雨は相傘作戦で


 コンビニを出たところで、螢惑は舌打ちした。雨だ、と思ったら、それは雪混じりの霙だった。水気をふんだんに含んだ氷の粒は、いっそ雪よりも厄介に思う。雪なら払えばさらさらと落ちていくのに、霙はじっとりと服を湿らせて、体温を奪っていく。

 店内に引き返して、ビニル傘でも買おうか。それも何だか勿体ないと、螢惑は恨めしく天を仰いだ。

 夕方から崩れると予想した天気予報に誤りは無かった。しかし螢惑は今朝、傘を持って出なかった。天気予報など端から聞いていなかった。

 螢惑は決心がつかないまま、ありやなしやのコンビニの軒下で、凍てつく雨を辛うじて凌いでいた。その目の前を、螢惑の見知った人影が通り過ぎた。相手の方は足元ばかり注意していて、螢惑に気づきもせず、足早に進んでいく。

「辰伶!」

 大声で名を呼ぶと、彼は足を止めて体ごと振り返った。その瞬間を狙って、彼が差している傘の中へ飛び込む。

「ちょうど良かった。家まで送って」
「・・・・・・」

 面食らった様子で、しばらく辰伶は言葉を失くしていた。やがて、己の不快感を螢惑に知らしめるかのごとく、深く溜息を吐いた。

「遠回りになるじゃないか。傘を貸してやるから、お前が家に寄れ」
「ええ〜・・・お前の家、敷居が高いからヤダなあ」
「お前の家でもあるだろう」
「・・・そうだっけ」

 辰伶と螢惑は父親を同じくする異母兄弟だ。螢惑の母は、辰伶の父の所謂愛人だった。今はどこでどうしているか、螢惑は知らない。螢惑が父の家に引き取られたのは、まだ年端もいかぬ頃だったから、母の記憶は陽炎のように曖昧だ。辛うじて写真で顔は知っている。

 もう年齢の半分以上を父の家で暮らした。養母(辰伶の母)は親切だったし、異母兄弟である辰伶と待遇に差を付けられたこともなかった。しかしそれは辰伶の母の忍耐を強いてのことだと、螢惑は思う。だから、螢惑は中学を卒業すると同時にアパートを借りて貰い、家を出た。経済的には負担をかけてしまっているが、これ以上、優しい養母に我慢させたくなかったし、螢惑のことを辛抱して欲しくなかった。

「嫌なら濡れて帰れ」
「冷たい」
「冬の雨だからな。冷たいに決まっている」
「雨じゃなくて、冷たいのは辰伶」

 ただ、辰伶との仲を拗らせてしまった。家を出ることを辰伶に何も相談しなかったことで、大いに機嫌を損ねてしまったらしい。辰伶の螢惑に対する態度は素っ気なく冷淡になった。

「辰伶は俺に対して色々と雑だよね」
「行くぞ」

 舌打ちが聞こえたのは、螢惑の空耳ではあるまい。


 辰伶の左肩が濡れている。その手に提げている紙袋も。今週末の休日が2月14日だから、きっとそれはバレンタインのチョコレート。ああ、辰伶の場合は誕生日プレゼントの可能性もある。辰伶は3年生で自由登校だから、渡せる日にと、渡されたのだろう。

「辰伶、プレゼント濡れちゃってる」
「あ?ああ・・・」

 さして気にする風でも無い。女子からの人気が高い辰伶は、チョコレートも誕生日プレゼントも大勢から沢山貰っているから、慣れてしまって感動が薄いのかもしれない。

「前から疑問に思っていたんだけど・・・」
「何だ?」

 カラフルな包装を隙間からのぞかせている紙袋を、螢惑は一瞥して言った。

「その袋って、自分で準備してるの?」
「は?」
「だから、毎年2月14日辺りになると、人から色々貰うでしょ。それを見込んで、持ち帰る為の袋を用意してるのかな?・・・って、思ってた」
「これは・・・いつも誰かがくれるんだ。持ち帰るのが大変だろうと。親切だなとは思っていたが・・・そうか、わざわざ気づかってくれていたのか・・・」
「ファンは大事にしなよね」
「・・・ファンって何だ。芸能人じゃあるまいし・・・」

 会話をぶった切って、螢惑はくしゃみを1つした。ふるりと体を震わせる。

「・・・寒くないのか?コートも無しで」

 螢惑は学校の制服のみで、コートどころか手袋もマフラーもしていない。その無謀な出で立ちに、辰伶は眉を顰めた。

「コートは重いから嫌い」
「・・・ちょっと持ってろ」

 辰伶は螢惑に傘の柄を持たせて、紙袋の中を漁った。少し探って、プレゼントの1つを取り出す。包装の中が透けて見える。マフラーだ。

 空色の柔かそうなマフラーを包装袋から無造作に引きずり出す。ラッピング材は丸めて紙袋に突っ込んだ。そして新品のマフラーを広げ、螢惑の首に巻いた。巻き終わると、螢惑の手から傘の柄を引き取った。

「・・・何してんの?」
「貴様が余りに寒々しいからな。見ているこっちが風邪をひきそうだ」
「プレゼントを他人にあげるなんて、どういう神経してるの?」
「・・・別にいいだろう。どうせ、俺は使えないし」

 螢惑はマフラーを忽ち剥ぎ取って、辰伶に突っ返した。

「使えない?使わないんじゃなくて?」
「他人から貰った物は身に着けない。以前、それで酷い目にあった」
「へえ・・・?」

 普段は余り他人に関心を持たない螢惑だが、珍しく興味をそそられた。辰伶の話の先を促す声が、心なしか弾む。

「・・・何だか楽しそうだな・・・」
「辰伶が酷い目に遭った話が、楽しくない訳ないじゃない」
「人の不幸を喜ぶなんて、最悪だな」
「で、どんな目に遭ったの?」

 思い出して腹が立ったのか、辰伶は眉間に皺を寄せた。

「・・・何てことはないキーホルダーだったのだが、特に何も考えずに鞄にぶら提げていたら、贈り主が『彼女』を自称しだして・・・」
「それは・・・迷惑だね・・・」
「それだけでも迷惑なのに、彼女にはそもそも他に付き合っている相手がいたらしくて、略奪だの、三角関係だの、意味不明な事態になって散々揉めた挙句・・・1人を特別扱いした俺が悪いということになった」
「え?どこからどうしてそうなるの?」

 余りに飛躍した結論に、辰伶の話を途中で聞き飛ばしたかと、螢惑は自分を疑った。

「他にも色々プレゼントを貰っているのに、特定の人物が贈った物だけを付けているのは意味深にとられても仕方がないということらしい。俺の態度が公平さを欠いていたのだと言われてしまっては、どうしようもないだろう」
「皆がくれたものは平等に、全部満遍なく使えってこと?」

 めんどくさい・・・というか、無理だろうと螢惑は思う。そうか。だから『使えない』のか。

 ファンを大事にと螢惑は冗談で言ったのだが、冗談でなしにアイドルのファンクラブのように扱いが難しいし面倒だ。全く笑えない。

「じゃあ、そのプレゼントはどうするの?」
「食べ物は食べる。消耗品は家で使い切る。他は、貰ってくれる人を探す」
「ペットの里親探しみたいだね」
「まあな。そういう訳だから、俺としてはお前がこのマフラーを貰ってくれると有り難いのだが」
「ヤだね」

 誰かが辰伶のことを想って選んだ物なんて、絶対に使いたくない。どうせなら・・・

「くれるんだったら、今、辰伶がしてる奴がいい」
「え?これ?」

 辰伶は顎を引いて、自分が身に着けているマフラーを見詰めた。

「こんなの使い古しだぞ。新品の方がいいだろう?」
「それが欲しい」

 釈然としない様子だったが、辰伶は己の首を温めていたマフラーを外し、螢惑の首へと巻いてやった。

「だって、これブランドの高い奴でしょ。肌触りサイコー」
「あ、貴様・・・」

 俺だって気に入っていたのにと、辰伶はブツブツ文句を言っている。だからだよと、螢惑は密かに微笑む。欲しかったのは、辰伶が愛用しているそれ。マフラーに残る辰伶の体温が、螢惑の身体と心をじんわりと温めていく。

 気づくと別れの交差点に着ていた。左に曲がれば螢惑のアパート。右に曲がれば辰伶の家。

「で、どうするんだ?」

 辰伶はあんな事を言ったが、螢惑が左を選んでも、冬の雨の中へと放り出したりはしないだろう。ブツブツ文句を言いながら、アパートまで送ってくれるに違いないのだ。

「傘、貸してくれるんだよね」

 螢惑は右へ誘った。でも、譲歩したんじゃない。

 借りた傘を返すために、もう1度辰伶に会いに行けるから。

 ね。


 終わり