花を待つ人
(お題:ヒマワリ)


 ずっと、外の世界に憧れてきた。空を遥かに見上げては、流れる雲の行き着く先を思って溜息をついた。雲は何でも見て、何でも知っている。いつかあの雲のように、美しい世界をこの目で見たいと思っていた。

『だったら、辰伶、見に行けばいいじゃない』

 そう言ったのは、俺の異母弟、熒惑だった。外の世界は俺が夢見るほどに美しくはないが、それでもそこにしか無いもの、壬生の郷には無いものがあるのだと言った。壬生の外に価値あるものを見出した漢は、やがてまた壬生を旅立っていった。

 羨ましいと思わないとは言わない。しかし俺は気づいたのだ。熒惑にとって壬生の外が彼の生きる場所であるように、俺の生きる地は壬生をおいて他にない。外への憧れも、壬生があってこそ。俺にとって壬生はかけがえのない故郷であり、ここへ帰ることを前提に、外の世界を旅することに焦がれているのだ。

 鬼目の狂を中心とした戦いで、壬生の中心であった紅の塔は崩壊し、郷はその塵芥に埋没した。これは原因ではなく、結果でしかない。塔の崩壊以前に、壬生一族は生物として滅びに直面しており、社会には矛盾や綻びが生じ、中枢は苦しみと哀しみに壊れていた。狂った家畜の群れのように、自ら断崖目指して暴走していた。

 戦いが終わって、瓦礫と化した壬生の郷を目の当たりにして、俺は悲しかった。自分たち一族がどれ程深い過ちを犯し、恥ずべき行為をしてきたのだとしても、この光景は辛かった。そして俺は、自分が壬生の郷を、壬生一族をどれ程愛していたか、今更ながら思い知らされたのだ。

 熒惑は旅立ち、俺は残った。壬生がこんな状態では、外の世界になどとても行けない。俺は壬生の再建を誓った。師の吹雪様に、戦友に、壬生を深く愛された亡き人々の魂に。熒惑が己の道を選んだように、俺は壬生を選んだ。

 生き残ったものや、鬼目の狂を通じて知り合った人々の協力で、再建は順調に進み、僅か数年で壬生は驚くほどの復興を遂げた。瓦礫の中で再建を誓ってから、脇目も振らずに邁進してきたが、ここにきてようやく、俺は周りを見渡す余裕を持つことができた。そんな頃を見計らってか……いや、おそらく全くの気紛れに、ひょっこりと熒惑が郷に帰ってきた。

 この数年間どこに行っていたのか、熒惑のかつての仲間にも音信不通だった。当然、俺も熒惑が何処で何をしていたのか全く知らない。しかし熒惑はそこらを少し散歩して帰ってきたかのように平素と変わりなく、飄々と俺の前に姿を現したのだ。

「あ、辰伶。…そういえば、最近見なかったけど、元気?」

 最近どころか、数年に渡って俺たちは顔を合わせていないというのに。こいつの中では、ちゃんと時間が流れているのだろうか。しかも、『見なかった』だと?お前が姿を見せなかったくせに。

「…ああ。お前は元気そうだな」
「まあね」

 それでも、この漢が俺に対してまともに挨拶をするなんて、昔では考えられなかったことだ。この漢にも、やはり時間は確実に訪れて、何かを齎しているのだろう。

「あ、そうだ」

 熒惑は見慣れぬ装束を探って、懐から布の袋を取り出した。

「ちょうどいいから、これあげる」

 袋の口は紐で堅く結んであった。中に何か小さな物が沢山入っているが、とても軽い。

「何だ、これは」
「ええと、みやげ?」

 前から不思議に思っていたのだが、この漢は変なところで疑問形をつかう。それも自分の言動が心許ないからという風でなく、自信満々に疑問形なのだ。…訳がわからん。

「じゃあね」

 それだけで、熒惑は再び旅立ってしまった。後で知ったのだが、この漢は自分の師匠である遊庵様や、かつて共に肩を並べて四聖天を名乗った仲間の灯にも会わずに行ってしまったらしい。どうやら今回の熒惑の帰郷に居合わせたのは、俺1人だったようだ。全く、あの漢は何をしに帰って来たのだ。2人は熒惑の薄情さを憤慨しつつ、どこか嬉しそうだった。長く消息不明だった熒惑の無事が判って、安心したのだろう。家族として、仲間として、2人とも熒惑のことを心から心配していた。

 熒惑の家族、熒惑の仲間。どちらも俺には望み得なかった位置。この体には熒惑と同じ血が流れているというのに、かつて共に五曜星と称された同僚であったというのに、俺は熒惑の家族にも仲間にもなれなかった。

 それでも、あの頃よりはいい。怨恨と憎悪に塗れた日々に比べれば、他愛のない挨拶を交わせるようになっただけでも大進歩だ。それ以上を望むのは、俺には過ぎた欲望だ。

 寂しいことだけれど。

「…それはそうと、あいつは何をしに帰って来たんだ」


 袋の中には植物の種が大量に入っていた。見たこともない種だが、とりあえず畑に埋めてみた。壬生の誰もこれが何の種か知らなかったので、うまく発芽するかどうか不安だった。木派だった歳世や歳子が居てくれたらと思った。或いはその頂点であった吹雪様や、その奥方で花を育てるのが巧かったらしい姫時様。お2人の忘れ形見である時人様も、ひょっとしたらその才能があったかもしれないが、彼女は指標である漢の背中を追って旅に出ているのでここには居ない。居るのは園芸にはまるで無知な俺だけ。見兼ねた庵曽新がその弟妹たちと手伝ってくれなかったら、どうなっていたことか。

 10日程して芽が出た。2枚の葉が可愛らしい。芽は日に日に大きくなった。種が大きいから1つ1つの間隔を広めに植えたほうが良いかもしれないという灯のアドバイスを聞いておいて良かった。ひしぎは本当にあらゆる生物が好きだったんだよと、灯は微笑んだ。灯にはひしぎ様の知識の全てが受け継がれているが、こんな形でひしぎ様の魂は今でも生きているのだと、俺は実感した。

 しかし誰の予想よりも苗は大きく育ち、幾らか間引かねばならなくなってしまった。間引くとは、成長の良いものを残して、不要な苗を抜いてしまうことだ。なんだか憂鬱な気持ちになった。俺は間引いた苗を捨てずに植え替えることは出来ないか皆に相談してみた。皆は、この植物を育てること自体ダメもとみたいなものだからやってみればいいと賛成し協力してくれた。根からなるべく土を落とさないようにと注意を受け、植え替え作業を行った。あとはこの植物の生命力に賭けるしかない。生きてくれと、切に願った。

 植え替え作業のせいで、見渡せば畑は当初の3倍近くに広がってしまっていた。己に水を操る能力があって良かったと痛感した瞬間だった。

 思えば随分と多くの人の手を借りてしまった。植物を育てるということがこんなにも大変で、しかしそれを補って余りあるほど楽しいのだということを、皆に教えらた。俺は嬉しかった。壬生の再建にも多くの人々が協力してくれたが、それは自分たちが生きる為であるから、ある意味当然のことだ。しかしこんな正体不明な植物を育てることには、大層な意義などない。あるのは俺の興味だけ。

 あの戦いで、仲間や大切な人など全て失ってしまったと思っていた。しかし、自分たちには何の得にもならないのに、見返りを要求することもなく、ただ協力してくれる人が、俺の周りにこんなにいたのだ。

 熒惑が種をくれたことの意味が判ったような気がした。


 よく解らない植物だ。木には見えないが、草にしては茎が太くて頑丈だ。葉も大きくて心の臓の形をしている。随分と丈が高くなり、大きな蕾らしきものをつけた。それから2週間もして、大きな蕾は驚くほど大きな花を咲かせた。

 まるで太陽のような花だった。黄色の花びらが放射状に広がり、真夏の太陽のように堂々と咲き誇っていた。畑一面が太陽に溢れていた。壬生の郷の誰もが、初めて見る光景に感嘆した。

 熒惑はこの光景を俺に見せたかったのだろうか。きっとこんなものは序の口で、壬生の外には俺が知らないもの、見たことないものが沢山溢れていて、想像もできないような風景が広がっているのだ。行きたい。やはり俺は、外の世界へ行ってみたい。熒惑が目にしたものを、俺も見てみたい。

「熒惑…」

 これはお前の思いやりなのか、それとも嫌がらせなのか。俺の胸では、嬉しさと切なさがせめぎあって軋み音を立てている。熒惑に逢いたい。今すぐ熒惑を追いかけて行きたい。

 自分の想いでいっぱいで、俺は背後に人が立ったことに気づかなかった。

「あ、辰伶がいる」

 声を聞いて、初めてその存在に気づいた。そして、耳を疑った。まさか、そんなことが…

「辰伶が居るってことは、やっぱりここが壬生なんだ」
「熒惑…」

 それきり、俺は言葉を失くしてしまった。

「久しぶりに帰ったら、何か凄いことになってるけど、辰伶がやったの?」
「お、お前が…」

 必死に言葉を繋ぐ。

「お前がくれた種を植えたんだ。皆で。…凄い花だな」

 熒惑はきょとんとして俺を視凝めた。何だ?何か変なことを言ったか?

「俺、種なんてあげたっけ?」
「もう忘れたのか?ついこの間のことだぞ。前に帰郷した時に、土産だと言って、俺にくれただろう」
「ああ」

 得心がいったらしく、熒惑は手を打った。

「あれって、種だったんだ」
「……何だと?」

 何だか…嫌な予感がする。

「あれさ、俺の非常食っていうか…弁当の残り」
「はあ!?」
「おいしいんだよね。香ばしくて」
「……」

 …弁当の残り…だと?つまりは貴様の食い残しということか…。いかん、こめかみが疼く。解っている。この漢が悪い訳ではない。強いて言うなら、勝手に勘違いした俺の所為だろう。しかし、しかしだ…

「…返せ」
「え?」

 ああ、吹雪様。どうぞお叱り下さい。

「俺の感動を返せと言ってるんだぁーっ!!」

 次に水龍を出すのは水舞台の時と決めていたのですが、貴方の弟子はまだまだ未熟者です。


 ひと死合を終えた俺たちは、ボロボロになって座り込んでいた。花畑が吹っ飛ばなくて良かった。死合中は周りを気遣う余裕なんて全く無かったから。

 熒惑はまた強くなっていた。この漢は一体どこまで強くなれば気が済むのだ。付き合う俺の身になってみろ。…別に最強の称号には興味ないし、無理して付き合う必要はないのだが、こいつに負けるのだけはどうにも我慢ならんのでな…

 ぼんやりと花畑を見ていた熒惑が、不意に言った。

「ねえ…この花から、あれができるんだよね」

 あれとはつまり、種のことだろう。

「そうなんだろう。この花は、あの種から咲いたのだから」
「じゃあ、待っていよう」

 そう言って熒惑は、しばらく壬生の郷に居た。その間、さも当たり前のように俺の家で起居していた。庵一家の世話になるでなく、灯の元に転がり込むでなく。

 花が終わって実を結ぶと、それを手にした熒惑は、また旅立っていった。



 そして、毎年この花が咲く頃になると、熒惑は壬生の郷に帰ってくるようになった。余程この花の種が好きなのだろうと思うのだが、あいつのことは今でもよく解らない。

 次に熒惑が帰郷した際には、彼と一緒に外の世界へ行ってみようか。

 無論、この花の名を知る為に。


 おわり