狐狗狸さん


 俺とゆんゆんとおだんごの3人は、1枚の紙を囲んでバカっぽい呪文を唱和した。

「光りのエルフ様、闇のエルフ様、黄昏のエルフ様、聖なる泉にお出で下さい」

 唱え終えた瞬間にゆんゆんが吹いた。

「ゆんゆん、笑ってないで早く続き」
「だってよぉ、『聖なる泉』って…『エルフ様』もたいがいだけどよぉ」

 それは同感だ。紙の上部中央に水色の蛍光ペンで描かれた円が『聖なる泉』だなんて、誰が名付けたんだか。

 その円の中に外国のコインを置いて、その上に俺たち3人は人差し指を乗せている。紙には『聖なる泉』を挟んで左右に『Yes』と『No』、それからA〜Zのアルファベットが書かれている。所謂コックリさんだ。巷の中高生の間では『トライエルフ様』とか呼ばれて流行ってるらしいけど、名称や様式が変わってもコックリさんには違いない。過去にもエンゼル様だのキューピット様だの権現様だの、色々パターンがあったけど全部同じだ。それにしても今回のファンタジー被れはセンスが酷い。

「呪文のセンスが酷すぎて、ちょっと無理。おだんご、後は頼むわ」

 おだんごが俺を顔をじっと見上げた。ゆんゆんの頼みを聞いても良いか、俺に可否を尋ねているのだ。俺の識神であるおだんごは俺の言うことしか聞かない。俺は頷いてみせた。

「承知しました。…光と闇と黄昏のトライエルフ様、私たちの質問に答えてくれますか?」

 外国のコインが紙の上をスムーズに動いて『Yes』で止まった。俺は動かしていない。

「ゆんゆん、動かした?」
「いいや、何も力を入れてないぜ」
「おだんごは…そんなことしないね」
「はい」

 おだんごは俺の識神だ。信頼できる。ゆんゆんは、こういうイタズラをやりかねない人だけど、今回に限っては無いだろう。ズルをして困るのはゆんゆん当人だから。

 どうしてこんな下らないことをしているのかといえば、元々はゆんゆんが持ち込んだ話だ。ゆんゆんは建築士で、今手懸けている仕事の関係者から相談されたのだという。ゆんゆんが心霊がらみのトラブルを解決してくれるという噂を聞いてのことらしい。ゆんゆんが優秀な霊能者だというのは本当で、この手の依頼が度々ある。俺も何度か一緒に解決に関わってる。

 依頼はこの『トライエルフ様』についてだ。最近、主に中高生の間で流行っている遊びなのだが、これをやった人たちの間でトラブルが絶えないらしい。トライエルフ様とか言ってるけど、結局はコックリさんの亜種だ。昔からコックリさんに関するトラブルの話は多い。一番多いのはコックリさんが帰ってくれないという奴だ。手順を守らずに途中で終わらせたとか、きちんと終わらせたのに憑りつかれたとか。よくある話だ。

 トラブルは所謂キツネ憑きの症例が多かった。正気をなくしておかしな言動をするあれだけど、ゆんゆんが調べたところ、殆どは心霊現象ではなかった。何しろ精神的に不安定な年頃の人たちのことなので、神経過敏による妄想とか、他人の気を引きたいが為の嘘だとか。それはそれで問題を抱えているのだから、軽視はしないけど、それを治すのは医者やカウンセラーの仕事だ。霊能者のすることじゃない。

 それでも全部がハズレではなく、ゆんゆんが調査した中には少数ではあるが霊障によるキツネ憑きが確かに認められた。それでゆんゆんは俺を訪ねてきて、トライエルフ様を再現しようということになった。トライエルフ様は3人で行う決まりらしい。当初ゆんゆんが考えていたのは、俺とゆんゆんと辰伶の3人だったけど、辰伶が留守だったのでおだんごが代役になった。

「ほたるも動かしてねえよな」
「動かしてないよ。おだんご、何か来てる?」

 識神であるおだんごは人間よりも霊感が優れている。霊力は俺やゆんゆんの方が上だけど。

「来てます。一般的にコックリさんで召喚される低級な霊です」

 ゆんゆんは唸った。アタリだろうか。

「じゃあ、何か適当なことを質問してみてくれ」
「ええと、じゃあ、俺の名前は?」

 コインが動いた。順にH・O・T・A・R・Uに止まって答えを示した。

「合ってるね」
「じゃあ俺は?」

 続けてゆんゆんが質問した。Y・U・A・Nの順に止まった。

「間違ってる。この霊、ポンコツだね、ゆんゆん」
「間違ってねーよ。俺の名前は遊庵だっつーの!」

 おだんごが質問した。

「では、私の名前は何ですか」

 コインは動かなかった。識神のことは解らないのかな。やっぱりポンコツかも。それから俺たちはどうでもいい質問を幾つかしたけど、何も問題が起こることなく、すっかり退屈してしまった。

「これの何が面白くて流行ってるのか解らないなあ」
「思春期真っ只中の中高生の間で流行ってるといえば、恋愛関連に決まってるだろ。結局、恋愛話で盛り上がってるんだよ。ほたるの好きなヤツは誰ですかと、こんな具合だ」
「俺が好きなのは辰伶だよ」
「言っちまったら意味ねえだろ!」

 コインがS・I・N・R・E・Iの順に止まった。うん、意味が無い。

 辰伶は俺の異母兄弟で、日本建築の表主屋と擬洋風建築の奥屋敷からなるこの大きな屋敷の主だ。俺と母さんは表主屋、辰伶は奥屋敷で生活している。理由があって学校に行けなかった彼は、俺と同じ大学に通う為に高卒認定を取得し、今は大学受験の為に予備校へ通っている。

「じゃあ、盛り上がる質問をしてやろうじゃねえか。辰伶はほたるが好きですか」

 コインがノロノロと動きだした。これまでのスムーズな動きとは違う。迷うような、自信が無いような、或は焦らすような動きで「No」に向かって動いていく。

「こいつは嘘つきです!辰伶様はほたる様が好きです!」

 コインにストップが掛かった。おだんごがコインを「Yes」の方へと強引に力を込める。これって、コックリさんではやっちゃいけないことだと思うんだけど。

「ほたる様も協力して下さい。ゆんゆん様も」

 おだんごに言われて俺も力を入れてみたけど、コインはピクリとも動かない。接着剤で貼りつけたみたいだ。

「ほたる様、指ではなく、霊力で動かして下さい」

 そんなこと言われても、どうしたらいいのか解らない。俺は修業とかしてないから、術を行使するにも決まった手順とか踏まないと、やり方がよく解らない。こういう何でもない動作を霊力でできる程、コントロールできてないんだよね。

「俺は抜けるぜ」

 と言って、ゆんゆんがコインから指を放した。色々と出鱈目なことになってきた。

「きちんと終わらせるまで、手を放しちゃいけないんじゃないの?」
「トライエルフ様で異変があったのは、途中で手を放した奴ばかりだったみたいだからな。検証の為に、端から俺は途中で手を放すことを決めてたんだ」
「それって危険だよね」
「まあな」
「そんな面白そうなこと、何で黙ってたの?」
「言ったら、てめえのこった。面白そうだからと指を放したがっただろ。おだんごはおだんごで、お前に危険なことさせられないと、自分が指を放すと言い出すだろうし。3人が我先にと指を放したら収集がつかねえだろ。だから黙ってだんだ」

 言われてみれば、そんな場面がすごく想像できる。

 それにしても、今の状態も収集がつかなくなってる気がする。コインは「No」に持って行きたいトライエルフと、「Yes」に持っていきたいおだんごの間で完全に膠着している。トライエルフとおだんごの霊力が拮抗しているのだ。俺の指はおまけだ。

「このトライエルフは低級霊だって言ったよね。高級識神のおだんごに匹敵するくらい霊力があるものなの?」
「言われてみりゃあ、変だな」

 ゆんゆんも首を傾げる。おだんごが説明した。

「辰伶様に横恋慕している人の想念がほたる様に嫉妬して嫌がらせに加勢しています」
「うわあ、めんどくせえ」

 ゆんゆんが心底うんざりした声で言った。それにしても、辰伶はどこでこんなに想念を集めたんだろう。通ってる予備校かな。辰伶は綺麗だから仕方ない。

 呑気にそんなことを考えている場合じゃなかった。おだんごの姿がだんだん薄くなってきた。

「申し訳ございません。ほたる様、私はこれまでのようです」
「え!まさか霊力切れ!?」

 識神であるおだんごは霊力が切れたら消滅してしまう。消滅しても、また作ればいいと辰伶もゆんゆんもおだんご本人も言うけど、元通り作れるけど、おれはおだんごを消滅させたくない。

「おだんご、もういいから、異界の家に帰れ」

 俺が叫んだのと殆ど同時に、パンッと空気が弾けたような音と、ピコタンという間抜けな音がした。それを機にコインは紙の上を滑って「Yes」の上で止まった。

「おさげ…」

 辰伶の識神にして最強ガードマンであるおさげが、ピコピコハンマーを片手に、仁王立ちしていた。おさげはチラリと横目でおだんごを見ると、懐から山葵を取り出しておだんごに放った。この山葵はおさげの霊力回復アイテムで、おさげ以外の霊的存在もこの山葵で一時的に霊力を増幅させることができる。

 それだけで、おさげは言葉も無く消えた。おさげが守護するのは辰伶だけだから、辰伶の命令無しにこんなことするのは珍しい。おさげにはおだんごも特別なのかも。

「良かったね。異界に帰って、山葵で回復してなよ」
「山葵は辛いです…」

 おだんごも消えた。後には俺とゆんゆんと、あれ、床に何か転がってる。イタチのようなタヌキのような、見たことのない動物だ。これがトライエルフ様の正体か。低級な動物霊は目を見開いて、腰を抜かしているようだ。それをゆんゆんがむんずと捕まえた。

「姿を現したな」

 ゆんゆんの目が赤い。完全に心眼が開いた本気モードだ。

「どうするかなあ。そうだ、喰っちまうか」

 ゆんゆんが凶悪に口を歪めて嗤った。低級動物霊が竦みあがった。きゅーきゅー鳴いて、何だか可哀そうだなあ。俺、動物好きだから。

「解った、今回だけは赦してやる。今後、俺の知り合いに悪戯するんじゃねえぞ」

 そう言ってゆんゆんはトライエルフ様(笑)を放してやった。

「何を取引したの?」
「名前に『庵』の字がある奴は俺の知り合いだから手を出すなと約束させた」

 ゆんゆんは5センチ四方くらいの白い紙に『庵』と書いて折りたたんだ。

「これをお守り袋に入れて持たせれば、霊障でおかしくなっちまった奴も正気に戻る。これで一件落着だ」

 ゆんゆんはニマニマしてる。このお守りをいくらで売りつけるか考えているのだろう。

 余談だけど、異界の屋敷でおだんごは「辛い」と泣きながら山葵を食べていた。可哀そうだから飴をあげて、残りの山葵は俺が食べた。美味しいのになあ。

 それからおだんごと徹夜でゲームで遊んだ。おだんごの霊力はすっかり回復したけど、俺は眠くて大学をサボった。


おわり