+・+ 親バカシリーズ +・+

キケンなアニキ


 無明歳刑流本家には、2人の天使が住むという。勿論、それは譬えであり、この場合天使とは、その家に住む幼い兄弟たちを指す。辰伶と螢惑。母親は違うので、それぞれ趣きは異なるが、どちらも天使のように愛くるしい子供だ。

 美形がデフォの壬生一族の中でも、傑出した美形を輩出してきたのが、この歳刑流本家だ。この異母兄弟は、その血が生み出した最高傑作と言ってもいい。彼らの父親である歳刑流本家御当主様は、そう断言して憚らない。御当主様は2人の息子のことを、目に入れても痛くない程、否、むしろ可能ならば目の中に閉じ込めて、美しい花に近づこうとする害虫から守ってやりたいと思う程、深く深く溺愛していた。

 そう、御当主様は親バカだ。子供達が可愛すぎて、親がバカになったのか。もともとバカな親だったのか。バカの原因や理由を分析することに、何の意味があるだろうか。親の欲目を差っ引いても、辰伶と螢惑は圧倒的に可愛い子供だ。それは揺るぎない事実であり、何処の誰が見ても、文句なしに天使のような兄弟だった。…少なくとも見た目だけは。

「それでは父上、行って参ります」

 辰伶は畏まって座し、御当主様に丁寧に頭を下げて挨拶した。

「うむ、よく励むのだぞ」

 鷹揚に頷き、御当主様は辰伶に激励の言葉を贈った。そこにスパーン!と勢い良く襖が開け放たれた。

「…どこ行くの?」

 天使の片割れ、辰伶の弟の螢惑が威圧的に2人を見下ろした。短い言葉に見えない棘を無数に生やして、辰伶を詰問する。幼子とは思えぬ迫力だが、息子萌え、弟萌えフィルターがそれぞれ瞳にかかっている御当主様と跡取り息子は、その拗ねた様が愛らしいと破顔した。

「学校だよ。では、行って参ります」

 勉強道具を包んだ風呂敷を提げて、辰伶は退出した。立ち尽くす螢惑の傍らを通り過ぎる時に少し足を止め、ニッコリ微笑んでヨシヨシと頭を撫でて行った。部屋には螢惑と御当主様が残された。

「辰伶、いつの間に学校なんて通ってたの?」
「学舎の修繕で長いこと休校になってたから、螢惑は知らなかったね。工事が終わって、再開したから、今日からまた通うことになったんだよ」
「俺も行く」
「そうだな。そろそろ螢惑も学校に通うくらいの年だったな。今度、手続きしてあげよう」
「今すぐ行く」
「辰伶が居なくて寂しいのかい?よし、辰伶が学校から帰って来るまで、パパと遊ぼうかv」
「いらない。辰伶がいい」

 面と向かって『いらない』呼ばわりされてしまった御当主様だが、真性親バカはこれくらいでは落ち込まない。むしろ螢惑の我侭に萌え死に寸前だ。兄である辰伶と一緒に居たいだなんて、こねる駄々がツボ過ぎる。こんな仲の良い兄弟を、例え一時たりとも引き離して良いはずがない。御当主様は、ポンと膝を叩いた。

「わかった。すぐに入学させてあげよう。パパは螢惑のお願いだったら、何でもきいちゃうぞ〜」

 御当主様は文机を引き寄た。紙を広げ、優雅な手付きで硯に墨を磨ると、流れるような筆使いで短時間のうちに書状を書き上げた。これに実弾(袖の下のことです)を添え、すぐに申請してくるようにと、使用人を呼んで使いに遣らせた。

「お前は大人しくて内気で、その上とても可愛いから、いじめられないように辰伶と同じ教室にしてくれるように頼んでおいたからね。さあ、行っておいで」
「…ありがと」

 父親の盲愛ぶりにいつもは辟易している螢惑も、さすがに心から感謝したようで、珍しく素直に礼を言った。この一言で、御当主様の心は天に舞い上がった。舞い上がりすぎて、うっかり魂まで昇天しかけてしまったが、それならそれで本望に違いない。


 壬生の学校は、学校と塾の中間のような形態をとっている(ということにしておいてください)。学年や学期というものが無く、審査に適えばいつでも入学可能だ。

 また、登校日も個々に設定することになっている。辰伶の登校のペースは週に2日。学校の他にも多くの習い事を抱えているからだ。各教科ごとに専門の家庭教師もついているので、本当は学校に通う必要も無い。しかしこれは御当主様の親心で、辰伶にとって学校は同年代の友人たちと触れ合うことのできる貴重な時間であり、寧ろ息抜きの場に近かった。

 辰伶は学校が嫌いではない。しかし、学校が一時休校になる直前辺りの頃に、少し嫌な出来事が続いたので、辰伶は学校の再開が本当は憂鬱だった。教室の戸を開けるのは気が重くて、大きく溜息をついた。

「おはよう」

 挨拶をして教室に入った辰伶は、クラス中から注目を浴びた。親しみを込めたそれではなく、こっそり窺うような視線だ。

『ああ、また何かあるのかな……』

 辰伶の席は最前列の真ん中。生徒たちはその席を皮肉を込めて『特等席』と呼ぶが、勉学に積極的な辰伶は、先生の話が良く聴ける1番良い席だと、素直にそう思っている。その机の上に見覚えの無い箱が置かれていた。それに気付いて、辰伶は不安になった。

『何だろ、コレ』

 不審な箱だ。しかしこのままでは勉強の邪魔になる。しばらく眺めていたが、意を決して箱に手をかけた。持ち上げると、それには底面がなかった。箱を退かした後の机の上には、大きなトノサマガエルが鎮座していた。

「いやぁっ!」

 カエルを目にした辰伶は、悲鳴をあげてその場から跳びのいた。無我夢中で隣の席に居た誰かの胸元にしがみ付く。抱きつかれた生徒は、辰伶の肩をしっかりと抱き締めて言った。

「辰伶、カエル苦手?」

 思いがけないその声に驚いて、辰伶は顔を上げた。

「螢惑!」

 家に居るはずの螢惑が何故ここにいるのか、あの後の御当主様と螢惑のやりとりを知らない辰伶には全く解からない。入学許可を取り付けた螢惑は、すぐに辰伶を追いかけ、教室の前で背後に追いついていたのだ。辰伶が教室に入って行くときには、真後ろに付いて歩いていたのだが、辰伶は不安な気持ちで一杯で全く気付いていなかった。

「どうしてここに…」
「辰伶と一緒に学校に通うことにしたから」
「おいっ、お前っ!」

 背後から強引に肩を掴まれて、螢惑はそちらを振り仰いだ。

「何?」
「どういうつもりだ。いきなり蹴り飛ばしやがって」

 彼はこの席の本来の主だ。座っていたところを、螢惑に蹴り落されたのだ。

「お前が勝手に俺の席に座ってて、邪魔だったから」
「そこは俺の席だ!」
「何言ってるの?辰伶の隣は俺に決まってるでしょ」

 その時、机の上でヒマを託っていたカエルが大きくジャンプした。華麗に着地した先は、辰伶の足元だった。

「やだあっ!」

 螢惑の腕を振り解き、辰伶は走って教室を出て行ってしまった。

「あ、辰伶!」

 追いかけようとしたところを、袖を掴まえられて止められた。

「こっちの話が終わってないだろ」
「うるさいなあ。辰伶が居ないなら、そんな席どーでもいいよ」
「お前が俺を蹴ったことは、どうしてくれるんだよ」
「…もう1回蹴って欲しいの?」

 螢惑の双眸は冷たく相手を見据えた。その迫力に相手は怯んだが、自分よりも螢惑が小柄で、年も3つくらいは下であろうことを見てとると、急に気が大きくなった。居丈高に見下ろし、螢惑の細い手首を遠慮無しに掴むと、力一杯握り締めて持ち上げた。


 普通、『特等席』は2つある。最も人気な窓際の最後列。そして、最も不人気で皮肉の意味での『特等席』である最前列の真ん中だ。

 このクラスには、他のクラスには存在しない3つ目の『特等席』がある。クラスの誰もが切望しているその場所は、本来の特等席である窓際の1番後ろよりも競争率が高い。そこに腰掛けて、螢惑は床に伸びている生徒を足で小突いた。

「この席に座ってると、辰伶が抱きついてくれるってこと?」

 つまり、こういうことだ。半年以上前に遡るが、ある日のこと、辰伶の机の上にカエルが1匹座っていた。生まれて初めてカエルを目にした辰伶は、とても珍しがり、その姿が可愛いと掌に乗せて喜んだ。

 それを見た、辰伶に好意を寄せている生徒が、彼を喜ばせようと、プレゼントのつもりでカエルを辰伶の机の中に入れておいた。悪気は全く無かった。ただ、同じ事を考えて、同じ事を実行した者が他にもいたのだ。辰伶自身は気付いていないが、実は辰伶はこのクラスのアイドル的存在だ。約30人いるこのクラスの生徒の殆ど全員が各々カエルを入れたので、結果、辰伶の机の中は約30匹のカエルで溢れてしまった。1匹なら可愛いカエルも、狭い机の中で30匹もひしめいていたら、気持ち悪いし生臭い。ショックで辰伶はすっかりカエルが嫌いになってしまったのだ。

 それからというもの、辰伶の登校日には毎回机にカエルが仕掛けられた。嫌がらせ目的ではない。その行為には、好きな子の気を惹くための意地悪的な意味もあったかもしれないし、辰伶の悲鳴と怯えた様が可愛かったのも一因ではある。しかし、皆の本当の目的はもっとストレートだ。

 辰伶の隣の席の者は、カエルに悲鳴をあげた辰伶に抱きつかれるという幸運に見舞われるのだ。生徒達はクジ引きをして順番にその席に座り、ワクワクしながらカエルを仕込んでいたのだった。力ずくで事情を聴き出した螢惑は、冷たい視線でクラス中を一撫でした。

「辰伶をいじめるのは赦さないけど、それよりも遥かに赦せないね。言っとくけど、俺の辰伶に手を出したら燃やすよ」
「辰伶がお前のだって、誰が決めたんだよ!」

 繰り返すが、辰伶はクラスのアイドルだ。自身よりも年上で体格の良い生徒を簡単に倒してしまった螢惑の力を目の当たりにして、それまでクラス中が竦んでいたが、その発言に反感を持ったらしく、1人が叫んだ。それを皮切りに一斉に非難する声が上がった。

「も、物扱いは、よ、良くないぞっ」
「そうだ。辰伶は物じゃないぞ」
「ぼーりょく反対!」
「だいたい、お前、誰なんだよ」

 数の優位性に勇気付けられ、螢惑を取り囲む。面倒くさそうに、螢惑は溜息をついた。

「うるさいなあ……辰伶は俺の…」

 言いかけて、螢惑は自分を取り囲む人垣の向こうに強大な殺気を感じた。他の生徒は気付いていない。螢惑が急に黙ったので、恐れをなしたのかと調子付いた。

「何だよ。言ってみろよ。辰伶は? お前の?」
「…一応言ってみるけどさ…逃げたら?」
「はあ? 何言って…」

 次の瞬間、轟音が響き、螢惑を囲んでいた生徒達の身体は吹っ飛んでいた。多分、何が起こったか解からなかったに違いない。教室は水浸しで、天井に大穴が開いている。螢惑だけが一滴の水も浴びることなく無事だった。

「…忠告してあげたのに。一応だけど…」

 憐れむような目で、螢惑は水竜に吹っ飛ばされたクラスメイトたちを眺めた。教室を飛び出して行ったはずの辰伶が、険しい顔つきで立っていた。

「大丈夫か、螢惑」
「うん」

 それを聴いてホッと緩んだ気を、辰伶は再び引き締めた。1番近くで床に転がっていた生徒の胸倉を掴み、力任せに引き上げる。吊るすような恰好で無理矢理立たせ、怒鳴りつけた。

「貴様、俺の弟をいじめて、ただで済むと思うなよ!」
「ひいっ」

 これまで聞いたことの無かった辰伶の怒りの声に、生徒は悲鳴をあげる。口調も乱暴で、あのアイドル天使の面影が欠片も無い。

「おと、おとうと…って…」

 螢惑に注目が集まる。似ていない。しかし、辰伶と同じく整った顔立ちで、同じ色の瞳をしている。

「螢惑はこの辰伶の弟。螢惑に徒なす不埒な輩は、兄である俺が赦さん」
「ま、待って、待ってくれ。知らなかったんだ。辰伶の弟だなんて」

 必死になって言い訳する。他の者達も口々に弁解した。

「いじめてたわけじゃないんだよ」
「ちょっと、見慣れない顔だったから…」
「辰伶の弟なら、いじめたりなんか…」

 黙って聴いていた辰伶は、螢惑に訊ねた。

「こいつらの言っていることは、本当か?」
「…ええと……『お前、誰』って聞かれた」

 別に庇った訳ではない。彼らの言葉などろくに聴いていなかったので、螢惑が思い出せたのはそれくらいだったのだ。ともかく辰伶はそれを聴くと、掴んでいたクラスメイトを放した。そして、いつもの天使の微笑みを浮かべた。

「そうだったの。誤解してごめんね。改めて紹介するけど、螢惑は僕の弟だよ。内気で大人しい子だから、皆、仲良くしてね」

 アイドル天使の『お願い』に、全員が頬を染めて力いっぱい頷いた。螢惑への反感も、辰伶の弟と判明した事で霧消した。兄弟なら『俺の』と主張したくなる気持ちも解かる。それに、よく見れば可愛いじゃないか。辰伶が天使なら(さっきまで鬼だったが)、螢惑は小悪魔だ。

 こうして、クラスのアイドルが2人になった。しかし、辰伶が天井に大穴を開けてしまったせいで教室が使えなくなり、また暫く休校になってしまった。


 辰伶が学舎を破壊してしまったのは、これで2度目である。前回の休校も辰伶が原因で、クラスのアイドルは学校の問題児だったのだ。

 さすがに2度目は再開直後ということもあって、学校関係者から泣きつかれてしまい、辰伶は自主退学することとなった。モンペの圧力でノイローゼ寸前の校長の姿は、涙を誘うものがあった。

 学校に行けなくなった辰伶は、縁側に座って庭に来る小鳥を眺めていた。その隣に、そっと螢惑が並んだ。

「俺のせいで学校に行けなくなっちゃって、ごめんね」
「螢惑のせいじゃないよ。螢惑まで辞めることなかったのに」
「辰伶が行かないなら、行く意味ないから」
「勉強は学校じゃなくてもできるけど、でも、せっかくお友達がいっぱいできたのにね…」
「…それはどーでもいいけど。でも、あんまり落ち込んでないみたいで良かった」
「僕が落ち込んじゃったら、学校に詰め掛けた人たちの家を、父上が経済的に圧力かけて潰しちゃうからね」
「あ、そこは解かってるんだ」

 無理にニッコリ笑った辰伶は、やっぱり天使だった。

 一方、生徒たちは2人のアイドルを失って、すっかりやる気をなくしてしまった。「何の為に学校に行くのか解からない」と不登校が続出し(本当に今まで何の為に学校に行っていたんだと疑問だ)、非行に走るものさえいた。その中から後の『ニュー五曜星』が生まれたりするのだが、ここはパラレルなので彼らのターンは永遠に無い。いずれもまだ先のことで、未来を知る術もないモンペたちは、問題児が居なくなって安心と、短い春に祝杯をあげたのだった。


 おわり

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