に錫杖で殴り倒された少年がアキラである。
こうしていると単なるイロモノ集団にしか見ないが、彼らの誰一人をとっても恐るべき力を持った最強の侍たちである。
「なあ、風呂に入るのにどうして女がついてくるんだよ」
四聖天で最年少であるアキラが口にした疑問に、他の3人はピタリと話をやめた。
「おい、アキラの奴、幾つだっけよ」
「え、知らない」
「アキラ自身も知らないんじゃなかったかしら。でも、大体の見当はつくわね」
「性教育、どうなってんだよ」
「面倒だし、ほっとけば」
「ほたる、あんたって本当に薄情ね」
3人はヒソヒソと円陣を組んでいたが、やがて灯が仏の笑みを浮かべた。
「仕方がないわねえ。ここはアキラの為に、仲間の私たちが教えてあげましょう」
「げえ」
灯のセリフに、梵天丸は吐き戻す寸前のような顔をした。その横っ面を、灯は錫杖で容赦なく張り倒した。
「ってえな」
「下品なこと想像してんじゃないよっ!」
「お前が言うとシャレに聞こえねえんだよ」
「私の所為だっていうのっ」
灯は錫杖で梵天丸をどつきまわした。いつのまにかギャラリーが出来ていて、この宿の新しいプレイかと見物している。
「何なんだよ、あいつら。ほたる、俺たちもさっさと風呂にいこうぜ。しかし変なとこだよな。風呂がちまちまと細かく1人1人分かれてるなんてさ」
「……そうだね」
ほたるは風呂場とは反対の方向へ歩き出した。
「おい、そっちじゃないだろう。ほんっとうに方向音痴だな」
「さっき、天然の温泉みつけた」
「え?」
スタスタと数歩あるいて、不意に足を止めた。
「来る?アキラも」
「行く!」
アキラはほたるの背中を小走りに追った。
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