大切な人だから
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食事後、辰伶は遊庵の弟妹の5つ子たちと他愛のない話をしていた。庵奈と庵樹里華はキッチンの片付けに行っていたし、遊庵は螢惑に何か用があるようだった。
遊庵たちは螢惑が辰伶の家に来る前の近所の住人で、昔から螢惑はこの家族に混ざってご飯を食べていたということだ。なるほど、この親しさは頷けた。本物の血縁である辰伶よりも彼らの方が螢惑と付き合いは長く、深いのだ。年季が違う。
そして、螢惑の夜のバイトも庵家が関係していた。螢惑は遊庵の父親の下でバイトをしていたのだ。
「ほら、螢惑、親父から」
遊庵が差し出すショルダーバッグを螢惑は少し興奮気味に受け取った。バッグから心急く様子でとりだしたのは一眼レフのカメラと交換レンズだ。
「ようやく手に入ったな」
「うん、ありがとね」
遊庵の父はカメラが趣味で、このカメラはそのお古を貰い受けたのだそうだ。実はこれが螢惑のバイト代だった。撮影のノウハウも色々と教えてもらっていて、それもバイト代の内である。
螢惑は念願のカメラを手にして嬉しそうだ。そして螢惑のそんな思いも、庵家を通して知ることとなった辰伶は少し寂しかった。螢惑のことは何でも独占したくなってしまう心の狭さに自己嫌悪した。
「お前がカメラに興味あったなんて知らなかったな」
「えっと、カメラに興味あるんじゃなくて、辰伶を綺麗に撮ることに興味がある」
「……ん?」
螢惑が言うことの意味が解らなかったのは自分だけかと、辰伶は遊庵をみたが、遊庵も全くのみこめていない様子だ。
「一番綺麗な辰伶を知ってるのは俺だから、俺が一番綺麗に辰伶を写す。当然だよね」
当然…なのだろうか。辰伶にはその理屈が解らない。他の皆は解っているのだろうか。片付けを終えた庵奈と庵樹里華は食後のデザートにリンゴを剥いている。5つ子たちは食後ですっかり気が緩んで特にこちらに注意していない。遊庵は解っているのかいないのか、「ああ」だか「うん」だかの相槌を返したのみだ。
「えっと、改めて言うけど…」
辰伶も遊庵も嫌な予感しかしなかった。
「俺と辰伶、結婚は前提じゃないけど、将来を誓ったから」
一瞬にして部屋が静まり返った。テレビのお笑い番組の音だけが白々しく流れている。全員が石化している中で遊庵だけが所在なげに頭をかいた。
「辰伶は大きな家の跡取り息子で、将来は結婚して家を継ぐから、まあ、それまでだろうなって、俺は思ってた。それでいいって、最初は思ってた。だって、恋愛感情なんて変わっていくものだから」
誰でもね、と螢惑は付け加えた。それは辰伶だけでなく自分も含めてのことだと言いたいのだろう。
「俺の母さんは、辰伶の父親に捨てられた後、色んな男の人に恋をして、それはその時全部本気だった。他の人のことなんて見えなくなっちゃうくらい夢中になって、相手に尽くしてた」
「ああ……そんな感じだったな…」
螢惑の記憶を、静かに遊庵が補強する。辰伶は想像を巡らせた。螢惑の母親が新しい恋人に夢中になっている間、遊庵たちが螢惑の面倒をみていてくれたのではないだろうか。ただの知り合いなどではない。本当に、この家の人たちが螢惑の家族だったのだ。
「そのうちに辰伶が『そろそろ将来のことを真剣に考えないといけないから』とか何とか言って、それでこの関係は終わるだろうなって、そう思ってた。でも別に遊びじゃない。辰伶のこと本気で好きだけど、永遠に誰か1人のこと好きなんてあり得ないでしょ。だからどうせこの恋も時間の問題だろうから、簡単に別れられるって思ってた」
螢惑の真剣な話に全員が引きこまれていた。中でも辰伶は、今まで知らなかった螢惑の生い立ちや価値観を知らされて、内心とても平静ではいられなかった。
「でも変なんだよ。辰伶のこと好きになってから、何度も何度も辰伶に惚れるんだよ。好きになるのが終わらないんだ。こんなにしょっちゅう惚れてたら、俺はちゃんと辰伶を諦めれないんじゃないか怖くなった。俺は母さんみたいに惨めになりたくないのに。だから辰伶に八つ当たりして酷いことしたりしてた」
酷いことなんてあっただろうかと辰伶は考え込んでしまった。ひょっとしてアレのことか。最近は終始気を使ってくれて優しいけれど、以前は強引だったり、乱暴だったり、準備が雑だったりする日がたまに…。辰伶は我に返って思考を打ち消した。何か不審な挙動をしてしまっただろうか。遊庵がじっと見ている。
「俺がこんなこと悩んでるときに、辰伶は凄いんだよ。辰伶は俺と一生離れない為の計画をちゃんと立ててた。家も何もかも捨てるって、辰伶1人でとっくに決意を固めてた」
「それは…俺だけが勘違いして先走っていたということか?」
「あのねえ、そんなことが言いたいんじゃないよ」
どう聞いてもそんなことにしか聞こえないが。
「だから俺は、ひょっとして辰伶を諦めなくてもいいのかな?って思った。辰伶には何回惚れても、それこそ一生惚れ続けても大丈夫かもしれないって。だから俺は決めた。辰伶を生涯の伴侶にする」
螢惑の話はこれで終わったようだ。静かになった居間で、テレビの音がこの場の空気に浮いていた。ここで口火を切るのは、やはり遊庵の役目だろう。
「まあ、てめえが辰伶にべた惚れなのは解った。めちゃめちゃ本気の処置無しってこともな。けどなあ…」
遊庵は辰伶を窺い見た。
「そっちの本心がどうなってるのか解らねえんだな。まあ、これでも一応、螢惑の保護者のつもりなんだわ。こいつは見た通り団らん中に『道を踏み外す宣言』するようなバカヤロウだが、みすみす不幸にする気はねえ。そこでよ、お前さんの気持ちって奴を、1つ語ってくれねえか?」
遊庵がテレビを切った。いよいよ静まり返った部屋の中で、皆の視線を一身に浴びて、辰伶はこれまで無いくらいに緊張してしまった。螢惑がこんな風に辰伶を紹介するということは、この場に居るのは螢惑にとって信頼できる大切な人達だ。できれば好感を持ってもらいたい。
「そんなに硬くなることねえよ。反対しようってなわけじゃねえんだ。…反対したって、聞くようなタマじゃねえし。螢惑のどんなとこに惚れたのか知りてえんだよ」
螢惑のどこに惚れたって……顔が好みとか、Hの相性がいいなどと言うわけにはいかない。もっと内面的なこと。螢惑の良いところ…
「に…」
「に?」
「い、いいえ。何でもありません」
ニンジンを食べてくれたことに惚れたなんてダメすぎる。
今一度整理する。辰伶はおかれている状況の確認に努めた。交際相手の家族に紹介されたのだ。自分の誠意を解ってもらわなければならない。気の利いた言葉でなくていいから真心を込めて、とにかく誠意だ。真心!と誠意!
辰伶は居住まいを正すと、三つ指をついて深くお辞儀した。
「ふつつかものですが、よろしくお願いします」
ありったけの真心と誠意を込めてみたが、遊庵は納得してくれただろうか。
ややもして辰伶がゆっくりと頭をあげると、そこには呆然と言葉を無くしている遊庵のアホ面と、これ以上ないくらい紅潮した螢惑の顔があった。庵奈はリンゴを切り損ねて、ナイフをテーブルに深々と刺してしまっていた。