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いきなり!転校生
5月の連休が終わるころには、学生生活はすっかり落ち着いた日常となる。新しい学校、新しい学年、新しい友人。新しい環境の全てが、いつの間にか普段着のように馴染み、もうずっと昔からこんな日常を繰り返していたような気にさえなる。つい1ヶ月前の変化も、これから起こりうる変化も何も考えられない。
「じゃあ、行って来る」
螢惑の転校が決まったのは、そんな時期だった。今日はその第1日目であり、螢惑の初登校の日であった。制服をラフに着崩して、中身の薄そうな鞄をぶらぶらと提げている。
その後姿を窓越しに見送る者があった。螢惑の異母兄である辰伶である。
螢惑は、辰伶の父親が愛人に生ませた子供である。その事実は長いこと無視され続けていたのだが、1年ほど前に螢惑の母が死んだことをきっかけに、父親の家に入ることとなった。辰伶と螢惑は片親繋がりの兄弟ということになる。
2人は同学年で(※2人の誕生日からするとそんなことはありえませんが、ここではそういうことにしといて下さい)、同じ高校へ進学した。しかし螢惑は全くと言っていいほど学校に行かず、その結果としてあっさり留年した。それは2年目も全く同じで、螢惑が学校へ通っている気配はなかった。
転校は辰伶の提案だった。環境が変われば気持ちも変わるのではないかと、父親に相談した。その意見が容れられ、この時期の転校となったのである。
しかし、この転校の話は辰伶と螢惑の間に亀裂を生んだ。もともと大して仲が良くは無かったが、以来、螢惑は辰伶に対して全く口をきかない。それも当然といえば当然といえた。実はこの転校話は当事者である螢惑抜きで勝手に決められたことなのだ。全ての手続きが済んでから話を聴かされた螢惑は不機嫌だった。
螢惑が新しく通うこととなる学校は、今までよりも少し遠い。30分は早く出なければならない。当然のことながら、朝は辰伶よりも螢惑の方が先に家を出ることとなる。辰伶は螢惑が学校へ向かう後ろ姿を自室の窓から見送っていた。
確かに螢惑は学校の制服を着て、学生鞄を持って、学校の方面へと歩いていったが、本当に学校に行くだろうか。途中でその気を無くして、どこかへ行ってしまいはしないだろうか。
辰伶が螢惑の転校を考えたのは、螢惑の不登校が自分のせいではないかと思っていたからだ。気に喰わない異母兄と同じ学校に行きたくなくて、それで学校をサボっていたのではないかというのが辰伶の考えだ。だから、自分がいない他の学校ならば、きちんと通うのではないかと思ったのだ。
しかし今回の転校の経緯は、かえって学校に対する反発心を大きくさせてしまったかもしれない。転校を勧めるにしても、何故一番最初に父親に相談してしまったのかと、辰伶は後悔していた。
しかし、後悔ばかりもしていられない。どうか螢惑には新しい学校に馴染んで欲しい。先ずは螢惑がちゃんと学校へ通うところを、辰伶は見届けることにした。
登校途中、不意に螢惑は視界を塞がれた。
「だーれだ?」
覚えが無い声、ではない。しかし誰だか分からない。
「…えっと………」
いつまで経っても答えに辿り着きそうのない螢惑の様子に、背後の人物は溜息をついて、螢惑の両目を覆っていた手を外した。
「ひどいなー。たった1年会わないだけで忘れちゃうのー?」
「あんなにしょっちゅう、うちに来てご飯食べてたのにねー」
同じ顔が2つ。
「真里庵、里々庵…」
彼女達は、螢惑が父親の家に引き取られる前に住んでいた家の隣人だった。この瓜二つの顔を持つ彼女達は双子ではなく、5つ子のうちの2人である。その5つ子の上に3人の兄と2人の姉がいる。その父親と合わせて総勢11人の大家族である。
「螢惑ってば、引っ越してから全然、うちに来てくれないんだもん」
「またご飯食べにおいでよー。庵奈が喜ぶよー」
「うん。そうする」
彼女らの姉の庵奈は本当に料理が上手い。思い出したら、螢惑は急に懐かしさを覚えた。
「今日でもいいよ。学校が終わったら絶対に来てよ」
「そういえば、螢惑ってどこの学校?」
「ええと……壬生学園高校」
真里庵と里々庵は同時に目を見開いた。そして一瞬後に、ステレオで驚きの声を発した。
「うそーっ。壬生学園?本当に?」
「庵曽新といっしょだー」
「庵曽新と?」
庵曽新とは彼女達の兄で、確か螢惑の1学年下だった。つまり、留年した螢惑とは同学年ということになる。
「でも庵曽新、螢惑といっしょだなんて、一言も教えてくんなかった」
「学校じゃ会わないの?」
「あ、俺、今日からだから」
螢惑は2人に転校のことを教えた。とたんに、2人は笑顔になった。
「そうなんだ。じゃあ、庵曽新が知ったら喜ぶねー」
「螢惑がうちに来なくなったからって、あのガリ勉、グレちゃったもんねー」
2人はあっけらかんと、兄の転落を笑い飛ばした。
「じゃあね。絶対にまた来てね」
「うん。あ、そうだ。壬生学園高校って、どう行けばいいの?」
「真っ直ぐ行って、3つ目の信号交差点を左だけど。ひょっとして、道に迷ってた?」
「うん」
螢惑の相変わらずの方向音痴ぶりに、真里庵と里々庵の2人は笑いが止まらなかった。
辰伶は壬生学園高校の校門の前に居た。門柱に背を凭せ掛けて難しい顔をしている。
ここに来るまでの間、ついぞ螢惑の姿を見なかった。先に家を出た螢惑が、辰伶が着く前にとっくに校内へ入ってしまった可能性はない。何故なら…
「おまえ、辰伶だろ」
不意に呼び掛けられて、顔をあげる。そこには見知らぬ男子生徒がいた。制服からしてこの壬生学園高校の生徒だろう。
「誰だ、お前は」
改造制服を滅茶苦茶に着崩し、髪は脱色。鼻や目の下など顔中にピアスをしている。
「俺にはヤンキーの知り合いはいない」
「おまえがそれを言うかよ」
そう言って、目線で指す。その先、辰伶の傍らには単車が停めてあった。
辰伶は螢惑の登校の様子を確認することにしたのだが、しかしまともに行ったのでは自分が学校に遅刻してしまう。そこでバイクという手段を用いたのだ。ちなみにこのバイクは父親のを拝借したわけでもなく、まさしく辰伶の愛車である。
「おまえんトコ、バイク通学禁止じゃねーの?」
「皆勤賞の為だ。多少のことは止む得まい」
「…俺も校則云々ってガラじゃねーけどよ…」
皆勤の為なら校則違反も辞さないとは、真面目なんだか、不真面目なんだか分からない。しかし、少なくとも本人は大真面目だ。
「ところでお前は誰なんだ?」
「俺は庵曽新。螢惑がおまえんちへ行っちまう前は、隣同士だった」
そういえば、螢惑はよく隣家へ入り浸っていたということを聞いたことがあるような気がする。その家の住人だろう。螢惑も耳にたくさんピアスをしていたが、確かに雰囲気に共通するものを感じる。
「それで、俺に何か用か?」
「お前に用はねーよ。ちょっと、螢惑はどうしてるかとかさ…」
ああ、なるほどと辰伶は思った。そして、これは幸運だったかもしれないとも思った。知り合いがいれば、新しい学校にも早く馴染むだろう。かなり親しかったようだから、学校へ行きたくないということもなくなるに違いない。
「螢惑なら…」
見知らぬ学校。見知らぬ生徒達。
螢惑は途中、幾人かの生徒に職員室の場所を尋ねた。違う制服の生徒に戸惑いを禁じえないようで、少したどたどしい調子で説明してくれた。そうして螢惑はようやく職員室に辿り着くことができた。
「ええと…しつれいします……で、いいんだっけ」
職員室に一歩踏み込むと、教員達が一斉に螢惑に注目した。そして全員があっけにとられた顔をした。
「あれ?なんか、みんなヘンな顔…」
螢惑が首を傾げているところに、怒鳴り声が飛んだ。
「てめーっ!そこで何してる」
「あ、ゆんゆん」
「その呼び方はヤメロ」
ゆんゆん。本当の名前は遊庵というが、呼びにくいと言って、螢惑は『ゆんゆん』と呼んでいる。真里庵や里々庵、庵曽新たちの兄である。
「何でゆんゆんが居るの?」
「俺はここの非常勤講師だ。おめーこそ、何でここに居んだよ」
「転校したから」
「はあ?」
「だから、転校した」
「そりゃ、おめー」
遊庵は少し俯き加減の頭を掻いた。
「確認するけどよ、お前は壬生学園高校に転校したんだよなあ?」
「そうだけど」
「ここは壬生学院高校だ」
「ふーん」
「わからねーのか?」
「何が?」
遊庵は最大声量で怒鳴った。
「てめーはこっから転校して行ったんだよっ!どこまで天然なんだ!この大ボケ野郎!!」
「あ、そうか」
「ったく、今まで一度も来やがらなかったくせに、クビになった途端やって来るたあ、どーゆう了見だ…」
全ては螢惑の方向音痴のなせる技であった。
とうとう螢惑は来なかった。これ以上待っていては遅刻してしまうので、辰伶は諦めて学校(壬生学院高校)へ向かった。そして、我が母校の前で異母弟の姿を発見することとなった。
「な…んで、螢惑」
「道、間違えた」
「……」
「でも、お陰でやっと分かったよ。壬生学院の場所が」
「って、まさか……お前が今まで学校に来なかったのは…」
「うん。学校の場所が分からなかったから」
辰伶は激しく脱力した。まさかそんな理由で1年間以上も不登校だったとは。らしいといえば限りなく螢惑らしいが、しかし、いくら螢惑でもそれは無いだろうと言いたい。
螢惑の不登校は異母兄である辰伶を嫌ってのことではなかった。それでは転校する必要など全く無かったということだ。これまでの辰伶の苦悩や心配は何だったのだろう。
しかし転校手続きは全て完了していて、今日はもう初登校の日だ。かくなる上は、新しい学校での学生生活を滞りなく送ってくれることを祈るしかない。
新しい学校…
ハッと辰伶は螢惑に向き直った。
「螢惑。壬生学園の場所は知っているのか?」
「真里庵と里々庵に聴いたんだけど、間違えてここに来ちゃったから」
「…わからないんだな」
辰伶は単車のエンジンを掛けた。
「乗れ」
「え…」
「送ってやる。早く乗れ。時間が無いんだ」
「ヘルメット無いけど」
「きさまの石頭なら、万が一落ちても大丈夫だ」
「石頭は辰伶だと思う」
「うるさい。そんなに言うなら、これを被ってろ」
辰伶は自分のヘルメットを叩きつけるように螢惑に被らせた。螢惑を後ろに乗せて辰伶は単車を走らせた。
「…ノーヘルで2人乗り」
「文句あるのか?」
「別に」
「誰の為に俺がこんなことをしてると思っているんだ。…皆勤賞まで棒に振って」
「頼んでないし」
「可愛げのない奴だな」
「可愛げ…」
頼んだ訳ではないが、やはりこれは辰伶に対する借りとなるだろう。螢惑は辰伶に借りを作りたくないと思った。しかしもう既に借りてしまったわけで、ならばさっさと返すしかない。
それでは辰伶のお望みの『可愛げ』というのをやってやろうと思った。しかし、どうすれば『可愛げ』があるのか分からない。どういうのが可愛いのだろう。
そういえば、先ほど出会った真里庵と里々庵は、この1年間で随分可愛さを増したような気がする。そう思った時、螢惑は1つ『可愛げ』を思い出した。
「辰伶」
「何だ」
「だーれだ」
「!」
螢惑の掌が、単車を運転中の辰伶の両目を塞いだ。
「この大バカ野郎!単車に2人乗りしてて、誰だもクソもあるかーっ!」
「あ、そうか」
視界を遮られ焦った辰伶はツッコミどころを明らかに間違えていたが、二人とも天然だったため、それを指摘してくれる者はいなかった。そして辰伶はそのまま実に300mの距離を目隠し状態で走ったのである。その間に事故ったりしなかったのは幸いというか、いっそ奇跡だろう。
ようやく螢惑は転校先の壬生学園高校に辿り着くことが出来た。
「じゃあな。がんばれよ」
辰伶は螢惑を降ろすと、すぐにスタートさせようとした。それを螢惑の声が止めた。
「あ、待って。ヘルメット」
「ああ」
一旦、単車を降りて、ヘルメットを螢惑のもとへ受け取りに行く。その辰伶の足が壬生学園高校の敷地に踏み入れた時だった。
「おめでとうございます!」
辰伶の頭上で巨大なクス玉(←どこに吊ってた)が割れ、中から紙吹雪と垂れ幕が下がった。
「な、なんだ?」
戸惑う辰伶の周りにはいつのまにやら人だかりができていた。
「おめでとうございます。あなたが百万人目の来校者です」
「え……ええっ!?」
何だかわけが分からない。垂れ幕には『おめでとう!百万人目』と書かれているが、ここはデパートや遊園地ではない筈だ。辰伶が困惑の波に翻弄されているうちに話はどんどん進められていく。
「記念写真をとりましょう。ハイ、チーズ」
何だかわけの分からないうちに、写真まで撮られてしまった。しかし、胸部より上、正面、脱帽、4×3cm。まるで証明写真に見えるが…
「はい、台紙に貼りましょうね」
何だかわけの分からないうちに、写真を台紙に貼られてしまった。しかし、この台紙は生徒手帳にみえる。印まで押されてしまったが…
「どうぞ。こちらが記念品になります」
何だかわけの分からないうちに、記念品にバッジまで渡されてしまった。しかし、このバッジは壬生学園の校章にみえるのだが…
「さらに、記念品として、名門壬生学園高等学校への無試験入学をプレゼントしまーす」
「ええーっ!?」
拍手と歓声が上がった。辰伶は危うく『おめでとう』の渦に意識を呑まれかけた。
「待てっ!俺は壬生学院の生徒だ!こんなところに入学できるわけないだろうっ!」
「それでしたらご心配に及びません」
衆人の輪が割れて、1人の人物が歩み出た。優しく微笑みを湛え、終始穏やかな物腰でありながら、不思議な威厳を醸し出している。
「ようこそ、壬生学園へ。私は校長の村正です」
「あの、別に俺はこの学校には…」
「転校手続きくらい、何とでもなりますよ。この壬生学園と壬生学院は、どちらも理事長が同じですからね」
「そうじゃなくてっ」
―――こんな済し崩しに転校させられてたまるか。逃げよう。ここは逃げるしかない。
そう思って、単車へ向かって走り出そうとした辰伶は、腕を引く力にそれを阻まれた。振り返ると螢惑が辰伶の袖を掴んでいた。
「また一緒だね」
この日、名門私立壬生学園高等学校は2人の転入生を迎え入れた。
「こんな馬鹿な話があるかーっ!」
彼らの学園生活に幸多からんことを!
終わり
※補足1:遊庵非常勤講師の勤務は、(月)(水)が壬生学院、(火)(木)が壬生学園です。
※補足2:壬生学園、及び壬生学院の理事長は先代紅の王です。
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