廃屋


 夏が終わって、大学の講義をサボって旅行しまくって、幾つかの単位が取れないことが決定的になったころだった。俺の師匠であるゆんゆんから、廃屋にオバケを視に行かないかと誘われた。

「肝試し?何の気紛れ?」

 廃墟に幽霊話は付きもので、肝試しの定番スポットの1つだけど、ゆんゆんは廃墟探訪には否定的だったはずだ。理由は幾つもあるけど、不法侵入は良くないというのと、危険だからというのが大きい。

「立ち入りの許可は取ってある。つうか、調査を頼まれたんだ。幽霊が出るって噂が本当かどうか確かめて欲しいってな」
「出るわけじゃないんだ」
「出ないとも決まってねえ」

 俺は肝試しが好きじゃない。だってつまらないから。オバケ屋敷は好きだけど。

「出るなら行く。何処の廃屋?」

 ゆんゆんから聞いた場所には、心当たりがあった。

「ねえ、調査を依頼したのって、もしかして…」
「そう。辰伶だ。お前の異母兄のな」

 俺の異母兄の辰伶。無明歳刑流という旧家の本家の当主だ。この夏に色々あって、俺が単位を落としまくったのは間接的にコイツのせいだ。

 ゆんゆんが調査を依頼された廃屋は、無明歳刑流の六分家の1つだった。六分家は全て断絶したから、空き家として放置されている屋敷がある。それらの内の1つを巡って近隣住民が苦情を申し立てているらしい。

「幽霊が出るからお祓いしろとか?」
「空き家の放置は治安が悪くなるからな。老朽化して危険だし、ゴミの不法投棄もあって迷惑だから撤去しろって、近隣住民が役所に訴えたようだな」

 六分家は断絶したが、屋敷には相続の権利を持つ人々がいる。権利者のある建物を、行政が撤去することはできない。権利者全員に権利放棄してもらうことは出来るが、その権利者が多過ぎるのが問題だった。中には所在が不明な権利者もいる。それらを全員探し出して承知してもらわねばならないのだからとんでもない手間だ。同じ理由で相続人も確定できない。

 屋敷を撤去するには費用がかかる。大きな金額だ。更地にして土地を売ったとしても、それらは権利者で分配することになるから、撤去費用を負担してでも相続したい人がいない。だからと言って権利放棄するには、その立地は資産価値としては魅力的だった。そういうわけで、誰からも迷惑がられながら手つかずでその屋敷は放置されて荒れるがままになっているのだ。

「辰伶がその屋敷の権利者の1人なの?」
「権利者じゃねえけど、本家当主として責任を感じているんだと」

 分家が栄えてその果てに滅びたのも、無明歳刑流の呪術のせいだから、辰伶はそう思うのだろう。呪術で集まった財を放出することは、呪術で育った妖鬼を小さくする意味もあるのだと、ゆんゆんは教えてくれた。妖鬼を元に生み出された妖魔である水龍の強大過ぎる力を、辰伶は危ぶんでいるのだ。

「辰伶が撤去費用を負担するということで、地道に権利者を説得したんだと。まあ、結局は金の問題だったわけだから、うまく話がついて、屋敷は撤去する運びになったんだが…」
「幽霊の噂だね」

 六分家にはかつて強力な妖鬼が居たのだが、分家が滅びた後、それらは本家に集まってきたのを辰伶が片づけた。妖鬼がいた屋敷には妖物が集まりやすい。強力な妖鬼が屋敷を支配していた頃には他の妖物は容易に入り込めなかっただろうが、それがいなくなったのだから、今はそれに代わる何かが入り込んでいる可能性はある。

「変なものが入り込んでて、撤去作業中に何かあったらヤバイからな。何もいなければ結界張って欲しいってさ。何かいたら…」
「オバケ退治しろって?」
「そこまで頼まれてねえけど……なあ、オバケ退治したら調査料に上乗せありだよなあ」

 何でこんな依頼をゆんゆんが受けたのかと思ったけど、お金だったのか。夏の件でもいっぱい貰えたから、多分、良い金額なんだろうなあ。

 俺たちは辰伶に車を借りて廃屋調査に行った。俺は車を運転しながら、ゆんゆんが俺に声をかけたのはこの為かと思った。まあいいけど。車を運転するのは好きだし。オバケ屋敷も好きだし。


 調査の結果、ゆんゆんの期待に反して何もいなかった。ゆんゆんは渋々結界を張って、依頼は完了した。何も面白いことは無かった。オバケがいたら楽しかったのに。

 近隣住民の人だろうか、何をしているのか聞かれたから、撤去作業の事前調査だってゆんゆんが言ったら、その人は凄く愛想が良くなって、この屋敷のせいで今までどれだけ不安だったかお腹いっぱい聞かされて、俺は凄くうんざりした。ハイハイ、これから安心できて良かったね。全部、撤去費用を出してくれる辰伶のお陰だよ。オバケはいないし、見ず知らずの他人の愚痴を聞かされるし、風邪もひいたみたいだし、散々だった。

 ゆんゆんを送った後、借りた車を返しに無明歳刑流本家の屋敷に立ち寄って、報告ついでに鬱憤を辰伶に吐き散らした。

「すまなかったな。俺が行けば良かったのだが、俺は余りそういう場所に行きたくないから」

 辰伶の言う「そういう場所」とは幽霊が出る場所だ。辰伶は無明歳刑流本家長子の怨嗟の集合体と同調してから、霊に憑かれやすい体質になってしまったようで、だから今回の調査もゆんゆんに頼んだのだった。

「風邪をひいたそうだが、確かに体調が悪そうだな。今日は泊まっていけ」
「ありがとう。そうする」

 母さんはまだ入院中で、家に帰ってもご飯とか何もないから、遠慮なく泊めてもらった。お陰で 翌朝にはすっかり回復していたけど、代わりに辰伶が寝込んでしまった。風邪をうつしちゃったかな。ごめんね。

 俺は一晩で治ったけど、辰伶は何だか長引いているようだ。ちょっと責任を感じたから、おだんごを連れて辰伶のお見舞いに行った。おだんごは俺の識神だけど、元は辰伶が作った識神で色々と便利だ。辰伶は1人暮らしだから、寝込んでしまったら色々と不便だろうと思って連れて行った。

 辰伶は家政婦を雇って食事の用意などの用事をさせていた。寝ている辰伶の傍らに年配の女性が控えていた。これなら不要かもしれなかったけど、おだんごを置いてきた。辰伶が体調を崩しているせいなのか、水龍とおさげは上手く使えないそうだ。使えたところでどちらも日常生活の役には立たないだろうけど。

 辰伶がコントロールできない状態の水龍は危険なので庭池が入り口となっている異界に、おさげは奥屋敷でそれぞれ待機しているそうだ。待機って、何してるんだろう。

 そんな辰伶の近況をゆんゆんに話したら、ゆんゆんは何か難しい顔をして考え込んだ。

「お前も辰伶も、霊感が強いクセに雑だな。そりゃ風邪じゃなくて霊障だぞ。解らなかったのかよ」
「全然」
「解れよ」

 いったいいつ何処で憑かれたんだろう。

「そりゃあ、廃屋の調査に行った時だろ」

 何を今さらとゆんゆんが言う。

「え、でも廃屋には幽霊とか何もいなかったよね」
「廃屋にはな。外で会っただろ。お前も話してたじゃねえか」

 ひょっとして、あの近隣住民っぽい人のこと?俺は視え過ぎて幽霊と人間の区別がつかない。それは異母兄である辰伶も同様だ。

「廃屋の撤去を凄く喜んでた人のことだよね」

 何だか記憶が曖昧だったけど、真剣に考えたらだんだん思い出して来た。辰伶にお礼が言いたいってしつこく言われたっけ。体調も悪かったし(これが既に霊障だったわけだ)面倒くさくなって、とにかく辰伶に会わせればいいかと思って車に乗せて……それからどうしたっけ?

 無明歳刑流本家に車を返しに行ったから、その時に辰伶に憑けて来ちゃったんだろうなあ。辰伶は憑かれやすい体質になってしまったというから、こうなることはゆんゆんには解ってたはずだ。酷いなあ。廃屋の調査をゆんゆんに頼んだのだって、こうならない為だったはずでしょう。

「あれくらいの霊だったら、水龍を見ただけで逃げると思ったんだけどなあ」

 辰伶が体調を崩したことで水龍が異界に待機状態になったことは、ゆんゆんの計算になかったわけだ。

「しゃあねえなあ。パパッと除霊してくるわ」

 霊が俺に憑いた時点でそれをやってくれれば良かったのに。


 ゆんゆんと一緒に辰伶の除霊に行った。無明歳刑流本家では、辰伶に雇われた家政婦とおだんごが、辰伶の世話の仕方で大喧嘩していた。と、思ったら、俺が家政婦だと思ってたオバサンこそが俺に憑いてきて辰伶に憑いた霊だった。俺も辰伶もこの人が人間じゃないことに気づかなかったけれど、おだんごはちゃんと気づいて、辰伶を守っていたのだ。良い子だね。

「悪い霊ですから、こんなのに居られたらお屋敷が荒んでしまいます。元管理者の1人として見過ごせませんでした。すぐにお屋敷から追い出さなきゃと思ったのですが、私では追い出せないし、おさげは手伝ってくれないし、長子の霊たちは捻くれるし、雑鬼は増えるし、ほたる様が来てくれなかったらどうしようかと思いました」
「いや、除霊したのは俺だろ」
「ゆんゆん様もご苦労様でした」

 ゆんゆんの言う通り、俺は何もしてない。ゆんゆんが言葉通りにパパッと除霊したのだ。

 俺や辰伶に憑いてた霊は何だったかというと、ゆんゆんにも何だかよく解らなかったそうだ。よく確かめずにパパッと祓っちゃったらしい。多分、妖鬼がいなくなった六分家の屋敷に棲みつこうと狙ってて、それを邪魔した俺たちを恨んだんじゃないかということだ。じゃあ、あの幽霊の人が廃屋を撤去してくれてありがたいとか言ってたのはウソだったのか。

「実際は逆だったんだろうな。撤去作業の首謀者を突き止める為の嘘だと俺は思うね」
「そこまで見通してて、スルーしたのか」

 得意げに語るゆんゆんの背後に辰伶が立っていた。ゆんゆんが固まる。

 俺が霊を辰伶のところに案内するのを、ゆんゆんが知っててスルーしたことが全部辰伶にバレた。 そのせいで調査料が減額されそうになったけど、何とか赦してもらえて、無事に全額貰えた。これに懲りて、ゆんゆんはもっと慎重になるといいと思うけど、これで懲りたらゆんゆんじゃない。

 辰伶は一応は赦したけど、この事は後々まで禍根を残した。その後、辰伶は嫌がらせを込めてゆんゆんのことを「ゆんゆん」と呼ぶようになる。

 あ、ゆんゆんの本名は「遊庵」だよ。一応、ね。


おわり