雪女


 俺は雪山に来ている。ゆんゆんと。

「はぁ…」
「何でそこで溜息つくんだよ」
「…うるおいが欲しい…」

 シーズン到来。俺とゆんゆんは毎年恒例でスキーに行く。俺にスキーを最初に教えてくれたのは母さんで、上達したのはゆんゆんのおかげ、ううん、ゆんゆんのせいだ。ゆんゆんの無茶に引っ張りまわされて、気づいたら上級者コースにいた。まあ、感謝はしてる。
 今年は12月にしては降雪量が多くて、開放されているコースも多いからスノーボードがしやすくて嬉しい。雪のコンディションも上々。

「何が不満なんだよ」
「辰伶成分不足」
「あー…」

 辰伶は来年度から高校に通うための準備があるからと言って、家で留守番してる。必要な学力はついたらしいけど、円満な社会生活をおくるための一般常識に不安があるって『おだんご』が辰伶に教えてる。辰伶の一般常識はそんなに深刻なレベルなのかなあと思ってちょっと特訓風景をのぞいてみたら、さすがの俺も頭を抱えたくなった。知らない人についていかないとか、知らない人から物をもらってはいけないとか、一般常識というよりは小学生向けの防犯教室だった。箱入りの世間知らずコワッ…

 温室どころか無菌室育ちの辰伶が心配過ぎる。『おだんご』には辰伶のサポートを何よりも優先するよう命令した。そんな訳で、辰伶にかかりきりで『おだんご』もここにはいない。俺の命令だからしょうがないんだけど、ああ、うるおいが欲しいなあ。

「せっかく雪山来たんだからさ、ひとまず辰伶のことは忘れて、別のうるおいを見つけるのもアリなんじゃねえ?」

 そう言ってゆんゆんは俺に周りを見るように促した。知らない女たちが俺たちを見て何かヒソヒソしてる。何なの?

「ベタだけどさ、ゲレンデの出会いってのも悪くねえんじゃねえの?」

 ピンとこない。そんな俺たちに、知らない女たちが声をかけてきた。

「ねえ、すっごいボード上手ぅ。私たちと一緒に滑らない?」
「コツとか教えてよぉ」
「カッコイイ〜」

 ああ、毎回いるんだよね。こういう人たち。教えて欲しいとか言うわりには、すぐに『休憩しよう』とか何とか言って、あんまり滑らないんだよね。時間が勿体ない。

「ゆんゆんよろしく」
「あ、おい」

 せっかくスキー場に来たなら滑らなきゃ。俺はさっさとリフト乗り場へ行った。

 スキー場のゆんゆんは普段の5割増しくらいモテる。ゆんゆんはスキーもスノボも上手いし、人当たりいいし、場を盛り上げるのうまいし、ゴーグルしてるし。

 スキー場の出会いか。俺はめんどくさいからいいや。

 当然のように上級者コース行きのリフトに乗る。リフトで昇っているときのワクワク感が好きだ。周囲の山も遥かに見渡す限り雪景色。不意に背中がざわついた。右の肩越しに背後を見ると、何かがニヤリと嗤って過ぎ去っていった。霊的なものだろうけど、それが何なのか判らなかった。なんだか厭な感じだ。俺は普段よりも慎重に行動することにした。まだ滑り出しで体も温まっていないし、全力は出さずに八割くらいに余裕をもたせて滑り降りた。特に何も起こらなかった。

 いつもだったらとっくに全開で自分の技術の限界を試してるところだけど、何だか気分が乗らなくて、ゆるくスノボを楽しんだ。

「ねえ、独り?一緒に滑らない?」

 声をかけられた。今朝からもう3回目だ。

「君、上級者でしょ。そのテクならもっと面白いコース行けるんじゃない?」

 そう言って促された方向を見る限り、スキー場が管理しているコース外。いわゆるバックカントリーだ。

「いかない」

 バックカントリースキーに興味ないわけじゃない。いつか挑戦したいと思っている。でも、それは今じゃない。俺は素っ気なく断ってその人から離れた。

 そう、今朝からもう3回目だ、バックカントリーに誘われるのは。しかも誘ってきた相手がどんな人物だったか印象があやふやだ。男か女かも思い出せない。絶対に行っちゃダメな奴だ。

 スキー場の管理外の山で滑るバックカントリーは、当たり前だけど危険が多い。スキーというより冬山登山の領域だ。ちゃんとした計画も準備も無しに思い付きでバックカントリーなんて自己責任じゃすまないってことは、俺にだってわかる。そんなのにいきなり誘うなんて、まともな人間であるはずがない。

 その後もおだてられたり、挑発されたり、あの手この手で誘われた。ちょっとその気になった瞬間もあったけど、思いとどまることができた。家で辰伶が待っていると思ったら、どんな誘惑も振り切ることができた。


 夕食後にナイトスキーを予定していた俺たちは一端宿泊所に戻った。宿泊所はスキー場直結で温泉施設もある高級リゾートホテルだ。こんなランクのところを利用するのは初めてだからちょっと圧倒された。ここを手配したのは『おだんご』だ。俺やゆんゆんのバイトの稼ぎでは到底利用できないし、利用しようとも思わないんだけど、辰伶が「夏の事件」の後始末の報酬にって宿泊代を奢ってくれたから。色々と場違い感はあるけど、スキー場直結の便利さは正直に嬉しい。

 高級ホテルらしく、夕食も豪華で美味しかったんだけど、最上階のレストランでフレンチのコースをゆんゆんと2人でって、意味わかんない。

「辰伶も来れば良かったのに」
「そうだな。これまでスキーなんて行けなかっただろうに」
「俺が辰伶にスキーを教えてあげるし、温泉に一緒に入るし、レストランで辰伶の瞳にカンパイするし…」
「…ツッコミどころを迷ったんだが、とりあえず乾杯はジュースにしろよ」

 辰伶とじゃなくても、お肉は美味しかった。スープも、サラダも、名前の知らない料理も。それはそれとして、昼に食べたラーメンも美味しかったなあ。ゆんゆんが食べてたカツカレーも美味しそうだった。スキー場で食べるラーメンとかカレーがすごく美味しいってことを、辰伶にも教えたい。

 夕食後は予定通りナイトスキーを楽しんだ。昼間とは違う顔を見せる夜の山の風景を、俺はリフトから眺めた。その威容にぞくりとした。怖いような。吸い寄せられるような。山に視られてる?

 俺は視線を感じた。

 最初は気のせいだと思った。だって、あんな遠くの山からなんて、点にしか見えない。でも視線はずっと感じていて、その距離も段々近くなっている。もうそのコース外の林の奥から。コース外。昼間に執拗にバックカントリーに誘われたのと何か関係あるのだろうか。

「おい」

 ゆんゆんが声をかけてきた。

「そろそろ戻るぞ」

 ゆんゆんに従った。ゆんゆんが小声で『気づいていないフリしろ』って言った。何だかヤバイモノに目をつけられたかもしれない。

 ホテルに戻ると一気に吹雪になった。この分だと他のスキー客も慌てて戻ってくるだろう。俺たちは混む前に温泉で温まって体を解し、宿泊している部屋に帰った。

「ゆんゆん、さっきの…」
「ああ、結界張ったから、もう話しても大丈夫だぞ」

 話が早くてイイ。

「何か山から視線感じた。最初はすごく遠くだったのがだんだん近くなってきてた」
「うん。かなり近くまで来てたな。うっかり反応すると藪蛇かもと思って、気づかないふりしてやりすごそうかと思ったんだが、完全にターゲットにされたみたいだな」
「なんなの、あれ」
「知らねえ。土着の祖霊神とかだったらちょっと厄介かもな」
「ソレイシン?」
「ざっくり言うと先祖の霊が自然物と習合して神格を得たような感じかなあ」

 それって辰伶を縛っていた無明歳刑流本家の長子の霊の集合体の似たような感じだろうか。俺が何を思ったかゆんゆんには解ったようで、すぐに否定された。

「辰伶の家のあれは呪いだから良くも悪くも人間的で、だからやりようがあるっつーか。今度のは「個」の無い精霊に近いような…」
「妖怪っぽい?」
「まあなあ…よく解らねえ。何の理由で因縁つけられるかわかんねーような相手だから厄介だなあと思ってる」
「強いの?」
「それも解らねえ」
「ゆんゆんにしては消極的だね」
「仮に霊能力で勝てたとしても、人間は冬山に放り出されるだけでも死ぬからな。あんな深い山の中を最低限の装備も無しとかシャレにならねえ」
「でもあっちから近づいてきてるみたいだよね」
「気休め程度にしかならねえかもしれねえけど、今夜は結界張って寝るか」

 なんだか緊張するなあ。でも、ちょっとワクワクしているのも自覚する。台風が接近してるときのあの感じに似てる。何だか眠れそうにない。


 物音で目が覚めた。まだ夜中だ。眠れそうになかったのに、しっかり眠れていた。

 何か物音がしてる。息をつめて音に集中したら、それがこの部屋のドアを叩く音だとわかった。誰だろう。こんな夜更けに。絶対に普通の客じゃない。ノックと、それから何か声も聞こえる。気にはなるんだけど、めんどくさいなあ。ベッドから出たくない。

 あ、窓ガラスもバンバン鳴ってる。風強いなあ。明日、スキーできるかなあ。

 ドアがトントン。窓がバンバン。うるさいなあ。

「この状況をよく無視できるなあ…」
「ゆんゆん起きてたんだ…」
「うるさくて眠れやしねえよ。窓の外のはアレだろうけど、廊下のは何なんだよ」

 窓ガラスは風のせいじゃなかったのか。だったら明日もスキーは大丈夫そうかな。


 翌朝、スキー場が騒がしかった。昨夜から宿泊所に帰っていないスキー客がいるらしい。昨夜の吹雪で遭難したのではないかということだ。

 警察や捜索隊の人でスキー場はどことなく緊張した雰囲気が拭えなかった。そんななかでもゆんゆんがもててた。ゆんゆんと知り合った女性3人と一緒にゲレンデのレストハウスで休憩した。こういうとこの飯を「ゲレ食」とか「ゲレめし」とか言うらしい。ここのスキー場の人気のゲレめしは本格的な石窯で焼いた特製ピザで、ゆんゆんが皆に奢っていた。ゆんゆん絶好調でもててる。

「それで?昨夜廊下で何を見たって?」

 ゆんゆんが1人に聞いた。

「夜中に目が覚めて、ふと気づいたらドアを叩いてる音が聞こえたの。私たちの部屋のドアじゃなくて、他所の部屋なんだけど、ずっと音がやまないから皆を起こして…」
「私たちはそんな音も声も全然聞いてないのよ」

 ゆんゆんが気前よくおごってるから珍しいと思ったら、昨夜の情報収集のためだったのか。

「音と…声も?」
「よく聴いたら『開けてくださーい』って」
「この子、霊感があるらしくて『みちゃう人』だから」

 心配だからと様子を見に行こうとする彼女を、残りの2人は止めたそうだ。それが正解だと思う。オバケじゃないにしても、何か犯罪に巻き込まれたら危険だ。

「だって、子供の声だったから。部屋から閉め出されて困ってるかもと思ったから…」

 そう言われると、放置して何かあったら後味が悪い。しかし独りで行かせて何かあったら危険だからと、あとの2人も一緒に廊下の様子を見に行ったそうだ。

「そしたらね、そこに真っ白な雪ん子ちゃんが」
「ゆきんこちゃん?」

 ゆんゆんが説明してくれた。

「雪ん子ってのは、雪国の民話に出て来る雪の精、もしくは妖怪のことだ。藁帽子をかぶった子供の姿で、雪女の子供だという説もある」
「妖怪がいたの?」

 そうじゃなくて、と目撃女性は言った。

「雪ん子っていうのは雰囲気のこと。真っ白な子供がいたの。髪も着物も全身真っ白」
「それってかなり不気味なんじゃ…」
「それがカワイイの!だから『雪ん子ちゃん』なの!」

 髪も着物も真っ白でカワイイ子供って、あれ、それって…

「声をかけようとしたら、『夜中にうるさくしてごめんなさい』って、礼儀正しく謝って消えちゃったの」
「ゆんゆん、俺、心当たりあるかも…」
「ああ、俺も何だか解った気がする」

 ゆんゆんは女性たちにそれは悪いモノではないと、むしろ座敷童的なもので幸運なことだと適当に誤魔化した。それから昨夜は風の音が激しくなかったか聞いてみた。むしろ静かなくらいで、だから廊下からの音が良く聞こえたそうだ。

 彼女たちと別れて、俺とゆんゆんは答え合わせをすることにした。

「『おだんご』」

 名前を呼ぶと、俺の識神が姿を現した。

「ほたる様、ご無事ですか?」
「昨夜来た?」
「はい。ですが、ゆんゆん様の結界で中に入れなくて」

 だから『開けてくださーい』か。可哀そうなことしちゃったなあ。

 昨夜、『おだんご』は俺に何か不穏な気配が接近しているのを感じて駆けつけてくれたのだ。正確には、感じ取ったのは辰伶だったそうだ。

「辰伶様に言われるまで気づきませんでした。ほたる様の識神なのに、面目ないです」
「気にしなくていいよ。俺と辰伶の間には『兄弟パワー』があるから」

 多分

「ほたる様の様子を見に行くように辰伶様に言われましたが、ほたる様からは辰伶様のサポートを優先するように命令されていましたので動けませんでした。辰伶様が就寝されて、ようやく動けるようになったのですが、ゆんゆん様の結界に阻まれて叶わず…」

 俺に忠実でまじめな識神である『おだんご』は、辰伶のサポート優先という俺の命令に縛られてしまって、辰伶が活動している間は自由に動けなかったのだ。俺が呼び寄せるまで。

「ほたる様のお傍に参れませんでしたことを、辰伶様に報告しましたら、心配された辰伶様が『運転手』を呼び出してこちらに向かわれたので私もご一緒して来たのですが…」

 え?どういうこと?俺のことを心配した辰伶が、『運転手』の識神に車を運転させて、こっちに向かったということか。辰伶のサポートに『おだんご』も同乗してたんだけど、俺がこっちに呼び出しちゃったから…

「今、辰伶が独りでこっちに向かってるってこと?」
「…そうなります」
「……」
「あ、でも、『おさげ』がガードしてるはず…」
「……」

 何だかヤバイ気配がうろついているスキー場に、霊的抵抗力がゼロの辰伶が来るって、とんでもなくヤバイ状態なんじゃないだろうか。しかも、世間知らずの辰伶と人間の常識が通じない『おさげ』のコンビが『おだんご』のサポート無しで…

「い、いざとなれば『水龍』も飛んでくるはず…」
「……」

 ヤバさと危険度がさらにアップした。ゆんゆんも言葉が出ないでいた。

 ずっと屋敷から出られなかった辰伶は、早く自由に外出したいだろうに、ちゃんと危険を自覚してきちんと『おだんご』から社会常識を学ぶような、自分を客観視できる奴だ。決して私的な欲望で軽率な行動はとらない。そんな奴が、俺が危険かもしれないからって…

「辰伶が俺に『デレた』ってこと?」
「『デレ』ですね!」
「主従でボケんじゃねえっ!緊急事態だろっ!」

 ゆんゆんの言う通りだ。照れてる場合じゃない。

「『おだんご』はすぐに辰伶のところに戻って」
「それが、辰伶様の場所がわかりません。霊道の流れが滞って、それが騒がしくて妨害になっています」

 ゆんゆんが『おだんご』に尋ねた。

「それはどこだ」
「あの山の奥です」

 『おだんご』がゆびを指した。俺が視線を感じた山だ。

「霊道が滞った原因は調べられるか?」
「それは可能ですが…」

 『おだんご』が俺の方を見た。俺が許可しないとダメなんだな。もちろん許可をした。


 『おだんご』が霊道を調べに行っている間、俺たちはホテルのロビーで過ごしていた。辰伶は俺たちが宿泊しているホテルを目指して来ているはずだから、行き違いにならないためだ。

 穏やかだった天候が崩れだして、あっという間に吹雪になった。行方不明者の捜索は中断となった。これでは二次遭難してしまう。俺は辰伶が心配になった。この雪ではどこかで足止めされているだろう。ちゃんとした場所に居るといいけど。

 なんだか騒がしくなった。スキー場直結のエントランスの方だ。ゆんゆんが様子を見に行った。

「遭難者が自力で帰還したらしいぜ」
「へえ」

 この雪で絶望視されていたけど、助かって良かった。

「雪女に助けられたってよ」

 雪女って、昔話の雪女?低体温症で幻覚をみたのだったら極限状態だ。よく生還できたな。でも、助けられた?殺されかけたんじゃなく?

 ゆんゆんが聞いた話はこうだった。


 スキー場でコースを外れてしまい戻れずに迷っていると、男女4人のグループに声をかけられた。彼らはバックカントリーでスキーを楽しんでいるグループで、自分の現状を話すと避難小屋に案内してくれたそうだ。

 彼らはもうしばらくスキーを楽しみたいから、帰り道はそれから教えてくれるとのことだった。すぐにでもスキー場に帰りたかったが、助けてもらう立場で我儘は言えないと思って彼らに従った。

 彼らが小屋を出て行ってすぐに吹雪になり、彼らが戻ってくることはなかった。彼らのことが心配ではあったが、すぐに辺りは暗くなり、身動きできずに独りで夜を明かすことになった。食料は無かったが、毛布と燃料がおいてあったので、それで寒さをしのいだ。

 朝になって天候が落ち着いたところで小屋を出ると、彼らが呼んでいる。救助が来たらしい。喜んで彼らの方へ行こうとするのだが、雪で思うように進めない。結構な時間、雪の中を進んだのだが合流できない。しかし救助の声は聞こえている。声のする方へと、必死になって進んでいたところを、強い力で腕を引かれた。

 雪庇で分かりにくかったが、よく見ればそこは川だった。あと一歩踏み出していたら危なかった。ゾッとして正気に戻ると、救助の声などしていなかった。再びゾッとした。

 絶望的な気持ちになっていると、バックカントリースキーの4人グループが現れて手招きした。あからさまに変なのだが、頼れるものなど何もない状況で判断力が低下し、意識がそちらへ向かった。とにかく独りが怖かったのだ。

「そっちではない」

 4人グループがいるのとは反対側、後ろを振り返ると。この場には全くそぐわない和服姿の美人が立っていた。雪風に靡く長い髪。氷のような美貌が厳しい瞳で見下ろしてくる。これは雪女だと直感した。

 雪女なんて物語の中だけで、実際に存在を信じている訳ではない。しかしこんなところでこんな姿でいるのが普通の女であるはずがない。いずれにせよ信用していいものではない。しかし彼は思った。これが本当に雪女だったとして、さきほど腕を引いて助けてくれたのは彼女だったのではないかと。その窮地だって、思い返せばあの4人の誘導によるものだった。

 どちらが敵でどちらが味方なのか。彼は雪女を選んだ。果たして彼は雪女の誘導に従ってスキー場に帰り着くことができたのだ。


 話を聞き終わった俺は1つ気になった。

「昔話の雪女は助けた男に口止めをするよね。その約束を破ると殺されちゃうんじゃなかったっけ。その人、話しちゃって良かったの?」
「別に口止めはされなかったそうだ。それでも話さないのがお約束だとか周りに言われて、そいつちょっとパニックになってる。『雪女に殺されるう』って」

 まあ、殺すつもりなら最初から助けないだろうし、口止めされなかったなら問題ないってことだろう。雪女だというのも思い込みで、相手がそう名乗ったわけじゃないし。本当に雪女だったとしても、昔話の雪女と同一人物じゃないかもしれないし。

 霊道調査に行っていた『おだんご』が帰ってきたけど、ホテルのロビーに辰伶が現れることはなかった。俺は時計を見た。辰伶が何時に家を出たか知らないが、もうホテルに到着しててもいいんじゃないか。

 不安と焦りが俺の内に芽生えたけど、先ずは『おだんご』の報告を聴いた。

「ここの霊道について説明します」

 霊道というのはそのまま霊の通り道だ。何処へ続くのか、何故そこを霊が通っていくのかは諸説あるらしい。

 『おだんご』が調べたところ、あの山の霊道は異界の入り口に続いているそうだ。この辺りで生まれ育った者や、この山で亡くなった人は、この霊道から異界に入ってこの山の主である祖霊神と一体化して精霊のような神のような存在になるのだという。

「ところが祖霊神が異界の入り口で霊の受け入れを拒否していて、それで霊道の流れが滞ってしまっているのです」
「ということはどこにも行けなくなった霊があの山で彷徨ってるってことか」
「まるで仮設の霊場のようになっていました。辰伶様の位置がわからないのはそのせいです」
「そうだ、辰伶!」

 つい大声を出してしまった。

「そんな、霊が彷徨ってるような山に辰伶が近づいたら!」

 俺が駆けだそうとするのを、ゆんゆんが止めた。

「どこへ行く気だ」
「決まってる。辰伶を探しに行く」
「馬鹿やろう!外は吹雪だぞ」

 ゆんゆんに本気で叱責された。分かってる。死にに行くようなものだ。そこまでしても、この吹雪じゃ辰伶を見つけられない。無駄死にだ。

「ほたる様、私が行きます」
「それがいい。こういう時の為の識神だ」

 『おだんご』の言葉にゆんゆんも同意した。そうだ。それが最善で、それしかない。

「このホテルには今から俺が結界張るから、今度は閉め出されないように…」

 ゆんゆんは『おだんご』の掌に何か文字のようなものを書いた。

「これが本当の通行手形ってな」
「……」

 ゆんゆんの冗談が分かりにくくて俺も『おだんご』もリアクションできなかった。ジェネレーションギャップだな。

 ゆんゆんはそこらを散策するような軽さで結界を張りに行った。俺は俺の忠実で有能な識神を信じて送りだした。ゆんゆんたちが行動している間、俺はロビーのラウンジで待っていた。ただ待つのは辛い。辰伶の事を思うと落ち着かない。結界を張り終えたゆんゆんがコーヒーを奢ってくれた。

「さて、時間はあることだし、俺なりに状況を整理してみた」

 ゆんゆんと俺はラウンジのテーブルに向かい合って座った。ゆんゆんもコーヒーをすすりながら自分の考えを確認するように話し出した。

「ここに来てからの怪現象を整理するぞ。最初にてめえが感じた気配、バックカントリーへの執拗な勧誘、遭難者が会った4人グループ……これらは同じモノだな」
「何だか厭な感じがして、何となく慎重にしてた」
「その『何となく慎重に』を自覚なくできるのが、霊的抵抗力の高さだな。大したもんだ」

 俺の霊的抵抗力の高さはゆんゆんのお墨付きだ。ゆんゆんが冒険の相棒に誘ってくれるのも、これがあるからだって言ってた。

「昨夜の窓を叩いてた奴。これは山の祖霊神だな。お前が山から感じた視線も祖霊神だろう。何かお前に頼み事でもあったのかもしれねえな。ああいうのはこっちの事情とかお構いなしだから、関わらないに越したことねえ。ちょっと強めに結界張っといたぜ」
「祖霊神って精霊だか神様だかを阻めるくらいの結界を張れるゆんゆんて、さりげなくすごいね」
「まあな」

 何でもないことのようにゆんゆんは軽く流した。ゆんゆんはどうでもいいことを『すげーだろ』ってしつこく自慢するくせに、俺が本当にすごいと思って心から褒めた時はゼンゼン偉ぶらない。何なの?

「それから、廊下のドアをノックしてたのは結界のせいで部屋に入れなかったお前の識神だって判明してる。つまり俺たちの陣営だ。あとは…」
「雪女」
「雪女は4人組とは対立しているようだな。ところでこの4人組だが、何年か前にこのスキー場に近いバックカントリーで雪崩による事故があった。それに巻き込まれたスキーヤー5人の内4人が行方不明になっている」

 そういえば、何年か前にテレビでそんなニュースを聞いた気がする。このとき救助に向かった捜索隊が二次災害にあって大参事になったんだった。本当に自己責任じゃすまない。

「5人の内の1人は助かったの?」
「調べたところ、救助後に搬送された病院で死亡した。救助された時点で重体だったようだな」

 結局5人全員死亡したんだな。4人の遺体は今でも見つかってないから行方不明扱いだけど、ちょっと生存は考えられない。

「それからこの辺りのスキー場じゃ、1人で滑ってる単独スキーヤーは、仲間を探している4人の霊にバックカントリーに引き込まれて遭難させられるって噂だ。事故があったスキー場にはありがちな怪談話だ」
「怪談ね」

 実際に俺も遭遇したから実話怪談だね。霊的抵抗力が高くなかったら本気でヤバかったんだなあ。

「つまり、霊道が滞って山を彷徨ってる霊っていうのがこの4人組だ」
「ああ」
「雪女はそれを快く思っていない存在のようだ。俺は祖霊神の眷属じゃないかと考えている」

 ああ、霊が彷徨って山を騒がしくするから、それを山の主たちが嫌って…あれ?

「それって、祖霊神が異界の入り口で霊の受け入れを拒否しているからでしょ。だったら祖霊神が霊を受け入れれば解決じゃない」
「そのあたりが謎だな。受け入れられない事情があるのか。祖霊神がお前に頼みたいこともそれに関係あるかもしれねえな」
「何で俺?」
「お前が霊の誘いを拒否できてたからじゃね?」

 それだけの理由だとしたら、俺が解決できるという確たるものはないわけだ。そんな厄介事、引き受けるはめにならなくて良かった。

「霊的抵抗力が高いから俺は霊の誘いを拒否することができたんだよね。もし、だよ。もし抵抗力の無い辰伶だったら…」

 その時ホテルが大きく振動した。地震にしては変な揺れだった。後で知ったけど、揺れたのはこの階だけだったらしい。音と同時に『おだんご』が転がり落ちてきた。

「ほたる様、祖霊神から言伝です。『祖霊の一部が新たな霊との一体化に拒絶反応を起こしている。このままでは異界に受け入れられないから何とかして欲しい。お前の身内の安全は保証するから心配いらない』とのことです」

 何とかしろって、何すればいいの。俺の身内?この場合、母さんのことじゃない。辰伶の安全は保証するって、つまり俺が頼みを断ったら辰伶に危害を加えるってことで、そんなの人質でしょ。本当にろくでもない。

 ゆんゆんは少し考え込んで『おだんご』に尋ねた。

「祖霊神とコンタクトはとれるか?」
「できます」
「問題解決に辰伶の力が必要だから返せと交渉することは」
「できます。ほたる様、命令を」
「ゆんゆんの言った通りにして」

 『おだんご』が消えた。交渉に行ったのだ。よく働くなあ。これが上手くいけば解決のはずなんだけど、何か見落としてる気がする。

 一瞬、静寂が走った。直後にロビーの窓ガラスに風が強烈にぶち当たった。大きな音がしてガラスがビリビリ震えた。反射的に音の方を見たら、真珠色の竜が窓ガラスをすり抜けて突入してきた。竜の頭に『おさげ』が乗っている。

「げ。こいつら俺の結界を強行突破しやがった」

 水龍と『おさげ』。辰伶の凶悪なガーディアンズがゆんゆんの結界を強引にぶち破って入って来た。ゆんゆんの結界が台無しだ。水龍の姿にロビーはパニックになった。集団幻覚で誤魔化せるかな。スマホで撮ってる人がいるけど、写らないから放っておこう。

 『おさげ』は小脇にぐったりした『おだんご』を抱えている。

「電池切れ」

 『おさげ』はそう言って『おだんご』を俺に寄越した。霊力が切れかかっていた。

 識神は術者との契約により、様々な方法で霊力を回復する。それをしないと、識神は消滅、或は術者の制御を受け付けなくなる。『おだんご』は消滅寸前だった。考えてみれば、『おだんご』は霊力を回復する間もなく働きづめだった。『おだんご』は俺と一緒に遊ぶことで霊力を回復する。だから俺と一緒にいる時はいつも自動的にほぼ満タンなのだが、このスキー旅行中は俺と離れて『おだんご』は辰伶のサポートをしていた。昨夜はゆんゆんの結界に阻まれて会えなかった。今朝も会ってすぐに霊道調査に出かけ、続けざまに祖霊神との交渉に行かせてしまった。

「ほたる様、交渉成立です。ホテルの前まで辰伶様が来ています。迎えに行って下さい」
「よくやったね。ゆっくり休んで回復しな」

 『おだんご』が消えた。消滅したんじゃない。姿を消して休息してるんだ。帰ったらたくさん遊んであげよう。

 早く辰伶を迎えにいかなきゃ。でもその前に水龍を何とかしないと。俺は『おさげ』に言った。

「水龍の姿を隠してくれない?」
「なんで?」
「ええと、後で辰伶が困るから」

 『おさげ』は水龍を小さくして袂に入らせた。『おさげ』は辰伶の識神だから辰伶の命令しかきかない。でもこの識神は辰伶が大好きだから、辰伶の為って上手く説得すれば動かすことができる…って『おだんご』が言ってた。

 俺とゆんゆんが辰伶を迎えにいくのに『おさげ』もついてきた。

 ホテルの正面玄関前。吹雪はやんでいる。車寄せで停止した車から辰伶が降りてきた。白い角袖コートの中は普段彼が着ている藍染の着物だ。

「辰伶、スキー場にまで着物なんだね」
「洋服を持っていないんだ」
「なんで?」
「洋服に縁がなかったから」

 そうか。家から出ることのなかった辰伶は洋服を買うことがなかったんだ。成長して体格が変っても着物なら調整できてしまう。仕立て屋を呼びつけてわざわざ採寸して洋服を作ったとして、それを着て行くところなんてない。好み云々よりも、結果としての着物姿だったんだ。

「辰伶、今日は髪を結んでないんだね」
「そんなはずは……おや、いつの間に解けたんだ。紐がない」

 辰伶は己の肩先にかかる髪を邪魔ものを払いのけるように背中へ梳き下した。艶やかな銀色の髪が辰伶の動きに従って流れるように煌めく。そんな仕草に、俺はハッと息をのんだ。

「さてと、問題解決するぞ」

 ゆんゆんがヨシッと気合いを入れる。え、本当に解決するの。祖霊神を騙して辰伶を取り戻したらさっさと逃げるものだと、てっきり思ってた。

「そのつもりだったんだけどな。これは逃げられねえな」
「そうなの?」
「質を取られたな。約束を果たさなかったときには呪いがかかるように、辰伶の持ち物を預かられちまった」

 辰伶の髪結い紐は祖霊神が預かってて、俺たちが約束を違えたら、辰伶に呪いがかかるってことか。キョトンとしている辰伶にゆんゆんがことの次第を順を追って説明した。話を聞いた辰伶は真剣な面持ちで言った。

「一緒に車に乗っていた『おだんご』が消えた後は、吹雪の中を延々と車で走り続けた記憶しかない。ホテルまでの距離を考えると時間が掛かり過ぎだ。感覚を狂わされたか…」

 祖霊神に捕らわれていたと思われる間の辰伶の主観では、吹雪の中を車で走り続けていたそうだ。車ごと異世界にでも捕らわれていたんだろうか。

「何かに憑依されてその間の記憶がないのかもしれねえな」

 ゆんゆんがそう言うと、辰伶は忌々しそうに眉間に皺を寄せた。自身以外の何かに身体を乗っ取られて好き勝手されるなんて、辰伶には屈辱なのだと思う。

「その間、『おさげ』はどうしてたの?」

 『おさげ』に注目が集まる。『おさげ』は無言で首をかしげた。代わりに辰伶が答えた。

「俺が何かに憑かれて正気でなかったとしたら、その間は『おさげ』は行動不能だったはずだ。実体化できていたかも怪しい」

 辰伶の識神『おさげ』は無類の強さだけど、こんな弱点があったなんて。以前に『おだんご』が教えてくれたことを思いだした。『おさげ』は生まれたてで識神としては未熟だから、辰伶の精神状態が強く影響してしまう。これは『おさげ』と深い繋がりのある水龍も同じで、ひとつ間違えば大暴走に繋がる恐れもある。って、弱点が弱点になってなくない?

 状況を整理するとこうだ。
 『おだんご』の交渉によって辰伶が解放される。
 『おさげ』が実体化する。
 『おだんご』の霊力が底をつく。
 『おさげ』が水龍を呼んで『おだんご』を俺たちのもとへ運ぶ。
 『おだんご』がリタイヤ。
 辰伶がホテルに到着。
 今ココ。

「では、行くぞ」

 辰伶はそう言ってスタスタと歩き出した。

「え、どこに行くの?」
「…………」

 歩みを止めた辰伶はしばしの無言の後に振り返った。

「どこに行けばいいんだ?」

 何も解ってないのに、どうして主導で動くかな。ゆんゆんが「そうさなあ…」と、そこに地図でもあるかのように天井を仰いで考えを巡らした。

「あの山がよく見えるところがいいな。術とか使うから、外野に邪魔される心配がない、人気の少ないところとかねえかな」
「それなら客室のバルコニーはどうだ?」

 ゆんゆんが言う条件に合う場所を、辰伶が提案した。客室にバルコニーなんてあったっけ。

 辰伶はホテルのフロントに行ってホテルマンと何やら話を始めた。ああ、チェックインするのか。やがて辰伶が俺たちを手招きした。ホテルマンに案内されて、俺たちはゾロゾロと連れ立ってエレベーターに乗った。音もなく上昇したエレベーターは途中で止まることなく最上階についた。

「ここって…」
「ペントハウスだ。ここならバルコニーがあるし、誰にも邪魔されない」

 最上階の高級住戸だ。俺とゆんゆんが宿泊している部屋も結構上の階で良い部屋だったけど、レベルが全然違う。

「俺が来ることになったのが急だったから、満室でここしか空いてなかったんだ。まあ、ここは一般客向けではなくて、ホテルのオーナー専用なのだが」
「オーナーと知り合いなの?」
「俺個人では面識が無いが、家の繋がりがあるから。その伝手だ」

 そんな都合よく…と思ったけど、そういえばこのホテルを宿泊所に手配したのは『おだんご』だった。元は辰伶の家の管理を全て任されていた識神だ。何かやったんだな。

 辰伶と『おだんご』を足して2で割るとちょうど良さそう。

 ペントハウスのルーフバルコニーに出た。遮るものがなく、雪で煙った山が良く見える。

「どうするの?」

 ゆんゆんに聞いた。

「祖霊の一部が新たな霊との一体化に拒絶反応を起こしているのが問題なんだよな」
「うん。でも、それってつまりはどういうことなの?」
「だろう。意味不明だろう。その中身が解らないから解決策も浮かばねえ。それを知るために…」

 ゆんゆんが威容に聳える雪山を指した。

「あの山で彷徨ってる霊を辰伶に降ろす」
「降ろす?」
「憑依させる」
「!」

 『おさげ』が怒りのオーラを纏ってゆんゆんに襲い掛かった。

「殺す!」
「だめだ!」

 寸での所で辰伶がストップをかけた。ピタリと『おさげ』がとまる。

「あ、あぶねえ…」

 ゆんゆんは冷や汗をかいていた。辰伶が大好きな『おさげ』は辰伶の体に得体のしれない霊が入り込むのが嫌なのだろう。俺も嫌な気分だ。

「霊感が強くて霊的抵抗力が低い奴は降霊しやすいんだよ。霊能者で口寄せとか神降ろしとかあるだろ。辰伶は特に血筋もいいし俗世の垢もないから、器として適性がある。修業次第で神だって降ろせる」
「危険はないの?」
「危険…は、ある」

 再び『おさげ』がゆんゆんに襲い掛かろうとするのを、辰伶が後ろから抱き止めている。ゆんゆんが弁明する。

「だから、そこは俺の術でガードするから!」

 ゆんゆんは辰伶に護符を渡した。

「それを身に付けていれば、霊に憑依されても意識を失うことはない。それから肉体への影響(つまり霊障)を抑える効果もある」

 抑えるということは、完全に防ぐものではないということでしょ。そこのところを確認すると、霊障を抑える効果は辰伶の精神次第らしい。

「それなら問題ない」

 即座に辰伶が自信に満ちた声で答えた。

「ケイコクがいるから」

 その言葉に胸が高鳴る。恋愛ドラマみたい。

「兄弟パワーで共に戦おう!」

 とたんに冷めた。何、このノリ。少年漫画?

 ともかく、辰伶が俺のことを心の支えと思ってくれているのは悪い気はしない。俺たちは始めることにした。

 ゆんゆんの護符を懐にしまった辰伶は、ゆんゆんの指示にしたがって雪山を望んだ。隣に『おさげ』が並んで、心配そうに辰伶を見上げている。ゆんゆんが呪文を唱えると、それに呼応するように雪が降りだした。

 それはいきなり来た。空気が変った。気のせいじゃない。『おさげ』が臨戦態勢になっている。辰伶に何かが憑いたのだろう。しかし辰伶は落ち着いていた。静かに瞳を閉じる。

「辰伶に降りてきてるお前は何だ」

 ゆんゆんの問いかけに辰伶の口が答える。

「私は祖霊。この地に生まれ、この地に生き、この地に眠った命」
「祖霊神とは違うのか?」
「祖霊神は祖霊の集合体。私は祖霊神の一部」

 これでは祖霊神は一体に融合してなくて、ただ集まってるだけみたいだ。だったらそんなに脅威じゃなくない?そんなはずはない。俺は確かに畏れを感じたのだ。大自然が備える威厳に対して粛然となったのだ。ゆんゆんが更に問いかける。

「いずれ祖霊神となるべき祖霊の1人ということでいいか?」

 辰伶が頷いた。何となく分かってきた。ここには融合して祖霊神となったものと、完全に融合してない祖霊と、彷徨っている霊がいるんだ。そこが分かったら『祖霊の一部が新たな霊との一体化に拒絶』しているの意味が理解できた。ここで彷徨っている霊を祖霊として迎えたくない祖霊がいるということだ。ゆんゆんも俺と同じ結論に達して言った。

「ここには4人組の彷徨っている霊がいるよな。受け入れたくないというのは、それらのことか?」
「そうだ」

 辰伶の顔が厳しくなった。

「奴らのせいで私の子孫は絶えたのだ」

 辰伶に降りている祖霊が言うには、こうだった。彼らはスキー客で、このスキー場から管理区域外いわゆるバックカントリーに出て、スキーを楽しんでいて雪崩にあった。彼らの救助に向かった捜索隊が、再びおきた雪崩にのまれて死者が出た。その中にこの祖霊の子孫がいたのだ。

「奴らが無謀な行いをしなければ…」

 ふいに辰伶の顔つきが変わった。

「それでも彼らとてこの山域で死したもの。雪崩も神の領域。天命と同じと思えぬか」
「思えるものか!」
「彼らをこのまま彷徨わせては、迷わされた被害者が増える」
「それも腹立たしいことだ」

 辰伶が1人で会話している。顔つきと語調が少しずつ異なって忙しない。

「思ったより辰伶の降霊能力すげえな。同時に複数の霊が降りてきてる。…ヤベエな」

 ゆんゆんが最後にぽそりと呟いた言葉を、俺は聞き逃さなかった。辰伶の顔色がどんどん悪くなってきている。思わず辰伶の手を取った。氷のように冷たい。

「辰伶!」

 俺は辰伶の体を掻き抱いて、俺の霊力を注ぎ込んだ。辰伶に憑依しているもの全てを力ずくで追い出してやる。

「辰伶、俺の名を呼んで。俺のあの名前を」
「……熒惑…」

 辰伶の震える唇が俺の名前を呼んだ。辰伶だ。俺だけの辰伶が腕の中に居る。顔を覗き込むようにして唇を重ねる。冷たい。重ねた唇から生命の息吹を分け与えてやる。そうする必要があったかどうか知らない。俺がそうしたかった。

 辰伶の頬に血の気が戻った。辰伶を室内に戻らせて休養させた。辰伶はソファに深くもたれたまま『おさげ』に命令した。

「ケイコクと行け」

 『おさげ』がイヤイヤと首を振った。

「辰伶を守る」

 そう言って辰伶の傍らを離れようとしない。辰伶を狙う霊的なものから守ろうとしてるんだと思うけど、気のせいかな、俺もその対象として睨んでるみたいなんだけど。

「熒惑と行け」

 辰伶が強く言った。『おさげ』の眼差しが変化した。心なしか大人のようだ。

「俺に憑いた祖霊たちから色々と情報を得ることができた。『おさげ』に案内させるから、そこに行ってくれないか」
「そこってどこ?何すればいいの?」
「行けば、あとはゆんゆん様が…」

 ゆんゆんが何とかしてくれる。シリアスな場面なんだけど、辰伶の『ゆんゆん』呼びで内心笑った。

 俺とゆんゆんはスキーウェアを着用し、ボードを持って『おさげ』に続いた。『おさげ』は藁帽子に藁靴とかんじきの雪ん子スタイル。たしか売店に雪ん子のマスコットが売ってたから『おだんご』にお土産に買っていってあげよう。

 吹雪もやんでいて、スキー場は再び賑わいだしていた。リフトも動いている。俺たちは上級者コースへ上り、先導する『おさげ』を追って滑った。管理区域外へ躊躇なく入って行く。人工的な物は何もない大自然の中。バックカントリーのパウダースノウを散らして『おさげ』は滑るように飛ぶ。その前方に4人のスキーヤーの亡霊が見えた。『おさげ』はあれを追っているのだ。

「俺と同じところを通って」

 『おさげ』の声が聞こえた。霊聴というのだろうか。イヤホンで聞くように耳元ではっきり聞こえた。『おさげ』は4人の亡霊をそのまま追っているようでいて、ルートは全然違っていた。危険個所を避けて安全なルートを俺たちに教えているのだ。4人の亡霊が通ったところをそのままなぞって滑ったら、多分命がないだろう。テクニックを駆使して木立をすり抜け、小山を越える。楽しいし、気持ちがいいけど、油断はできない。ていうか、雪山で行動する為の装備を持ってない現状では少しでも何かあったら遭難待った無しだ。こんなところで止まったら冗談じゃなしに死ぬ。『おさげ』についていけなくなったら死ぬ。リアルに死ぬ。

 『おさげ』が止まった。俺たちもそこで止まる。変な音がした。後方の山を見上げると雪煙が見える。あれは雪崩?このままだと俺たち直撃じゃない?え?死ぬの?

「動いちゃだめ」

 『おさげ』を信じて俺たちは動かなかった。一瞬後に俺たちは雪煙に巻かれた。視界が戻ると、雪崩は俺たちを飲みこむ手前で左右に分かれ、俺たち以外の全てが押し流されていた。

「ここか?」

 ゆんゆんが『おさげ』に聞くと、『おさげ』はキョロキョロと周囲を見回し、うーんと考え込んだ。袂から水龍を出すと、瞬く間に大きくなったそれに『おさげ』は乗っていた。水龍は空に飛び上がり、頭から雪に突っ込む。そして雪の中から雪を吹き飛ばして出てきた。

 水龍によって大きく抉れた雪穴を覗き込み、ゆんゆんは唸った。

「見ろよ」

 穴の底に古そうな白骨が見えた。ぼろぼろの衣服らしきものの見える。あれは4人の内の誰かの遺体だろう。

「ええと、供養とかすればいいの?」

 ゆんゆんは難しい顔をした。

「それで済むなら今回みたいなことにはならねえ」

 彼らの受け入れを拒否している祖霊がいるから、彼らの霊は彷徨っているわけで。供養しようにも受け入れ先が無いのだ。

「他の受け入れ先とか無いの?」
「他の…」

 ゆんゆんがニヤリと笑った。『おさげ』に質問する。

「遺体を全部回収することはできるか?」

 『おさげ』がこくりと頷いた。人差し指を立てて穴の底を指す。指の先が光った。やがて指の向きを穴の底から上方へ引き上げる。『おさげ』の指から発する光の先にボロを纏った骸骨が浮かんでいた。穴から引き揚げられた遺体は自ら歩いて『おさげ』に付き従った。『おさげ』の霊力で動かしているのだ。

「次行くよ」

 後3回同じようにして、4人の遺体を回収し終えた。雪ん子の後ろを骸骨がゾロゾロと歩く光景は悪い夢のようだ。俺はゆんゆんに尋ねた。

「で、どうするの?」
「他所の山域に移動させる。春になれば雪が解けて発見されるだろう。そうすれば遺族が引き取って供養するさ」

 土に還る場所が変れば、この山域の祖霊にならないんじゃないかというのがゆんゆんの理屈だ。拒絶する対象がなくなれば霊道も元通りになるだろう。

 それでいいのかなと思ったら、風が吹いて何かが落ちてきた。俺の掌が受け止めたそれは辰伶の髪を結っている紐だった。


 遺体は水龍が何処かの山に移動させて、俺たちは『おさげ』の導きで元のスキー場のコースに戻ることができた。安全に楽しめるスキー場っていいなあ。でもバックカントリーの面白さも知ってしまったから、今度はしっかり準備と計画して挑戦したい。

 ホテルのスキー場直結エントランスで辰伶が待っていた。顔色はすっかり良くなっている。そうだ、服装とか道具を揃えれば、辰伶もスキーができるんじゃ。『おだんご』の霊力が戻ったら準備させよう。

 すぐに提案しようと辰伶の傍に行ったところで、誰かが叫んだ。

「うわあ、雪女だあ」

 4人の亡霊に遭難させられて雪女に救われた人だ。辰伶を見て恐怖に震えている。

「しゃべったから、雪女が俺を殺しに来たんだあ」

 走って逃げて行ってしまった。ああ、と、辰伶が言った。

「少し思い出した。『おだんご』が車内から消えた後、あの山が近くなったところで何かに憑かれ気がする。俺に憑いたものは、雪山で迷っていた者を導いて助けていたのを、おぼろげながら覚えている」

 あらためて辰伶の出で立ちを見る。白い和装の角袖コート。背中を流れる艶やかな長い髪。冷たくも見える美貌。吹雪に長い髪を靡かせた辰伶は雪の精のように綺麗だっただろう。

 助けてやったのに、化け物呼ばわりするなんてと、辰伶は不機嫌になった。俺は祖霊神に返された紐で辰伶の髪を結んだ。正面から辰伶の首の後ろに手を回して結んだから、顔が近くなって、この唇に触れたことを思い出して、ちょっと照れくさくなった。辰伶の頬も赤くなった。

 人命救助のご褒美に、辰伶にはスキー場の美味しいラーメンを奢ってあげよう。


おわり