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いつか光になる為に

-6-


 舞台を終えた辰伶は真っ先に吹雪の姿を見つけ、心地よい疲労と充足感そのままに師への礼をした。良い顔つきになった。それが吹雪には嬉しい。吹雪は短い言葉で労い、細かな技巧について少しばかり指導を与えた。辰伶は心から感謝し、重ねて礼をした。

 あの日…辰伶が己の両親の不和の原因を知った時から、彼から笑顔が消えた。穏やかに微笑を口の端に浮かべることはあっても、以前の輝くような心からの笑みは絶えた。

 両親から存在価値を否定されたようなものだったのだろう。彼が心に負った傷は深く、それに対して充分な癒しも与えられていない。それでも生来の純粋さを歪めることなく、痛みを抱えたまま、自らの進むべき道を懸命に模索している。悩みも苦しみも全て胸中に収め、決して表に出すことはない。

「…強いな」
「何か仰いましたか?」
「独り言だ。支度は整ったか。行くぞ」
「はい」

 慌しく時間に追われ、舞台の余韻に浸る間もなく着替えを済ませた辰伶は、入念に手荷物を確認して返事をした。

 控え室の外の廊下は、まだ興奮冷めやらぬ舞台の出演者やその関係者が屯し、熱っぽく談笑していた。騒がしいのが嫌いな吹雪はその横を風のように擦り抜けていく。辰伶もその後に続いていく。

 背後の弟子について、吹雪は思いを巡らす。人間の価値など誰が決めるのだろう。かつて吹雪は辰伶に『己の価値は己で決めろ』と言った。同時に、己の価値を測り知る手段として1つの舞を与えた。あれから辰伶は公の舞台では必ずそれを演目に選ぶ。この舞を通して何かを掴もうとしているようだ。

 また辰伶は壬生一族として妖魔退治にも熱心に取り組んだ。舞も妖魔退治も、どちらも辰伶にとっては人々の倖せの為という共通の願いが込められている。その一途さと厳しい修行が彼の才能に磨きをかけ、辰伶の名を一族に知らしめた。既に彼は吹雪の助手ではなく、最高ランクの術者であり戦士だった。

 吹雪はこれまで多くの弟子を指導してきた。中でも辰伶は抜きん出て優秀であり、口にこそ出したことはないが、彼こそが自分の後継と成り得る者だと、吹雪は常々思っている。辰伶が跡取り息子でなければ娘の婿に、否、辰伶なら大事な一人娘を嫁にやってもいい…と思っているのに、そんな父の思いも知らず時人は吹雪の親友のひしぎに好意を抱いているらしい。村正を『義兄』と呼ぶことさえ抵抗があるというのに、ひしぎに『義父』呼ばわりされた日には憤死しかねない…

 聊か脱線した思考を掻き消した。ロビーの円柱の柱を背に、歳子が花束を抱いて立っているのを見つけた。歳子もこちらに気付き、小走りに寄ってきた。

「辰伶、素敵な舞台でしたわよ」
「あ、ああ。…わざわざ見に来てくれてありがとう」

 突き出された花束を、辰伶は困惑気味に受け取った。ピンク色系で纏められたそれは、男が持つには可愛らし過ぎる。迷惑そうな辰伶の表情は、むしろ歳子のいたずら心を満足させた。そんな彼らを静観している吹雪の瞳には、現在の2人を通して過日の像が映っている。

 かつて同級生だった者たちとはすっかり疎遠になってしまった。辰伶がそんな言葉を漏らしたのは、いつだったかふと会話が途切れた合間の空白だった。何気ない呟きには、諦観の中にやりきれない孤独を滲ませていた。

 今の学年では、辰伶は誰よりも自分が年上だという意識が働くのか、クラスメイトとの付き合いに、彼自ら距離をおいてしまうらしい。その面倒見の良さを慕われてはいるが、心からうちとけられる友人がつくれないでいるようだ。そんな彼にとって、歳子はたった1人残った幼馴染なのだ。我侭で自己中心的な言動の多い彼女を、呆れたり腹を立てたりしながらも、決して嫌ってはいない。

 歳子の少し後ろに、彼女の同級生らしい少女が立っていた。柱の前でもずっと歳子と並んでいた彼女のことを、辰伶は尋ねた。

「そちらは歳子の友達か?」
「前に話しましたでしょ。彼女が歳世ちゃんです。高校で知り合って、同じクラスで、私達、すっごく仲が良くて、いつも一緒なんです。ね、歳世ちゃん」

 辰伶の瞳が僅かに揺らいだ。休学した為に現在中学3年生の辰伶には、『高校』という単語は切なかったのだろう。たった1年。しかし十代の若い彼らにとってその差は埋めようも無く大きく感じるに違いない。

「君が歳世か。俺は辰伶。君の名前は歳子から聞いて知っている」
「初めまして。私も貴方のことは歳子から聞いています。今日も歳子に誘われて来たけど、素晴らしい舞台でした」
「ありがとう」
「誰よりも貴方の舞が1番綺麗で、とても……とても、感動した」
「俺の舞は、こちらの吹雪様の御作だ」

 突然水を向けられた。吹雪は無言で会釈をした。歳世も目礼を返した。

「歳子の友達というから、てっきり…」

 曖昧にぼかされた語尾を、歳子は聞き捨てたりはしなかった。口調を少しきつめに、辰伶を追及する。

「てっきり?」
「いや…」
「はっきりおっしゃれば」
「お前の同類かと思っていた」

 歳世は落ち着いた雰囲気の少女で、歳子よりも大人びて見えた。歳子の友達だから、彼女も同じような騒がしい性格なのだろうと、辰伶は思い込んでいたのだ。

「あら、でも、私達は同類よ。辰伶も」
「俺のどこがお前と同類だ」
「同じ壬生一族の仲間じゃない。歳世ちゃんも、すごい能力持ってるのよ」
「え?」

 辰伶は驚き歳世を見て、振り返って吹雪を仰ぎ見た。勿論、吹雪は一目見たときから気付いていた。歳子と同種の能力を、歳世は持っている。

「だから歳世ちゃんも壬生一族に入りましょって誘ってるのに、なかなかお返事くれないんです。辰伶からも言ってください。『壬生一族は顔が良くて高収入な漢の人が山ほどいるから、玉の輿のチャンスがいっぱいだ』って」
「…そんな訳のわからん宣伝をするから、彼女は返事に困っているんじゃないのか?」
「とっても解かりやすいじゃないですか。これ以上、何を宣伝する必要があるんですかぁ?」
「妖魔に苦しめられている人々を救うのが壬生一族の使命だ!」
「そんなの、今時流行りません」

 歳子の言葉に煽られて、辰伶は憤った。吹雪は天を仰ぎたくなった。壬生一族の存在意義を、流行り廃りで語られようとは思わなかった。

「人々を救うとか、使命とか、相変わらずガチガチなのね。怒りっぽいし、口煩いし。いくら貴方が優秀な壬生一族でも、絶対に結婚相手には選びませんからね」
「言いたい放題だが、俺にだって選ぶ権利はあるぞ。…結婚などするものか」
「歳世ちゃん、壬生一族はこんなサイテーな漢ばかりじゃないから。もっとお買い得なのがいっぱい居ますわよ」
「歳世、歳子が壬生一族をどのように説明したか知らんが、ふざけた集団じゃないからな。こちらの吹雪様のような、立派な方が大勢いらっしゃるのだ」

 口論は大概にして下らないが、彼らのそれは本当に時間の無駄だと、傍で聞いていた吹雪には思えてきた。

「辰伶、行くぞ」
「あ、はい、吹雪様。歳子、歳世、今日は舞台を見に来てくれてありがとう」

 さっさと歩き出すと、すぐ後を辰伶が追って来た。タクシーに乗り込む。密閉された空間が走り出した。

「結婚をしたくはないのか?」
「……歳子とですか?」
「相手に限らずだ」
「……」

 先程の歳子との言い争いで、辰伶が勢いに任せて言ったことの中で、それだけがどうにも吹雪の心に引っかかっていた。

「私は……親子の接し方が解かりません。だからうまく子供を育てられない気がするのです。きっと良い家庭なんて作れない。……そんな人間が結婚なんてしてはいけないんです。歳子の私に対する評価は正しいと思います」

 吹雪はそうは思わなかった。健全な親子関係の中で育った人間なら良い家庭を作れるというものでもないし、そもそも何を以って健全な親子関係と言えるのか。それに歳子の評価は…恐らくは彼女の本心の裏返しだ。それを辰伶に言おうか言うまいか迷った。

「吹雪様のご家庭が、私の理想です」

 何も言えなくなった。


 その夜、歳刑流本家に妖魔の襲撃があり、離れの西側と温室を焼失した。当主は落命し、辰伶も重傷を負った。
 また、時を同じくして1人の女が急死したのだが、それは吹雪の知らぬことであった。

 辰伶は壬生の研究所の付属病院に入院した。呪術の毒に犯された怪我は、普通の治療では治せないからだ。治癒や蘇生を得意とする木派の管轄であり、歳子と歳世も彼の治療にその力を注いだ。これをきっかけに、歳世は壬生一族に加わった。

「あの人を守る」

 それが歳世の決意だった。


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