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親バカ日誌


 先ずは、その男のことを語っておかねばなるまい。物語の中心人物というわけではないが、全てはこの男から始まったと言っても過言ではないのだから。

 名家の誉れ高いその家の当主であるその男には妻と妾とがあった。妾は数年前に、妻はつい最近亡くしたが、それぞれの間に息子を儲けていた。

 正妻の息子は辰伶という。格式高いこの家を継ぐべき立場にある。礼儀正しく、他人を疑うことを知らない素直すぎる性格は、その子供の最大の美徳であるが、同時にそれは騙されやすいという最大の欠点でもあった。純真といえば聞こえは良いが、要するにちょっとアホな子だ。

 『バカな子ほど可愛いの法則』通り、辰伶は実に可愛らしい子供だった。他人を疑うということを知らず、誰に対しても真っ直ぐに瞳を合わせる。その純真な笑顔は周囲を魅了し、誰からも愛された。

 しかし、辰伶の母親はそれを喜ばなかった。辰伶は無明歳刑流を継承するこの家の跡取り息子である。素直さや正直さは、道徳的には大切なことではあるが、彼女が息子に望んだのはそんな美しいものではない。必要なのは思慮分別。他家と渉りあって負けない狡猾さや腹黒さや厚顔さだった。貴族社会では侮られたら負けなのだ。母は息子の将来を真剣に憂いた。

 彼女の教育は自然スパルタとなった。礼儀作法はもとより、立ち居振る舞いの端々に到るまで事細かに厳しく躾けた。辰伶が僅かでも粗相をすれば容赦なく折檻した。勿論、楽しくてそんなことをしている訳ではない。腑抜けに育って、後に苦労するのは辰伶自身なのだ。全ては息子を守りたいが為の、息子への愛ゆえだった。

 ところがそんな厳格さにも拘らず、辰伶の性格は基本的なところで何一つ変わらなかった。こんなところだけ頑固な息子にとうとう血管を切らしたのだろうか、母親は若くしてこの世を去った。彼女の最期の言葉は『バカに付ける薬なし』だった…という噂は世間では聞かない。

 妻が死んで、その死を悼みながらも、御当主様は内心でホッとしていた。御当主様は本当は大変な子煩悩…親バカだった。故に、息子に対する妻の教育が厳しすぎることに、深く深く胸を痛めていたのだ。妻のすることに口出しをしなかったのは、無明歳刑流の将来を慮ってというよりは、単に妻が恐かったからだ。

 そして、御当主様がホッとしたのには、もう1つ理由があった。先にも説明した通り、御当主様には妾があった。数年前に帰らぬ人となっていたが、彼女との間には息子を1人儲けていたのだ。

 正妻の嫡子である子供は、生まれながらに無明歳刑流の継承者という重い荷を背負う為、その養育については実の父である御当主様といえども自由にはならない。息子がどんなに愛らしくて、御当主様が幾ら甘やかしたくても、それが許されないことは最初から判っていた。そこで御当主様は自分の思い通りに育てられる子供を手に入れる為に、こっそり妾を持ったのっだった。…すぐに妻にバレたが。

 御当主様は妻が恐かった。しかし我が子との甘々ライフへの憧れと情熱に突き動かされ、妻の張り巡らした網を巧みに掻い潜って妾の元へ通い、やがて待望の息子を得た。彼が正妻を出し抜くことが出来たのは、後にも先にもそれきりだった。彼の人生におけるもっとも華々しい戦果であった。

 しかし御当主様の躍進(?)もそこまでであった。妾に子が出来たことで、正妻の目はますます厳しくなり、せっかく生まれた息子をその手に抱くどころか見に行くことすら出来なかった。妾であった女が亡くなった時に、一度だけ目にすることができたが、そのすぐ背後で妻がプレッシャーを掛けていた為、声をかけることはできなかった。

 妻が亡くなったことで、御当主様は妾の子供を手元に引き取ることを決心した。妾が産んだ息子は母亡き後、御当主様が手配した世話役達の中で暮らしていたが、もうそんな寂しい思いをさせることはない。もう誰の気兼ねなく可愛がることができるのである。正妻の子と妾の子。2人の可愛い息子達との新しい生活のことで、御当主様の頭は一杯だった。…無明歳刑流の将来や家門のことは、完全に抜け落ちていた。


 屋敷内に妾腹の息子の為の部屋を用意し、全てを万端調えて、御当主様は今日、不遇にあったもう1人の息子を迎えに行った。

 御当主様には密かな野望があった。

 御当主様の嫡子である辰伶は、今でこそ御当主様を礼儀正しく「父上」と呼ぶが、昔は「おとーさまv」と可愛らしく呼んでいたものだった。(※『v』は御当主様の妄想)

『おとーさまv』(※『v』は御当主様の幻聴)

 辰伶からそう呼ばれる度に、御当主様の脳内では小劇場が演じられた。ああ、いつかこの可愛らしい息子も美しく成長して、「お父様、これまで育てて下さいまして、ありがとうございました」と、畳に三つ指ついて挨拶するような日が来るのだな…。いや! 息子は誰にも渡さん! お前は一生、おとーさんの傍に居ればいいんだっ。貴様のような漢(←誰?)に大事な息子をやるものか! 気安く「お義父さん」となどと呼ぶな!

 何故、漢が息子を貰いに来るのか謎である。そもそも跡取り息子が家を出て行くシチュエーションも謎だが、脳内劇場なので深く追究しても意味は無い。ここはさりげなくスルーして頂きたい。

 スルーできなかったのは、彼の妻である。隣の不気味な百面相男を冷ややかに見ていた妻は、ニッコリ微笑んで息子に言い渡した。

『辰伶、これからは無明歳刑流の後継者に相応しく、お父様のことは「父上」、この母のことは「母上」とお呼びなさい。これも無明歳刑流の為、壬生の為です』
『はい。この辰伶、壬生の為に、おとーさまを「父上」、おかーさまを「母上」とお呼び致します』
『!』 (←御当主様、ショック!)

 このような経緯で、辰伶の父の呼び方は正妻によって矯正されてしまったのだった。御当主様は失意のあまり3日間、部屋の隅で膝を抱えて「の」の字を書いてしまった。

 だが、『父上』というのも思ったほど悪くはなかった。辰伶がちょこんと行儀良く正座して、にっこり微笑んで「ちちうえv」と呼びかける姿は萌え!だった。(※くどいようですが、『v』は御当主様の脳内自動挿入)

 ところで御当主様には1つ、是非とも息子から呼ばれたい憧れの呼び方があった。それを妾の産んだ息子に呼ばせること。それが御当主様の密かにしてささやかなる野望だった。

 そして実質上の、初めての親子の対面である。御当主様は夢にまで見た愛しい息子を前にして、感動に打ち震えていた。感激に言葉も出て来ない。暫く無言で見詰め合っていた2人だったが、息子の方が先に口を開いた。

「あんた誰?」

 ああ、可哀相に。父の顔も知らぬ息子に、御当主様は目頭が熱くなった。

「螢惑だね」

 妾の息子、螢惑は頷いた。

「お前の父親だ。迎えに来たよ」
「ちちおや?」
「そうだよ…」

 御当主様は膝をつき、幼い息子と目線を合わせた。そして大きく両腕を広げると、その胸に息子を抱き寄せ、しっかりと抱きしめた。さあ、今こそ野望を叶える時!

「そうだよ、螢惑。さあ、『パパ』と呼んでおくれ!」

 言った! とうとう言ったぞ! 見たか、この歴史的瞬間を!

 暫しの沈黙の後に、螢惑はポツリと、だが明瞭に言った。

「…………キモ」


 幾ら親子と謂えども初対面であり、螢惑も戸惑っていたのだろう。或いは止む得ずとはいえ長年放っておいた形になってしまった父に、うまく心を開けなかったのかもしれない。きっとそうだと、御当主様は思った。そしてそんな境遇にあった息子を尚更不憫に思うのだった。

「螢惑、これからはずっと、パパと一緒だよ」
「ふーん」

 本宅への道すがら、御当主様は頻りに話しかけたが、螢惑は父の方を見ようとしない。あらぬ方ばかり見ている。ちょっと内気なのかもしれないと御当主様は思った。このいじらしさも萌え処であり、螢惑の愛らしさに脳内で悶えた。こんな息子を与えてくれた亡き妾に感謝し、心の中で手を合わせた。

 屋敷に帰り着いた御当主様は、早速辰伶を呼びつけた。辰伶にとって螢惑は異母弟になる。辰伶の性格なら、母が違うからと異母弟を虐めたりはしないだろう。新たに増えた家族の存在を喜んでくれるに違いない。あの子はそういう子だと、御当主様は信じていた。

「おとうと?」

 螢惑を紹介すると、辰伶は大きな目をますます大きくして、キョトーンとしていた。

「辰伶の…僕の弟?」
「そうだよ。ずっと他所にいたけど、これから一緒に暮らすんだよ」

 辰伶の瞳から涙がこぼれた。突然のことに、御当主様は大いにうろたえた。

「し、辰伶。どうしたんだ。お腹でも痛いのか?」
「違います。すごく…すごく嬉しいんです」

 辰伶は泣きながら、ニッコリと微笑んだ。

「ずっと兄弟が欲しかったんです。母上が亡くなられて、それはもう叶わないと思っていました。なのに、弟がいたなんて。父上、ありがとうございます」

 ちちうえv ありがとうございますぅーv ございますぅーv ますぅーv ますぅーv・・・ 御当主様の脳内に幸せがエコーする。勿論、自動挿入で『v』付きだ。

「螢惑?」

 辰伶は異母弟に、真っ直ぐに微笑みかけた。

「僕は辰伶。君のお兄ちゃんだよ。よろしくねv」

 説明し忘れたが、辰伶のこの微笑は彼の隠れた必殺技でもある。本人は全く気付いていないが、辰伶のこの純真な笑顔は、それを目にした者をすっかり魅了してしまうのである。

「……」
「螢惑?」

 しかもこの時の微笑みは、辰伶の喜びを反映してこれまでにない最高級のものであった。それが惜しげもなく、『v』まで付けて全開で放たれた。今回の『v』は幻覚ではなく、本物の辰伶の『v』だ。至近距離でそれを食らった螢惑は、もともと他人から笑顔を向けられることに免疫が無かったこともあり、この瞬間、異母兄である辰伶にすっかりフォーリン・ラブしてしまった。

「辰伶、螢惑はとっても内気な子なんだよ」
「そうなんだ。螢惑、僕のこと『お兄ちゃん』って呼んでくれる?」

 この御当主様にして、この跡取り息子あり。発想がどこか似ている。

「俺…」

 螢惑は少しぶっきらぼうに言った。実は少し照れている。

「『お兄ちゃん』なんて呼ばない」

 途端に辰伶の表情が悲しげに曇る。

「僕のこと…嫌い?」

 螢惑は首を横に振った。少し上目加減で、心持ち首を傾げて言った。

「俺は『辰伶』って呼びたいから。…ダメ?」

 はにかむようなこの仕草が、辰伶のお兄ちゃん心を射抜いた。息を呑む技の応酬である。

「いいよ。僕も『螢惑』って呼んでいいよね」

 螢惑が頷いた。辰伶はまるで花が咲いたように微笑むと、愛情一杯に異母弟をキューッと抱きしめた。その外側から御当主様がギューッと抱きしめた。

「だって、『お兄ちゃん』じゃ、結婚できないからね」

 螢惑の呟きは、御当主様とその跡取り息子には聞こえなかった。


 おわり

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