結晶
予報通り、午後3時を過ぎた頃から雪が降りだした。これは積もりそうだ。午前中に餅つきを終えておいて良かった。俺は温かい自室に籠って、今日はもう何処へも出たくない。
はあ、炬燵最高。アパート時代から使用していた馴染み深い暖房器具にあたりながら、ガラス窓越しに、降りしきる雪を見ている。傍ではおだんごがどこからか用意した火鉢に網を乗せて餅を焼いている。
つきたての餅があんなに美味しいなんて。辰伶も楽しそうだったし、これから毎年餅つきしてもいいなあ。疲れたけど。
餅つきの道具や材料はおだんごが全部準備しておいてくれた。餅つきは前日からやっておかなければいけないことが色々あるらしいけど、そういうのもきっちりやってあった。おだんごの仕事に抜かりはない。
餅米を蒸すのは母さんが、餅米を杵でついたり返しの合いの手を入れるのは俺と辰伶が、つきあがった餅を丸めたりのし餅にするのはおだんごとおさげがと、作業をざっくり割り振ったけど、他の作業がやってみたくなったり、手が空いてしまったりして、皆で好き勝手に入り乱れて餅つきを楽しんでいたと思う。
鏡餅、切り餅、丸餅、餡子入り丸餅。家用と、ゆんゆん用と、おだんごの知り合い用と、水龍用と作ったから、かなり多く餅をついたと思う。水龍の分だけでも、1升分の餅米で丸餅を作ったからなあ。さすがに疲れた。
正月用とは別に、つきながらその場で食べたけど、これがすごく美味しかった。これは餅つきしないと味わえない。餡子、きな粉、醤油、意外に人気だったのが大根おろし。皆それぞれ好みのものを絡めて食べた。どれも美味しかったけど、一番美味しかったのはワサビ餅だった。
摩り下ろしたワサビが草餅みたいに餅に練り込まれているのと、餡みたいに餅に入ってるのと2種類、辰伶がおさげに作ってあげていた。美味しそうだなあと思ってみていたら、おさげが俺にも分けてくれた。貴重なワサビ仲間だからだって。辰伶とおだんごはワサビ餅を全然食べたがらなかった。母さんもだ。美味しいのになあ。
水龍には辰伶とおさげが餅をあげた。おさげが拳大に丸めた餅を、辰伶が次々と水龍へ放る。辰伶から投げられた餅を、水龍は全て口で上手くキャッチして食べた。完全にワンコだ。
ゆんゆんには鏡餅と切り餅を、俺とおだんごと母さんで作った。あそこは大家族だから、これくらい食べきれるだろう。喜んでくれるといいなあ。
おだんごの知り合い用が一番大変だった。おだんごとおさげがせっせと餅を丸めていたけど、とにかく量がすごい。俺と辰伶と母さんも手伝って、総がかりで餅を丸めたのだった。
「お前は知り合いが多いね」
「知り合いが増えれば、出来る事も集まる情報も増えて、何かと便利ですから」
おだんごは餅を引っ繰り返しながら答えた。
「ほたる様のお役に立てるし」
良く出来た識神だなあ。勿体ないくらいだ。
「辰伶がね、おさげをお前みたいにしたいから、協力しろって言うんだけど、どうしたらいいと思う?」
「私みたいというのが、何を指しているのかわかりません。ですが…」
おだんごは厳しい顔をして言った。
「おさげは識神として未熟、いえ、欠陥があります。それは辰伶様のせいなのですが…」
「欠陥?」
きつい言い方だ。びっくりした。
「辰伶様はおさげを道具として作らなかった。だから不安定で、おさげ自身も苦しんでいます」
識神は具体的な用途で作られた方が、つまり道具として作られた方が優れているし、本来の姿なのだとおだんごは言った。
「不安定っていうのは、精神的に不安定ってこと? 心の問題?」
「心……ああ、そうだったんですね。これは『心』だったんですね。やっと解りました。識神にとって厄介で扱いにくいこの機関が何なのかずっと謎だったのですが、これが『心』というものだったのですね」
おだんごはすごく感動している様子だった。
「つまり、識神には心が無いのが普通で、心なんて無い方がいいってことなの?」
「その方が質の高い識神が出来ます。ましてや、おさげにしたように、霊力の高い物質を核に作るなら尚更です。強い霊力と不安定な精神ではバランスが取れません」
だから、おさげのことがずっと心配だったとおだんごは言った。そして、識神としては欠陥だけれども、その欠陥が愛おしいのだとも言った。うん、わかるよ。
「でも、おだんごは心があるのにちゃんとした識神で安定してるよね。同じ辰伶が作った識神なのに」
「私を作ったのはほたる様です。辰伶様が作ったのはただの『世話役』です」
「俺は『おだんご』って名前を付けただけだよ」
おだんごは『世話役』だった頃のことを思い出しながら語った。
「ほたる様がゲームで遊んでくれて楽しいと、嬉しいと思いました。そんなことは初めてでした」
「俺の前に、ゆんゆんとトランプで遊んでなかった?」
「そこはスルーで」
ゆんゆんスルーされちゃったよ。
「ほたる様に好意を持ちました。好きという『心』を、ほたる様が私に与えてくれたのです」
そんなに大層なことしたかなあ。ただ一緒にゲームしただけだよ。
「私が『世話役』だった頃は、自分よりも霊力の強いものに簡単に操られてしまいましたが、それは識神としては当たり前のことで、何とも思っていませんでした。それなのに、妖鬼に操られてほたる様に敵対する行動をしなければならなかったことが、とても悲しいと感じました」
だから命令を果たして役目を終えた途端にゆんゆんを助けてくれたのか。解った。命令に対して感情的になったり疑問をもったりすると術者が操りにくくなるから識神としては欠陥なんだ。不安定っていうのはそういうことか。何も考えずに機械的に命令を遂行する方が道具としては高品質だ。パソコンが悩みだして動かなくなったら、それは故障だ。
それでも俺は感情豊かで情緒がある方が好きだな。欠陥じゃなくて個性だと思えばいいよ。従順で扱いやすいおさげなんて面白く無い。辰伶に甘えて、おだんごを意識してて、俺にはツンケンしてて、でもワサビ餅を分けてくれたりするおさげがいいよ。貴重なワサビ仲間だ。
「ほたる様が『おだんご』という個人名を下さった時が、私が本当の意味で生まれた瞬間です。個人名を頂戴した識神は主人の命令しか聞きません。私はもうほたる様の声しか聞かなくても良いのです。どんなに強い霊力を持ったものにも操られたりはしません。こんな幸せなことはないです」
「たまに辰伶の用事を聞いてるみたいだけど」
「辰伶様とは対等な取引で、一方的に命令を聞いているわけではありませんし、断るのも私の自由です。ほたる様の幸せが私の存在理由です」
この献身の姿勢が嬉しい反面、怖くもある。俺にとってお前は道具じゃない。俺にとってお前は…何だろう? 何と呼べばいいか解らないけど、すごく大事なものだ。
「私が『世話役』だった頃は、ただ辰伶様の命令に従うだけでした。『おだんご』になった私は、ほたる様の幸せの為に何ができるだろうかと、そんな風に自分の行動を自分で考えるようになりました。私が安定しているというなら、それはほたる様の能力です」
「そうかな」
「辰伶様もそう評価して、ほたる様に協力を願い出たのではないでしょうか」
さすがに買い被りじゃないかなあ。照れる。
「おさげの『心』を育ててあげて下さい。辰伶様と共に。おさげは辰伶様が望んだ通りにほたる様によく似て、まるでお2人の子供みたいです」
「それを言うなら、お前こそ俺と辰伶の子供みたいなものだよ。辰伶が『役割』を与えて、俺が『心』を与えた。俺と辰伶が半分ずつお前を作ったんだ」
「ほたる様と辰伶様の愛の結晶ですね。光栄です!」
愛の…とは言ってないけど、まあいいか。皆、大事な家族だ。
おさげが俺に似ているのは否定しない。何しろ、俺の子供の頃の写真をもとにして辰伶が作ったんだから。おさげの好みも俺と同じだし。
解らないのは、どうして辰伶はおさげを俺に似せて作ったかという理由だ。
「あ、それ、解ります」
おだんごが言った。
「水龍の『心』となってコントロールするのは、辰伶様だけでも十分です。でも、辰伶様お独りで何百年、何千年と存在し続けるのは寂しいので、おさげを作ったのでしょう」
「それは解る。俺が知りたいのは、俺に似せた理由だよ」
「辰伶様が何百年、何千年とずっと一緒に居たい唯1人の相手がほたる様だからです。辰伶様はほたる様さえ居れば何も要らない人です。辰伶様を見ていれば誰でも解ります」
俺は解らなかったけど。
「おさげも知ってるの?」
「おさげは辰伶様の識神ですから。辰伶様が自覚されていない望みさえ、おさげには解ります」
「それは……残酷だね」
自分が誰かの身代わりに過ぎないなんて知ったら誰でも傷つく。おさげの好みさえ、俺の好みを投影したものだ。辰伶は残酷だ。おさげはどんな気持ちでクリスマスプレゼントのパンダを抱きしめたんだろう。どんな気持ちでワサビ餅を俺に分けてくれたんだろう。考えると心が痛い。
「おさげが不安定なのは辰伶のせいか」
「辰伶様は識神の『心』を作るのが下手なんでしょうか」
俺も『心』の作り方なんて知らないけど。おだんごが上手くいったのは、たまたま俺と相性が良かっただけの偶然の産物だと思う。
でも、俺に協力を求めて来る辺り、辰伶もおさげの『心』の痛みに気づいていて、それも自分が原因だって自覚があるのかもしれない。
いいよ。頑張って一緒におさげの『心』を育てよう。俺たちの大事な愛の結晶だからね。
「これを見て下さい」
おだんごはガサガサと大きな1枚の紙を広げた。どこかの地図だ。
「異界の地図です。裏門から異界を経由して何処に行けるか便利なルートを探索して作成しています。これは辰伶様の命令ではないし、ほたる様からも仰せつかってはいませんが、ほたる様の役に立つのではないかと自主的に考えて始めました」
本当だ。この間行ったクリスマスマーケットが載ってる。
「この『異界ルート地図』と『人外ネットワーク』の2つは私のライフワークで、私の存在の証です。この先、何百年、何千年と私の存在した証を残す為に、おさげにこの2つを引き継いで欲しいと思っているのですが…」
おだんごは、このスケール感が辰伶だなあ。
「どうしてでしょう?私の存在の証が残らなかったとしても、おさげとこれを共有できたら満足してしまう気がします」
「それはお前が自分の宝物をおさげに分けてあげたいだけでしょ。おだんごがおさげのお兄ちゃんだからじゃない?」
「…ほたる様は天才です」
おさげは辰伶の識神として後輩みたいなものだから気にかかっていたと思っていたと、おだんごは言った。だけど、他の辰伶の識神に対しては、おさげほど特別に気に掛からなかったし、特別に愛しいとも思わなかった。弟と教えられて納得したと、おだんごはニッコリ笑った。
おさげの『心』を育てられるのは、この子かもしれない。
おわり