大切な人だから
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余りおおっぴらに仲良くしている姿を見られる訳にはいかないので、螢惑と辰伶にとっては貴重なデートの日だった。それを邪魔されたというのに、螢惑は昼飯をおごるという遊庵に躊躇いもせずついていく。辰伶は色々と不満で道中無口になっていた。螢惑の、遊庵に対する信頼っぷりに、憂鬱になる自分が辰伶は嫌だった。
2人が遊庵に連れて行かれたのは普通の民家だった。
「ゆんゆんが奢るっていうから全然期待してなかったけど、やっぱりココなんだ」
「おう、ちょうど親父から預かってる物があってよ」
「それって、もしかして…」
「その『もしか』よ。これでようやくてめえのモンになったな」
螢惑と遊庵の会話の内容が辰伶には全く理解できない。その気の置けない様子は、どんどん辰伶の心を沈ませていく。螢惑のクラスメイトに嫉妬を感じることはあるが、それとはレベルが違う。螢惑と遊庵の歴史には、端から勝てる気がしない。己が惨めになっていくだけだ。
「辰伶、ここはゆんゆんの家」
「わりいな。まあ、量と味は保証するから」
昼飯を奢ると言われて自宅へ連れて来られるとは思っていなかったので、辰伶は少々面食らった。これは有りなんだろうか。しかしよくよく考えてみると、辰伶は奢られた経験があまり無い。もしかしたら普通のことかもしれないと、辰伶は考えを改めた。
「ゆんゆん薄給だから」
「そーゆーわけ。外食で食べ盛りの男子高校生2人の胃袋を満足させられるほど懐に余裕ねーんだわ。勘弁しろや」
辰伶の感覚は世間とはそれほどずれてはいなかったようだ。それはそれとして、この状態に不満など最初から持っていない。辰伶は何とも思わなかった。御馳走になるのに、提供された場所や食べ物にケチをつけるような、そんな下品な教育は受けていない。
ただ、螢惑と遊庵の間の呼吸が羨ましかった。螢惑がこんなに心を許している相手がいたなんて、辰伶は今まで自分が知らなかったことが地味にショックだった。
「ただいま。メシ何?」
「お帰り。今日のお昼はホクホクおいもの肉じゃがだよ」
「2人増えるけど大丈夫だよな」
「なに?遊庵兄貴、お客?」
キッチンから顔をのぞかせたのは、20代くらいの明るそうな女性だった。彼女は遊庵の後ろの螢惑の姿を見て破顔した。
「螢惑じゃない。あんたが来るなんて久し振りねえ」
「うん。久し振り、庵奈」
「そちらは?」
庵奈と呼ばれた女性は、辰伶を視線で指した。
「辰伶。俺の異母兄弟」
「ああ」
それだけで辰伶の素性と螢惑との込み入った関係を理解したようだ。螢惑の複雑な事情も承知しているようで、遊庵だけでなく家族全体が螢惑とは昵懇な間柄なのだろう。
「初めまして。螢惑の兄で辰伶と申します。弟がお世話になっているようで…」
「こちらこそ初めまして。私は遊庵の妹の庵奈です」
「食事時に突然の訪問でご迷惑おかけします」
「いいのよ。気にしないで。遊庵兄貴が連れてきたんでしょう。どうぞ、遠慮なく上がって。肉は少ないけどじゃがいもたっぷりだから」
辰伶の礼儀正しい挨拶に、庵奈は丁寧に、そして気さくに返した。爽やかな女性だ。彼女に案内されたのは居間だった。低いテーブルを大勢で囲んでいる。そこを無理矢理詰めて螢惑と辰伶の席を確保した。
「うちは人数が多いからね。狭いのは勘弁しとくれよ」
遊庵の兄弟姉妹は庵曽新と庵奈だけではなかった。庵樹里華という妹。さらに5つ子。そしてもう家を出てしまっているが遊庵の兄がもう1人いるらしい。大家族だ。辰伶は彼らにも紹介され、挨拶して用意された席に座った。
「ご両親は?」
「おふくろたちは仕事が不規則だからいつも別。なあ、腹が減ったから早く食おうぜ」
全員が食卓についたところで、遊庵が音頭をとる。『頂きます』の挨拶を合図に食事は堰を切ったように始まった。その賑やかさに辰伶は少々臆するものがあった。辰伶の家では食事は静かにするものだ。年中行事などで親戚が集まる時には人数では勝るが、こんな風に騒がしくはならないものなのだ。食事中に会話をしないわけでもないのに。
それは驚いたことではあったが、不愉快なことではなかった。この雰囲気に乗り切れてはいなかったが、楽しいとは感じていた。
ただ1つ、悩ましい問題があった。メインの惣菜である肉じゃがは、肉以外は全体に大振りで、辰伶の目の前には苦手なニンジンが文字通り大きく立ちはだかっていた。初めて訪問した家で御馳走になって、それを苦手だからと食べ残すのは大変無作法でないかと辰伶は思う。突然の増員も快く受入れてくれた庵奈にも申し訳ない。
辰伶が覚悟を決めたその時、横から箸が伸びてきて、辰伶の悩みの元を串刺しにして攫っていった。驚いて見ると、ニンジンは螢惑の口の中に消えていた。
「ぼやぼやしてると、おかず盗られちゃうよ」
「え…ああ…」
「辰伶の家みたいにお上品じゃないからね。せんそーだよ、せんそー」
「ちげえねえ。食卓は戦争だ!」
遊庵と螢惑は互いの器から肉の奪い合いを始めた。2人の激しい攻防戦を、辰伶は半ば呆然と見ていた。彼らの行儀悪さに呆れていたのではない。故意か偶然か、辰伶の苦境を救ってくれた螢惑に惚れ直していたのだ。いや、また新たに恋に落ちていた。
こんなに何度も何度も同じ人間に恋してしまうものなのだろうか。辰伶は胸が一杯になって、それから何をどう食べたのか記憶が無かった。