想いを形に
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最初は、螢惑の誕生日に何かプレゼントをしたいという、軽いノリの単純な気持ちだった。ちょっと親しい間柄なら普通にあること。
しかし、螢惑にプレゼントの受け取りを拒否されたことで、辰伶は思いがけず螢惑の内面に一歩深く踏み入ることとなった。少なくとも辰伶にとっては、これまで気づかなかったこと、見えていなかったことを知る契機となった。
細かい経緯はさておき、辰伶は螢惑に弁当を作ることになった。とはいっても、まともに料理などしたことのない辰伶が用意できるものなどたかが知れている。いや、「たかが」以下だ。
弁当の出来としてはとても満足のいくものではないが、それでも螢惑はそれを仲間に自慢するくらい喜んでくれている。作った辰伶としては嬉しい反面、どちらかといえばあんなものを他人に披露されたくはない。どうせならもっときちんとした弁当を持たせたい。
そのために料理の練習をしたいし、できれば誰かにちゃんと教えてもらいたいと思うようになった。将来、家を出て行くことを考えても、それは必要なことだと思う。
しかし家の者に教えて貰うのは無理そうだ。むしろ絶対に内緒にしたい。そこで辰伶は庵家の長女の庵奈に料理を教えて貰えないだろうかと思いついた。彼女は毎日家族の食事を用意しているようだから、ごく普通の家庭料理の作り方を知りたい辰伶にはうってつけだ。きっと螢惑の好みなども把握しているだろうから、ぜひとも伝授してもらいたい。
辰伶は放課後、帰宅せずに庵家に直行した。途中で購入した米10sを持参して。きちんと授業料を払ってもいいのだが、なんだか断られるような気がした。しかし、相手に負担を掛けることであるから、手ぶらで厚意に甘える訳にはいくまい。考えた末に、食材を持ち込むことにした。何が必要か解らなかったので、とりあえず米なら邪魔になるまいと思ったのだ。
「料理を教えて下さい。お願いします」
差し出された最高品質のブランド米の袋を見て、庵樹里華はニッコリ微笑んだ。
「庵奈、螢惑の嫁が花嫁修業にきたわよ」
「あら、若いのに感心じゃない」
「……」
辰伶は彼女らの会話に何か聞き捨てならない単語を聞いたような気がしたが、聞かなかったことにした。本能的に、彼女らに逆らってはいけないような気がしたからだ。
その日から、辰伶は庵家の女性陣に家事全般を仕込まれることとなった。
庵奈は時短料理や節約料理など、生活に必要な知恵を辰伶に教えてくれた。それは辰伶にとって嬉しい誤算だった。どれも、家を出た時に役に立つ知識ばかりだ。
「螢惑のお嫁さんになるんだったら、賢くやりくりしてもらわないとね」
「……」
嫁の呼称については、何度かやんわりと訂正してみたのだが、一向に改められないので諦めた。
家事は折半が理想だ。しかし辰伶と螢惑、2人の得意不得意が偏ったら拙いし、螢惑が忙しかったり体調を崩しでもしたら、そんな時には折半だなんて言っていられない。いざという時に困らないように全般的に、浅くてもいいから広く、最低限のことは出来るようにしておきたい。
特に重宝に思ったのは買い物の知識だ。意外にも買い物は料理よりも難しかった。だが、面白いとも辰伶は思った。つまるところ買い物は情報だ。情報収集、情報整理、情報活用。情報を押さえたら、あとはひたすら体力勝負。
初期には庵奈や庵樹里華に買い物に付き添ってもらっていたが、今では辰伶独りで熟せるようになった。
辰伶は『特価品』の札が貼られた大根の前で立ち止まった。小さな手帳を取り出しページをめくる。そこにはあらゆる商品の底値と注意事項が書き留められている。庵奈の教えを辰伶自身がデータ化しまとめたものだ。
庵奈いわく、『特価品』や『おすすめ品』の文字に騙されてはいけない。きちんと値段を見て判断すること。辰伶は手帳で大根の底値を調べた。
「ふむ…この大根は安いな。しかし、何故こんなに安いのだ?」
安値には理由があるものだ。市場に出回っている量が多いからとか、客寄せの目玉商品であるとか。目玉商品の場合は数量や時間が制限されていたりする。こういうものは本当に安くて良いものだ。しかし、そうでないなら何かマイナス面がある可能性がある。形が歪なB級品というくらいなら支障がないから「買い」だし、鮮度が問題なら「いつ」「何に」使うかでクリアできる場合もある。大根を前にして考え込んでいると、買い物客の会話が聞こえてきた。
「あら、この大根安いわね」
「多分これ、芯が残っちゃって、いくら煮ても柔かくならない奴だと思うわよ」
「じゃあ、風呂吹きにはできないわね」
なるほど。得心がいった辰伶は心の中で見知らぬ婦人方に礼を言った。彼女らはその隣のカブを指して言った。
「見て、この大きさでこの値段はすごくない?」
「そうねえ。こんなに立派なのがこの値段でいいの?」
「規格外に大きすぎるからかもね。飲食店で扱い辛いから人気なくて仕入れが安いのかも」
「試しに買ってみようかしら」
客の会話は情報の宝庫だ。
辰伶が見たところ、長ネギも安かった。太さもしっかりしている。だがそれを選んでいく客は少ない。皆は泥付きの長ネギを手にしていた。よくよく見れば、綺麗なネギは2本で1束に対し、泥付きは3本で1束、それで同じ値段だった。こんなところにも情報は溢れていた。
こうして見ていると、品質の良いものはやはり相応の値段だ。庵奈いわく、結局は自分の求めるモノと値段の折り合いがつくかどうかだ。生活に余裕があるなら良いものを買えばいい。金持ちは特売品に手を出すんじゃねえ、それはアタシらのモンだ!と、エキサイトしていた。
辰伶の家は金持ちだが、辰伶自身が稼いでいるわけではないし、将来のことを考えると、特売品を見分ける目を養っておきたいと思う。
購入した品々を庵奈に確認してもらった。
「上白糖が底値だったから、2袋買った。腐らないからストックしておいてもいいかと思って」
「ありがとう。うちは結構消費するから助かるわ」
「それから、このカブ。安かったから、何だか買いたくなってしまったので、試しに買ってみたのだが」
「大きいわね。何に使おうかしら……」
「失敗だったか?」
「いくらだった?」
辰伶が値段を言うと、庵奈の眼が鋭く光った。
「遊庵兄貴、このカブ、あと2つ買って来て。できたら3つ。急いで!」
「はあ?…ったく、何で俺が…」
「さっさと行きな!売り切れちまったらどうオトシマエつけてくれるんだよっ!」
「解った、解ったから!包丁はやめろ、包丁は!」
やっぱり逆らってはいけない人だった。辰伶はそれを、遊庵の背中を見て学習するのだった。