楽園生まれの恋人

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 待ち合わせ時間には凄く遅れちゃったけど、辰伶は怒ってないみたいだった。意外だなあ。もっと時間に煩くて、短気な性格だと思ってたんだけど、思い違いかなあ。

 怒られなかったのはラッキーだけど、ひょっとして見限られた?

 …だったらとっくに帰っちゃってるよね。俺のこと厭きれてるかもしれないけど、まだ嫌いになってないよね。そう思っとこう。

 電車とかバスとか色々乗ったから、何だか随分遠くまで来た感じがする。辰伶任せだから、ここが何処だかよく解らないけど。

「ふー…、やれやれ…」
「疲れたか?」
「別に」

 そりゃ、ね。地元じゃ誰に会うか解らないし…俺たちが仲良くしてるのが親にバレたらヤバイし?
 …俺と違って、辰伶には守りたい生活があるだろうから。俺は失うものなんて何もないからいいけど、辰伶にはリスクの大きい関係だよね。

「もうすぐそこだから」

 俺たちの初デートに辰伶が選んだ場所は水族館だった。大きくて有名なところだから、人がいっぱいいる。人ごみってうざいから嫌いだけど、今日は我慢する。隣に辰伶が居るから。

 そういえば昼間の光の中で辰伶を見るのって珍しい。そう思ったら、急にドキドキしてきた。何だろう。太陽の下の辰伶の方が、何だか好き。月明かりに仄白く浮かぶ銀の髪もすごく綺麗だけど。何となくだけどさ、今の方が綺麗くない?

 見れば見るほど、辰伶って俺の好みの顔してる。それってやっぱり血のせいなのかな…

「何だ?」

 辰伶の顔ばっかり視凝めてたから、訝しまれた。ええと、困ったなあ…

「ひょっとして…トイレに行きたいのか?」

 …あのさ、俺、ちっちゃい子じゃないんだから。道に迷って待ち合わせ場所に辿り着けなかったのが尾を引いてるのかな。もしかして辰伶、すっかり保護者モード?…やめてよ、デートなんだから…

 これは…軌道修正しなきゃね。

「手、つなごうよ」
「ああ。休日で結構人が多いからな。迷子になるといかんからな」

 …逆効果だった。

「どうした。浮かない顔をして」
「……別に」
「水族館には興味がなかったか。…すまなかったな」
「え?」
「俺の一存で決めてしまって。やはりお前の意見も聞くべきだった」

 申し訳なさそうに辰伶が言うから、俺の胸にチクリと痛みが走った。さっきまでの『綺麗』がこぼれて消えていくみたいだ。どうしてだろう。

「辰伶!」

 少し声が大きかったみたい。辰伶の目が驚きで大きく見開いてる。

「な、何だ?」
「あのさ…」

 実は言うことなんて、何も考えてない。でも、何か言わなくちゃ。

「辰伶は……父親似?母親似?」
「……」

 ずっと悩んでた。父さんと母さん、俺はどっちの遺伝子が強いんだろう。俺は辰伶の顔が好きなんだけど、それって、辰伶が父親似だったら母さんの遺伝子の所為で、辰伶が母親似だったら親父の遺伝子の所為ってことでしょ?

 どっちが強いんだろう。どっちでも嫌だ。俺は親父みたいになりたくないし、母さんみたいな人生も嫌だ。どっちの血もいらない。俺は俺だけがいい。

 辰伶は少し考え込む仕草で、自信なさげに言った。

「自分ではよく解らないが、そうだな、父方の親戚からは父親に似ているといわれるし、母方からは母親に似ているといわれる。どちらの血も半分ずつ流れているのだから、どこか部分部分で似たところがあるのだろう。それを見る側の願望で都合のいいパーツを繋ぎ合わせて面影を構築するのだな。結局、どちらにも似ているということだ」

 何、それ。俺には最悪。

「どっちにも似てないってことには……ならないかなあ?」
「そうと言えなくもないかもしれないが、これでなかなか遺伝子とは侮れなくてな、大叔父など昔はそうは見えなかったのに、いつの間にか曽祖父の遺影の写真にそっくりになっていて…」

 急に辰伶は口を閉ざした。

「どうしたの?」
「喋り過ぎたな」

 辰伶は少し俯いた。何故だか俺に詫びているようだ。…ああ、そうか。父親から見捨てられた俺に、これ見よがしに親戚の話をして『すまない』って思ったんだね。辰伶って、変なところで考えすぎるから。

 辰伶の『綺麗』が、零れ落ちていく。ずっと『綺麗』でいて欲しいのに。

「別に、俺が初めに聞いたんだし」
「いや、俺が無神経だった」

 お前がずっと『綺麗』でいられないのは、俺のせいかな。そんなのやだなあ。どうせなら、俺の手で辰伶を『綺麗』にできた方が嬉しい。どうしよう。どうしたらいいのかな…

「あ、そうだ」

 ポケットからカメラを取り出した。知人がデジカメを買ったときに『いらなくなったから、てめーにやる』と言ってくれたやつだから、今時フィルム式だ。ファインダーを覗きながらレンズを辰伶に向ける。

「辰伶、笑って」
「え!?」
「ほら、早く笑って」
「そんなこと、急に言われても…」
「ねえ、笑ってよ。笑って…俺の為に『綺麗』になってよ」

 途端に辰伶の顔が真っ赤になった。どうしたんだろう。

「き、貴様…よくもそんな恥ずかしげもなく…」
「え?俺、何か変なこと言った?」
「ふざけたことを真顔で言うな」
「…俺、ふざけてないけど?」
「な…」
「ふざけてないし、冗談なんて言ったことない」

 辰伶は紅潮したまま眼を伏せた。ひょっとして、照れてるの?…笑顔じゃないけど、この表情もイイから撮っとこう。

「あ、こらっ!不意打ちに撮るなんて…」
「辰伶の前で、ずっとカメラ構えてたじゃない。あ、怒った顔もイイね」
「卑怯者!」

 辰伶の表情がコロコロ変わるから、その度にシャッターを切った。最初の目的とは違っちゃったけど、何だか面白くなってきたから、ま、いいか。

「あ」
「ふざけるなと言っているのに」

 カメラを取り上げられちゃった。ふざけてなんかいないのに。

「…どうせなら、2人で一緒に写ろう」
「え?」

 辰伶はたまたま通りかかった人を捕まえて、写真を撮ってくれるように頼んだ。辰伶の突然の行動にあっけにとられて、なんだかよくわからないうちに辰伶と肩を並べて写真を撮られてた。

 辰伶から返されて、カメラは俺の手に戻ってきた。本当にあっという間だったから、俺、どんな顔して写ってんだろう。不安だなあ。

「デジカメだったら、すぐに見れるのに…」
「いいじゃないか。その分、写真が出来上がるのが楽しみだ」

 そりゃあ、そうだけど。でも、今はデジカメの機能が欲しい。現像とか面倒だし、フィルム代もかかるから、そう思うとこのカメラはちょっと難だなあ。

「変な顔で写ってたら、すぐに削除できるじゃない」

 写真が出来上がって、辰伶の隣で俺がつまらなそうな顔して写ってたら、きっと辰伶、ガッカリするだろうなあ。

「デジタルは失敗しても簡単に削除できるし、すぐに画像を確認できるから撮り直しができるが、その分、気持ちがいい加減になる。撮られる側としては、リラックスできて良いのだが…」

 辰伶が微笑んだ。

「撮る側なら、やり直しが利かないと思った方が、一瞬一秒に真剣になれる。俺はフィルムカメラのそういう性格が好きだ」

 辰伶は潔い。そういうところが『綺麗』で、俺は好きだ。だったら、俺もフィルムカメラの方が好きってことにしよう。


 パンフレットによると、この水族館は室内型では世界でも最大級とのことだ。国内有数の水族館ということで、以前から興味があったのだが、これほど立派とは知らなかった。生物の種類や環境によっていくつもの区域に分けられていているが、この施設には観覧順序というものが無いので、好きなところを好きなだけ堪能できる。

 大型水槽を回遊魚が何度も周遊するのを、俺は飽くことなく眺めていた。日本近海のおなじみの魚たちだ。岩場には蟹や海老の姿も見える。

「…おいしそうだなあ」

 隣から聞こえてきた呟きに、俺の時間が数秒遅滞した。恐る恐る螢惑を見てみれば、どこか虚ろな瞳で目の前の大型の魚を見ていた。ふと心づいて時間を確かめたら、11時を少し過ぎたところだった。

「螢惑、腹が減っていないか?」
「うん。朝から食べてないから」

 俺はびっくりした。そんなこと思いも寄らなかった。ひょっとしたら螢惑は待ち合わせ場所のコーヒースタンドで朝食を済ませるつもりだったのかもしれない。道に迷って遅刻した螢惑が連絡してきたのが駅の改札の近くだったから、俺がそこへ合流してそのまま電車に乗ってしまったのだ。

 迂闊だった。もっと気をつけてやればよかった。

「少し早いが昼食にしよう。12時近くはレストランが込むだろうから、今を逃すと2時過ぎになってしまうかもしれん」
「うん」

 俺たちは館内のレストランに移動した。弟を飢えさせてしまうなんて、俺は兄として失格だ。

「…辰伶、今、余計なこと考えたでしょ」
「え?」
「俺たちの関係は何?ここには何しに来たの?」
「……」
「辰伶の答え次第じゃ、俺は帰るよ」

 螢惑が言わんとすることが理解できた。俺たちは兄弟で遊びに来たのではないはずだ。『恋人どうしで初デートにきた』と言っても、螢惑は否定しないはずだ。

「さあ、言って。俺は?辰伶の?」
「……」

 否定される恐れはなくなったが、いざ声にするのは何だか恥ずかしい。何とか言おうとするのだが、唇が震えてしまう。頬が熱い。

 不意に螢惑は厳しかった表情を緩ませた。

「その顔は答えてるのと同じだね」

 螢惑に唇を重ねられた。風のように一瞬の軽いキスに、俺は驚くこともできず茫然と立ち尽くした。

「さ、行こ」
「…ああ」

 良かった。なんとか螢惑の機嫌が直ったようだ。それにしても螢惑の鋭さには驚かされる。いつもぼんやりとした風情で、周りに対して興味がないように見えるが、よく他人を観察しているのだな。

 そして、最後の最後まで俺を追い詰めないでくれた彼を優しいと思ってしまう俺は、少し贔屓が過ぎるかもしれない。


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