辰伶の重箱
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壬生の郷が再建された後も辰伶は多忙だった。むしろ再建されて、新生壬生となってからの方が忙しくなったかもしれない。
郷長には、新しい壬生の象徴としてるるが選ばれた。しかし何しろるるは幼い。四方堂が後見についたが、彼女らはあまり人前に出てこない。祭典などの儀礼の主催を務める立場にあるが、あくまで象徴である。計画進行などの実務で動くのは他の者たちで、事実上の総責任者となってしまうのは必ず辰伶だった。
どうして彼がというと、それは彼が元五曜星で九曜の1人であったからというのが大きいが、元太四老で九曜の1人であった遊庵が気楽に遊んでいるところを鑑みると、責任感の強さの問題だろう。郷の運営で孤軍奮闘している辰伶を、やがて庵曽新が補佐するようになった。
もう1人忙しい人物がいるのだが、それは死の病の研究をしている灯だ。灯の仕事は専門的に過ぎて、誰も手伝えないのだ。
忙しい日々の中、辰伶は亡き師のことを想った。村正が郷を出て行ってしまって、残ったひしぎと2人きりで壬生再臨計画を実行していた吹雪も、こんな気持ちだったのかもしれない。今なら酒でも飲みながら色々愚痴を言ったり聞いたりできそうだ。
(聞いて下さい、吹雪様。壬生の郷はすっかり再建できたというのに、熒惑の奴、ちっとも帰って来ないのですよ。約束したのに…)
熒惑が旅立つ前夜に共にした褥で約束した。必ず帰ると。
「俺は壬生の郷のこと、故郷だなんて思ってない。はっきり言って、ろくな思い出が無いし」
「…そうか」
「あ、でも、辰伶が一生懸命創った壬生なら故郷にしてもいいよ。辰伶が俺の故郷だから、どこへ行っても、約束通り辰伶のところへ帰る」
そう約束して、熒惑は旅立って行った。疲労で起きられなくて、その姿を見送ることはできなかったが、その言葉に支えられて辰伶は懸命に壬生の郷を再建した。熒惑が故郷を失ってしまわないように、熒惑が帰る価値がある壬生を、熒惑を想いながら再建に邁進した。
そして、とっくに再建できたというのに、ちっとも熒惑は帰ってきてくれないのだ。
「…嘘つき」
熒惑の家族にも仲間にもなれなかった辰伶に、熒惑はたった1つのとっておきの位置をくれた。俺がお前の故郷だなんて、まるで恋人のようなことを言っておいて…
「…ん?」
辰伶はハタと気づいた。まるで恋人のようではなく、まごうことなく恋人ではないだろうか。
その考えに至った辰伶は、卒然として立ち上がり、歩き回り、座って、立ってと、すっかり落ち着きを無くしてしまった。
熒惑が旅立って数年後にして、ようやく辰伶は熒惑がくれたとっておきのポジションが『故郷』ではなく『恋人』であったことに気づいた。熒惑と情を交わして(やることやっておいて)から数年も経ってようやくである。
「え?俺が熒惑の恋人?この俺が、あの熒惑の…」
ずっと見つめてきた。絶対に届かない遠い背中だった。ずっと眩しく憧れていた大切な想い人。それが自分の……だなんて、信じられない。
「俺の片想い…じゃなかったのか?」
熒惑の思い出が辰伶の胸中を一気に満たして噴きこぼれた。