+・+ 末期の部屋 +・+
ロックと水割り
学校は冬期休課に入っていた。高校1年の俺は差し迫って受験のことを考える必要もなく、自堕落に日々を過ごしていたわけだけど、今朝はそうはいかなかった。母親に懇願され、仕方なく『人並みな時間』に起きて身支度を整えていた。
俺の母親はもともと余り気の強くない性格だけど、この家に住むようになってから、それはもう臆病な小鳥のようだ。
「螢惑、ちゃんと起きてる?」
部屋の扉の向こうから心配そうに声をかけてくる。寝起きの不機嫌さも相まって、俺の返事はぶっきら棒になる。
「・・・起きてるよ・・・」
「今日から辰伶さんが帰ってくるから、ちゃんとしててね」
「・・・・・・」
「螢惑?」
「・・・・・・わかってるよ・・・」
辰伶・・・1つ年上の俺の兄。と、言っても実際には半年しか違わないんだけど。最近の俺の悩みの種は大概こいつのせいであることが多い。
俺の母親と彼の父親が連れ子同士で結婚したのは去年の春。俺が中学3年で、彼は高校1年だった。唐突に出来た父親と兄弟。急に増えた家族に俺は凄く戸惑った。それは向こうも同じだっただろう。同じだった筈・・・
同じコブ付き同士だからお互い様、立場は対等だと、俺は存外に気楽に考えていた。ところが蓋を開けてみれば、向こうは旧家の資産家で地元の名士。対してこっちは平凡な市営住宅に住まう母子家庭。周囲は当然のように(それは母さんも含めて)、俺たち母子が大金持ちに「拾われた」という流れを作った。
だから母さんはこの家の中でいつでも小さくなっている。そしてそれを俺にも強要する。もっと丁寧な言葉で話せ・・・とか、もっと周りに生活を合わせろ・・・とか、もっと真面目に勉強しろ・・・とか、もっと・・・もっと辰伶みたいに立派になれって、泣きそうな目をして「お願い」してくるものだから、俺の反発心も湿って火が付かない。
全く、何で俺はこんな所に居なければならないんだろう。未成年という、どうにもならない制約が心底恨めしい。
とりあえず、誰からも文句が出ないような出で立ちになったことを、姿見で確認した。我ながらよく着こなしていると思う。でも、俺が着たくて着ている服じゃない。この家の住人に相応しくと誂えられた服なんて、学校の制服と大差ないように思える。母さんが選んだから、俺の嫌いなデザインじゃないけど。仕立てが上等なせいか、着心地は良いのが救いだ。
「・・・何てさ、贅沢な悩みってやつかなぁ・・・」
この屋敷では俺個人の部屋として、居間と寝室(ウォークインクローゼット付き)の二部屋が与えられている。個室なんて狭いアパート暮らしでは望むことさえ出来なかった。これは確かに有りがたい。
衣食住、何不自由ない暮らしっていうのは、こんなモノだろうか。まあ、そんなモノなのかもしれない。こんな家でこんな暮らしをしながら育つと、あいつ・・・辰伶みたいな奴になるんだろう。
廊下に出る扉を開けると、母親に出くわした。
「・・・オハヨ」
「お早う」
母さんは俺の顔を見ると、途端に安心したようだ。俺がちゃんと出てくるか心配で堪らなかったのだろう。俺、そんなに信用ないかなぁ。
「さっき車で迎えに出たから、そろそろ辰伶さんが着くと思うの。ね、一緒に迎えに出ましょうね」
「・・・・・・いいけど・・・」
高校で寮生活をしている義兄が帰ってくる。冬休みで寮も年末年始は完全に閉めてしまうそうだ。今日から休み明けまで、しばらく辰伶が家にいる。
母さんの後に従って玄関ホールへの階段を下りていくと、ちょうど辰伶が帰宅したところだった。
「辰伶さん、お帰りなさい」
「ただいま、お義母さん」
辰伶の姿を認めた母さんは、先ほど部屋の前で俺の顔を見た時以上に、安堵の吐息を漏らした。実の息子の俺よりも、義理の息子である辰伶の方が母さんに信頼されてる訳だ。まあ、しょうがないか。この家の中では俺よりも辰伶の方が頼りになる。フトクノイタストコロだ。
「ただいま、螢惑」
辰伶は慣れた様子でコートや荷物を使用人に預けながら、俺にも声をかけてきた。他人に傅かれることに躊躇いがない。さすがは生まれながらに名家の御曹司様だ。
「変わりはないか?」
「別に」
俺があまりにぶっきら棒に答えるものだから、母さんは泣きそうな顔をした。彼女の目が必死に訴える気持ちを、俺は正確に読み取っていたが、態度を改める気はない。辰伶のご機嫌取りは母さん独りにして、俺を巻き込まないで欲しい。
「・・・あの、辰伶さん、今日は親戚の方がね、あの・・・何人か見える予定なの。でも、お父様は御用事で・・・あの・・・お相手できないって・・・。あの、だからね・・・」
おどおどと、「あの、あの、」を繰り返す母さんを、使用人たちが冷ややかに見ている。彼らにとって母さんはこの家の女主人ではないのだ。
「解りました。手伝います」
辰伶は母さんの懇願を彼女の口から最後まで言わせることなく承知した。良くできた息子だ。俺とは大違い。
生まれも育ちも平凡で一般的な庶民の母さんと違って、亡くなった辰伶の母親は名家の出身だったと聞く。多少の誇張はあるかもしれないけど、世が世なら高貴な身分のお姫様だったとか。ここの使用人たちは、彼女に仕えるのにある種の誇りを感じていたらしく、その自負と矜持が俺の母さんを認めようとしない。家の管理や客の対応など、通り一遍には熟すが、例えば母さんの個人的な用事など聞いてくれはしないし、今日のように親族がこの家に集まるなんてときに、不慣れな母さんをフォローなんて絶対にしてくれない。
親族たちにしてもそうだ。この家に不釣り合いな人間だと、母さんを馬鹿にしている。嫌味を言ったり、無作法を大袈裟に騒ぎ立てたり、教養のなさを笑ったり。俺もやられるからよく知ってる。そして、そんな俺たち母子を使用人たちが陰で笑っていることも。
この家で孤立している母さんにとって、義務感からとはいえ助けてくれる辰伶は唯一の味方だろう。この件で俺は全く役に立たないし。
漸く安心を得た母さんは軽い世間話をしながら辰伶を談話室(個室の私的な居間に対して、客なども利用する公の居間)へ誘った。俺はその様子を2、3歩後ろから眺めながらついて歩いた。こうして見ていると、辰伶の態度は実に大人だ。歳は俺と実質半年しか違わないのに、その自制心には感心する。比べて俺の態度は余りに子供っぽい。何かと辰伶に対して苛つくのは、俺の僻み根性だろうか。
辰伶だって、本当は俺たち母子を快く思っていない癖に。
連れ子同士の結婚だったけど、実は俺は元から辰伶の父親の息子だった。つまり、俺の母さんと辰伶の父親は不倫の関係で、それは辰伶の母親が生きてる頃からだったということ。しかも俺と辰伶の年齢の近さを考えると、全く言い訳の余地も無い。
辰伶からすれば、母親が死んだ途端に、父親の愛人と異母兄弟が家に乗り込んできたのだ。面白い筈がない。それなのに不快感を微塵も露わにせず、邪険にもせず、こうして義理の母に協力さえしている。お綺麗な奴。
こいつがそんなに出来た人間であるようには、俺にはどうにも見えない。家の平穏を保つために仕方なく我慢しているんじゃないだろうか。俺たち母子のことを、何とも思っていないはずはないのだ。何とも思っていなかったら、辰伶は家を出たりはしなかっただろう。
父親の再婚とほぼ同時に、辰伶は学校の寮に入ってしまった。昔は良家の子女のみが通ったという、伝統ある私立の名門校だ。学校はさほどではないが、寮は規則が厳しいと聞く。寮内での異性との接触は(家族でも)原則禁止。外出には届けが必要で、当然門限もある。寮内に持ち込める私物や私服にも制限があるそうだ。資産家で名士の父親を持つ辰伶でも特別扱いはされない。彼はそれまで長く伸ばしていた髪も、寮の規則の為に切ってしまった。・・・綺麗だったのになあ。
確かに辰伶の学校は遠いけど、家から通えないこともない。何しろこの家には雇われの運転手もいるのだ。それなのにわざわざ窮屈な寮生活を選ぶなんて、余程俺たち母子と一緒に暮らしたくないんだろう。そのくせ、母さんと微笑さえ浮かべて会話してる。偽善者め。
背後から二人の様子を眺めていて、ふと、思った。辰伶が母さんに親切にするのは、本当に義理の息子としての義務感からだろうか。俺が言うのも何だが、母さんは美人だ。若く見えるし、実際のところ俺を産んだのも二十歳前だから、高校生の息子がいるにしては若い。
うーん・・・AVの定番、義母と息子のイケナイ関係・・・とか?
ははは・・・まさかね。
うーん・・・まさか・・・ねえ?
俺は彼らの背後をそっと離れ、自室に戻った。2人とも俺が居なくなったことには気づかなかった。・・・別に俺、寝てても良かったんじゃないの?と思う。
それから直ぐに親戚の人たちが来て、そのまま談話室で彼らを迎えたらしい。うん、ついていかなくて正解。
だから俺はそこで投下された辰伶の爆弾宣言のことなど、知る由もなかったのだ。
辰伶は幼少の頃から日本舞踊を習っていたそうで、ものすごい名手らしい。その才能を認めているナントカ流の家元って人から養子縁組の話があって、辰伶はそれを受けることにしたそうだ。
つまり、この家を出ていくということ。それはもう、騒然となっただろう。親戚は喚く、母さんは詰られる。裏方でも使用人の間で悲鳴のような噂話が飛び交った。俺はそれを耳にして、初めてこの事態を知った。
噂話から知り得た状況はこうだ。猛反対の嵐の中、辰伶はいっそ冷淡なくらいに平然としていた。そしてこうも言った。いずれ成人すれば誰の許可を得ずとも自由に決められる、と。うん、エライエライ。
堪ったもんじゃないのは俺だ。じゃあ、この家はどうするんだと問い糺す声に、辰伶は俺の名前を出したらしい。俺がこの家を継げばいいって。そのせいで余計に場が荒れた。母さんと俺が辰伶を唆したんだろうって。辰伶は否定したそうだけど、俺の名前を出した時点でそんなのアウトでしょ。
うーん・・・新手の嫌がらせかな・・・?
でも、それだけの為に養子縁組までしちゃうなんて、ちょっと考えられない。それが全部俺(と母さん)のせいだと思うのは、自意識過剰な気がする。
あれこれ想像を巡らせても埒が明かない。いったいどういうつもりなのか、俺は辰伶自身の口から聴くことにした。辰伶の部屋は2階の一番奥にある。方角でいうと西の端になるそうだけど、俺、未だにこの家の向きをちゃんと把握してなくて、今でも時々迷子になる。俺の部屋はその反対の東の端に位置してるって聞いたから、廊下を端から端まで行けばいいんだよね?部屋を出ると隣は階段だ。その前を通り過ぎて、今までその前を通ったことすらない辰伶の部屋を目指す。
迷う心配は無かった。ちょうど辰伶が自分の部屋に入ろうとしているところだった。
「養子縁組の話って?」
声をかけると辰伶は動作を止めて俺に向き直った。
「俺の師である吹雪様から頂いたお話だ。有りがたく受けることにした」
「そこ、跡取りがいないの?」
「吹雪様には時人様という一人娘がいらっしゃるが・・・」
「え、養子って、ひょっとして婿養子?」
「いや、無理に跡を取らせる気は無いとのことだから。・・・舞踊に限ったことではないが、伝統芸能というのは血統重視なんだ。あの世界で今以上の高みを目指すなら、吹雪様の名跡を頂くしかない。・・・ただ、それだけだ」
自室の扉のノブを掴んだ辰伶の手を、その上から強く握って制した。振り返ったその顔は、無言で俺の行動を非難していた。苛立ちとそれから、もしかして少し焦っているの?
「何だ?まだ何か用か?」
「えーと、たまには話とかしたいじゃない?」
「・・・お前が?」
変かなあ?まあ、あれだけ不愛想にしておいて、急にオハナシシマショなんて、変だよね。
「何の気まぐれか知らないが・・・」
そう溜息混じりに呟いて、辰伶は部屋へ招き入れてくれた。間取りは俺の部屋と大体同じ。居間の奥の扉はやっぱり同じように寝室へ続いているんだろう。室内はエアコンで温められていたけど、辰伶が帰宅した時に持っていた荷物が解かれぬまま床に置かれていた。丸いテーブルと椅子が1脚。それを勧められる。辰伶は自分用には学習用の机の椅子を、テーブルを挟 んだその向かい側に置いた。
「何か飲むか?」
「酒はある?」
辰伶が大きく目を見張った。だよね。未成年が酒なんて・・・と思いきや、辰伶は無言で観音開きの戸棚を開き、洋酒の瓶を出してきた。
「え・・・と、灰皿もあったりする?」
「部屋が臭くなる。吸いたければ自分の部屋で吸え」
未成年の喫煙自体を咎めはしないのか。ふうん・・・
「まあ、品行方正な優等生サマの部屋で煙草の臭いがしちゃマズイよね」
「別に、煙草の臭いが嫌いなだけだ。嗜好の問題だ。品行だの優等生だのは関係ない」
辰伶は内線電話で使用人にグラスを持って来るよう言いつけた。
「酒とか煙草とか・・・煙草は吸わないんだっけ?誰も何も言わないの?」
「この家の、この俺の部屋で、いったい誰が俺に文句を言うと?」
うーん・・・俺はまだこいつのキャラクターが掴めてないみたいだ。ただ、その荒んだ物言いが、こいつにはあまり似合っていない気がする。でも、無理に悪ぶってるのとも違って・・・ヤケクソっていうか・・・うーん、何だかなあ・・・
さして時間をおかずに、使用人がグラスを乗せたワゴンを押してきた。氷がたっぷり入ったアイスペールと、簡単なツマミまで添えて。テーブルの上のウィスキーの瓶を見ても眉1つ動かさない。辰伶の言った通り、非難する者も諫める者もいなかった。
「ストレート?水割り?」
「ロックで」
使用人が用意しようとするのを辰伶は制して下がらせた。ワゴンの傍らに立ち、アイストングを手にする。へえ、自分でやるんだ。
辰伶は握り拳くらいの大きさの氷の塊を選んでグラスに1つ落とした。気泡の1つもない透明な氷が綺麗だ。もう一つのグラスにはそれよりも小ぶりな氷を幾つか。用意された2つのグラスに琥珀色の液体が注がれた。マドラーで軽く混ぜた後、小さい氷のグラスの方には更に氷を足してミネラルウォーター注ぐ。辰伶は水割りがお好みらしい。
・・・にしても、律儀な作り方だ。性格かな?
「それで、話とは?」
気の無い素振りで辰伶はテーブルに配置したコースターにグラスを置いた。とりあえず、辰伶の手製のオン・ザ・ロックを賞味する。美味い。きっと高い酒なんだろうなあ・・・
「これは親父の?」
「ああ、中元だか歳暮だかで家に届いたものだ。こんなのは幾らでもあるから、欲しければお前も好きなのを貰ってくればいい」
「辰伶はウィスキーが好きなの?洋酒派?」
「別に。手近にあったのがそれだったからだ」
辰伶はゆっくりと水割りを口にした。
「誰だって、飲みたい気分になることぐらいあるだろう・・・?」
その口ぶりは、酒に全く頓着がないのを窺わせた。酒の種類や銘柄どころか、味さえも関心の外。辰伶に必要なのはアルコールのもたらす酩酊だけなのだろう。高い酒を勿体ないと思うのは、俺が貧乏性なのかな?
「俺がこの家を継げばいいって、言ったそうだね。安易にそんなこと、言わないでくれる?」
「いけないか?」
「お前だって知ってるでしょ。ここの使用人は俺や母さんの命令になんか従わないって。親戚の風当たりも強いし、迷惑だよ」
「お前が実際に当主になってしまえば、嫌でも従うさ。雇用者に盾突く者などそうそう居るものじゃない。親戚連中にしたって、そのうち慣れる」
「本気でそう思うの?」
「・・・別に無理に家を継げとは言わん。もともとは、俺以外に誰がこの家を継ぐんだと言われたから、父上の息子ならお前もいると言っただけだ。継ぐも継がないも、お前の自由にしたらいい」
辰伶はあまりアルコールに強くないようだった。薄めの水割りを少し口にしただけで、頬に赤みが差していた。俺は・・・氷が殆ど解けない内からもう1杯目を空にしてしまって、グラスを弄んでいる。それに気づいた辰伶はウィスキーを瓶ごと俺に寄越した。遠慮なく2杯目を手酌で注ぐ。この音がいいよね。
「寮生活は楽しい?」
「別に。良くも悪くもない。普通だな」
「じゃあ、原因はやっぱり俺たち母子なわけだ」
「・・・意味がわからん。何の原因が何だって?」
「急に学校の寮に入ったのって、俺たちと同じ家で一緒に暮らしたくなかったからだよね。養子縁組までして家を出たがってるのも、同じ理由なんじゃないの?」
「・・・・・・」
水割りのグラスを下唇に当てたまま、辰伶は押し黙った。
「俺たちの存在が気に食わないんだったら、素直にそう言えばいいんだよ。イイ子ぶって、無理に仲が良いフリしようとするからストレスが溜まるんじゃないの?それでアルコールに逃げてちゃ世話無いね」
俄かに辰伶の瞳に剣呑な光が宿る。逃げるという単語が気に障ったらしい。
「無理をしているつもりはないし、自分を善人だとも思ってはいない。・・・さっきから何なんだ。優等生だの、イイ子だの、俺に喧嘩を売っているのか」
「それもいいけど、今日のところは平和的に話すつもりで来たから。一応はね」
「それで平和的なつもりか。・・・天然め」
微かに笑って、辰伶は水割りを勢いよくあおった。いいのかなあ、そんな飲み方して。いつの間にか姿勢も気だるげに肘をついている。
「・・・じゃあさ、逆かなあ?日々募ってゆく禁断の想いが、過ちを起こす前に距離を置こうと・・・」
突然辰伶が噎せた。苦し気に涙を滲ませながら、驚きと恐れの入り混じった瞳が俺を凝視している。あれ?本当に禁断の恋?
「え・・・と、辰伶。息子の俺が言うのもなんだけど、母さん、若作りしてるし、そこそこ若いけど、高校生からすればやっぱりいい歳だし、頼りなさそうな感じが保護欲をかきたてるかもしれないけど、あれは女がよく使う手っていうか、世渡りの一環みたいなもので・・・」
「え?」
「え?」
沈黙が流れた。辰伶は呆然とした面持ちで、その心が「オマエハナニヲイッテイルンダ?」と言っているのが聞こえる。どうやら外したらしい。俺の母さんに恋慕してるんじゃないのか。
でも、禁断の想いってのは強ち外れていないんじゃないだろうか。許されない恋・・・身分違い・・・使用人の誰かとか?・・・養子縁組してまで家を出るとか言い出す奴が、その程度の障害で思い詰めるかなあ?
辰伶はすっかり酔いが回ってしまったようで、正面に座る俺の顔をうっとりと見つめていた。熱っぽく潤んだ瞳と、上気した頬がやけに艶めかしい。・・・自惚れかなあ、俺に見惚れているように見える。・・・ははは・・・まさかね。
うーん・・・まさか・・・ねえ?
立ち上がってテーブルに手を突き、覆い被さるような姿勢で辰伶の耳元に低く囁いた。
「ひょっとして・・・俺?」
みるみる真っ赤になる辰伶。アルコールのせいじゃない。まさか・・・ホントにホントだったりするわけ?
俺も酔っているんだろうか。考える間もなく辰伶の唇を奪っていた。深まっていくキスに抵抗は無い。むしろ熱く応えてくる。
唇を離して見つめ合う。どうしよう。何て言っていいのか解らない。とりあえず・・・
「・・・ベッドに行く?」
辰伶は虚ろな瞳で頷いた。
「昔からあまり異性に興味がなかった。それでも特に自覚があったわけじゃなくて、尊敬したり憧れたりすることはあっても、同性に・・・男に恋愛感情をもったことなんてなかった」
辰伶の寝室の、辰伶のベッドの上。素肌の辰伶を腕に、心地よい疲労感に任せながら、熱の名残を惜しんでいる。辰伶も俺も酔いは醒めていた。そうして辰伶が呟くように語る言葉を聞いている。
「初めてお前に会った時だ。その時初めて・・・自分は異性を愛せないことに気づいた。信じられないくらい簡単に、俺はお前に恋をしてしまった」
一目惚れだったと、辰伶はその時の光景を思い出すかのように目を閉じた。俺もあの日の辰伶の姿を瞼の裏に映しだす。長く伸ばされた髪が白銀に輝いて、その美しさに目を奪われたっけ・・・
今では短くなってしまったそれに指を絡め、掻き撫でる。奪われたのは、心だっただろうか。あれからずっと、良い感情も悪い感情も、何もかもが辰伶で占められてきたような気がする。俺にとって辰伶はずっと無視できない存在だった。
「でも、お前はただ同性というんじゃなくて、血を分けた兄弟で・・・だから俺はお前から逃げた。学校の寮に入ったのは、お前から・・・お前への恋情から逃げるためだった。想いを隠して適当な相手と結婚するのも嫌だったから、家も継ぎたくなかった」
辰伶がそんなにも思い詰めていたなんて、全然気づかなかった。・・・ううん、端々に現れていたのが、今なら解る。どこか投げやりな荒んだ言動の数々。未成年のくせに、好きでもないお酒を飲んで。
「・・・本当に、お前を好きになっても・・・いいのか?」
「この状態で、今更言うの?」
俺も辰伶も、身に纏うものは何一つない恰好で、互いの体を抱いている。こうなるまでに俺たちが何してたか、もう忘れたわけでもあるまい。
でも、1つ気になることがある。聞いていいかな?聞かない方がいいかな?・・・聞かないのがマナーかもしれないけど、後々まで引きずるのはもっとダメな気がする。ここで禍根を断つために、俺は敢えて訊く。
「辰伶、初めてじゃないよね」
腕の中の辰伶が小さく身じろいだ。
「別に責めはしないよ。ただ、現在進行形で他に付き合ってる相手とかいたら・・・三角関係っていうの?・・・そういうのはウザイなあと思う」
「・・・付き合ってはいない。体だけの関係だ」
それは・・・付き合っていないとは言わないんじゃないだろうか。
「相手もそんな風に割り切ってるって保証あるの?」
「・・・同じ趣向の人間同士、互いに慰めあおうって・・・だから向こうも承知だと思う」
承知っていうか、付け込まれてない?危なっかしい奴だなあ。本当に大丈夫なんだろうか。
「誰なの?『同じ趣味』って、辰伶が打ち明けたの?」
「まさか。どうしてか解らないが、気づかれていた。・・・黙っていても同類は判るものなんだろうか。・・・寮の同室の奴に・・・迫られて・・・」
「で、誘いに乗っちゃたわけ?」
「・・・声とか、喋り方とか・・・どことなくお前と雰囲気が似てたから・・・電気を消して目を閉じていれば問題ないし・・・」
「大問題だよ!」
辰伶と俺の共通点を一つ見つけた。それは、自分が関心を持たないものに対しては、徹底して薄情であるということ。辰伶の相手だった奴に対して、俺は嫉妬よりも憐憫を覚えた。自暴自棄になってた辰伶に付け込んだのは看過できないけど、それでも辰伶に対して情愛の類はあっただろう。なのに辰伶の方は完全に俺の身代わり扱いで一片の情も持ってない様子。相手がそれを知ったら、どういう行動に出るか。
もう辰伶を寮には帰せない。
「辰伶、新学期からは家から学校に通いなよ」
短くなってしまった辰伶の髪を掻き撫で、口付ける。
「また髪を伸ばしてよ。長い方が好き」
「螢惑が・・・そう望むなら」
素直に応じてくれる辰伶が愛しくて、そのまま第2ラウンドに突入した。待てとか何とか言われたけど、聞かないことにした。
終わり
もう少し話を膨らまそうかと思いましたが、うっかりシリーズ化すると困るので短くまとめる方向にしました。クリスマスにアップしたかったのですが、とりあえず年内に発表出来て良かったです。
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