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いつか光になる為に

-5-


「よお、吹雪。久しぶりだなあ」
「…………遊庵?」

 予想外の朝の光景に、吹雪の思考は停止した。何故この漢が俺の家にいる…

「そんなとこに突っ立ってねえと、さっさと座れや。せっかくの飯が冷めちまうぜ」
「……」

 何故貴様が言うと思いながらも、言われるままに吹雪は席に着いた。疑問を抱えたまま、妻の姫時が差し出す茶碗や箸を受け取った。

「いや〜、お前の奥さん、いつ見ても美人だよな。料理もうめえし、こ〜の幸せもんっ」
「……」

 姫時が美しくて、料理が上手くて、よく気のつく最高の妻であることは間違いないと吹雪も思うが、この漢はもう少し静かに食事ができないのだろうかと、その口数の多さに厭きれた。これだけ喋っているのに食べるスピードは遊庵の方が速いというのが不思議でならない。立ち返って、やはりこの漢が自分の家で飯を食っている理由が判らない。

 遊庵は吹雪の同僚で、同じく太四老の1人だ。仲が悪いということはないが、取り立てて親しいわけでもない。

 そして遊庵の隣にはそれこそ吹雪の知らない少年が座り、黙々と食事をしていた。辰伶と同じくらいの年頃だ。

「遊庵の弟子か?」
「おうよ。そういや紹介してなかったな。こいつは螢惑ってんだ。たまには何か美味いもん喰わしてやろうと思ってよ」

 螢惑という少年は小柄で痩せた体つきをしていた。遊庵がそんな気になるのも解からなくはなかった。

「それは結構なことだが、しかし何故俺の家に?」
「そりゃあ、姫時さんの料理がうまいから…」
「タダだからでしょ」

 少年が言葉少なに口を挟んだ。率直過ぎるその言葉は極めて簡潔だが、その一言で吹雪は全てを覚った。

「いつもは家で食わしてんだけどな、その…ちょっと今月は厳しくてよ……」
「状況は把握した。皆まで言うな」
「すまねえなあ」

 壬生の最高幹部であることから高給を受け取っているはずの遊庵が何故しばしば困窮に見舞われるのか。蒸発した父親の借金を肩代わりしたのだという噂がまことしやかに囁かれているが、それが事実かどうかは吹雪は知らない。吹雪が知っているのは、壬生の研究機関が有する妖魔研究用の高価な機材をうっかり壊して逃げた粗忽者のことだ。研究機関最高責任者であり、また壬生の会計を預かっている太四老のひしぎが、犯人の遺留品である赤い色のやたらと長い鉢巻を、無言で冷たく視凝めていたのが酷く印象的だった。

 食後に姫時の淹れた茶を飲みながら、他愛も無く談笑をしていた。とはいえ吹雪は殆ど聞き役で、螢惑は吹雪以上に無口であったため、9割方は遊庵が喋っていた。そうしたところへ、姫時が来客を告げた。

「貴方、ひしぎさんがお見えになりましたわよ」
「来たか」

 ひしぎの名を聞いて、遊庵は落ち着き無く腰を浮かせた。

「約束があったのか。邪魔しちゃ悪いから、俺達そろそろ帰るわ。吹雪、ごっそーさん」
「逃げるように帰ることないんじゃないですか?」
「げ…」

 姫時の後ろからひしぎが姿を見せた。既に案内されて来ていたのだ。

「人の顔をみて『げ』は無いでしょう。まあいいですけど、折角ですから、遊庵たちも一緒に来ませんか?どうせお暇でしょう」
「そりゃ、暇だけどよ。どっか出掛けるのか?」
「舞踊の発表会にね。吹雪の弟子たちの舞台があるんですよ」
「へえ」

 吹雪の弟子の1人である辰伶も当然出演する。本日最後の演目だ。妖魔から身を守る為にと吹雪が張った結界の中で過ごす日々は、年若い辰伶にとっては随分と長い期間に感じていたことだろう。唯一の慰めとばかりに舞の修練に勤しむ弟子に、吹雪も師として熱を入れて指導した。その成果が今日披露されるのだ。

「吹雪も出るのか?」
「今回は若手を披露する意味合いの舞台だから、俺の出番は無い。お前達も来るか?ああみえて裏方は忙しいもので、何かと手が足りんのだ」
「そりゃ雑用ってことか?舞なんて興味ねえしな…何か敷居が高いっつうか…めんどくせえっつうか…」
「昼に弁当が出るし、発表会の後は立食パーティーだ」

 それまで渋っていた遊庵は、吹雪の言葉を聞いて態度を一変させた。

「吹雪の頼みとあっちゃあ断れねえな。螢惑、手が足りねえらしいから、俺達も手伝ってやろうぜ。やっぱ人助けは大切だよな」
「……タッパー要る?」
「バカッ!シーッ!」

 遊庵とその弟子のやりとりを見ながら吹雪は思った。師弟関係といっても、色々あるものだ。これはこれで悪くないと思うが、自分の柄ではない。

 あれから妖魔が辰伶に何かを仕掛けてくる様子はなかった。あの病室に問題があったのか、或いは一過性のものだったのかもしれない。健康を回復したことで妖魔への抵抗力も増し、また妖魔を退治する壬生一族としても辰伶は著しく成長した。そろそろ頃合とみて、この日の発表会を契機に、辰伶に結界の外に出ることを許した。ただし睡眠時は心身ともに無防備になるので、辰伶が寝起きをする離れの結界はそのままにしてある。

 勿論、不安がない訳ではない。しかし発表会の主催の1人として辰伶ばかり気にかけるわけにはいかないので、村正に辰伶の付き添いを頼んでおいた。念のためにひしぎにも来てもらっている。遊庵は偶然だが、彼ほどの高い能力者が会場に居てくれれば尚も心強い。

「…少々過保護かもしれんな」

 護衛に太四老3人は贅沢というべきか、大袈裟過ぎたかもしれない。


 舞踊の優雅なイメージとは正反対に、演者たちの為の控え室は喧騒に沸きかえっていた。いつもこうなのか、それとも今回は若者が中心であるから不慣れが目立つのか。遊庵は室内を一望して吹雪に尋ねた。

「んで、俺らは何すりゃいいんだ?」
「……道中思い直したのだが、客席でゆっくり見物でもしていてくれ」
「へ?いいのかよ。まあ、もともと労働がしたい訳じゃねえから、俺は構わねえけど」

 少々得心のいかぬ様子の遊庵に、ひしぎがニコリともせずに説明した。

「要するに、大事な舞台の衣装や道具を、うっかり汚されたり壊されたりしては堪らないということでしょう」
「なるほど。そりゃ納得」

 非常に失礼な話に関わらず、遊庵は大して気分を害した素振りも無く笑って頷いた。この大らかさは、なかなか得がたい資質である。

「皆さんお揃いで楽しそうですね」

 控え室の一角に落ち着きながら、村正の声は室内のざわめきを擦り抜けるように届いた。どうやら吹雪たちよりも先に着いていたようだ。

「仕事以外で、こうして太四老が4人全員揃うなんて珍しいですね」
「言われてみればそうですね」
「そう思うと感慨深いよなあ」

 村正の後方に辰伶の姿があった。その硬い面持ちは舞台を前に緊張しているようにも見えるが、どこか瞳が虚ろだ。その様子を吹雪は厳しく見咎めた。

「…遊庵は初対面だったな。あれが弟子の辰伶だ。辰伶、挨拶しろ。太四老の遊庵だ」

 師の声に、辰伶はハッと正気づいた。畏まって遊庵の前に進み出ると、丁寧にお辞儀をした。

「遊庵様、お初にお目にかかります。辰伶と申します」
「太四老の遊庵だ。俺も紹介するぜ。こいつは俺の弟子で…って、居ねえじゃねえか!おい、螢惑!」

 周囲を見回してみたが、控え室の中に螢惑の姿は無かった。

「遊庵も弟子を連れてきていたのですか。ですが、あなた方が現れた最初から、姿を見ませんでしたよ。どこかではぐれたのでは?」
「しょうがねえ。捜してくるわ。…ったく、フラフラしてんじゃねえよ。方向オンチのくせに」
「ひしぎ、お前も一緒に行って、遊庵たちを客席に案内してやってくれ。村正も」

 自分は辰伶の付き添いとしてここにいる筈ではと、村正の瞳は吹雪に問いかけた。そしてちらりと辰伶を一瞥し、全てを悟って腰を上げた。

「それでは、私も皆と共に客席でゆっくり見さてもらいましょうか。辰伶、落ち着いて、存分に舞っていらっしゃい」
「はい。精一杯、努めさせて頂きます」
「あなたの出番を楽しみに待っていますよ。それでは参りましょうか」

 辰伶を温かく励ました村正は、更に力づけるように穏やかに微笑んだ。そしてひしぎと遊庵を促し、控え室を出て行った。

「辰伶、心が乱れているな」
「……」

 吹雪の言葉に、辰伶は眼を伏せた。無意識に唇を噛み締める。

「何があった」
「…いいえ、何もございません…」

 いつもの彼らしくなく語尾が鈍く篭っている。吹雪は辰伶の腕を乱暴に掴むと、強引に洗面所まで引っ張って行った。そして辰伶の後頭部をがっしりと掴み、有無を言わさず洗面台の鏡にその顔を突きつけた。

「これが何でもない顔か」
「……」
「そんな腑抜けた目で舞台に立つつもりか。気の抜けた舞を村正に見せたいのか」
「…舞台には集中いたします」
「今できぬものが、そう都合良くいくものか。言ってみろ。お前が胸に抱え込んでいるものを吐き出してしまえ」
「……」

 これでは駄目だ。強い調子と裏腹に、吹雪は己のやり方の拙さに溜息が出る思いだ。こんな風に追い詰めてしまっては、辰伶の心は萎縮してますます頑なになってしまうだろう。

 北風と太陽の話を思い出す。こういうことは村正が上手いのだ。そして妻の姫時も。あの兄妹は実に見事に人心を和らげる。それは計算や技術というものではなく、彼らの人柄が人々の心を柔らかく解きほぐしてしまうのだ。むしろ人を緊張させることの多い吹雪には到底真似することのできない境地だ。

 辰伶も村正には格別に懐いているようだ。だからこそ辰伶の付き添いには、ひしぎや他の誰でもなく村正を頼んだのだ。己では与えきれない人の温かみを、代わって村正から受け取れば良い。本来ならば、それは辰伶の両親の役割であるはずなのだが、それが望み得ぬことを吹雪は知っていた。

 ともあれ吹雪は村正ではない。しかし舞台を目前にして懊悩に心を曇らせている弟子を導くのは師である己の役目であり、それは誰かに肩代わりしてもらうわけにもいかない。

 無言で吹雪は場所を移動した。辰伶もそれに続いた。人気の無い廊下に2人の足音だけが響く。填め殺しのガラス窓から太陽の光が斜めに差し込んでいる。吹雪は足を止めた。

「今日のお前の演目…」

 遥かに視線を外へ向け、吹雪は静かに言った。

「覚えているか?以前に俺が言ったことを」
「…はい。『全ての人々に倖せが訪れることを願って』吹雪様が創られた舞です」

 初めて逢った時のことを思い出す。廊橋を舞台に一心に舞っていた幼い子供。あの頃の真っ直ぐな心は変わらずに、随分と成長した。

「俺はこの舞を2度と舞わぬ」

 振り返ると、辰伶は茫然とした面持ちで立ち尽くしていた。

「俺の他にも誰にも舞わせぬ。…お前を除いては」

 辰伶の瞳が驚愕に見開いた。何か言いたげに口を開閉させるが、言葉が見つからないらしい。

「お前だけだ。この舞を生かすも殺すも、お前次第だ」
「吹雪様…何故そのような……私にそんな価値など…」
「己の価値は己で決めろ。それがそのまま、この舞の価値だ」

 動揺に胸を掻き乱されながらも辰伶は何かを必死に考えているようだ。やがて声を搾り出すようにして、辰伶は呟いた。

「私は…自分に兄弟があったら良いと思っていました」

 それだけ言うと黙ってしまった。吹雪は急かすことなく、辰伶が自発的に語りだすのを待った。

「…いたのです。昨日、知りました。母親の違う弟です。父には母の他に女の人がいて、その子供です」

 そういう事実があることは、実は吹雪は以前から知っていた。ごく限られた一部の者しか知らないが、凡そ彼の家のことで吹雪の耳に入らぬことなどないのだ。

「父は母を愛しているはずなのに、おかしいです。どういうことなのか、全然解かりません。解からないけど……父上は母上を裏切ったんだっ」

 喋ることで興奮してきたのか、辰伶の声と表情はみるみる険しくなった。まるで目の前に仇が存在して、面と向かって詰っているかのように、辰伶は身の内の憎悪を吐露した。

「母も父を好いてはいません。母は私など欲しくなかったのです。では、私は何故存在しているのでしょう。誰が私を必要としたのでしょう」

 縋るような目で辰伶は吹雪を振り仰いだ。2つの瞳が悲痛な疑問を投げかける。

「私は母を幸せにして差し上げたかったけれど、諦めました。私では無理です。私はきっと誰も幸せになんかできません。ましてや世界中の全ての人々を幸せになんて。吹雪様の高い志には、私など到底適いません」

 時にこの子供は、その純粋さ故に酷く吹雪を悩ませる。吹雪は村正ではないし、村正の真似もできない。模範解答など知らない。だが、それでも辰伶の師は吹雪しかいないのだ。ただ、この場を凌ぐ為だけの、いい加減な慰めだけはするまいと、固く己を律した。

「確かに、己の力で全世界の人々を幸福にしようなどというのは思い上がり以外の何物でもない。それはこの俺とて同じこと。所詮、我々は願うことしかできぬ」
「……」
「だからこそ、願うのだ。倖せがこの地に訪れるように。叶うならば全世界へと広がるように。あれは、そういう舞なのだよ」
「吹雪様…」
「お前は他人を幸せにすることでしか、自分を幸せにできぬ性分らしい。ならばこの舞は生涯お前の友となり、分身となろう」

 それきり吹雪は背を向けた。立ち尽くす辰伶だけを後に残して、その場を去った。

 上手く言えたかどうか判らない。果たして吹雪の想いは伝わったのか。最終的にこれは辰伶の問題だ。

 角を曲がると村正がいた。一瞬だけ歩みが止まったが、そのまま歩き続ける。村正は吹雪の隣に並んだ。

「……」
「おや、珍しいですね。貴方が私のサトリの能力に語りかけてくるなんて。大丈夫ですよ。きっと辰伶には伝わりますから」
「……」
「ふふっ…それは買い被りですね。辰伶は私などよりもずっと貴方を慕ってますよ。…気がついてないのですか?辰伶は心が不安定になると、まず貴方を見るんですよ」
「……」
「そうですね。人を育てるというのは、難しいことです。私も悩みが尽きません」
「…お前でもか?」
「当たり前ですよ。技術や知識を伝授するだけではないのですから、責任を感じますね」
「そうだな。責任重大だな」

 雑談的に各自の教育持論を交換し展開させながら、2人は肩を並べて短い廊下を進み、やがて吹雪は舞台裏へ、村正は客席へと分かれた。


 吹雪の言葉が辰伶の頭の中で繰り返し再生されている。自分に出来るのは、人々の倖せを願うことだけ。せいぜいそれだけの存在。だからこそ、舞に託して願う。だから…舞う。

 そうだ、舞台が待っている。辰伶は控え室へと来た道を戻った。早足に歩きながらも思考の渦に捕らわれていた為、1人の少年とすれ違ったことなど気にも留めなかった。

 …―― オ ト ウ ト ? ‥ ・  ・

 何か聞こえたような気がして、辰伶は振り返った。

「何か?」
「何か?」

 相手も同時に振り返って、同時に同じ言葉を発した。金色の髪に琥珀の瞳。辰伶の知らない顔だ。

「……」
「……」

 空耳であったかと互いに思い、そのまま各自の進行方向へと急ぎ足に歩き去った。

「螢惑、こんな所に居たのかよ」
「ゆんゆん」
「遊庵師匠と言えっつってんだろ。師に対しての礼節を弁えろ。少しは吹雪の弟子を見習えよ」
「吹雪の弟子なんて会ったことないし」
「てめえが勝手に消えちまうからだろ。ほら、行くぞ」
「…あのさ、俺…やっぱり帰る」
「雑用はしなくていいみたいだぜ」
「うん。もともとサボるつもりだったけど、そうじゃなくてさ…今日は母さんの仕事、早く終わるみたいだから。…舞にも興味ないし…」

 家で母親の帰りを待っていてやりたいのだろう。螢惑にとって母親は唯一の肉親であり家族なのだ。

「そうか。…ちょっと待ってろ。昼食用の弁当2つ貰ってきてやるから」
「え……いいよ…」
「遠慮するな。吹雪はこういうとこは気前いいから、ケチくせーことは言わねえよ。さっきチラッと見たけど、ありゃ豪華だぜ」

 強引に腕を引っぱっていかれ、螢惑は溜息混じりに遊庵に従った。別に遠慮した訳ではない。ここから家まで弁当を抱えて帰るのは少し格好悪いと思ったのだ。

 …―― ボ ク モ オ ト ウ ト ガ ホ シ イ ナ ・ ・ ・

 音声でない呟きを拾う者は、この場にはもう誰も居なくなった。


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…というわけで、実はほたるは吹雪と面識があったし、自宅にも行ったことがあったのです。それを踏まえて妖魔シリーズbW、23を読み返すと笑えます。

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