ほたるのとっておき
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ほたるが熒惑という名であった頃。その日も熒惑は父親が差し向けた刺客から命からがら逃れたところだった。
気づけば森の中。空は木々に覆われて全く方角が解らない。追っ手に捕まらぬよう、まともな道を避けたこともあって、熒惑は自分がどこにいるのか全く解らなかった。しかし帰る家があるでもない。熒惑はとにかく安全に休める場所を探して歩いた。
「お腹すいた…」
袂の中に焼き栗が3つ。今ある食料はこれっきりだ。このところ逃亡続きで食料を調達する余裕も無かった。今後もどうなるか解らない心細い状態だ。1つだけ食べて、残りは大事にとっておいた。
ガサガサと繁みが鳴った。追っ手かと警戒したが、大人の大きさではない。獣だろうか。捕まえたら食料になるかもしれない。熒惑は気配を消して身を隠し、それが繁みからでてくる瞬間を狙った。
「えいっ」
「わっ」
覆い被さって捕まえてみると、それは子供だった。白い着物。銀色の髪。
「なんだ、子供か」
「放せっ…て、あれ?」
最初は激しく暴れたが、自分の上に乗っかっている熒惑を見て、子供は大人しくなった。
「君は誰?あいつらの仲間じゃないよね?」
「あいつら?」
獣(食料)じゃないなら用はない。熒惑は捕まえた子供の上からどいた。
「舞の稽古の帰りに襲われて逃げてきた」
「ふうん。なんだか知らないけど、お互い大変だね」
「お互い…」
子供は熒惑の全身を見て、その着物が泥汚れや裂き傷などで酷い有様であり、その手足も擦り傷や痣だらけなことに気づいた。
「君も悪い奴に追われているんだね。大丈夫だよ。無明歳刑流の、この辰伶が守ってやる」
「むみょう・・・」
こいつか、と熒惑は思った。こいつが、熒惑を殺そうとしている父親の、無明歳刑流の正式な跡取り息子。熒惑の異母兄弟の辰伶。
(こいつも俺みたいに、誰かに襲われて逃げ回ることがあるのか。まあ、それでも実の父親から命を狙われてる俺よりマシでしょ)
「お前、強いの?」
「そこらの大人には負けない。安心しろ」
「ふうん」
(俺とどっちが強いかな)
「俺のことはいいから、早く家に帰れば」
「それが…」
辰伶は心許なげに辺りを見回した。ああ、迷子かと熒惑は思った。自分も迷子なのだが。
「言っとくけど、もうすぐ暗くなる。夜に知らない森を歩くのは危険だよ。今日はここで夜を明かして、朝になって明るくなってから帰った方がいい。どうするか、お前の自由だけど」
そう言って、熒惑は野営の準備を始めた。
「君の言う通りにする。君を守るって、約束したし」
「別に守ってもらわなくても平気だけど」
熒惑は集めた薪に火をつけた。
「俺にはこの力がある。自分の身は自分で守る」
「すごい。君は火を操るんだね。俺は水を操る」
知ってる。熒惑は心の中で呟いた。
一緒に野営することになって、辰伶もどこかへ何かを準備に行った。熒惑は火の番をしながら、どうしてこんなことになったのだろうと、後悔するわけではないが、何となく落ち着かない気持ちだった。辰伶は熒惑の母親の仇である父親の息子。辰伶が夜の森を彷徨ってのたれ死んだところで熒惑は痛くも痒くもない。少し寝覚めが悪いかもというくらいだ。
(……俺のこと「守る」って言われたのはちょっと嬉しかったかなあ…)
やがて辰伶が戻ってきた。手に魚を提げている。
「そこの川に鮎がいた。お腹すいただろう」
「意外・・・」
熒惑は感心した。てっきり何もできないお坊ちゃんだと思ったのだ。まあ、水を操ると言っていたから、魚を捕るくらいできるだろうけど。
「4匹捕まえたから、2匹ずつだ」
「いらない。他人からもらったものは食べないから」
「そう…」
熒惑は袂から小さな焼き栗を取り出して齧った。それを見て、辰伶は焼き上がった鮎を熒惑に差し向けた。
「だから、いらないって…」
「とりかえっこならいいでしょ?」
にっこり笑った辰伶の、眩しいような笑顔につられて、熒惑は辰伶に焼き栗を1個渡して、代わりに鮎を受け取った。
小さな焼き栗1個が、鮎2匹に化けた。熒惑はそう思うことにした。
それから辰伶は、何度も屋敷を抜け出して熒惑に会いに来た。熒惑はよく意地悪をして隠れていた。隠れて、熒惑を真剣に探している辰伶を見ていると気分が良かった。そうして熒惑を探していた辰伶は、ある日迷い込んだ地下牢で鬼の子に会った。
その次の日、辰伶は頬を腫らしていた。頭には包帯が巻かれている。そのありさまを見て、熒惑は隠れるのをやめて辰伶の前に姿を現した。怪我の理由を聞くと、鬼の子に会ったことで、父親に殴り飛ばされて、その時に頭を打ったということだった。
鬼の子に会っただけでこれなら、異母弟である自分と会っていると父親に知れたらどうなるだろう。
(別に俺の知ったことじゃない…けど…)
肩も痛めているからしばらく稽古ができないと辰伶は嘆いた。
「そんなに稽古が好きなの?」
「俺は無明歳刑流本家の長子だから。立派な壬生の戦士にならなきゃいけないから…」
熒惑はゾッとした。もしも自分と辰伶の立場が逆だったら、自分も辰伶のようになっていたのだろうか。理不尽なことで叱責されて殴られても、どこまでも父親に従順な人形に。
違うと否定したい。俺は俺だと熒惑は思いたかった。でも、それならもしも辰伶が熒惑の立場だったら、父親の命令なら仕方ないと抵抗することなく従順に刺客に殺されていただろうか。
違うと、辰伶に否定して欲しい。俺たちは父親の人形じゃないと、辰伶に証明して欲しい。
それきり、熒惑は辰伶の周辺に近寄ることをやめた。次に辰伶と口をきいたのは、2人が五曜星に選ばれてからだった。