白昼堂々デート追跡作戦
爽やかに晴れた土曜日。今日、辰伶は女とデートに行く。
「デートじゃない」
辰伶はそう言いながらも、朝から鏡に向かって念入りにめかしこんでいた。これはデートに違いない。
「…顔を洗って寝癖を直すのは身だしなみの範疇だ」
さり気無さを装いながらも、辰伶のスタイルの良さを隠さない服装には全く隙が無い。やっぱりデートだ。
「貴様と出かける時も似たような服装だろうが。それとも螢惑、俺と貴様が一緒に外出する時もデートだとでも言うのか」
異母弟とデートなんて頭がおかしいこと言って誤魔化すのが怪しい。女と会う目的もはっきり言わないし。やっぱりデートだ。
「借りた本を返すだけだ!レポートの資料に随分助かったから、礼に昼食でもとは思っているが…」
なるほど。大学のレポート提出に託けて女を食事に誘ったわけだ。ありがちな手段である。やっぱり辰伶は女とデートしにいくのだ。
「誰がそんな下心持つか。…おい、地の文で会話するのをやめろ。読者に事実だと思われるじゃないか」
結構面白いと思うけど。
「いいかげんにしろ。……今日、会うのは歳世だ。彼女は大切な友人だ。お前も知っているだろう」
「……知ってるけど…」
歳世なら、螢惑も知っている。以前に開催したホラー鑑賞会のメンバーにもいた。しかし、傍から見た様子では、彼女は確実に辰伶に恋をしているのだが、そういう女性と2人だけで逢うこと意味が、辰伶には全然解っていないようだ。
「もしかして歳世の気持ちに気づいてないの?マジなの?バカなの?」
「バカとは何だ。勿論、彼女は見返りを期待して本を貸してくれた訳じゃないことくらい解っている。友人として親切心から助けてくれたのだろう。俺はただ、そんな彼女の友情に感謝を表したいだけだ」
「……ちょ、マジ?」
螢惑が呆気にとられている間に、辰伶は時間だからと行ってしまった。
「……」
辰伶と歳世。いわゆる美男美女で、似合わなくもない、というか似合う、というか似合っても似合わなくてもどうでもいい。そもそも辰伶が誰と付き合おうが自由だと、螢惑も思う。思うのだが…辰伶の恋人が、辰伶の嫁にランクアップしたら、それは螢惑にとっては義理の姉である。それよりもっと重大なのは、螢惑が敬愛してやまない養母の義理の娘となるということだ。
「歳世がお義母さんの義理の娘に相応しいかどうか、俺がチェックする」
螢惑は瞳に敵愾心を燃やし、辰伶の後を追った。
辰伶と歳世の待ち合わせ場所は駅前の公園だった。目印の噴水の前に、2人は同時に現れたので相手を待たせるということは無かった。その様子を、サングラスで変装した(つもりの)螢惑は観察していた。
「しかも約束の時間のぴったり5分前。相性はいいのかな…」
「彼らの場合は似た者同士ってことよ。まだ相性の良し悪しは判断できないわ」
「ふうん、よくわからないけどそうなんだ…って、誰?」
自然に会話してしまったが、螢惑はその時はじめて隣に人がいたことに気付いた。相手も螢惑と同じようにサングラスをかけている。女だ。
「えっと…たしか辰伶の友達の…」
「歳子よ。あなた、辰伶の弟の螢惑だったわね。辰伶と歳世ちゃんの初デートを見に来たんでしょ」
「…やっぱりデートなんだ」
「そのつもりでセッティングしたんですけど、2人ともわかってないみたいなのよね。辰伶が普段通りなのは、まあ、想定内だったわよ。だけど歳世ちゃん、あれほど格好に気を付けろっていっておいたのに…」
「別に変な格好じゃないと思うけど。むしろすごく感じ良くない?」
「感じ良いを通り越して格好良過ぎ。ほら、あの女の子たちなんて逆ナン狙ってるじゃない」
「ほんとだ。男女カップルって思われてないね」
「イケメンの2人づれじゃないっての」
歳世は元来非常に女性らしく、好きな相手にとことん尽くすタイプである。ところがそれが辰伶に対しては『尽くす』が拗れて『守る』になってしまっているのと、余りにも純情で初心な為に恋心を隠して毅然として振る舞っているから、表面的には男性的に見えてしまうのだというのが、歳子の評だ。思いがけず螢惑は、歳世の為人を知るのに恰好の情報源を得ることとなった。ついでに螢惑が知らない場所での辰伶の様子も聞いてみる。
「ねえ、辰伶と歳世、どっちが女にもててる?」
「う〜ん…歳世ちゃんに告白してくる子は半分ノリっていうか…まあ、ファンって感じだから、ガチなのはやっぱり辰伶ってことになるかしら」
とにかく、このままでは一向に進展が見込めない歳世の恋を応援すべく、歳子は本日のデートを画策し、その様子を確認しにきたのだ。
「正直どうでもいいけど、まあ、親友としての義務ってところかしら。つくづく私って友達想いよね」
歳子が友達想いかどうかは知らないが、彼女が辰伶には興味ないことは判った。もしも歳子が辰伶にその気があったら、親友の想い人だからといって遠慮するタマに見えない。
「で、弟から見てどう?歳世ちゃんと辰伶、うまくいくと思う?」
「どうだろう。俺、歳世のことよく知らないし……それより歳世とお義母さん、うまくいくと思う?」
「……言ってることの意味が解らないんだけど…」
「歳世って、辰伶の母親を大事にしてくれるかな?」
「ああ、そういうことね」
多少先走っている気もするが、嫁姑の仲を心配するのは家族として当然かもしれない。螢惑の立場としては、兄嫁よりも母親を気づかうのものだろう。しかし嫁の方が立場が弱いのだから、旦那は嫁の味方をして欲しいと歳子は思う。それも、続く螢惑の言葉を聞いて、歳子は唖然とした。
「例えば、辰伶かお義母さんかどちらか1人しか助けられないとしたら、迷わずお義母さんを助けてくれるような人じゃないと困るんだけど」
「…あり得ない」
サングラス越しでさえ判るほど、螢惑を見る歳子の目冷ややかになった。怒る気さえ起こらない。
「そんな女いるわけないじゃない」
「いないの?…じゃあ、俺は彼女とか要らないし、辰伶にも要らない」
「辰伶には、あなたみたいな弟がいるのが最大の問題だわ」
2人とも少々感情が昂ぶり、声が大きくなってきた。隠密行動だということを完全に忘れたところで、当然のごとくターゲットに見つかってしまった。
「螢惑と歳子じゃないか。珍しい組み合わせだな。何をしていたんだ?コソコソと、怪しい恰好で」
辰伶が訝しんでいる。無理もない。2人とも顔を隠すように大きくて色の濃いサングラスをかけている。デートを覗き見していたとは言えず、螢惑は黙り込んだ。答えたのは歳子だった。
「男と女が2人でいたらデートに決まってるじゃないですか」
歳子の適当な説明に螢惑も乗る。
「デートに決まってるじゃない。ペアルックだし」
申し合わせたわけではないが、螢惑と歳子は同時にサングラスの位置を直した。同時にフレームがキラリと光り、息の合ったカップルを演出した。が、怪しさは変わらない。
「デート?いつの間にそんなに親しくなったんだ?」
辰伶としては何か納得がいかない。よりによって、どうして歳子が相手なのか、そこが納得がいかない。
「私たちはこれから昼食にいくところだが、良かったら一緒にどうだ?」
それまで様子を見ていた歳世が冷静に提案した。
「えっと…高いお店?辰伶のオゴリなら行く」
「…普通の店だ。解った支払いは持ってやるから」
「ダメよ。(辰伶と歳世は)デートなんだから」
おごってもらえるという話を蹴るなんて、普段の彼女を知る者だったら驚愕することを歳子が言った。歳子と螢惑がデートだなんて嘘臭いと思っていた辰伶だったが、これは本当に真剣にデートだったのかと信じた。
「そうか…(螢惑と歳子は)デート中だったな」
「そうだよ。(辰伶と歳世の)邪魔は良くないよね」
会話の中に認識のズレがあることに気づかぬまま決着はついて、辰伶と歳世は当初の予定通りに2人でエスニックのレストランに入った。2人席のテーブルに向かい合って座る。
「……」
通路を挟んで隣のテーブルに、螢惑と歳子が座っている。店内でもサングラスはそのままで、メニューに隠れるようにして辰伶たちの様子を窺っていた。
「…デートなんだよな?」
「だって、オゴってくれるんでしょ」
「だったら最初から一緒に来れば良かったじゃないか」
「そこは、だってデートですもの」
「邪魔しちゃ悪いよね」
「1メートルも離れていない席で『邪魔しちゃ悪い』とか…」
堂々とコソコソする2人に、辰伶は異星人でも見るような思いだ。正直なところ、辰伶は螢惑の恋人として歳子は余り似つかわしいとは思えない。歳子のような女をエスコートするのは螢惑には少々難儀だろう。異母弟の懐具合をほぼ正確に把握している辰伶はそう考える。それでも本当に螢惑が歳子のことが好きなら、年長者として応援してやるのも吝かではない。昼飯をオゴってやるくらいどうということもない。2人が真剣ならばだが…
「おい、歳子。螢惑を食い物にする気じゃないだろうな」
「…相変わらず失礼な男ね」
「お前に振り回されて人格破綻した奴が何人いると思ってる」
「人格破綻者に用はありませーん」
「螢惑、こいつはこんな女だ。考え直せ」
通路を挟んで罵り合うのは周りに迷惑なことで、普段の辰伶だったら絶対にしないだろうと螢惑は思う。辰伶と歳子。仲が悪そうにしているが、実は逆で仲が良いのではないかと螢惑は勘ぐってしまう。すると胸の中心からモヤモヤと黒いものが広がっていった。無論それは感覚的なことであって、実体としてそんなものが湧きだした訳ではないが。
「辰伶は歳子と付き合いたいの?歳世と付き合うんじゃないの?」
「はあ!?」
思わず大声をあげてしまった辰伶だけでなく、同席していた歳世も、歳子も驚きで言葉を失っていた。構わず螢惑は続ける。
「俺はどっちも反対だから。辰伶の相手は、辰伶よりもお義母さんを大事にしてくれるひとじゃないと、俺は認めないから」
「それでは…」
歳世が真剣な口調で答えた。
「私は失格だな。私は誰よりも辰伶が大切だから」
言ってしまってから歳世は気づいて、顔を赤くした。
「そ、その、私はそんなつもりとか…そう!私が誰かを好きになるとしたらその相手が1番だから、つまり…辰伶をす、好きになるとしたら、当然、誰よりも辰伶のことを大切に思うだろうという…例えだ、例え!」
上手く誤魔化せるはずもなく、ならばいっそのこと告白してしまえばいいものを、下手な言い訳を歳世は必死に絞り出す。彼女が真剣に辰伶に惚れていることは誰にでも解るだろう。解るはずなのだが…
「そうか。歳世の恋は情熱的だな。相手が羨ましいことだ」
解っていない辰伶の朴念仁ぶりに、歳子と螢惑はドン引いた。辰伶に知られずに済んで安堵している歳世も歳世である。そこは落胆すべきところだ。
「失礼します」
料理が運ばれてきて、そこで会話は一度リセットされた。その後その話題が蒸し返されることは無く、辰伶と歳世は各自のレポートの進み具合のことを話していたし、歳子と螢惑はひたすら飲み食いに情熱を傾けていた。食事後、両テーブルとも支払いは全て辰伶が持ち、辰伶は歳世に資料として借りていた本を返して別れた。
「で、お前は良かったのか?」
「何が?」
帰路を共にする異母弟に、辰伶は尋ねた。
「歳子とデート中ではなかったのか?」
「え?…ああ、うん。いいよ。もう別れたから」
歳子とデートというのは、辰伶と歳世のデートを偵察していたことを誤魔化すための口実であって、最初からデートではなかったが、説明するのが面倒だったので、螢惑はそう答えた。
「…俺があんなことを言ったせいか?」
悪かったと辰伶は螢惑に謝った。どうやら異母弟の恋路を妨害してしまったと思っているようだ。
「辰伶のせいじゃないよ。俺のタイプじゃなかっただけだから」
「お前はどういう女性が理想なんだ?」
「お義母さん」
「……」
「……を、大事にしてくれる人…」
「…それは、歳子じゃ無理だな…」
辰伶は尤もらしく頷いた。そうして少し神妙な面持ちになった。
「しかし、歳子の肩を持つわけではないが…」
次に辰伶が言わんとすることは、螢惑も察しがついた。
「お前が母さんを大事に思っているのはよく解った。しかしそれを相手にまで押し付けるのはどうかと思う」
「そうだね。そんな女いないって、歳子に言われた。だから俺は彼女なんか要らない。結婚もしない」
辰伶はクスリと笑った。
「初めてだな。お前とこんな話をするのは」
「そういえばそうだね」
傍らで微笑む異母兄の横顔を見ているうちに、螢惑はようやく自分の究極の理想に気づいた。
「…ねえ、辰伶。俺と結婚しない?」
螢惑の提案の唐突さと意外さと、どちらに辰伶は驚いただろうか。振りむいて螢惑の顔を見詰めたまま、言葉も無く固まっている。
「やっぱり俺の理想ってお義母さんだと思う。だから辰伶がぴったりなんだよ。辰伶よりもお義母さんに似てる人なんていないし、辰伶ならお義母さんを大事にしてくれると思うし…」
「……」
「辰伶に相応しいのも俺が一番だと思う。俺以上にお義母さんを大事にする人なんていないから。それに辰伶と結婚すれば、本当にお義母さんの子供になれるし…」
「…馬鹿なことを言うな…」
螢惑とて馬鹿では無い。辰伶とは結婚できないことなど元より承知だ。こんなことを言えばふざけていると辰伶は怒り出すと思っていた。それでも声にしておきたかったのだ。螢惑にとってそれは冗談ではなく、本心だったから。
辰伶は怒らなかった。代わりに酷く哀しげに瞳を曇らせた。
「馬鹿なことを言うな。俺と結婚なんかしなくったって、母さんはお前をうちの子だと思っている」
「うん……ごめん」
本当だ。馬鹿なことを言ったと螢惑は思った。螢惑の本心ではあるが、この言葉はきっと養母を哀しませるだろう。養母によく似た辰伶を哀しませてしまったように。
「それに、母さんは昔から俺たちの結婚に夢を抱いてるんだ。嫁と一緒にショッピングに行って、オシャレなランチを楽しんで、服とか見立て合って、道行く人に姉妹と間違われるのを楽しみにしているんだぞ。…色々それはどうなんだと思わないでもないが…」
「辰伶はたまにお義母さんと姉弟って間違われるよね。いいなあ…俺はお義母さんの彼氏と間違われたことならあるけど」
「何がいいのか解らんが……ふむ、総合すると、俺たちと母さんと、3人で出かけた場合、俺は姉のデートにくっついてきたお邪魔虫の弟と間違われるということだな」
そんな冗談を言って愉快そうに辰伶が笑うので、螢惑もとても愉快な気持ちになった。それにつけても、やっぱり辰伶の嫁になるのは無理かなと螢惑は思う。ショッピングやランチはできても、養母と姉妹に間違われるのは自分では無理そうだから。養母のささやかな夢を出来れば叶えてあげたいから。
「そうだ。辰伶が俺の嫁になればいいんじゃない?」
「……どういう思考回路でそうなる…」
終わり