裏門
仏壇を買ったと、辰伶から連絡があった。
「待たせたな。父親の位牌を拝みに来い」
以前、初対面の時だ。俺に父親の弔いをさせなかったことで、辰伶はゆんゆんに詰られた。そのことをまだ覚えていて、ずっと気にしていたのか。律儀な奴。俺は礼儀として位牌に手を合わせたいって言っただけだったのに。
無明歳刑流には死者を弔う習慣がなくて、葬式も仏壇もなかった。それを辰伶は世間一般に習って改めることにしたそうだ。辰伶は何も言わないけど、俺の為だ。解るよ、辰伶はそういう奴だ。
納骨室の遺骨も全て、屋敷からほど近い寺にお墓を建てて納めたそうだ。寺へは屋敷の裏の道を行くそうで、墓参りに行くのに便利なようにと、裏の道へ出る為の通路と通用門を造設したそうだ。
奥屋敷から裏庭を望むと、新造の門がよく見えた。ところが、その門はまったく同じものが2つ並んでいるのだ。はっきり言って変。
「2つあるのは変ですか?」
おやつを持ってきてくれたおだんごはそう言うけど、
「変ていうか、意味無いよね」
「そうなんですか?」
おだんごが辰伶に尋ねた。辰伶はおだんごが用意した焼菓子をしげしげと見詰めながら答えた。
「おかしいと俺も思うが、意味が無くもない。1つは人間用で、もう1つは人外用だ。これは何という菓子だ?」
ガレットというフランスの菓子だとおだんごが説明した。市内の評判の洋菓子店で買ったそうだ。ただの分厚いクッキーだと思ったら、立派な名前があったのか。コーヒー、おいしいなあ。でも俺はポテトとコーラーの方が好き。
「人外用なんて、何でそんな門を作ったの?」
「偶然できてしまったんだ。人外用は異界に通じているから、上手く利用すれば案外便利だぞ」
「見た目全く同じ門だけど、どっちが人間用で、どっちが人外用か迷わない?」
「普通の人間は人間用を無意識に選ぶから問題ない。というか、霊感の強い者しか人外用の門に興味を持たない。…そうか、お前みたいに霊感が強いと区別がつかないか。それは問題だな」
辰伶はどちらが人間用で、どちらが人外用か教えてくれたけど、やっぱりというか、俺は間違えたらしい。俺は今、異界を彷徨ってる。多分。
「もう1時間以上歩いてるような…」
最初は無明歳刑流本家の屋敷の裏の道を歩いていた。狭い道で車通りは無く静かだったけど、それなりに人家があった。小さな雑木林を抜けて、気がついた時にはだだっ広い草原を歩いてた。何もない。来た道を振り返っても、草原が続いているだけ。八方見渡しても目印らしいものは何も無い。
「何で墓参りになんか、行く気になっちゃったのかなあ」
そもそも、墓の場所もきちんと知らないのに、どうして辰伶と一緒に来なかったんだろう。本当に俺の意思でここに来たのかなあ。何かに操られてない?
「お前、何でこんなところにいるの?」
頭の上から声がした。見上げると、水龍の背に乗ったおさげが空中に浮いていた。
「何でっていうか…」
「乗って」
水龍が下りてきた。おさげに促されて後ろに乗ると、合図も説明もなしにいきなり空を駆けた。振り落とされそうなスピードだけど、爽快だ。
「迎えに来てくれたの?辰伶の指示?」
「…お前が方向音痴だから」
会話になってないよね。辰伶の指示じゃないなら、おだんごが頼んだのかな。こいつがおだんごの頼みをきくかな。…案外、きくかも。
「ひょっとして、俺を異界に呼び込んだのは、お前?」
「……」
当たりだな。多分、こいつが予定した場所に俺が来なかったから、探しに来たんだな。全ては俺の方向音痴の成せる業だ。
あっという間に水龍は無明歳刑流本家の屋敷に着いた。あれ?似てるけど何か違う。
「ここは何処?本家の屋敷と似てるね」
屋敷を改築する前の、建てられた当初がこうだったのだと、おさげが説明した。本家の屋敷と同じく庭池があって、水龍は俺たちを降ろすと、おさげの命令に従って池にハウスした。
「洋館部分が俺の家。辰伶から貰った」
「日本建築部分は?」
「妖怪の集会所」
こっち、こっちと、おさげに案内されて屋敷に入る。建材とか、色々な物が全部新しくて、全体に明るいし、清々しい。本家屋敷はもっと陰気なんだよね。…異界の妖怪集会所の方が爽やかなのってどうなの?
日本建築部分の座敷の一部屋に案内された。おさげが口の前に人差し指を立てる仕草をして、襖の前で手招いた。俺は音を立てないように、襖に近づいて聞き耳を立てた。隣の部屋の話し声が聞こえる。
何やら大勢いるようだ。そういえば、妖怪の集会所とか言ってたっけ。内容は他愛のない世間話だ。ただし、妖怪の。
『……丁目の……家の……が最近買った……には悪いモノが憑いてる。あの家に良くない事が続いているのはあれのせいだが、家人は誰も気づいていない』
『……家の家守の力が衰えてる。持って十年といったところか』
『……家の……は……から恨みを買っていて……』
ろくな内容じゃないな。
『そういえば、無明歳刑流の、ほら、お前の主人の』
『何か解りましたか?』
おだんごの声だ。え、俺の話?
『母親が入院しているが、いよいよ良くない。もう長くないだろう』
『原因とか解りませんか。助ける方法は…』
『知り合いに当たってみたが、わしら下等な妖魔にはどうにも…』
『引き続きお願いします』
ええと……母さんがもう長くないって……
おさげが俺の服を引っ張った。去り時ということだろう。おさげに促されて座敷を出た。おさげが俺を異界に招き入れたのは、この情報を俺に聞かせる為か。
庭で水龍が待機していた。あ、と思う間も無く水龍に咥えられ、庭池に引きずり込まれた。苦しいとか思う間も無く、気づいたら本家の屋敷の庭池の真ん中に立っていた。この池と異界の池は繋がってるのか。速くて便利だけど、全身ずぶ濡れなのはどうにかして欲しい。
「ほたる、そんな所で何をしているんだ」
「何って…」
「水遊びをするには、だいぶ季節が遅すぎると思うが」
お前の識神のせいだよ。
風呂と着替えを借りて落ち着いた。今日も泊まっていくことになった。水浸しの服を洗濯しといてくれるのに釣られた。ここんちのごはん、美味しいし。
「ほたる、以前から相談している件についてだが」
「ああ、母さんのこと」
「やはり、この家にきてもらえないだろうか。お前も一緒に。ここの方が大学も近いし」
以前から、俺と母さんと、この家に一緒に住まないかと辰伶に誘われていた。母さんからは、どちらでもいいから俺に好きにしていいと言われていて、俺は何となく断っていた。
ここなら、家事とかも辰伶の識神が全部やってくれるから、のんびり暮らせるかもしれない。……もう、長くない日々を穏やかに暮らせるだろう。
「うん。この家、広くて部屋がいっぱい余ってて、もったいないからね」
辰伶はありがとうと言った。本当は俺がありがとうなんだろうけど。
こうして母さんは退院して、無明歳刑流本家の屋敷で、残された短い時間を過ごす…はずだった。
「えーと…」
母さんをこの家に連れて来ると、いの一番に水龍とおさげが迎えた。そして、水龍が……母さんに巣くっていた病魔をパクッと食べてしまった。
すっかり健康になった母さんは、日本人の平均寿命以上に長生きすることになる。
おわり