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仮面
(※血の描写が嫌いな人は読まない方が良いです)
赤い。血は赤い。異形の血も赤いのかと、辰伶はぼんやりと考える。
血溜まりの中に倒れ伏す異形の屍骸。樹海を住処とする出来損ないの生命体の、その命を絶ったのが己の手にする剣だという認識が、次第に辰伶の意識を侵食していく。この場を血に染めたのは、己が剣。異形の生命を滅したのは、己が手。真っ赤な血に汚れたこの手の仕業。血と脂肪に滑る刀を、辰伶は離さない。離すことができない。
初めて、生命あるものを斬った。練習でなく、敵を殺す練習の為に。
全身に浴びた血飛沫が髪を伝い、緋色の雫と落ちる。血臭に噎せて、咄嗟に口元を押さえた袖も血塗れで、一層強くなった血の臭気に堪らず辰伶は嘔吐した。
辰伶の五感はその感触を脳髄へと克明に伝え記録させる。肉を裂いた瞬間に飛び出した内臓の鮮やかさ。骨を断つ感触。断末魔の叫び。鉄錆のような臭気。嘔吐した胃液の苦さ。
辰伶が殺した樹海の住人は元から人の形をしてはいなかった。それでもこれが、人を殺すということ。殺人という行為。気持ち悪い。なんて気持ち悪いこと。血が気持ち悪い。臭いが気持ち悪い。手が気持ち悪い。服が気持ち悪い。みんな、みんな気持ち悪い…
気がつけば、辰伶の目の前には吹雪が居た。己の師がいつからそこにいたのか、辰伶には解からなかった。虚ろな眼で見上げる。
「吹雪様…」
吹雪はその長身を屈め、その懐へと辰伶を包み込んだ。緩やかに優しく。親鳥が雛を守るように。
「…吹雪様、穢れます」
「構わん」
赤く染められた辰伶の髪を吹雪の長い指が梳いてゆく。それは同じ間隔で繰り返し繰り返し…。吹雪の大きな掌が辰伶の髪を撫でる度に、まるで催眠術に掛かったように辰伶は何も考えられなくなっていく。
「辰伶、これの息の根を止めるまでに、何回斬りつけた」
「……8回…です。…8回くらいだと、思います…」
「そうだ。傷跡が8箇所ある。お前が未熟だからだ。剣術も精神も…」
吹雪の袖の陰から、そっと屍骸を見る。しかし直ぐに目を背けてしまう。
「殺意を躊躇うな。躊躇えばそれだけ多くの返り血を浴びることとなる。或いは、お前こそが血の海に横たわり臓物を撒き散らすことになるかもしれんぞ」
「はい」
「覚えておけ。敵に情けをかける気なら、寧ろ確実に殺せ。それこそが慈悲だ」
「はい」
「だが、良くやった。次はもっと上手くやれるな」
「はい。吹雪様…」
噎せ返るほどに濃い血臭が立ち込める中で辰伶は、吹雪の声と温もりだけに縋っていた。血に汚れた頬を一滴の涙が滑り落ちて、一本の筋を描いた。
洗脳とは即ち、飴と鞭の使い分けだ。
殺生に対する畏怖と嫌悪を麻痺させ、寧ろ充足感さえ得られるように、辰伶の精神を作り変える。その上で、吹雪の意のままに従う忠実な手駒とすべく辰伶を育て上げる。
辰伶は完璧な壬生の戦士として完成されるだろう。吹雪は掌中にある辰伶を慰撫し、慈しみ続ける。深く深く、心の深淵までも。辰伶が吹雪の忠実な手駒である限り。
「お前は、理想的な弟子だな」
吹雪は本心から言った。
おわり
いつか何かに使おうと思っていたのですが、結局使い道のなかったエピソードです。
自分でツッコミますが、吹雪の着物に袖ってあったっけ?
05/7/20