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Night Cap Cocktail


 ほたるがアルバイトから帰ると、異母兄の辰伶はリビングでノートパソコンを叩いていた。どうやら仕事をお持ち帰りしてきたらしい。最近はいつもそうだ。辰伶は顔も挙げず、パソコンの画面に見入りながらほたるに訊ねた。

「夕飯は?食べてきたのか?」
「バイトに行く前に少し食べたけど、何かある?」
「蝿帳の中に焼きそばがある。あと、冷蔵庫に明太子と蛸わさびと…自分で見繕って勝手に喰ってくれ」
「うん」

 ほたるは冷蔵庫から蛸わさびと缶チューハイを取り出した。蝿帳の焼きそばはレンジで温める。辰伶が忙しいと食事内容が急に手抜きになるが、ほたるはそんなことは大して気にしない。

 適当に夕食を済ませ、ほたるはリビングの辰伶の真向かいに座った。何だか今朝から喉に少し痛みがある。

「んー…んっんっ」

 ほたるは喉に手を当てて咳をした。

「どうした」
「なんか、喉が変」

 チラリとほたるを見遣ると、辰伶は気の無い声で言った。

「風邪か?うがいしろ。感染すなよ」
「冷たい奴」
「品質改善サークルの活動発表会が今月末にあるんだが、俺は発表のアシスタントに任命されてしまったのでな。それに向けて作成せねばならん資料や報告書が山のようにある。こんな時に風邪などひいていられるか」

 ほたるの眉間に縦ジワが刻まれた。

「そんなに仕事が大事?俺よりも?」
「当然だ。俺たちの課は上位入賞を狙っている」
「ふ…ん、そーゆーコト言うんだ」

 辰伶のその言葉で、ほたるの眉間のシワは3ミリ深さを増した。

「覚悟はいい?」
「え?」

 照明が陰ったと思った瞬間に、辰伶はほたるに口づけられていた。勢い余ってソファに横倒しに倒れこむ。覆いかぶさるようにして圧し掛かって来る身体は辰伶よりも小柄だが、体勢が悪くて跳ね除けられない。深く深く貪ってくる唇をやっとの思いで引き剥がした時には、呼吸は激しく乱れていた。

「何をするんだ、いきなり」
「感染す。ぜーったいに感染す」
「離れろっ!この、風邪菌!」
「感染すまで絶対、絶対、離さない」

 再び唇が重なる。馬鹿馬鹿しくもくだらない諍いは、しかしその20分後には、どういう経過を辿ったのか場所はリビングから寝室へと移り、2人は仲良くベッドの中にいた。当然のことながら、服など着ている筈もない。

 要するに、こういう関係の2人だ。


 話は半年前に遡る。その夜、辰伶の家族関係は危機を迎えていた。

「……」
「……」

 固い表情の母。どこか落ち着きのない父。そして、節目がちに身を小さくしている見知らぬ女性。

 父親に愛人の存在が発覚した。といっても父親の浮気癖は昔からで、それに対して母親はとっくの昔に諦め、今ではすっかり冷めている。辰伶もそれと似たり寄ったりの心境で、真っ向から非難する程の情熱は既に無い。

 しかし今回は今までとは少し状況が違っていた。単なる浮気として目を瞑るには、あまりにも無視しえぬ事実が存在していたからである。その事実とは、愛人に子供がいたということである。父の愛人の隣には、辰伶の異母弟がいた。

 異母弟は辰伶の1学年下だが、誕生日は半年しか違わない。殆ど同じ歳だ。その事実はさらに状況をヘヴィにしている。

 それだけでも十分にヘヴィなのに、事実はさらに追い討ちをかける。異母弟のほたるは辰伶の知り合い……ぶっちゃけて言えば、恋人だったのだ。


 ここで一旦現在に戻ろう。

 ほたるは気怠るげに腕を伸ばすと、自分が着ていた服を引き寄せ、ポケットを探って煙草の箱を取り出した。その中から1本を摘み出し口に咥える。火をつけようとした瞬間に、横から奪い取られた。

「喉が痛いのなら、煙草はやめておけ」

 辰伶の指の間で煙草が踊っている。すんなりと長い指の、その形の良い手にその仕草は似合っていたが、彼には喫煙の習慣は無い。火のつけられなかったそれは、もとの通り箱に収められた。

「俺の勝手でしょ」
「煙草の臭いは嫌いだと、前から言っているだろう。髪につく」
「どうせ今からシャワー浴びるんだからいいじゃない」
「言っておくが、うちに灰皿は無い。どうしても吸いたければ外に出ろ。部屋が煙草臭くなる」

 煙草の箱をほたるに返し、辰伶はベッドを降りた。服を拾いながらバスルームへ向かう。

「俺、風邪気味なのに。あ、そういえば、風邪感染った?」
「ふん。貴様ごときの風邪ウィルスなど効くものか」
「…バカは風邪ひかない」
「知らんのか?平等思想が浸透し差別問題に敏感な昨今では、ウィルスもバカを差別せんのだ。……どうでもいいが、何故ついてくる」
「俺もシャワー浴びる」
「煙草は良かったのか?」
「外に出るのめんどくさいからいい」

 前を歩いていた辰伶はピタリと止まると、身体を横にしてほたるに道を開けた。

「なら、先に使うか?」
「バカだね。一緒に入りたいんだってば」

 辰伶は少し眉を顰めた。胡乱げにほたるを見つめる。

「変なことはするなよ」
「イイコトならいいでしょ」

 こういう流れで、2人は寝室からバスルームに移動した。バスルームの中で少々の悪ふざけがあったことは、当たり前過ぎて説明する気にもならない。

 つまり、こういう仲の2人なのだ。


 半年前の話の数時間前のこと。その日、ほたるは初めて辰伶の父に会った。

「ほたる?何故お前がここに…」
「え?オヤジがなんで?」

 辰伶の父とほたるの初顔合わせの第一声がこれだった。数秒間、時が止まったように静まり返り、その中から辰伶が躊躇いがちに言った。

「……父さんとほたるは知り合いなんですか?」

 父親は答えない。答えたのはほたるだ。

「この人、辰伶の父親?」

 無言で頷く。辰伶は嫌な予感がした。その先を聞いてはいけないと、頭の中で何かが警告を発している。

 辰伶とほたるは高校時代からの付き合いの恋人同士だ。初めて出会ったその日のその時に恋人宣言し、その週末の初デートで初キス、その翌日には校内公認カップルとなり、一ヶ月を待たずして関係を持っていたという超スピード恋愛のくせに、よくも長く続いている。

 その頃からほたるは辰伶の家にしょっちゅう出入りしていた。辰伶の両親は昔から留守がちで、特にこの頃は年に数回しか家に帰らない程だった。それを良いことに、ほたるが辰伶の家に泊まることなどいつものことで、その度にほたるの備品は増えていった。歯ブラシ、パジャマ、着替え、専用の箸と茶碗、色違いでおそろいのマグカップ……殆ど同棲である。

 そんな風に何年も付き合っていながら、ほたるが辰伶の両親と顔を会わせたのはその日が初めてだった。そして、それが辰伶の家族の崩壊の序章だった。

「ねえ、オヤジの息子って、俺じゃないの?オヤジの奥さんって、俺の母さんじゃないの?」

 ほたるは知らなかったのだ。ほたるの母は辰伶の父の愛人だった。父があまり家に帰らないのは海外へ単身赴任しているからだと聞かされていた。…それはあながち嘘ではなかったのだが。

 そして、非常に考えたくないことなのだが……

「父さんがほたるの父親だというなら、俺とほたるは……異母兄弟、ということになるのか?」
「俺と辰伶が兄弟?辰伶が俺の…兄?」

 血の気が引いていくのを、辰伶は自覚した。異母兄弟なんて冗談ではない。自分たちは恋人同士だというのに。本当に性質が悪い冗談だ。こんな冗談、ちっとも笑えやしない…

「これは、どういうことかしら」

 鋭利な刃物のように切り込んできたのは、辰伶の母だ。タイミング良くというか、折り悪くというか、ちょうど長期旅行から帰ってきたところだった。

 辰伶の母はまず自分の夫の顔を見た。そして次に自分の息子でない夫の息子に視線を遣った。夫の浮気の数々に目を瞑ってきた彼女にも、隠し子の存在は看過しえぬことだった。

「今夜はゆっくり話し合いましょう。…全員で」

 そしてほたるの母が呼び出された。

「……」
「……」
「……」

 辰伶の家のリビングに舞台に、家庭崩壊劇の役者が揃い、幕開けのベルが鳴った。

 チャラララ〜… チャラララ〜ラ〜…

 その音楽を耳にして、辰伶の母とほたるの母は同時に時計を見た。

「え!?もうこんな時間!?」
「嘘!テレビ!テレビ!!」

 2人の母達は飛びつくようにしてテレビの前に座り込んだ。突然のことに男共はただ茫然としている。何だ?いったい何が起こったんだ?

 彼女らが食い入るように見ているのは、外国製の恋愛ドラマだった。目に鉢巻をした年中ノースリーブの寒々しい男(主人公)が日本製の暖房器具の魅力に取り憑かれ翻弄されるという純愛ストーリーで、確かタイトルは『冬のおこた』だった。今、世間で話題の超絶人気ドラマだ。

「ああ、ゆん様…」
「ゆん様、ステキ…」

 このドラマの主役を演じているのは日本のオバチャンに圧倒的人気の遊庵という俳優だ。オバチャン軍団の曰く、あの皮肉っぽい嘲笑が堪らなく良いのだとか。

「あの…」
「「静かにっ」」
「…はい」

 恐る恐る声を掛けてみた辰伶だったが、すっぱりと切り捨てられてしまった。2人の女性はテレビに熱中していて振り返ることもしない。ドラマが終わるまで待つしかなかった。すっかりオバチャン化してしまった己が母を見て、辰伶とほたるは心の底から引いていた。

 そしてドラマが終わる頃には、辰伶の母とほたるの母はゆん様ファン同士ということですっかり意気投合し、仲良くゆん様の魅力について語り合っていた。仲良きことは美しきかな…などと暢気なことを言っていていいのだろうか。修羅場も困るがこのまま有耶無耶にしてしまうのも中途半端で気持ちが悪い。後日に先送りして良い結果が得られることは少ないのだ。辰伶は意を決して言った。

「母さん、話し合いはいいんですか?」
「話し合い?……ああ!」

 完璧に忘れていたようだ。聡明だった母がすっかりゆん様ボケしてしまったことに軽くショックを受けた。

 辰伶の母はほたるを見遣るとニッコリ微笑んで辰伶に言った。

「良かったわね、辰伶。可愛い弟ができて」

 続けてほたるの母が言った。

「ほたる、嬉しいでしょ。優しいお兄さんができて」

 雰囲気は次第にほのぼのとしていく。辰伶とほたるは互いを見交わした。

「かわいい……?」
「やさしい……?」

 そして話は全て済んだとばかりに、2人は再びゆん様の話題で盛り上がっていた。果たしてこれで良いのだろうか。平和的解決をただ喜んでしまえばいいのだろうか。いや、そんな筈はない。問題はそれだけではないのだ。辰伶とほたるにとって最大の問題は…

「あのさ、自分たちばっかで勝手に決めないでくれる」

 辰伶が「え?」と思う間もなく、ほたるによって本日最大の爆弾が投下された。

「いきなり兄弟だなんて、メーワクだよ。俺たち恋人同士なのに。てゆーか、とっくにヤっちゃってるし」

 さすがに空気が凍りついた。辰伶の母もほたるの母も、そしてすっかり影が薄くなってしまった父も、ほたるの発言に目を丸くしていた。

 この場をどう取り繕うべきかと辰伶は焦った。ここまではっきり宣言してしまったら、実は取り繕う方法なんて全く無く、もう腹を据えるか開き直るしか無い。しかし、パニックに陥った辰伶がそれに気づく筈も無かった。そして、場面は一挙に崩壊へと加速した。

「な……」

 最初に壊れたのは辰伶の母だった。

「なんてステキなのかしら!こんな可愛い子が息子の恋人だなんて!」

 続けてほたるの母が壊れた。

「ほたる、グッチョイス!」

 親指を立ててウィンクをかます。そして、とうとう父が壊れた。

「さすが俺の息子達。2人とも俺に似てメンクイだなあ」
「あら、私に似て趣味が良いのよ」
「2人並ぶとホント、お似合いだわ〜」

 ちょっと待て、と辰伶は思った。今夜は関係者全員でゆっくりと何を話し合うつもりだったのだろう。息子自慢か?息子の恋人自慢か?激しく違うだろう。

 だがそれを蒸し返す気力は辰伶には無かった。この流れに乗って一緒に壊れてしまうのが、一番楽な方法だった。

「俺たちは心から(身体に至るまで)愛し合ってます。一緒に暮らしてもいいですか?」
「今でも同棲してるみたいなもんだけどね」

 反対する者は誰もいなかった。そのままその夜は、若い恋人達の新たな門出(←違うだろ)を祝って、家族ぐるみでパーティーとなったのだった。



「それでは撮りますよ〜。皆さ〜ん、笑って下さ〜い」

 家庭崩壊劇の最後は、家族全員揃っての記念撮影で幕を閉じた。



 その数日後、辰伶の母とほたるの母は仲良く『ゆん様追っかけ旅行』へ出かけてしまった。恐らく2人が帰国するのは、ゆん様来日の時になるだろう。

 程なく父も新たに海外赴任が決定し、少なくとも3年は帰る予定なしだ。見送りに行った空港で辰伶は父に言った。羽を伸ばすのは結構だが、2人も弟は要らないと。すると父は神妙な顔で答えた。

「妹ならいいか?」

 空港に流れるアナウンスを打ち消して、辰伶の大音声が響き渡った。

「色ボケオヤジ!いっぺん死んで来い!」

 壊れた家族の後には、1枚の家族写真と、2人の幸せな恋人達が残った。


 再び現在に戻る。

「風邪をひいたら卵酒っていうけどさあ…」

 唐突に、ほたるが言った。

「実際に卵酒飲んだことある奴、会ったことない。辰伶は卵酒って飲んだことある?」
「無いな。…卵の卵白に何か風邪に効く成分があるらしいが、せいぜい滋養をとって、身体を温めて、さっさと寝ろということじゃないのか?昔はともかく、今は卵酒よりもよく効く風邪薬が簡単に手に入るから、そんなものわざわざ作って飲む必要ないと思うがな」
「そうなの?俺は本物の卵酒がどんなのか知らないし、作り方も知らないけど、イメージで作ったことあるけどね」

 卵酒という名前から想像して適当に作ったということだ。それにしても天然ボケのほたるのすることである。いったいどんな代物ができたことか。

「どんなものを作ったんだ?」
「日本酒に卵を落として電子レンジであっためた。そしたらゆで卵酒になった」

 ほたるらしい。しかし、そこで終わりではなかった。

「だから今度は溶き卵にして電子レンジであっためた。そしたら卵とじ酒になった」
「…電子レンジで温めるという発想がマズイんじゃないのか?何分加熱したんだ?」
「10分。何回やっても上手くいかなくてさ、お陰で二日酔いになっちゃった」
「…全部飲んだのか」
「食べ物は粗末にしちゃいけないんだよ」

 辰伶はつと立ち上がると、棚からブランデーとゴールド・ラムのビンを引っ張り出した。

「卵酒、作ってやろうか」
「え?辰伶、作り方知ってるの?」

 辰伶はキッチンへ行って冷蔵庫から新鮮な卵を選んで取り出し、小さなボウルへ割った。白身と黄身は別々にして、それぞれ泡立てる。適当に泡立てたところで黄身にガムシロップを入れ、更に泡立ててから白身と一緒にする。そこへブランデーとゴールド・ラムをいれる。

「本当はゴールド・ラムじゃなくてダーク・ラムなんだが…間に合わせだ」

 バー・スプーンでかき混ぜながら小さく呟く。ステアを終えるとタンブラーを簡単に温めてそこへ注ぎ、熱湯を注いで再びステアした。

「できたぞ」

 温かく湯気を立ち上らせたタンブラーがほたるの前に置かれた。

「西洋の卵酒だ。本当はこの上にナツメグのパウダーを振り掛けるんだが、うちには無いからな。…正直言って、あれは匂いが嫌いだ」

 このホット・カクテルは『トム・アンド・ジェリー』という。有名なバーテンダーのジェリー・トーマス氏の作だが、有名な外国アニメーションと関係あるかどうかは知らない。

「お酒なのに、何か甘いね。…子供の飲み物みたい」
「好みじゃないか?」
「ううん。あったかくて好き」

 だから、こんなカンジの2人なのである。


 終わり

 リクエスト下さった猫林卓様、お待たせしました。大変遅くなって申し訳ありません。
 同居シリーズとは違ってモラルの低いお兄様ですが…大丈夫でしょうか。テーマの『二人のささいな喧嘩』をクリアーしきれてないというか、あんまりLOVE LOVEしてないっていうか…みんな壊れててすみません。

〔おまけ〕
『トム・アンド・ジェリー』の作り方は作中の手順通りです。分量はブランデー20ml、ダーク・ラム20ml、砂糖1tsp(バー・スプーン1杯)、卵1個、熱湯は適量。最後にナツメグ(パウダー)を振りかけて下さい。私はナツメグが嫌いなのでかけませんが。熱湯の代わりに温めた牛乳を使用するとミルクセーキっぽくなります。アルコール度数が低いので飲みやすいです。寒い夜や風邪のひき始めにどうぞ。

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