動物園
12月も半ばを過ぎて世間はすっかり年末ムードだ。無明歳刑流本家に居を移した母さんはすっかり健康になって、無理のない範囲でアルバイトやボランティア活動などに勤しんでいる。
24日はボランティア仲間の忘年会だそうだ。晩飯は俺と辰伶の2人だけになる。辰伶は、もちろんクリスマスは知っているだろうけど、クリスマスパーティーなんてしたことがないんじゃないかと思って、辰伶の希望を聞いていみた。辰伶はクリスマスパーティーよりも、やってみたいことがあると言った。
「餅つき」
は?
「餅つきがしたい」
「え? 何で餅つき?」
「楽しそうだから」
あー・・・何か目をキラキラさせてる。いいよ。餅つきでも何でもしてやるよ。
母さんの助言で、餅つきは30日に行うことになった。昔から正月飾りは28日か30日に準備するのだとか。辰伶は、俺の母さんの言うことは素直に聞く。聞きすぎる。少し前まで、辰伶は婚活に取りつかれていた。それというのも母さんが辰伶に、誰か良い相手を見つけて結婚すれば家族なんて今からでも幾らでもできるなんて言ったからだ。
辰伶は第一の目標である高卒認定試験に合格した。春から予備校に通う予定で、そんな時期なのだから、今は受験勉強に集中した方がいいと思う。結婚相手なんて、大学に入ってから捜したって全然遅くない。
自分でも理由は解らないけど、俺は辰伶が婚活してるとイライラした。呑気にしてるけど、俺の通ってる大学を見縊らないで欲しい。大学受験はそんなに甘くないよ。
俺が嫌味混じりにしつこく言ったせいか、辰伶はひとまず婚活をストップした。辰伶が結婚できなかったら、俺が家族としてずっと一緒にいてやるよ。
「辰伶」
突然おさげが現れて、辰伶に櫛を差し向けた。髪がぐしゃぐしゃに乱れてるじゃないか。辰伶は櫛を受け取り、おさげを背もたれの無い椅子に座らせた。その後ろに立つ。
髪が乱れてる理由を問い質すことも無く、辰伶は慣れた手つきでおさげの髪を解いて、丁寧にくしけずり、綺麗に編み直した。時間はかからなかった。おさげは出来上がりを手鏡で確認すると、満足そうに頷いて、辰伶から櫛を回収して去って行った。何だったんだ。
で、依然としてクリスマスの予定は空白なんだけど、何もしなくていいなら何もしないけど。
「サンタクロースがしたい」
「は?」
ミニスカサンタコスの辰伶を想像した。
「プレゼントでおさげを驚かせたい」
ああ、だからサンタクロースね。おさげが寝てる間に靴下の中にこっそりとプレゼントを入れるとか、そんなことがしたいのか。何だか想像しにくいんだけど、そんなことができるのかなあ。おだんごに聞いてみた。
「識神に気づかれずにこっそりプレゼントを置くことは不可能です」
やっぱりなあ。識神にサプライズって無理があるよね。俺だっておだんごに気づかれずに何かできる気がしない。
「サプライズが無理なら直接聞くけど、クリスマスプレゼントは何が欲しい?」
「おさげが、ですか?」
「何で俺が辰伶の識神にプレゼントするんだよ。俺の識神はお前でしょ。お前が欲しい物だよ」
「頂けるんですか!」
驚きと、それから凄く嬉しそうな顔。何だ、識神だって驚かせることは可能じゃないか。やり様だよね。
「メガテンが欲しいです。あ、でも、桃電の方が皆で遊べるかも…」
「両方買って一緒に遊ぼう。大きな靴下を用意して待っててね」
「ハイ!」
お正月は皆で桃電だな。こういうゲームでも、辰伶が強いのかなあ。
24日の予定は置いておいて、今日は識神へのクリスマスプレゼントを買いに行くことになった。 識神への内緒のプレゼント(俺は内緒じゃないけど)だから、俺と辰伶の2人きりだ。
「……」
せっかくだから、動物園にも行こう。前から辰伶を誘いたかったんだよね。
辰伶の要望もあって、無明歳刑流本家の屋敷に俺たち母子が住むことにはなった。俺たちは日本建築部分である表主屋に、辰伶は擬洋風建築である奥屋敷に、それぞれ生活空間を分けて暮らしている。これは辰伶が決めたことだ。この方が、俺たちには気楽に過ごせるだろうからと。
家主が遠慮してどうするんだよ。
辰伶は俺たちに気を使ってか、奥屋敷から余り出てこない。一緒に暮らす家族を欲しがってたくせに、これじゃあ意味がないでしょ。
ある夜中のこと、寝ていた俺をおさげが起こした。全く何も把握できないままに、こっちこっちとひっぱられて連れて行かれたのは、辰伶の寝室だった。鍵はかかっていない。その中へ俺は、おさげによってかなり強引に押し込まれた。
室内では辰伶がベッドで眠って…いなかった。横になってはいたが、目は閉じていなかった。この騒ぎで起きてしまったわけでもなく、元から眠れていなかったようだ。
「眠れないの?」
辰伶は身を起こしてベッドの縁に座った。その隣へ、俺も座った。
「俺は……本当にまだ人間だろうか。人間の社会に入っていってもいいのだろうか」
そんなことを辰伶は眠れないくらい悩んでいたなんて。おさげが俺を連れてきたのは、辰伶を安心させろってことなんだろうなあ。だけど、俺の言葉で辰伶が納得するかなあ。俺は視えすぎて、人間とそうでないモノとの区別がつかないんだよね。そんなことは辰伶も知ってるから、その俺が「お前は間違いなく人間だよ」とか言ってもなあ。
「いいじゃない、人間じゃなくても。人間社会でもどこでも飛び込んでみればいい。何か悩むならそれかにしたら?」
「……」
「だいたいさ、人間社会の中にこそ幽霊の目撃場所や怪談スポットが山ほどあるじゃない。人外だって人間の社会の構成員みたいなものだよ。何を遠慮することがあるの?」
辰伶が笑った。こいつ、本当に綺麗だな。
あれ? 何だか辰伶の顔がどんどん近く…って、俺の方が近づいてるのか。
「ダメ!」
おさげに後頭部の髪を引っ張られた。痛いってば。ハゲたらどうするんだよ。
「終わり!解散!さっさと帰れ!」
今度は強引に辰伶の寝室から追い出されて鍵を掛けられた。何なんだよ、もう。そこへおだんごが現れた。
「ほたる様、引いてはいけません。ここは押すところです!」
ドアの鍵が開く音がした。
「かつてこの家の管理全般を預かっていた私に、この家で開けられない扉はありません」
すごいなあ。でも、俺にどうしろと?本当に俺は何すればいいの?
おさげが現れた。
「鍵なんか関係ないよ。この扉は俺が封印した」
「封印なんて、お前を倒せば解ける」
「できるの?俺はお前よりも強いよ」
「ほたる様の幸せの為なら、誰にも負けない!」
おだんごとおさげは取っ組み合いの喧嘩を始めた。一応、おだんごの名誉の為に言っておくけど、取っ組み合いの喧嘩に持ち込んだことが凄い。本来なら、おだんごとおさげの能力差ではおさげの圧勝、瞬殺だ。ところがおだんごはおさげの先手を打つような形でおさげの力を封じてしまった。おさげはろくに霊力を発揮することはできず、取っ組み合いをするしかなくなってしまったのだ。経験の差だね。識神同士の戦いにおいては、おだんごに一日の長があったのだ。
「さあ、ほたる様、今なら扉は開きます。私がこいつを抑えている内に!」
抑えてる内に何をすればいいの?
「どうぞ本懐を遂げて下さい!」
「ダメ!辰伶は俺が守る!」
「辰伶様だって望んでます!」
「望んでるわけないし!」
本当にもう訳が解らない。俺はおさげからおだんごを引き離して下がらせた。部屋に帰って、今度こそ朝まで眠った。
そんなことがあった夜から、俺は辰伶を何処か人が大勢いる場所へ連れ出したいと思っていた。独りが寂しいくせに、社会と繋がることを畏れるなんてバカみたい。バカみたいじゃなくて…うん、哀しい気がする。辰伶は明るい世界で堂々と生きればいいんだよ。その方が似合うと思う。
そういうわけで動物園に誘った。楽しんでくれるといいなあ。
「ほたるは動物が好きなのか?」
辰伶にそう聞かれた。そう言われるとそうだなあ。結構、好きかも。母さんも動物好きだ。動物が好きだから、動物病院でアルバイトしてるし、動物の殺処分ゼロを目指すボランティア活動に参加している。
「1番好きな動物は?」
「割と何でも好きだけど、1番っていうと……えーと、ジャイアントパンダかなあ。のんびり笹を食べてて温厚そうに見えるけど、実は気性の荒い危険な動物っていうギャップがいい」
今日行く動物園にはジャイアントパンダはいないけど。
「ウサギもイイよね。ライオンはウサギを狩るにも全力を尽くすって言うじゃない」
「ああ」
「あのライオンが全力出さないと倒せないんだよ。ウサギってすごいよね」
「あ? ああ、いや、それはそういう意味ではないと思うが…」
動物園に着いた。ゾウ、キリン、シマウマ、ライオン…いいなあ、アフリカ行きたい。辰伶も一緒に行けるといいなあ。
辰伶はライオンが気に入ったようだ。たてがみがモッサリ…じゃなくてフサフサしてカッコイイのがイイらしい。
他の動物園と比べて際立って珍しい動物がいるわけじゃないけど、俺はこの動物園が好きだ。それぞれの動物に対して広い放飼場が設けられていて、動物が元気そうだ。動物園自体が広いので、子供が歩くのにはちょっと疲れるかもしれない。猿山の前のベンチに独り座っている子供がいる。でも、近くに親らしい人がいない。通行人は誰も気に留めない。あれ、このパターンって…
「辰伶、あそこに子供がいる?」
「いるな」
「生きてる?」
「……」
俺は生きてる人間と幽霊の区別がつかない。いつもゆんゆんから霊感が雑だって言われる。
「すまん。俺にも解らん」
そう言えば、辰伶も俺と同じで雑だった。
「しまった、目が合った。ほたる、行くぞ」
辰伶は慌ててその場を立ち去ろうとした。辰伶は幽霊に憑かれやすいから、あまり関わりたくないのだろう。幽霊じゃなくて人間だったとしても、うっかり子供なんかに声かけして「事案」とか言われて警察呼ばれるのは嫌だから、関わらないことに俺も賛成だ。
展望レストランで昼飯にした。辰伶は初めて食べるハンバーガーに感動していた。テレビやネットで見たことしかなかったそうだ。オニオンリングも美味しいよ。
「……」
「……」
俺も辰伶も努めて自然に振る舞っていたけど無視しきれない。さっきの子供が辰伶の後ろにいて、辰伶を見詰めている。やっぱり幽霊か。これが人間の子供だったら俺たち、お腹を空かせた子供を無視して自分達だけ食事してる酷い奴らに見えてるよね。根負けしたのは辰伶だった。
「成仏したいなら他を当たってくれ」
俺も辰伶も修業したわけじゃないから、そういうことはあまり得意じゃない。
「余りしつこいと水龍に食わせるぞ」
知らなかった。辰伶って容赦ないんだなあ。子供の幽霊は水龍がどんなものか知っているのかいないのか、たちまちこの場から消えた。冷たいようだけど辰伶は正しい。俺たちには何もできないんだから。でも、ゆんゆんなら…
何年も前の話になるけど、この動物園の猿の飼育員が猿の集団に襲われてケガをする事故があった。飼育環境に異常はなかったから原因は不明。ただ、この飼育員の部屋から子供の死体が発見されたことがニュースになってた。まだ彷徨ってたんだなあ。こんどゆんゆんを連れてくるから、今日はゴメンね。
またあの子供の幽霊と出くわすと厄介だから、俺たちは動物園を出た。そんなことがあったけど、辰伶は初めての動物園に満足してくれた。それから予定通りお互いの識神へのクリスマスプレゼントを選んだ。辰伶が選んだのは何だかとても大きな物だったので、ラッピングして配達してもらうことにした。
日が短いせいか、すっかり暗くなっていた。せっかくだから、駅前の大きなクリスマスツリーを見に行った。キラキラ電飾に彩られたツリーを見ていると心が昂揚する。
「辰伶、やっぱりクリスマスパーティーしよう」
「そうだな」
見つめ合ったら何だか顔が近くなって、自然と唇を重ねていた。軽く触れただけだけど、これってキスだよね。
「あ、これ、ファーストキスだ」
俺がそう呟くと、辰伶が驚いた顔をした。
「辰伶はキスは初めてじゃない?」
「初めてだ。そうか、これがキスか…」
良かった。辰伶も初めてか。何だか嬉しいなあ。
初めての動物園、初めてのハンバーガー、初めてのクリスマスツリー。今日は辰伶にとって初めてだらけだっただろう。その瞬間に立ち会えたことが、どうしてだろう、すごく嬉しくて、すごく満足だ。
「辰伶が結婚できなかったら、俺が家族としてずっと一緒にいてやるって言ったこと、覚えてる?」
「覚えているとも」
「あれに条件つける。これからの辰伶の「初めて」が全部欲しい。そうしたら、辰伶が結婚できなかったときには、俺が一生、一緒にいてあげる。家族として」
「初めて…って、それ…」
辰伶はすこしポカンとして、それから真っ赤になって、無言で俯くようにして頷いた。耳まで真っ赤だ。寒いのかな。風邪をひくといけないから早く帰ろう。
子供の幽霊のことで、ゆんゆんに動物園での出来事を話した。ゆんゆんが難しい顔をしている。
「成仏させるのは無理? ゆんゆんでも難しい?」
「いや、それはいいんだが、てめえは…」
ゆんゆんは大きく溜息をついた。俺が何?
「全く自覚ねえんだな。相変わらず天然だぜ」
「何が言いたいの?」
「客観的に見るとな、お前は辰伶をデートに誘って、キスして、それでそのセリフだ。プロポーズにしか聞こえねえ」
あれ?
「しかも『初めてが欲しい』とか…」
辰伶が初めて何かする時には、いつも俺が一緒がいいってことだけど、あれ? ちょっと意味が違ってくるかも。だから辰伶はあんなに真っ赤になったのか。
「あれ? でも、辰伶はその意味で受け取った上で、頷いたんだよね。あれ?」
「幽霊の件は何とかしとくけど、その他のことは俺は知らねえからな。ちゃんと責任とれよ」
俺としてはあれがプロポーズにとられてもいいけど、自覚無しだったのはダメだよね。本当のことを辰伶に言ったらガッカリするかなあ。それともホッとするかなあ。
またいつか、改めてプロポーズしよう。今度は指輪なんか用意したりして。
おわり