03:傷跡
名も知らぬ君へ
昨日のお手紙には本当に驚きました。そしてとても悲しくなりました。僕が今書いている手紙が最後になるのですね。とても寂しいですが、そういう事情では仕方がないと思います。
これが最後なので、僕は何を書こうか悩みました。君との手紙の遣り取りは本当に楽しかった。君は僕が知らないことをたくさん知っていて、本当に色々なことを教えてくれました。桜が秋にも咲くなんて、君に教えられるまでちっとも知らなかったし、他の鳥に自分の子供を育てさせる鳥がいることも知りませんでした。そうそう、あれは託卵と謂うらしいです。書物で知りました。
君は観察力が鋭いし、表現は大胆で、とにかく発想が他の人とは全然違っていて面白かったです。手紙の内容も楽しくて好きでしたが、文章がぶっきら棒で明け透けなのも、少し癖のある伸びやかな文字も大好きでした。何度か絵を描いてくれたこともありましたね。絵といえば、あの真っ黒な茄子みたいなものは何だったんでしょうか。矢印で『ゆんゆん』と説明してありましたが、僕はゆんゆんというものが何か知らないので解かりませんでした。野菜か何かなんでしょうか。
そして何よりも嬉しかったのは、僕が誰に宛てるでもなく書いた手紙を、君が見つけて返事をくれた事です。誰にも内緒でケヤキの木の洞の中へ入れておいた手紙が消えて、換わりに君からの手紙が入っていたときの驚きと感激は、今でも覚えています。
そんな君との文通が終わってしまうのかと思うと、胸がいっぱいになってしまって、何を書いたらいいのか解かりません。文章もどんどん滅茶苦茶になってきています。みっともないけれど、実はもう五回も書き直していて、それでもこんな調子なので、どうか許して下さい。
これが最後ということで、君にお願いがあります。僕達はこんな風に顔も名前も知らずに、手紙だけで付き合ってきました。お互いに何処の誰とも知らずに。僕はそれが逆に楽しかったので、今まで詮索はしませんでした。却って、何も知らないということで、素直に自分の気持ちを書けた様な気さえします。だけど、これが最後と思ったら、無性に君に会ってみたくなりました。
君の姿を見たことはありませんでしたが、想像したことはあります。手紙の内容から、君と僕はそんなに変わらない歳だと思います。それから多分、君は男の子なんじゃないでしょうか。だって、女の子にしては、あの手紙の内容は元気が良すぎるから。『蛇を捕まえたので皮を剥いで焼いて食べたら焼き魚に似てた』なんて、それで女の子だったら凄いと思う。こう書いてしまって、本当はずっと大人の人だったり、女の子だったりしたら目も当てられませんね。その時は御免なさい。
それで、もし君さえ良ければ、十年後に会いませんか。場所は君と僕を結びつけてくれたこの木の下で。十年経っても忘れないように、僕はこの木の幹へ一の字を刻んでおきます。もし会ってくれるなら、一の字に縦棒を刻んで十の字にして下さい。駄目なら一のまま残しておいて下さい。
本当に今までありがとう。僕にとって君は一番の友達でした。そしてこれからもそうだと思います。十年後に君に会えることを心から祈っています。
名無しの僕より
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「…おい、螢惑」
「何?」
「何故、隣に座っている」
「辰伶こそ、なんでわざわざ俺の横に立ってんのさ」
「きさまの隣にいるわけじゃない。俺はここにいるだけだ。きさまには関係ない」
「俺だって、辰伶がいるからってわけじゃない。関係ないならどっか行って」
「何故俺がきさまに遠慮せねばならん。おまえが退け。邪魔だ」
「邪魔してんのはそっちでしょ」
「俺はここで人と待ち合わせをしているんだ」
「誰と?」
「だ、誰だっていいだろっ」
「ふうん…」
「何だ」
「俺も人を待ってる」
「待っているって、朝からもう昼になるぞ。何時に待ち合わせたんだ」
「時間決めてなかった」
「ふん。いい加減だな。まあ、きさまの知り合いなど、どうせ…」
「そういう辰伶の待ってる人も来ないね」
「そ、それは少し遅れて…」
「朝からもう昼になるのに?何時に待ち合わせ?」
「……」
「辰伶の知り合いなんだよね。その人」
ケヤキの木には十字の傷跡。十年前は目の高さだったのが、今では腰の位置にある。
「…まさか、な」
おわり
05/3/2