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ちちのみの

-1-


 朝から辰伶は苦悩していた。この生真面目な漢は生来悩みがちであり、いわば日常的に悩みを抱えていたが、この時の懊悩振りは彼の人生の中でも最大級であり、その原因は彼の人生の中でも最低最悪の部類に属した。

 ――何故、こんなことに…

 悩める漢は悩ましげに顔を歪めて項垂れた。すると嫌でも目に入ってしまう、この2つ膨らみ。辰伶は大きく溜息をついた。

 ――夢だと思いたい…

 辰伶の切なる願いも虚しく、現実の朝だった。衝撃のあまり、着替えることも忘れて寝巻のまま寝具の上にいる。寝起きで少し着崩れた寝巻の……などと描写するのもそろそろ飽きてきた。これ以上引き伸ばすのも馬鹿らしいのでストレートに明かす。朝、目覚めると、辰伶の肉体は女性のそれになっていた。

 どうしてこんなことになったのかと延々と悩んでいた辰伶だったが、そういう実の無いことを、いつまでも考えていても仕方が無いと思った。普段から悩みがちなこの漢は、悩みへの対処法も心得ていた。それはつまり、現実から目を逸らすことである。悩みの原因を断つのが最良の解決法だろうというかもしれない。しかし、そうはうまくいかないから人は悩むのである。ベストよりもベターの方が往々にして役に立つものだ。

 さし当たって、これをどうするべきかと辰伶は考えた。これとは勿論、2つの胸の膨らみのことである。

「そ、そうだ。サラシだ。上からサラシを捲けば何とかごまかせるかも…」
「何をごまかすの?」
「け、螢惑!?」

 辰伶は驚きの余り仰け反るようにして後退った。

「な、何故おまえが俺の部屋にっ。いや、おまえ、いつ壬生に戻ったっ」
「うん、さっき」

 螢惑は先代紅の王に叛逆した咎で、鬼目の狂を監視する任を与えられて壬生の郷を出ていたはずだった。

「四聖天解散しちゃったから戻ってきた。はい、お土産」

 そう言って螢惑は懐を探ると、掌に乗るほどの包みを辰伶に手渡した。

「土産って…」
「かすてらせっけん。輸入物だよ」
「かすてら?……カスティリア石鹸のことか?」
「水虫にもいいらしいよ」
「俺は水虫なんぞもっとらん!…だが、ありがたく貰っておく。水虫は壬生の科学力をもってしても、未だ克服できない難病だからな。一度罹ったら大変だぞ。或る意味、死の病より性質が悪い。おまえも気をつけろよ。最低でも1日1回は足を洗え。それで十分防げるから」
「俺は下駄履きだから大丈夫だと思う。ところで、辰伶」

 螢惑は何の前触れなしに、辰伶の片方の乳房を鷲掴みにした。

「痛――――――っ!何をするかぁ――――――っ!!」

 有らん限りの力でほたるを殴り倒し、辰伶は肩で息をついた。

「い、いきなり何を…っ、きさまは…っ」
「ずるい」
「何?」
「何で辰伶の方が胸が大きいの?」

 呆気に摂られて、辰伶の頭の中は一瞬にして白紙となった。そして、ゆっくりと螢惑の胸元に視線をやった。じっと凝らして見ると、微かに膨らんでいる……ような?

「その…違っていたら勘弁して欲しいのだが、……おまえ……その、身体に何か、こう……その…………そう、何か変化とかなかったか?」
「これのこと?」

 螢惑は着物の袷を掻き分けて見せた。そこにはやはり男性の身体には有り得ない盛り上がりがあった。辰伶だけでなく螢惑も身体が女性化していたのだ。

「馬鹿っ!そんなものを人前に曝け出すな!」
「それから、あと下も…」
「やめろっ。見せんでいいっ。わかったから見せるな――――――っ!」

 腰紐を緩めようとする螢惑の手を押さえつけて、全身でそれを止めさせた。そうして密着すると、互いの身体の変化が実にリアルに解かってしまう。

「やっぱり辰伶の方が大きい」
「だから何だというんだ」
「ずるい。ずるい」
「何でもかんでも対抗心を燃やせばいいというもんじゃない。こんなもの邪魔なだけだ」
「それって、大きいこと自慢してるの?」
「大きい大きい言うな。俺は普通だ。きさまが貧乳なんだ」
「……ムカつく」

 ああ、もう…。普通、同士の存在は心強いものだが、しかしそれがこんな馬鹿では何の慰めにもならない。しかし同士がこの馬鹿であったことは、辰伶にとっては幸いだったかもしれない。何かこう、深刻ぶって悩むような雰囲気は一気に霧消されてしまった。

「こんなもの大きくたって良いことは無いぞ。戦うにも揺れて困るし」
「でも歳子や歳世って、結構大きいよね」
「え?…ああ、そう……だな……」

 よく覚えていない。今まで関心を持ったことがなかったので、彼女らの胸が標準よりも大きいか小さいかなどという目で見たことが無かった。しかし少なくとも今の自分よりは大きかったのではないかと、辰伶は朧な記憶を掻き集めて思った。

「聞いてくる」
「待て。何をだ」

 嫌な予感がする。

「どうやったら、あんな風に胸が大きくなるのか教えてもらう」

 予感的中である。

「馬鹿っ。そんなこと聞くな」
「なんで?」
「なんでって…」
「あ、わかった。俺が辰伶以上の巨乳になるのが悔しいんでしょ」
「俺は巨乳じゃないっ。とにかくやめろ。それをやったらセクハラだぞ」
「俺たち今、女だよ。だったらセクハラにはなんないんじゃない?」
「う……しかしっ、いくら身体が女になっても中身は男なんだから、そんなこと聞かれたくはないだろう」
「それに、どうやったら戦闘中に胸が揺れないか知りたいし」
「心配せずとも、おまえの大きさなら揺れん」
「…ムカつく」

 ふと、辰伶は思いついて提案してみた。

「そうだ。胸を鍛え上げて筋肉にすればいいんじゃないか?それなら激しく動いても揺れないだろう」
「あ、そうか。でも、どうやって鍛えるの?」
「ええと、そうだな…。鍛えるのは大胸筋…でいいのか?」

 誰でもいい。誰か、この天然兄弟にツッコミを入れてくれ。


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