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水恋鳥
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雨そぼ降る幽谷に
赤き鳥うら啼きうら啼き
川にぞ飛び込みたる
ただならぬ気色に奇しき鳥よとて
さては神罰にて鳥に化せられたる科人なるや
炎のごとき衣まとひて水乞ひ鳴けば
みづこひどりとぞ名づけたる
『水恋鳥の寓話』より
ヒルルルル ・・・ ・・ ・ ・
ヒルルルルルル ・・・ ・・ ・ ・
ヒルルルルルル ・・・ ・・ ・ ・
まだ真新しい傷が熱を持って疼く。螢惑は岩壁に凭れて息をついた。辛うじて血は止まっているが、傷口は塞がりきっていない。一歩踏み出すごとに鈍く痛みが走り、呼吸が荒くなる。こんな状態で険しい山道を行くのは、不死身に近い壬生一族でもさすがに堪える。
なるほど、先代とはいえ紅の王を名乗るだけある。螢惑に深い傷を負わせた漢は、まとわりつく虫を払うくらいの、その程度の労力で、螢惑の凶刃を退け、完膚なきまでに叩きのめした。螢惑が死ななかったのは、相手に殺す気が無かったからに過ぎない。圧倒的な力の差。生まれてこの方、あれほど判り易い負けを味わったことはなかった。完全な敗北だった。
仮にも叛逆罪。ただ己に強さを求めるあまりに最強の漢との私闘を欲しただけで、王にも体制にも叛心を抱いていた訳ではないが、やったことは叛逆の大罪だ。負ければ死。その覚悟なしに喧嘩を吹っ掛けたのであれば、愚かの一言に尽きる。
ならば自分は紛うことなき愚か者だと螢惑は思う。ぬるく生き永らえることに執着などなかったから、惜しくもない命を捨てるのにいちいち覚悟なんて要らない。有るのは強くなることへの欲求だけ。こんな下らない人生、未練もなにもあったものじゃない…
言うなれば螢惑は叛逆心の無い叛逆者だった。それが面白かったのかもしれない。あの退屈そうな漢は、返り討ち落とした螢惑の息の根を止めることなく、何を思ったのか、壬生の郷の外にいる狂という漢のもとへ送り出した。監視という名目で。
そうだ、これはただの名目に過ぎない。狂の監視を命じられはしたが、報告の頻度や方法などの細かい指図は何一つ受けなかった。つまりは追放処分ということかもしれない。それでも螢惑には一向に構わなかったというのに、回りくどいことに見える。
勅命か、追放か。先代紅の王の真意はさて置くとして、その身体では旅など無茶だと言われたが、治療を中途のまま壬生の郷を出てきた。出ると決まったからには、さっさと壬生の郷を出てしまいたかった。治療に託けて未練たらしくしていると思われたくない。少なくとも、アイツからは。
五曜星の1人、水曜の辰伶。彼のことを考えると、螢惑の胸中は過剰な苛立ちに乱される。それはもう理屈ではない。ただ気に喰わない。脊椎反射で、彼の何もかもが気に入らないのだ。だがもうそれは考えなくてもいいことだ。螢惑は辰伶から離れた。当分は顔を見ることもあるまい。或いは一生…
雨が降ってきた。螢惑は休めていた身を起こして、再び歩き出した。狭い道の片側は崖縁で、崩れやすくなっている。気をつけなくてはいけない。
橋に差し掛かった。あまり使用されていないのか、縄も板も古びて傷んでいる。危ぶまぬでもないが、他に道がないのでは仕方ない。螢惑が渡り進めるにつれて、縄の軋む音が嫌なものになっていく。向こう岸まで保つまいかと思った瞬間に、懸念が現実となった。縄がふつりと切れる音がして、足元の感覚が失われた。岸へ跳ぼうとするが、怪我の為に身体に力が入らなかった。咄嗟に縄を掴むも雨で滑ってしまう。螢惑の身体は宙に投げ出された。
濁流に呑まれ、流れに翻弄される。余計なことを考えるひまなどあるはずないのに、何故か辰伶のことばかり思い浮かんだ。この川。最後に辰伶を見たのは、この川のずっと上流の岸辺だった。螢惑が壬生の郷を出るその日に、偶然に出会った。そんなところで、彼は何をしていたのだろう。遥かに流れる水の行く末を眺めて、彼は何を想っていたのだろう。
…辰伶…
肺の中の最後の空気が失われ、意識が昏くなった。
※アカショウビン(水恋鳥)の鳴き声は『キョロロロロ』とするのが通常ですが、字面が笑えたので『ヒルルルル』としました。
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