永遠を許せますか
とうさまと、かあさまと、オレと…
手はとてもつめたかったけどやめられない。こんなにいっぱい雪がふったのに、ただながめてるだけなんて、ありえなくない?
だって、ねえ?
雪ってつめたいけど、ねえ、でも雪の白って、あったかくない?
だからオレは雪がすき。雪がつもったら、オレはぜったいに雪だるまを作る。だって、すきだから。手はまっ赤になってジンジンいってるけど、でもへいき。オレは雪だるま作りのめいじんだから。
…ほんとにうまいんだから。しょうこに、かあさまもいってたよ。 「ほたるは雪だるまを作るのがじょうずね」 って。
シンになる雪ダマを作って、雪のつもったじめんにころがす。うまくころがさないと、まんまるにならないんだからね。あと、よごれた雪のうえをころがすと、雪だるまもよごれちゃうから、きをつけなくちゃ。カンタンそうだけど、ちゃんとやりかたってのがあるんだから。
ゆびのカンカクがなくなってきちゃった。でも、1つできた。りょうてにいきをふきかけて、さあ、もう1コ作ろう。まだまだへいき。だって、オレはめいじんだから。
もう1つできた。さいしょのよりちょっと小さい。これには雪ツバキのはなをかざってあげる。だって、すきでしょう? 赤い雪ツバキのはな。
あかぎれから血がにじんできちゃったけど、だいじょうぶだからもう1つ作る。あと1つ…あと1つだけ。小さいのを1つだけ作らなきゃ。いきをふきかけて、りょうてをこすりあわせれば、まだまだいけるよ。
ほら、できた。大きいのと中くらいのと小さいのの3つ。大きいのと中くらいののあいだに小さいの。ねえ、みてよ。小さいのがオレ。雪ツバキをつけてるのがかあさま。いちばん大きいのが…大きいのが…
「失敗!」
こんなの失敗、失敗、失敗、失敗…
オレはいちばん大きい雪だるまをけとばした。だってコレ、失敗作だから。失敗作なんかいらない。こわれちゃえ! こわれちゃえ!
「ふっ……んんっ………んっ…」
かあさま、あいたいよ。
かあさまのお声がききたいよ。
母様、母様。雪だるまの母様。あったかそうな雪の色なのに、氷みたいに冷たい。でも俺の指よりはあったかい。
かあさま…
外は雪が降っている。俺と辰伶は火鉢を挟んで雪見酒に興じていた。辰伶は特に肴を必要とせずにゆっくり楽しんでいたけど、俺は腹が減っていたから、火鉢に網を乗っけて餅を焼いていた。
「螢惑、膨れてきたぞ」
「あ、ほんとだ。辰伶も食べる?」
「俺はいい」
辰伶は飽かず雪の庭を眺めている。俺は餅に集中する。やっぱり餅は醤油だよね。
こんな風に雪をゆっくり眺めるような心境になれるなんて、昔だったらきっと信じられなかった。雪が降ったらやらなきゃいけないことがいっぱいあったから。寒風を凌げる場所を探さなきゃいけなかったし、食べ物を確保しとかなきゃいけなかったし、とにかく凍えて死なない為に必死で、のんびりと眺めている場合じゃなかった。小さく小さく身を縮めて、早く雪が止んで太陽が出ることばかりを望んでいた。
「辰伶は壬生一族が好きだって言ったよね」
唐突に何を?という疑問の表情を露わに、辰伶は俺を視凝め返した。
「その中に、俺も含まれてるの?」
「……」
辰伶は答えない。…ああ、バカなこと訊いちゃった。
辰伶が愛する壬生一族。辰伶が愛するものは、こいつを育んだ土地。格式あるしきたり。気高き精神。豊かな教養。美しき建築物。それから…一族の誰もが本当に一族を愛していること、だっけ?
ごめんね。俺、それのどれにも当てはまらなくてさ。
俺って無学だし、無教養だし、無礼だし、無遠慮だし、壬生一族のことも、前ほど嫌いじゃないけど、やっぱりどーでもいいし。
辰伶。俺の異母兄。名門の出で、力もあって、太四老吹雪の覚えめでたく、これ以上無いほど恵まれた環境で何不自由なく育った漢。そりゃあ、ボケッと遊んで暮らしてきたわけじゃないことは知ってる。何の努力もなしであんな強さを身に着けられるものじゃないから。でも、努力さえすれば、未来が保証されてるというのは、やっぱり恵まれていると思う。大抵は努力に見合うような結果なんて簡単には貰えない。努力しても、力があっても、栄光の文字から遠い奴なんて腐るほどいる。
輝かしい未来を約束されていた漢。壬生一族がかりそめの戦闘人形じゃなくて、死の病もなくて、子孫に恵まれて、こいつの尊敬する吹雪たちに何の苦悩もなければ、絶対に幸せになれていたはずの…
そう。やっぱり約束された将来なんてものは、この世にはなかった。あれだけ幸せに近いところにいたはずのこいつは、両親を失い、戦友を失い、そしてこいつが尊敬し憧れてやまなかった師の吹雪は壬生一族の苦悩を背負って散った。こいつは、こいつが大切にしていたもの全部失った。
皮肉。なんて皮肉なんだろう。俺は実の父親に存在を否定された。母親を殺された。俺には大事なものなんて1つもなかった。それが、ゆんゆんと出会って、狂に出会って、四聖天という仲間を得て、それから大事に思える人がどんどん増えていって…今は絶対になくしたくないものがいっぱいある。何も無かった俺には仲間がいて、何でももっていたはずのこいつの傍には、かつての仲間は誰も残っていない。
こいつの不幸は、今の壬生一族が欠陥品だってことに端を発している。壬生一族が完璧な存在でありさえすれば、吹雪もお前も、それからゆんゆんの一家や他の人たち皆、幸せだったかもしれない。壬生一族が抱える悲劇を中心に拡大した不幸の渦。その渦中にどれだけの人が飲み込まれただろう。
でも、俺は違う。俺の不幸は壬生一族の不幸と関係ないところにあったから。俺の母親が殺されたことや、俺自身も父親に命を狙われ続けたことは、別に壬生一族が欠陥品だったからじゃない。壬生一族が完璧だろうが、欠陥品だろうが、平和だろうが、戦乱中だろうが、俺の不幸には全然影響無い。
俺だけが、何だか部外者な気がする。渦中の皆とは違って、俺だけは何となく外野からみてるカンジ。吹雪や辰伶の気持ちは理解できるけど、共感するものがない。俺は壬生一族に生まれたけれど、きっと精神的に壬生一族じゃない。
辰伶の愛する壬生に、俺は含まれていない。
「俺は…」
辰伶の声に我に返る。ああ、餅が固くなってる。ちぇっ、せっかく焼いたのに…
「誤解を恐れずに敢て言うなら、お前を壬生一族として愛してるわけじゃない」
ハイハイ。そんなこと解かってたよ。
「お前という存在は「壬生一族」という言葉では表現しきれない。そんな枠に収まりきらないというか、もっと別なところにあるというか…」
何それ。意味不明。
「解からないか? 俺がお前のことを好きなのは、壬生一族だからという理由ではないということだ」
視線を餅から辰伶へ切り替える。この時には俺はもう理解していた。解かっていたけど、辰伶の口からもう少し聞きたくて、期待を込めて辰伶の瞳を視凝め返した。
「何と言えばいいんだ。お前は俺の異母兄弟で、一族の中でも特別に俺に近い存在で…いや、そういうことじゃない。俺が言いたいのは、お前が壬生の郷を出て遥か遠くへ行ってしまっても、お前はお前だということだ。…これでは余計に解からんな。つまり、お前が壬生一族でなくとも、俺と異母兄弟でなくとも、お前が例え何者であろうとも、お前がお前ならいい。それが一番重要な……俺がお前を好きであることの、一番の理由なのだから…」
少し酒が入っていたせいだろうか。それは普段の辰伶からすれば、全然洗練された言葉じゃなかった。
「…それにきっと……壬生一族を愛する気持ちと、お前に対して抱いている気持ちは、似ているようで…全然違うものだと…思う」
ああ、雪。もっと降り続けばいい。心まで真っ白に埋め尽くすくらいに、降り積もればいい。
薄暗い灰色の空。あんな薄汚れて濁った雲から、この清らかな結晶たちは生まれてきたんだね。
許されますように。
この時が永遠に許されますように。
降り積もる雪の数だけ、許されますように。
そして、
願わくは永遠に、この人と。
終わり