3秒ルール


 飲み会の翌日の話だ。

 前日の酒気は完全に抜けていて、朝はとても健康的に腹が減って目が覚めた。ホテルの朝食はビュッフェ式で、上手に選べば洋風か和風に統一できるけど、統一感とか気にせず空腹の求めるまま食べたいものを食べたいだけ選んだ。辰伶はビュッフェという形式が楽しい様子だった。きっとこれも初めての経験なんだろうなあ。

 朝食後は部屋でベッドに寝転がってテレビを見たりして、チェックアウトの時間の正午ギリギリまでゆっくり過ごした。朝帰りどころじゃない。

 俺が迎えの車を呼ぼうとしたのを、辰伶が止めた。

「歩いて帰らないか」

 距離としては電車一駅分くらいか。歩くには少し遠いけど、疲れたら改めて迎えを呼んだっていいし。どうして辰伶が唐突にそんな提案をしたのか解らないけど、このまま2人で歩いて帰るのも悪くない。


 ホテルを出てから10分くらい歩いただろうか。俺は背後の異変に気付いた。

「何なの…?」

 振り返って見ると、俺たちが歩いてきた道すがらに、時間が止まったかのように動きを止めている人が、何人もいる。仲間同士で制止芸をしている風ではない。変だなあと思って見ていると、歩いていた人が、突然倒れた。隣を一緒に歩いていた人が驚いてかけよる。倒れている人は他にもいて、道路にぺたりと座り込んでいる人もいる。

 テロ…という様子でもない。一部の人だけのことで、その他の人も街も平常だ。俺も気分が悪いとか目眩がするということはない。変な臭いもしていない。

「何かあったのか?」

 辰伶も不思議そうにその光景を見ている。

 ピコタン!

 結構近くで音がした。ちょっと気が抜けるようなこの音。その直後、今まで普通に歩いていた人が、突然腰が抜けたように座り込んだ。近寄ってみると、さっきすれ違った人だ。印象に残る服だったから覚えてる。その時は特に具合が悪そうでもなかったと思う。よく解らないけど、この人の連れはいないようだ。救急車を呼んだ方がいいよね。

「大丈夫か」

 辰伶が屈んで声を掛ける。優しいなあ。

「ダメ!」

 鋭い声が辰伶の行動を止めた。見ると、おさげが仁王立ちで立っていた。その手にはピコピコハンマー。さっきの音はこれだったのか。どこかで聞いた音だと思った。って、お前の仕業か!

「何でこんなこと」
「そいつ、辰伶を3秒以上見た」
「は?」

 3秒以上見た奴は1発殴る。5秒以上見た奴はタコ殴る。と、おさげが感情を抑制した声で言う。

「説明します」

 おだんごが出現した。

「おさげは辰伶様に不埒を働いた輩を成敗しているのです」
「不埒って、3秒以上見たこと?」
「おさげの基準です」

 おさげがピコピコハンマーで殴っているのはその人間の霊体だそうだ。霊体が受けるダメージには個人差があって、霊的な物への抵抗力が関係している。抵抗力の強さの決め手は守護霊の強さで、次に霊体の強靭さだと、ゆんゆんが言ってた。

 守護霊のことは良く解らない。俺は幽霊は見えるけど、守護霊みたいなのは見たことが無い。だからかなあ、守護霊は誰にでもいるという人もいるし、いない人もいるという人もいる。日本語がややこしい。

 霊体というのもよく解らない。幽体という人もいる。それが魂とイコールなのかどうかも解らない。でも、霊力の強い人は、大抵は霊体が強靭だって、これもゆんゆんが言ってた。でも、霊体が強靭でも霊力が強いとは限らなくて例外もあるそうだ。

 確かに言えることは、霊体がダメージを受けると、それは肉体に影響するということだ。どういう症状が出るかも個人差がある。それも含めて霊的抵抗力と、俺は捉えている。

 おさげに霊体をどつかれた人たちも個人差があった。軽い金縛り程度や腰を抜かしているあたりは、1発もらった人だ。何も知らずにおさげの3秒ルールに引っかかった被害者だ。被害者だよね。しょうがないよ、辰伶が綺麗過ぎるんだから。3秒で我慢できるなんて、むしろ自制心が効いてると思う。俺は1時間以上見てても見足りないよ。

「俺は殴らないの?」
「お前は、辰伶の特別だから…」

 おさげは不本意そうに言った。俺のことは認めてくれているんだ。おさげなりに。

 昏倒クラスは、辰伶を5秒以上見て、霊体をおさげにタコ殴りされた人だ。5秒は長いな。辰伶が減る。

「ところで、なんでピコピコハンマーなの? 辰伶が持たせたの?」
「ゆんゆんが、これ使えって。俺の力は強すぎるから」

 よく観察すると、柄にゆんゆんの御札が貼ってあった。普通、武器っていうのは、能力を発揮させるためのものだけど、これはその逆。このおもちゃのハンマーは、強すぎるおさげの力を抑える為のものだ。

「これを使うと力をコントロールしやすい。素手だと霊体を粉砕しちゃうから」
「霊体を粉砕されると、本体はどうなっちゃうの?」
「廃人になっちゃった」

 怖いなあ…って、え、過去形?

「何したの?」
「辰伶に恋慕した奴の生霊が付きまとってウザかったから、蹴ったら消滅しちゃった」

 おさげの説明におだんごが補足した。

「霊体を粉砕されたその人は今でも入院してます」

 おさげが得意そうな顔で辰伶を見上げる。目が「褒めて」と言っている。辰伶は小さい子供にするように、おさげを褒めてやった。

「これはまずいと、ゆんゆん様が考え抜いておさげに与えたのが、その武器です」

 後でゆんゆんに聞いた話。外で誰かに見られた時に、銃刀法違反にならない得物を一生懸命考えた結果がピコピコハンマーだったそうだ。ただのウケ狙いじゃなかったのか。

「辰伶を守る為なのは解ったけど、3秒は許してあげなよ。どうしても見ちゃうよ。5秒以上見た奴も、もうちょっと緩和してやらないと。辰伶が皆の視線を集めるのは仕方ないんだから」

 俺がおさげにとりなすと、辰伶が忌々しそうに言った。

「仕方がなくても、俺は気に入らん」
「見られる本人は嫌かもしれないけど」
「そうじゃない。お前のことを言っているんだ。ほたるを見ている視線の中に変質者がいないか心配だ」
「考えすぎだよ。俺に目をつける奴なんてヤンキーくらいだよ」
「気づいて無かったのか。俺たちに集まる視線の半分はほたるを見ているぞ」

 そうなの? おだんごが頷いた。

「今は隣に辰伶様がいるので分散されて、半分は辰伶様が受け持って下さってますが、ほたる様は見目麗しいのでいつも誰かの視線を浴びています。普段からこうなので、ほたる様は他人の視線を集めることに慣れてしまっているかもしれませんが、ほたる様は誰もが振り返る美貌の持ち主で、何でも着こなすスタイルの良さで、どんな雑音の中でもただ1つ耳が拾ってしまうイケボで、」
「そうだ、ほたるは誰よりも綺麗でカッコ良くて、チベットスナギツネみたいに可愛いんだから気を付けろ。おさげもな」

 思わずおさげと顔を見合わせてしまった。後でチベットスナギツネを画像検索してみたけど、この動物が可愛いかどうかは賛否両論として、俺たちがこの独特な目つきの動物みたいだという辰伶の意見には、俺もおさげも否定できなかった。

「私もおさげのようにほたる様をガードしたいのですが、私の霊力では生霊を粉砕することはできませんから苦労しました」

 おだんごも過去形だよ。この子たち何してるの?

「ほたる様に付き纏っていたのは生霊ではなくリアルストーカーでしたが」
「そんなの居たなんて気づかなかったなあ」
「ほたる様が気付く前に迅速に処理しなくてはと思いました。ほたる様に快適にお過ごし頂くのが私の役目ですから」

 そのストーカーをどう処理したのか、辰伶はおだんごに訊ねた。おだんごがこっそり教えると、辰伶は満足そうに頷き、「よくやった」と部下を褒める上司のようにおだんごを労った。辰伶もおだんごも凶悪な笑顔で笑ってるけど、何したんだろう。無害そうにみえて、おだんごは写真屋1軒を1カ月弱で畳ませたことがあるからなあ。

 悪い笑顔の辰伶も超絶美人だし、悪い笑顔のおだんごも超絶カワイイから、どうでもいいけど。

 とにかく、おさげの3秒ルールは修正された。辰伶を見た奴は3秒までセーフ。4秒までは免除。5秒以上見た奴は守護霊を封じての怪奇現象1日フルコースに緩和された。緩和されたことになるのかな。霊体タコ殴りで昏倒の方が優しいような。

「私はおさげほど力が無いので、これからも今まで通り、ほたる様のストーカーは秘密裏に処理しておきます」

 おだんごは笑顔で元気よく宣言した。立派な姿勢だと、辰伶はおだんごの忠実さと勤勉さを称賛した。俺とおさげがちょっと引き気味になるくらいのノリだった。


 朝食の時間が遅めだったので、昼は軽めにと、適当なカフェに入った。おだんごとおさげは傍にはいないけど、隠れて見守っていてくれている。おだんごは俺たちの邪魔をしない為と言ってたけど、別に邪魔にはならないのになあ。隠れて見守ってる方が、かえって意識しちゃうよ。辰伶は慣れてるから気にならないそうだけど。

 俺はちょっと疲れた感じ。今まで誰かに見られてるなんて、全然意識したことなかったから。

 気づかなかったから意識しないでいられた訳で、辰伶みたいに知ってて慣れてるのとは違うんだよね。

「体の具合でも悪いのか?」

 辰伶が心配そうに言った。

「さっきから何も喋らないから」
「ううん。ちょっと疲れただけ」
「迎えの車を呼んだ方が良かったか?今からでも呼ぼうか?」
「疲れたっていっても、気分的に疲れただけだから。体力的には全然平気」

 適当なことを言って誤魔化しただけなのに、辰伶が誤解した。

「…俺と一緒はつまらないか?」

 それは無い。俺はいつだって辰伶を独り占めしたいんだから。ちょっとしょんぼりしてる辰伶も可愛いなあとか思ってる場合じゃない。辰伶の誤解を解かなきゃ。

「俺は今まで自分が誰かに見られてるなんて思ったこと全然なかったから平気だったけど、監視カメラがずっとあるってシンドイよね。なのに辰伶には、辰伶が注目されるのは仕方ないとか言っちゃってゴメン」

 そんなことかと、辰伶は優しく微笑んだ。

「そんなことを気にするなんて、お前は優しいな。お前の言う通り、仕方のないことだから気にするな」

 俺が優しいというのは、辰伶の勘違いデス。

「実のところ、他人の視線なんて気にならないし」

 そう言って、辰伶は食後のコーヒーを啜った。啜るって言っても、啜ってるって感じじゃなくて、カップに口を付けただけみたいな、音も全然立てなくて、上品、そうだ何気に上品なんだ。これが自然体だからなあ。

「俺はずっと見られてるのはウザいと思う」
「すまない。つい、お前に見惚れてしまって…」
「辰伶はいいんだよ。辰伶は俺だけ見てればいいんだから」

 だめだ。何を言っても辰伶が誤解する。ご飯も済んだから、場所と話題を変えよう。

 カフェを出て、道を歩く。何か話題になるものないかなあ。

「ほたる、あれを見ろ」

 辰伶が指し示す先には踏み切りがあった。子供を連れた女の人が遮断器が上がるのを待っている。

「あの女性、さっきまで俺たちと同じカフェにいたのだが、あの時は子供は連れていなかった」

 そうなの?

「お前の斜め後ろの席だったから、俺からはよく見えた。ところで、今は子供が一緒にいるのだが」
「うん」
「ひょっとしたら、あの子供は幽霊なのではないかと思ってな」

 俺も辰伶もよく幽霊を見る。霊的エネルギーが強い霊は、生きてる人間と区別がつかないくらいの存在感ではっきり見える。だから幽霊と生きてる人間の区別がつかない。ゆんゆんが言うには、それでも解る人にはちゃんと解るって、俺たちの霊感は強いけど雑なんだそうだ。

 女の人が遮断器を潜った。もうすぐ電車が来るのに危ないなあ。見ると、いつの間にか子供が線路上で蹲って、座り込んでいる。女の人はそれを助けようとしているのだ。あれ、ヤバくない?

「おさげ」

 辰伶が識神の名を低く呟くと、踏切上におさげが出現した。ピコピコハンマーで子供の幽霊を殴る。おさげの1撃で子供の幽霊は消えた。電車のブレーキ音が鳴り響く。電車に接触する寸前で、おさげは女の人を踏切内から引っ張り出した。急停止をかけた電車は、踏切を通過したところで止まった。踏切の外で、女の人は呆然と座り込んでいた。

「行こう」

 辰伶は踵を返して歩き出した。とりあえず参事は免れて、それきり辰伶は今の出来事に関心は無いようだ。

 それからも似たような小事件が続いた。人が川に落ちそうになっていたり、大きな広告看板が倒れてきて人が潰されそうになったり、暴走車が歩道に突っ込んだり。その度に辰伶はおさげに命令して、事態を穏便に収めさせた。

「どうにも気が抜けないな。これではゆっくり街歩きを楽しめない」

 辰伶が愚痴をこぼす。

「そうだね。何だか今日は変に事件や事故が多いけど、でも、街の安全を守るのは辰伶の責任じゃないんだから、もう少し気を抜いても良いと思う」

 辰伶が無言で俺を見詰める。俺の言い方は無責任だったかなあ。冷たいって、軽蔑したかなあ。でも、何でもかんでも背負うのって無理だしおかしいと思う。

「俺のせいではないが、責任はあるかもしれん」

 辰伶はおさげを呼び出した。

「5秒ルールは見直ししよう。命に関わったり、関係のない人まで迷惑がかかるのは目覚めが悪いし、落ち着かない。それからかなり霊力を使っただろうから、今日はもう家で待機だ。何かあれば呼ぶから」
「わかった」

 おさげは素直に頷いて消えた。えっと、今までの変な出来事って全部…

「辰伶を5秒以上見て、おさげに守護霊を封じられた人たちが引き寄せてた災難だったの?」

 守護霊は、悪運や悪質な霊から守ってくれている存在で、それを封じるということは、霊的にとても無防備な状態になるということだ。つまり守護霊を封じられると霊的抵抗力が弱くなるのだ。

「守護霊を粉砕してしまわないならいいかと思ったが、予想以上に危険だったな。いつも俺の為に一生懸命なのは嬉しいし、精一杯頑張る姿が健気で可愛いのだが、おさげは加減を知らないから」

 辰伶の為っていうか、辰伶を独占したいだけじゃないだろうか。俺には解る。辰伶が俺を必要としてなかったら、おさげは真っ先に俺を排除してたと思う。おさげは辰伶のことが好き過ぎるから。

「おだんご、出ておいでよ」

 おだんごがパッと現れた。

「おだんごも家で待機ね。おさげと一緒にお留守番」
「承知しました」
「別に俺が辰伶を独占したいとかじゃなくて、おさげが1人で可哀そうだと思っただけだからね」
「承知してます」

 うん、言わなくてもいいことだった。おだんごとおさげには何かお土産を買ってあげよう。


おわり