19: 笑顔
ねえ、辰伶。
お前の笑った顔こそ、見たことないよ…
外の世界は面白い。例えば、今俺たちの眼前にある巨大な砂の丘。こんな風景、壬生の郷じゃちょっとお目に掛かれない。
「ここが……関ヶ原…?」
アキラがものすごく不審そうに俺を見る。
「いや、関ヶ原に砂丘はねえだろう」
梵天丸が答えた。半分笑ったような顔してる。
「……で、ここ何処?」
そう言ったらいきなり殴られた。
「痛い…」
「ほたる! あんたがこっちだって言ったんでしょうがっ。何で関ヶ原が鳥取砂丘になるの!因幡よ、ここ因幡!」
「因幡……ハゲたウサギは?」
また殴られた。俺を殴ったのは最近仲間になった奴で、灯ちゃんっていう。
「…こいつは筋金入りの方向音痴だからな」
狂が喉の奥で笑った。解ってんなら俺の言うことなんか聞かなきゃ良かったのに。
「毎回毎回とんでもないところに連れてってくれるぜ、こいつは」
「江戸から東海道を歩いてた筈が越後に出たときは傑作だったな」
「次あたりで桜島が拝めそうな気がするぜ」
アキラと梵はさも『困った奴だ』みたいな口振りで話してるけど、目が笑ってる。結局みんな面白がってるんだよね。
「ふーん…そうなんだ。あんたたち、解っててほたるに地図を任せてたんだ……」
あ、灯ちゃんの目が据わってる。
「このろくでなしどもがっ!!」
◇
◇
◇
灯ちゃんにぶっとばされた俺たちは砂丘に埋められるところを、寸前で狂のストップが掛かって赦してもらった。でも、何で俺が殴られるの?俺は真剣に地図見てたんだけど。それから何で狂が殴られないの?…ま、どーでもいいけど。
顔を腫らして座り込みながら、俺たちは海を見ていた。俺の隣には梵天丸がいた。
「へえ…、こんな砂の上にも花が咲くのかよ」
さも感心したように梵が言った。みると、俺と梵の間には何か知らない花が咲いていた。
「俺様んとこに出入りしてた南蛮人どもから聴いたんだが、世界にはこの砂丘よりももっとすげえ砂漠ってのがあるんだと。そこじゃあ雨なんて滅多に降らねえ。何年も何年も降らねえことなんてザラだって言ってた。そんなところに、何年振りかに雨が降ると、死んでたような土地に一斉に花が咲くらしい」
梵は話し出すと長くてウザイからいつもだったら無視するか聞き流すかどっちかなんだけど、がさつな漢が花なんかの話をするから、ちょっと興味が湧いた。
「種の状態で何年もかけて雨を待つのさ。それだけ待って、やっと貰えた水だ。そりゃあ、嬉しいだろうなあ」
俺は返事しなかった。それのどこが嬉しいのか解らなかったから。他人から何か貰いたいなんて思ったことがない。欲しいものは自分で手に入れるから。誰かがくれるのを待つより自分の手で掴みに行った方が早いよ。
それに、欲しいものは、自分で手に入れるから楽しいんじゃない。他人から貰ったら意味ないよ。梵だってそうでしょ。少なくとも、ここに居る奴らはそういう奴だと思ったけど、違ったのかな。
雨を待つだけの、砂に咲く花なんて御免だね。
「…あれは文禄2年、俺様が27歳の頃よ。太閤のジジイの命令で、俺は兵隊連れてこの海を渡った。…つっても、ここからじゃねえがな」
あ、また始まった。あれ?さっきの話はあれで終わり?あれって、あれだけのこと?…まあ、別にいいけど。
「慣れねえ異国で喰いモンはねえわ、病気が流行るわ。戦いよりもそんなんで股肱の家臣どもがバタバタ死にやがるのよ。あん時はさすがの俺も戦うのが厭になったもんさ。そんな時よ。渡海先の朝鮮に、岩出山のお袋から手紙が届いた」
梵のお袋って言ったら、確か梵を毒殺しようとした人だ。この人は梵の弟に伊達家を継がせたくて、梵を殺そうとした。だからその時にそれを口実にして、梵は実の弟を自刃させたって言ってた。
「日本国内だって届くかどうか怪しいってのに、まさかこんな異国に届くとは思いも寄らなくて、とにかく嬉しかった。生きて帰って、もう1度おふくろに逢いてえと思った」
らしくない、とは思わない。こいつは四聖天の中じゃ、割とまともに『家族』ってものを知ってる方だから。
梵は父親のこと、すごく好きだったみたいだけど、伊達家の為に殺したって言ってた。弟にも特に恨みはなかったけど、やっぱり家の為に殺したって言ってた。そうやって好きな人や嫌いじゃない人は殺しちゃって、自分を毒殺しようとした母親とはそんな風に落ち着くなんて、ホント、変わってるよ。その意味じゃ、俺にとっては梵が一番不思議な奴。
まあね。梵には梵の考えがあるんだし、俺はそれでいいと思う。でも、たまに訊いてみたくなることがある。母親に毒を盛られた時、どんな気分だった?父親と弟を殺した時は、何を思った?
…俺と辰伶はどんな風に決着するんだろう。
俺は異母兄のこと、どうやってケリつけたらいいのか、まだ解らない。
辰伶が俺を見下ろしている。戦闘後の息も乱さず静かに見下ろすその瞳は、俺と同じ色。こんなに間近で見たのは、多分、初めて。俺とお前が異母兄弟だって事実をつきつけられてるようで、大嫌いだった琥珀色の瞳。
「何故だ、螢惑。貴様は自分の命を削ってまで……この俺に何を教えようというのだ?」
何故、命を削ってまで教えるかって?だって、お前、バカだから。命くらい懸けないと、お前みたいな筋金入りのバカには解らないじゃない。辰伶がもっと頭良かったら、こんな方法は採らないよ。
何を、教えるのかって?…お前に、自由な魂を。それが、俺が持っているたった1つの宝物だから。
辰伶のことも、バカ親父のことも、殺してやりたいほど憎んでた。心の底から恨んで、俺の身体に流れる血の半分さえも憎んだ。それなのに、辰伶が俺のことをずっと想ってくれてたってことを知った瞬間に、凝り固まって石みたいになってた憎しみが、スルリと解けて空へ溶けた。
たぶん俺は、辰伶から何かが欲しかったんだと思う。他人に期待することなんて何にもないけど、ただ1人だけ、お前には何かをして貰いたかったんだろう。それは何でも良かったんだと思う。無視以外の何かを、異母兄であるお前から欲しかった。
それは、努力したりとか奪ったりとか、どうしたって自分の手で掴めるものじゃない。お前からじゃないと。辰伶が与えてくれるという形じゃないと、絶対手に入らないものだ。
だから、辰伶が俺のこと異母弟だってことちゃんと知ってて、俺のことずっと見ててくれたことが、すごくうれしい。陰から力を貸してくれてたことが、本当にうれしい。
今なら解る。梵の言ったこと。砂に咲く花の気持ち。それって、こういうことだったんだね。
『ありがと』
ありがとう。すごくうれしかった。だから、俺が持ってるたった1つの宝物を、自由を辰伶にあげたかった。他に何も持ってないから、それだけがお前にあげられるものだから、例え命を削っても、お前にあげたかったんだよ――…
ねえ、辰伶。お前は俺のこと笑わないって言うけど、俺だってお前の笑った顔なんか見たことない。…子供の頃はそんなでもなかったのに、お前はいつから笑わなくなったの?
ねえ、辰伶。仲間がみんな死んで、これからお前は誰の前で笑うの?誰の前でなら、子供の頃みたいに笑えるの?
「せめてもの情けだ。最期は兄として、貴様を送ってやろう」
ねえ、辰伶。
「さらばだ、弟よ――!!」
ねえ、辰伶。笑顔みせて。
「辰…」
ダメならせめて、泣いてよ…
おわり
05/7/13