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水の中で見る夢
-5-
屋敷はすっかり焼け落ちていた。炎の爪跡は生々しく残り、まだ、きなくさい臭いが辺りに立ち込めているような気さえする。黒く焼け焦げた柱が傾き、倒れ、突き出している様には、やり切れず無常の感を掻き立てられる。
ほたるは雨に打たれながら、焼け跡を前に茫然と立ち尽くしていた。何もかもが変わりすぎて、ほたるはどこから『家』に入ればいいのか解からなかった。
ここにはもう、何も無い。灰色の空。黒い地面。身を打つ雨。色彩さえも奪われて、過去を偲ぶ術は、何一つほたるに残されていない。
ほたるは気の抜けたまま、ふらふらと焼け跡に踏み込んでいった。裸足の足はたちまち煤に汚れ、傷だらけになってしまったが、ほたるにはどうでも良いことだった。痛みは感じていたが、それにいちいち注意を払う気力など、とっくに失せていた。
「……」
ほたるは焼け跡の中で、母の化粧台を見つけた。熱で歪んだ引き出しを無理やり引っ張り出してみたが、生前の母の持ち物は皆黒く焼け爛れていた。朱漆の櫛も、母が殊のほか大切にしていた螺鈿の手鏡も。ほたるは手鏡を覗いてみたが、煤けた鏡が主の影を映すことは2度となかった。
ほたるは、化粧台に向かって身支度をする母を見ているのが好きだった。白い手が優雅に動き、その度に母は美しさを増していった。そして何よりも、そうして化粧を凝らしている時の母は、いつになく華やいで、幸せそうに見えた。
母がそのように念入りに化粧を凝らすのは、滅多に訪れないあの男が、屋敷に来る日だった。その美しさは誰でもない、あの男の為だった。
しかし、ほたるはあの男、父親が苦手だった。ほたるが覚えている父親の顔は、いつも不機嫌そうで、まるで罪人を咎めるような険しい目でほたるを見た。
「生きていたか」
突然の人の声に、ほたるはビクリとして振り返った。刀を帯びた男が2人、ほたるの背後に立っていた。
「子供の死体が見あたらなかったから、もしやとは思ったが、やはりな」
男たちは身の凍るような殺気を放って近づいてくる。危うくその気に呑まれる寸前で、ほたるは呪縛を撥ね退けて走り出した。何を考えるよりも早く、ほたるは逃げた。
「待てっ!」
待つ訳が無い。ほたるは死に物狂いに走った。しかし、この数日間、毒と戦った身体はすっかり疲弊していたし、食べ物もろくに食べていなかったので、体力など全く残っていなかった。それで無くとも、子供の脚力など、高がしれていた。
「ア…ッ……」
肩から背中に灼けるような痛みが走った。よろめいて倒れるのを堪え、ほたるは数歩あるいたが、ついに膝をついた。もう、動けないと思った。しかし、襲い来る殺刃の風を肌が感じ取ると、本能的に転がってそれを避けた。そうまでして生き延びたい理由など何もなかったが、身体はどこまでも生きたがった。
ほたるは橋の上で追い詰められた。背中に橋の欄干が当たり、遥か下では濁流が渦巻いている。
「ガキのくせによく逃げたな。褒めてやろう。だが、そろそろ俺たちも仕事の片を付けないとな」
2人組みの男たちは、まるで威圧するように、殊更ゆっくりとほたるに近づいてくる。ほたるは目を瞑った。
『ほたる、立ちなさい』
その声が、ほたるをそのまま眠らせなかった。ほたるは背後の欄干に乗り上げると、濁流の中へと身を躍らせた。
「しまった!」
男たちは川を覗き込んだが、ほたるの身体は届きようのない速さで下流へと流されていく。その姿は瞬く間に波に呑まれて見えなくなってしまった。
「…まあいい。手傷も負っていることだ。生きてはおるまい」
「死体を始末する手間が省けたというものよ」
川は咆哮をあげ、狂ったように流れていた。
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