てのひらサイズの愛だけど

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 駅ホーム。辰伶と螢惑、そして遊庵の3人は並んで紙コップのコーヒーを飲みながら列車を待っていた。螢惑と遊庵の頬は庵曽新の鉄拳によって赤く腫れている。

「はぁ・・・庵曽新の奴、凄い剣幕だったな」
「ゆんゆんのせいでしょ」

 せっかくのデートを邪魔されて螢惑は不機嫌だった。辰伶も内心面白くなかったが、憤慨する螢惑を宥めているうちに致し方なく冷静になってしまった。諦めの境地に近い。

 だったら遊庵とは別行動すればいいようなものだが、お詫びに昼飯をおごると遊庵が言うのでついてきている。それに大人しく従う螢惑が、辰伶には不思議でならなかった。螢惑にとってこの遊庵という青年がそれだけ特別な人間なのだろうかと思うと、辰伶の感情は昏く乱れた。

 せっかくのデートだったのに。

「螢惑、スケート初心者なんて嘘だろう」
「嘘っていうか・・・」
「初心者があんな滑り方できるものか」
「それは・・・辰伶の危機に俺の中に眠れる力が覚醒して・・・」

 遊庵が螢惑の頭を鷲掴みにして乱暴に撫でまわした。

「もう少しまともな言い訳しろや。まあ、初心者じゃねえよな。俺が教えてやったんだから。嘘、つうか方便って奴だろ?」
「方便、ですか?」

 辰伶は俄に苛立つ己を抑えて、努めて冷静に振る舞う。遊庵の言動の1つ1つが、螢惑のことなら何でも解るとでも言っているようで、ともすれば穏やかでいられなくなってしまう。

「お兄ちゃんと手を繋ぎたかった。要はそういうこったろ?」

 螢惑はプイと外方を向いた。図星ということか。

「手なんて、そんなのいくらでも・・・」
「外じゃ、できないじゃない」

 辰伶は、はっとして螢惑の横顔を見詰めた。

「家の中なら手を繋ぐことなんて何でもないし、キスだって、セックスだってできるけど・・・」
「ブフォッ!!」

 遊庵がコーヒーで噎せている。苦しそうだ。

「コ・・・コーヒーが鼻に・・・」
「個性的な飲み方だね。でも、俺たち大事な話をしてるんだから、ちょっと静かにしててくれないかなあ」
「てめえに『空気読め』的なこと、言われたくねえよ!」

 遊庵は2人から離れ、視界には入るが声は聞こえない程度の場所に移動して行った。

「俺たちは大っぴらに手を繋ぐことすらできないでしょ」
「そうだが・・・それは・・・」

 しかたのないことだ。気安く公言できるような関係ではないのだから。家族にさえ知られるわけにはいかないのだ。しかしそれは螢惑にはやはり納得のいかないことだったのだろうか。

「すまない。俺に勇気がなくて・・・」
「だから、卑怯とか、勇気とか、誠実とかいう話じゃないってば。辰伶を責めてるんじゃないよ」

 螢惑は辰伶を安心させるかのように、滅多に見せない優しく微笑んでみせた。

「そのこと、辰伶は引け目に感じてるみたいだから、人前で堂々と手を繋いであげようと思ったんだよ」

 スケートの練習という名目なら不自然じゃないでしょ。螢惑の言葉は辰伶の心に優しく響いた。

「辰伶は滑れるって言うから、それなら俺が初心者になればいいと思った」
「上級者並に滑れるくせに、初心者のふりをするなんてもどかしかっただろう?子供みたいに手を引かれるのも恥ずかしかっただろう?」
「別に。辰伶が喜んでくれるなら、俺の恰好なんてどうでもいい。・・・嬉しくなかった?俺と手を繋ぐのは」

 嬉しくないわけがない。辰伶は胸がいっぱいになった。さっきまで螢惑と繋がっていた両の掌を柔かく握る。その手の中にある螢惑の愛を逃さぬように。

「ありがとう。俺の為だったんだな。でも、何故?」
「何ていうか、お弁当のお礼。・・・毎日ありがとね」

 少し照れくさそうに螢惑は言った。

 あれは朝食であって、弁当のつもりで作っているのではないし、あんな不格好なものを学校に持って行って欲しくもないのだが。辰伶の想像を遥かに超えて螢惑が感謝してくれるものだから、もう少しまともな弁当を作ってやれるようになりたいと思った。


おわり