06:青
青は空の色。
――あいつがいつも見上げていた。
青は海の色。
――あいつがいつか見たいと言っていた。
青は心の色。あいつの憧れの色。
俺の痛みの色。
お金がなかった。それで俺たちはどっかのそほーか(素封家)の蔵を破って金品を漁ってた。なんかここのオヤジは盗賊とこっそり友達で、それでお金をいっぱい隠してるって梵天丸が言ってたけど、興味なかったんでよく知らない。そこら中に盗賊とかの死体が転がってるけど、弱い奴らには興味ないからどーでもいい。ちょっと邪魔だけど、どーでもいい。
「あ、これ。なんかおもしろい」
「ほたるっ、ガラクタで遊んでないで、ちゃんと金目の物を探せよ」
両手に千両箱を抱えたアキラに怒鳴られた。年下に怒られるのって、なんかムカつく。
「ここって暗いなあ。明かりつけてもいい?」
俺は手近にあったものに火をつけた。そしたら灯ちゃんに錫杖で頭を殴られた。
「…痛い」
「このアホたるっ。その掛け軸、売ったら幾らになると思ってんの?」
「えっと、300円くらい?もっと高い?」
「『円』って何だよ、『円』って…」
梵天丸に呆れた声で言われた。…『円』って何だっけ?
でも手元が明るくなって良かった、良かった。
「あ、あれ。何だろう」
蔵の片隅で、オレンジ色の光を何かが照り返した。近寄ってよく見てみると、割れた茶碗みたいだった。でも茶碗にしては形が変。それから、これって何か陶器じゃないっぽい。
「あら、勿体無い。それって瑠璃杯じゃない。舶来品よ。誰かしら、壊しやがったのは」
「瑠璃杯…」
灯ちゃんがそう言うのを聞いて、俺は思い出した。俺は前にもこの瑠璃杯というものを見たことがある。すごく深い青色で、この光の宿る杯は硝子とかいうもので出来ているのだと、辰伶が教えてくれた。
辰伶はそれを吹雪から貰ったって言ってた。青色は辰伶の好きな色。…訊いてみたことはないけど、多分ね。よく青い服を着てるからそうなんじゃないのかなあ。それが割れちゃって、すごくがっかりした顔してた。あ、割ったのは俺。
瑠璃杯を割っちゃった時、凄い勢いで怒鳴られたっけ。その言葉を、怖いくらいの勢いで言われたその言葉を、今でも俺は覚えてる。
「バカほたる!何してんだよっ」
「え、何って」
またアキラに怒鳴られた。見たら俺は瑠璃杯の割れた欠片を握り締めていた。掌を開くと、血が流れてきた。
「…もう、あんたって…」
「灯ちゃん、治さなくていいよ。秘密も今はネタ切れだし」
今は何も話したくない。…あいつのことを話したくなってしまうから。
「馬鹿ねえ。これくらいの傷で、いちいち法力治療なんてやってらんないわよ。貸しなさい。包帯を捲いてあげるから」
「うん」
灯ちゃんの手はあったかくて、とても優しい。包帯を捲いてくれる手が、俺は大好き。
文机に向かう辰伶を、密かに呼ぶ声がある。
「誰だ?」
返事は無い。だが、その気配でそれが誰なのか、辰伶には解かっていた。
「螢惑だろう。何の用だ」
沈黙に焦れて、辰伶は縁側へと出た。灯台によって出きた辰伶の影が、庭へと長く続いている。微かな風に炎が揺らめくのか、影は落ち着き無く形を変える。そうして立って、再度名を呼ぶと、植え込みの陰からほたるが姿を現した。
「ちょっとね、近くに来たから」
現在は鬼目の狂の監視役として壬生を離れていることになっている身が、何故ここにいるのかという辰伶の問いを制して、ほたるは先に言った。そして白砂を鳴らして辰伶の元へ来た。
「あげる」
ほたるが放り投げた物を、辰伶は抱きとめるようにして受け取った。それは真っ青な硝子の欠片だった。意味が解からず、辰伶は歪な三角形の硝子片を指で抓まんで眼前にかざした。それには何か黒っぽいものが乾いてこびりついていた。これは、……血?
「螢惑、おまえ怪我を…」
辰伶が顔を上げたとき、もうそこにはほたるの姿は無かった。
「何なんだ…」
こんなガラクタを大事に拾ってくるなんて、まるで子供だと辰伶は思った。
戻った途端、アキラに怒られた。
「ほたる、どこ行ってたんだよ」
「うん…」
「おまえが何処に行こうが、俺には関係ないけどさ。でも、四聖天を抜けるんだったら言えよ。捜す時間が勿体無いからな」
「捜したの?」
「う……だ、だって、迷子になってるかもしれないって、梵がっ」
アキラは真っ赤になって慌てている。何をそんなに照れているんだろう。他人に素気ない態度をとるのが大人なんだと、アキラは思ってるみたいだけど。大人ぶるのがガキなんだよね。
辰伶とアキラは少し似てる。でも、辰伶はアキラよりもずっと大人だ。大人過ぎて、ガキのアキラよりもずっと馬鹿だけど。
『螢惑っ、怪我はっ』
これは、あの時の辰伶の言葉。吹雪から貰ったという瑠璃杯を俺が壊しちゃった時、辰伶は間髪入れずに、そう叫んだ。その時の辰伶の顔があんまりにも真剣だったから、俺は一瞬、怒られたのかと思った。その辰伶の声に驚いて、俺は瑠璃杯の割れた欠片を握り締めて怪我をした。馬鹿みたいだ。
その後は、散々に言われたっけ。落ち着きが無いだの、うっかり者だの、もっと注意しろだの。散々小言を聴かされながら、俺は辰伶から手当てを受けた。薬を塗って、丁寧に包帯を捲いてくれた。いつも冷たい色ばかり身に纏ってるくせに、手はあったかかった。
辰伶とは何度も言葉を交わしたことがあったのに、あの時初めて辰伶の本当の声を聞いたような気がした。『怪我は』って、その一言は絶対に忘れない。
だから、辰伶も忘れないでいて欲しい。
本当の自分を全部捨ててしまわないで欲しいと思う。
「何だと言うんだ。こんなガラクタ」
辰伶は手を止めて、出来栄えを確認した。まずまずだ。
硝子の鋭い切り口で怪我をしないように、鑢で擦って角を丸めて滑らかにする。そして、罅が入らないように慎重に穴を開け、そこに朱色の飾り紐を通して付けた。アクセサリーではない。言ってみれば、お守りのようなもの。
辰伶はそれを日に翳した。日の光は硝子片を透過し、青い影を辰伶に落とした。
青はやすらぎの色。
――あいつが俺にくれたもの。
おわり
遠恋ですか、お2人さん…
05/3/23