想いを形に
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佐邨井高校のお昼休み。例の尋問室では例のメンバーが仲良く屯している。今日はその中に遊庵が混ざっている。遊庵はこの学校の保健体育の非常勤講師で、バスケ部のコーチを任されている。
「あの…遊庵先生のお弁当…」
アキラが言いにくそうに指摘する。
「ほたると内容が全く同じに見えますが…」
「あら、ほんと。詰め方も似てるわ」
螢惑の弁当は彼の恋人である辰伶が作ったものであることは、ここにいる全員が知っている。それが遊庵も同じものを持っているというのは、どう解釈したらいいのだろう。その疑問にはあっさりと螢惑が答えた。
「辰伶が庵奈に料理教わってるから」
「あんな?」
「ゆんゆんの妹」
「そ。お陰で最近のうちの晩飯、品数は多いし、栄養バランスとか、盛り付けとか、いろどりとか、ひと手間かかってるぜ。面取りなんて、今までメンドクセーからってやらなかったくせに。若い男の前だからって見栄はってやがる」
「解る、解る。それが女心ってものよ」
「灯ちゃんは女じゃ……痛い、何で殴るの?」
『乙女』の鉄拳を受けて、螢惑は後頭部をさすった。
「うちで庵奈と一緒に弁当の下ごしらえしてるから同じになるわけさ」
「だからこんなに急に上手になったんですねえ」
アキラは初期の無残なおにぎりを思い出し、しみじみと述懐した。
「本当に美味しそうね。これは愛だわ」
「今なら多少は羨ましくなくもないですね」
「あげないからね。辰伶が俺の為に作ってくれたんだから」
螢惑のいつもの仏頂面が心なしか自慢げだ。
「あら、そうすると、最近、辰伶と噂になってる女たちって、ひょっとして…」
「ああ、そりゃ庵奈か庵樹里華だな。買い物とかも行ったりしてたから。料理だけじゃなくて、掃除とか洗濯とか花嫁修業かっつーの」
螢惑の眉間にくっきりと縦皺が浮かんだ。
「…洗濯って何?どういうこと?」
「洗濯っつーのは、ええと、服とか洗うこと……だよな?」
何故急に螢惑が不機嫌になったのか解らず、遊庵は狼狽えながら『洗濯』の説明をした。勿論、螢惑が聴きたいのはそんなことではないだろうが、では何だ。
「何で辰伶が洗濯してるの?それって辰伶がゆんゆんのパンツ洗ったってことなの?」
「え…ええと……」
多分、洗っていないと思う。庵奈たちの下着もあるのだから、それらを辰伶の目に触れさせるとは考え難い。せいぜい洗剤や柔軟剤の説明とか、衣類の洗濯表示の説明くらいだろう。しかし螢惑の異様な気迫に圧されて遊庵は答えられなかった。
「俺だって辰伶にパンツ洗って貰ったこと無いのに!」
「下らねえ嫉妬燃やしてんじゃねえ!」
アキラは呆れて溜息をついた。『パンツを洗ってあげて下さい』と、辰伶にメールするべきだろうか。そしてふと、あれほど関わりたくないと心底思っていたはずなのに、いつの間にか辰伶とメアドの交換までしていた自分自身に釈然としない思いを抱えるのだった。
一方こちらは壬生学園高校の昼休み風景である。女子生徒の1人が辰伶に弁当の包みを差し出して言った。
「私が作ったの。食べて」
ツインテールが特徴の、そこそこ可愛らしい容姿だが、モブなので記憶に留める必要は無い。女子生徒Aという役回りだ。
「誰かに食べてもらった方が上達するから」
「……なら頂くが…」
何故俺が?と辰伶は思ったが、弁当を上手く作れるようになりたい気持ちは解るので承知した。
しかしそうすると、辰伶が持参した弁当が余ってしまう。辰伶は教室を出て行こうとしていた歳世を呼び止めた。
「歳世はいつも購買のパンだったな。良かったら俺の弁当を食べてくれないか?」
「それはありがたいけど、いいのか?」
「不測の事態で処分に困っているんだ。助けて欲しい」
辰伶が困っていると聞いて断る歳世ではない。それでなくとも昼食代が浮くし、辰伶がくれるというのだから何重にも嬉しい申し出だ。辰伶がいつも使っている弁当箱、辰伶がいつも使っている箸がこの手にあることに歳世は震えた。 思いがけず転がり込んだ幸運に、歳世の心は浮き立っていた。
それにしても、原因である本人を目の前にして『困っている』ってハッキリ言うかしら。正直なんだろうけど、相変わらず無神経な男だと、辰伶の前の席で様子を聞いていた歳子は思った。
しかしモブA子に対して同情したりしない。男子生徒にそこそこ人気のある彼女は、自分の「好意」は喜ばれこそすれ、迷惑がられるなんて微塵も思っていないタイプだ。まあ、実際のところ大抵は感謝されるだろう。今回、辰伶には効果を発揮しなかったが。
全く歳世といい、こんな男のどこがいいのかしらと思いながら歳子は椅子を後ろに向けて、辰伶と向かい合わせになる。辰伶が何か言う前に歳世の椅子も引き寄せて、さっさと歳世の席を作ってしまう。
「しかたないわね。辰伶も私たちの仲間に入れてあげるわよ」
「仲間に入れてやるとは何だ。恩着せがましい」
「だって、お昼はいつも私と歳世ちゃん2人で仲良く一緒ですもの。その中に割り込ませてあげるんだから、感謝しなさいよ」
歳子には興味ないが、歳世が辰伶を好きなのだから、歳子は友達として協力は惜しまない。近頃は辰伶へのアプローチが急増しているので、都度、歳子は歳世の代わりに牽制している。
(ああ、私って本当に友達思い)
辰伶に近寄る女子生徒が急増したのは最近になってからだ。それまでは高嶺の花を眺めるだけで精いっぱいという態で、臆して声さえかけらない子ばかりだった。辰伶のレベルが高すぎるのだ。その空気が変化したのは、辰伶に女の噂が頻繁に立つようになってからだ。最新の噂では年上の女性とデートしていたとか、密かに同棲しているとか。それなら私だってと、色めき立っているのだ。
(まあ、噂なんてあてになりませんけど)
歳子も噂の1人になったことがある。きっぱりデマなのだが、迷惑な話である。辰伶のファンから陰口を(本人に聞こえるように)たたかれたし、陰湿な嫌がらせもあった。きっちり言い返したし、やり返したが。
しかし女子生徒Aも負けていなかった。彼女も近くの椅子を寄せて辰伶の斜向かいに陣取る。ああ、机が狭い。
「あの……そのお弁当は誰が…」
歳世に譲った辰伶の弁当を指してモブ子が言った。おそらく噂になっている年上女性の作ったものでないかと勘繰っているのだろう。
「辰伶のお弁当は、おうちの料理人が作ってるんだったわよね」
「これは俺が作った。最近は自分で作っている」
「うそっ」
「嘘をつく必要があるか?」
この美味しそうなそれをこの男が作っただとぉ!…と、歳子は理不尽に腹が立った。歳世は箸をつけるのを止めて、スマホのカメラで写真を撮りまくった。「神々しい」とか「空も飛べるはず」とか謎な言葉を呟きながら。
「自分でも弁当を作っているから評価を下す自信はそれなりにある。安心しろ」
辰伶は女子学生Aに向かってそう言ったが、辰伶の言った意味以外で安心できないだろう。外観の時点で辰伶の作った弁当の方が圧勝なのだから。
「まず、アスパラガスがゆで過ぎだな。アボカドは変色するから弁当に入れるならレモン汁をかけるとか工夫するべきだ。鶏肉に味がしていないが下味はつけたのか?」
辰伶はオブラートに包まず率直に詳細に指摘した。仮にも想いを寄せている相手からのこれは酷だ。だいたい、こういう時は「美味しい」とか「がんばったね」とかの、ふわっとぼやっとした緩くて前向きな一言を、相手は期待しているものだ。辰伶の無神経さに歳子はイラッとした。
「ちょっと文句が多過ぎじゃないこと?何よ、偉そうに…」
歳子は辰伶が作った弁当からアスパラのベーコン巻きをつまみ食いした。偉そうなことを言うだけあって美味い。モブ子も分けて貰って味見して気まずくなっている。
「辰伶は優しいな。料理の腕をあげたいという彼女の為を思って、敢えて採点を厳しくしたのだな」
歳世は辰伶を弁護したつもりだろうが、彼女の意図とは違って女子生徒Aを気遣ったセリフになっていた。気づけば女子生徒Aは辰伶から歳世に心を移している。歳世が身を挺して辰伶につく虫を1匹退治した…ということにしようと歳子は思った。何だかバカバカしくなってしまった。
「辰伶って存在自体が嫌味な男だわ。隙が無さ過ぎて可愛げないのよね」
「可愛いなんて言われたくもない」
「そんなことないぞ。この女子力の高い弁当を見ろ。辰伶の可愛さが溢れている。私が男だったら絶対に嫁に欲しい!」
「歳世ちゃん、落ち着いて。かなりスットコなこと言ってるけど、自覚してる?」
歳世にまで「嫁」呼ばわりされて地味にダメージを食らった辰伶は苦笑いするしかなかった。螢惑には呼ばれてないことが救いだった。
(生涯の伴侶……いい言葉だ…)
庵家に紹介されたときの螢惑のセリフを思い出し、辰伶はまた惚れ直してしまった。螢惑がイケメン彼氏過ぎて窒息しそうだ。
そのころ、当の螢惑は遊庵に掴みかかる勢いで「パンツ」を連呼して周囲をドン引きさせていたなどと、辰伶は知る由もなかった。