てのひらサイズの愛だけど

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 昨今のフィギュアスケート人気と相まってか、スケート場は人で賑わっていた。螢惑の知人がここでアルバイトをしている伝手で、割引入場券を入手したのだとか。券は貸し靴代込みなので、学生の身分には嬉しい。

 ホットスナックやドリンクの出店が立ち並び、表にはお洒落なキッチンカーも来ていて、祭りのように賑やかだ。笑顔の爽やかなスタッフに並んでキュートな仕草の着ぐるみが子供向けのスケート教室のチラシを配っている。

 スケート靴に履き替えた2人は早速リンクへ向かった。リンクの整備や監視をしているスタッフたちのテントを螢惑が指す。

「あれが庵曽新。ここでバイトしてる」

 相手も螢惑に気づいた。螢惑が手を振ると、それに応えて振り返してきた。

「後で挨拶がてらにお礼を言わねばな。ところで螢惑、」
「何?」
「お前・・・初心者だったよな」

 事も無げに氷上に立っている螢惑に、辰伶は訝しんだ。

「あ、そうそう。初めて」
「にしては・・・」
「あ、転びそう」(棒)

 そう言って螢惑は辰伶の腕にしがみついた。

「ほら、初心者なんだから手を放さないでよ。ああ、氷、怖いなあ」(棒)
「全然怖がっているようには見えないのだが・・・」
「見栄だよ。内心ガクブルだから」
「・・・・・・」

 釈然としなかったが、螢惑がそう主張してやまないので、辰伶はおかしいと思いつつも螢惑に基本的な滑り方を教えた。

「さあ、やってみろ」
「いきなり初心者を独りで放り出すなんて鬼畜の所業だね。辰伶ってそんな奴だったんだ。冷たいなあ」
「・・・・・・」

 子供のようにせがむ螢惑に負けて、辰伶は向かい合って両手を繋ぎ、相手を引っ張るようにしてゆっくりとバックで滑り出した。しかし螢惑はあれだけ初心者を主張したくせに、自分でバランスをとって滑っているし、何よりもフォームも様になっている。それなのに、

「螢惑、そろそろ手を放してもいいんじゃないか?」

 と、辰伶は幾度も促すが、

「だめ。転びそう」

 と言って、辰伶の手を放そうとしない。黙ってそっと手を放してみれば、大袈裟にバランスを崩してしがみ付いてくる。そんな2人の傍らを、軽やかなエッジ捌きの人影が滑り抜けた。目の前で華麗にターンをきめると、軽やかに近づいてきた。

「螢惑、来てたのかよ」
「ゆんゆん・・・」

 螢惑の知り合いか。辰伶には初対面の人物だった。2人よりも幾らか年上らしいが、見た目に若々しいので年齢は見当がつかない。どういう知り合いだろうか。

「えっと、庵曽新の兄弟で、ゆんゆん」
「変な名前付けんなっつってんだろ。俺は遊庵な」

 目で紹介を求められているが、螢惑は知らん顔だ。しかたないので辰伶は自分で名乗った。

「螢惑の兄の辰伶です。いつも弟がお世話になっています」
「俺、ゆんゆんの世話になんかなってない」
「あー、そういうこと言うかよ」

 2人の間に交わされる話のテンポについていけず、取り残された辰伶は少し疎外感を持った。この遊庵という青年は随分と螢惑と親しい(というより馴れ馴れしい)様子だが、何者だろう。螢惑がこんなにも気安く振る舞う相手を辰伶は知らない。ふとすると家族である自分よりも近しく見える。辰伶は心の奥底に黒い澱が溜まっていくのを感じていた。

「で、てめえは何してんだよ」
「・・・スケートの練習」

 螢惑は気の進まない様子で、苦々し気に答えた。

「はあ?練習?お前が?」
「俺は初心者だから!辰伶に教えてもらってるんだから!邪魔するなら殺す!」

 物騒なことを言う螢惑にも、遊庵は余裕で笑みを浮かべている。

「ふうん。初心者ねえ・・・ハイハイ、わかりました」

 辰伶の手を確りと掴んで離そうとしないその様子を、遊庵は頭からつま先まで眺めまわして、ニヤリと笑った。螢惑は舌打ちした。

「辰伶、あっちに行こう」
「あ、ああ。それでは失礼します」
「おー、また後でな」

 螢惑はぐいぐいと辰伶を引っ張りながら、その場を離れた。

「おい、螢惑。おまえ、普通に滑ってないか?」

 ピタリと螢惑の足が止まった。

「もう独りで滑れそうだな。そろそろ手を放しても・・・」
「ダメ。絶対、絶対ダメ。辰伶の人でなし」
「おまえだって、いつまでも手を引かれていては恥ずかしいだろう?」
「・・・恥ずかしくてもいいよ」

 ぽつりと呟いた声は小さすぎて辰伶の耳には届かなかった。

「そうだね・・・手を繋ぐのは恥ずかしいかもね。だから、ああいうカンジでサポートしてよ」

 そう言って螢惑が指したのは男女のカップルで、彼氏の腕が彼女の腰にまわされて、仲良く寄り添って滑っている姿だ。

「いや、あれはサポートというか・・・」
「あの滑り方ならコツが掴めると思う」

 螢惑は正面に対峙していた身体を辰伶の隣に位置替えした。その動きからしてきちんと滑っているのだが、辰伶は螢惑の好きにさせた。それでも腰を支えるのは変だろうから、腕は肩に回した。ところが螢惑の腕が辰伶の腰に絡みついた。

「おい、螢惑」
「ここが一番つかまりやすいんだよ。身長差ちゃんと考えてる?」

 そういわれればそうかもしれないが・・・変だ。絶対に変だと辰伶は思ったが、辰伶はそのまま滑り出した。一つには、先ほど会った遊庵という青年に対抗する気持ちもあった。螢惑と最も親密なのは自分だという強い想いが辰伶を駆り立てていた。

 突如として、辰伶は背中に衝撃を受けて前に突き飛ばされた。誰かがぶつかって来たらしい。バランスを崩して転倒する間際の空白。気がついた時には何者かの腕に横抱きにかかえられていた。

「・・・!」

 風のように景色が飛び去って行く。辰伶はかつて体験したことのないスピードに声も出なかった。振り落とされないように無我夢中でしがみつく。自分を抱き抱えている腕が誰のものか気にする余裕などあるわけがない。

「おーお、必死になって、まあ」

 その声で解った。遊庵だ。

「ほら、見てみろよ。螢惑の奴、マジ切れしてやんの」

 遊庵は笑いながら体ごと振り返り、辰伶にその様子を見せた。後方から螢惑が猛スピードで追ってくる。怒りの炎が両眼に燃えている。

 それに追いつかれることもなく、遊庵は人間1人を抱えているとは思えないスピードと安定した重心移動で余裕の滑りを見せる。しかもバックだ。まるで背中に目でもあるのかと思うくらい、リンク上の人々を的確に避けながら。大した技量だが、それに感心する余裕は辰伶には無い。

(怖い・・・怖い・・・怖い・・・放せ・・・いや、放すな!・・・)

 生きた心地がしないとはこのことだ。振り落とされない為に、辰伶は必死になって遊庵にしがみついた。螢惑に怒りのオーラが宿る。

「殺す!」

 螢惑がスピードを上げた。遊庵も正面に向き直りスピードを上げた。氷上で超高速鬼ごっこがデッドヒートする。

「庵曽新!パス!」

 掛け声と共に辰伶の身体が空中へ投げ出された。遊庵が遠心力に任せて辰伶を放り投げたのだ。庵曽新めがけて。

「うわああああっ・・・!」

 庵曽新が悲鳴をあげる。辰伶は声も出せなかった。

 ぶつかる!

 衝突を覚悟して辰伶はきつく目を瞑った。しかし衝撃も痛みも訪れることは無く、誰かの胸に受け止められていた。見なくても解る。螢惑の温もり。馴染みある腕の中で、辰伶はようやく安堵した。

「辰伶、大丈夫?」
「螢惑・・・」

 辰伶を力強く抱く腕。安心感に包まれて、その胸に頬を埋める。足元には、螢惑に突き飛ばされた庵曽新が転がっている。そこに遊庵が腹を抱えて笑いながら寄ってきて、憐れな被害者を助け起こした。

「そこのバカップル、いつまでいちゃついてんだ?」

 遊庵に指摘されて、ようやく辰伶は今の状況を自覚した。

「け、螢惑、放せっ」

 焦った辰伶は螢惑から離れようとするが、螢惑がそれを許さない。

「ヤだ」
「嫌じゃない。この状況は・・・まずい!」
「ゆんゆんから辰伶を守る」
「いいから放せ」

 ガッチリとホールドしてくる螢惑を何とか剥がそうと四苦八苦している辰伶。遊庵は笑いが止まらずひきつけに近くなっている。衆目はこの場に釘づけだ。

「お客様・・・」

 庵曽新が静かに怒りをはらませて言った。

「他のお客様の迷惑になりますので、表に出ろ!」

 即刻スケート場を退場させられた3人は、庵曽新から散々に説教をくらった。途中で辰伶は、自分は何も悪くないのではと思ったが、それを言い出せるような空気ではなかった。


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