恋に出会う


 数々の矛盾を抱え、その歪みから崩壊への道を辿った壬生一族。鬼眼の狂を中心とした戦乱の後、荒みきってしまった壬生の郷だったが、一族の生き残りや外の世界からの協力者たちによってどうにか立て直され、過去の栄光には遥かに及ばずとも、平穏と呼べる時代の訪れを人々は信じられるようになっていた。

 かつて絶対的存在であった紅の王、そして壬生の中枢機関として権勢を振るった九曜は、前時代のものとして人々の意識から遠い存在となっていった。彼らのことは日常的には口の端にも上ることはなかった。

 ほたるが壬生の郷へ帰郷したのはそのような頃合いだった。ほたるは以前は螢惑の名で、五曜星として九曜を構成していた者の内の1人だ。肩書が前時代の遺物となってしまったことに対して、ほたるは何の感慨も湧かなかった。もともと地位や権力に興味のない漢であったし、そもそも当時から壬生に対する忠誠心に乏しく、五曜星らしからぬものとして浮いた存在だった。

 それでも元五曜星である彼の能力がその名声と共に失われたわけではなく、また人々も彼が何者であったか忘れたわけではなかったので、彼が郷に一歩足を踏み入れた瞬間から注目の的となった。そして彼の帰郷の噂は風よりも速く知れ渡り、それを聞きつけた旧知の人物に半ば拉致同然に引っ張って来られてしまった。

「それで、今は灯ちゃんの家にいるわけなんだけど」
「……誰に説明してるのよ」

 灯ちゃんこと、御手洗灯吉郎は壬生の外から来たシャーマンで、ほたると共に四聖天を名乗っていたこともある。壬生に敵対した鬼眼の狂の仲間だが、壬生の郷崩壊後は、郷に留まってその復興に尽力している。太四老ひしぎの記憶を受け継ぎ、その知識と能力で一目置かれている。

「あんたねえ、何年ぶりだと思ってるの?郷を出てってから何の音沙汰もなく8年よ、8年。アンタは壬生一族で不老かもしれないけど、アタシは普通の人間なのよ。アンチエイジング大変なのよ!」
「…うん、なんか解らないけどゴメン」

 壬生の科学力と化粧品と小まめなお手入れで未だ衰えることのない若さと美貌を誇る灯の顔が、目を吊り上げさせてほたるの薄情を詰る。その迫力に押されて、ほたるは大人しく灯の叱責に甘んじた。叱られながら、どうしてだろうか、それはとても幸せなことでもあるような気がした。きっとそれは灯が優しい人だからだと、ほたるは思う。

「ああ、もう。怒るのも疲れたわ。あんたって、全然堪えてないみたいだし」

 灯は優雅な仕草でお茶を用意した。説教タイム終了のようである。差し出されたお茶を飲んだほたるは、ほっとして溜息をついた。それは灯と同時だった。

「…まあ、気持ちは解るけどね。要するに辰伶でしょ」
「……」

 辰伶。それはほたるの異母兄の名であり、螢惑が8年もの間郷を離れていた原因でもある。それを知っているのは灯だけだ。

 壬生の郷の崩壊と同時に郷を出たほたるとは反対に、辰伶は郷に残って一族を助け、復興に尽力した。ほたると同じく元五曜星であった彼は、これまたほたるとは正反対に当時から壬生に忠実で、模範的ともいえる一族だった。全く意見が合わず、ずっと昔からいがみ合ってきたし、殺し合ったことさえあった。同じ血を分けた兄弟であったが、いや、だからこそなのか反発し、憎みあった。

 そんな相手を、ほたるは恋しく求めていたのも事実である。自覚が無かった想いを指摘し、気づかせたのが灯だった。瓦礫と化した壬生の郷に立ち尽くす辰伶の後ろ姿に感じた激しい痛みの理由を、灯によって教えられた。螢惑は辰伶に恋をしていたのだ。ずっとずっと昔から。

 辰伶に対する恋心を自覚したほたるは旅立を決意した。辰伶の傍から離れなければならないと思ったからだ。その恋心は情欲も孕んでいることに、ほたるは早々に気づいたからだ。辰伶は同性で、しかも血縁だ。この情念が過ちを犯すことを恐れた。兄弟でこれは変だと思うくらいには、ほたるにも禁忌の念はあった。そして辰伶に忌み嫌われるのも嫌だと思ったし、辰伶を傷つけたり汚したりするのも嫌だと思った。この想いが風化するまで、辰伶には逢わないと決意しての旅立ちだった。

「それで、ふっきれたの?」
「ふっきれた……感じが全然しない。悪化した気がする」
「そうなの?」
「ずっと辰伶に会ってなかったら、頭の中でどんどん美化しちゃったみたいで、旅の途中で美人な人とか綺麗な人とか出会っても、なんかみんな『辰伶の方が綺麗だな』とか思ったりして…」
「重症ね」
「むしろ現物を見れは幻滅して恋が醒めるんじゃないかと思って、帰って来てみたんだけど」
「久し振りに辰伶の姿を見た感想は?」
「……」

 ほたるは黙り込んだ。そしてまるで怒っているような不機嫌な声で言った。

「俺の想像より綺麗になってた。何なの、あいつ馬鹿なの?」
「…おバカさんはあんたよ」

 灯は『心底あきれました』と相手に伝わるように溜息をついた。

「綺麗になってたでしょ。性格も丸くなったのかしらないけど、ほら、あの村正みたいに優し気っていうか、穏やかになっちゃったし。彼ってもともと育ちが良くてちょっと品があるじゃない?だから物腰も柔らかで、老若男女に人気があるのよ。私なんて、何度『猫被ってんな!』ってツッコミたくなったことか。まあ、本来がこうだったのかもしれないけどさ、私の狂を誘惑するんじゃない!」
「狂、誘惑されてんの?」
「狂もあんたと同じで全然帰って来ないから誘惑されてはいないけど、今の辰伶を見たらどうかしらって、ちょっと危機感持ってるのよね」

 灯の考えすぎとは、ほたるも言い切れない。辰伶と狂はお互いに、幼少時に特別な心象を抱えたらしく、どこか意識しあっているものを感じるのだ。ほたるから見ても、狂は惚れるに足る漢だ。もしも狂が辰伶に対してその気になったとしたら……狂が義理の兄になるのか?と、ほたるの思考は果てしなく脱線しはじめた。

「とにかく、辰伶は今や知らない人のない壬生再建の中心人物で、すごい人気なの。水舞台だっけ?あれをやってから益々人気急上昇。年に数人は命知らずが辰伶にちょっかい出して水龍に血祭りにあげられてるんだからね」
「まあ、辰伶に不埒なことを考える奴がいたとしても、辰伶強いから。返り討ちがオチだよね。心配することないんじゃない?」
「そういう心配はないけど、ぼやぼやしてると横から掻っ攫われても知らないわよ。あんた、平気なの?」

 ほたるの琥珀色の瞳が切なく揺れた。

「…しょうがないよ。俺たち異母兄弟なんだから。辰伶が誰を好きになっても、俺にはどうする権利もないし、どうしようもないよ…」

 だからこそ、辰伶の傍を離れたのだから。辰伶が誰かを唯一無二の特別にする日なんて来なければいいと今この瞬間も思っている。

「辰伶と異母兄弟なんかじゃなければ良かったのに」

 そんなことを考えたことが、これまで一度もなかったわけではない。辰伶への恋情を自覚する前にも後にも、ほたるは幾度もそんなことを考えた。昔から辰伶のことが嫌いだった。それは辰伶が異母兄だから。異母兄だから、境遇の差に腹が立ったし、考え方の違いが気に入らなかったし、行動がムカついた。異母兄弟だから無視できなかった。

 それは辰伶にしても同じことだったようで、異母兄弟だから辰伶はほたるを常に気に掛け、陰で支援してくれさえもしたのだ。

 そして、異母兄弟だから、最終的には相手を殺すことはできなかった。

「辰伶が異母兄弟じゃなかったら、こんなに気になったりしなかったと思う。異母兄弟じゃなかったら、そもそも俺は辰伶に恋なんかしなかったんじゃないのかなあ」

 そうしたらこんな風に苦しむこともなかったのに。ほたるは己の心臓を握りしめるかのように、胸の前で強く拳を握った。その苦悶の様子を灯は哀れに思った。

「家に泊めてあげるから、今日のところはゆっくり寝なさいな。辛いかもしれないけどさ、せっかく8年ぶりに帰って来たんだから、すぐまた旅立つなんてしないでよ。辰伶もあんたが帰ってくるのをずっと待って……待ち焦がれてたんだから」

 その言葉だけでほたるは自分が生きていける気がした。辰伶も待ってくれていた。会いたいと焦がれてくれていた。それだけで心が柔かく解けていくのを感じていた。

 それでも思う。辰伶と異母兄弟じゃなければ良かったのに、と。


 空腹感で、ほたるは目を覚ました。とっくに日は高くなっていた。ここはどこだろうと思ったが、程なくして昔の仲間だった灯の家だということを思い出した。

「ごはん……」

 思考が上手く働かないのは寝起きのせいか。特に何も考えず起き上がり部屋を出た。静かだ。灯の姿を探して居間に辿りついた。

「おは…」
「おっそーいっ!」

 挨拶もしきらない内に灯に怒られた。そして有無を言わさず大量の冊子を持たされた。

「それ、図書館に返却してきて」
「何で俺が?てゆーか、図書館ってどこ?てゆーか、お腹すいた」
「働かざる者食うべからず。図書館は大通りを政庁の方へ行けば解るわ。ご飯はそこで食べてらっしゃい。はい、食券」

 ほたるの質問の全てに、灯は淀みなく応えて、一枚の券をほたるに渡した。その勢いに反論の余地も意思もなく、ほたるは言われた通りに図書館へ行った。

 方向音痴のほたるであったが、図書館にはすんなり行くことができた。しかし、返却の手続きはどうしたら良いのだろうか。受付らしいところを探して、ほたるは周囲を見回した。

「何か困っているのか?」

 背後から声を掛けられた。

「えっと、本を返し…」

 振り返ってほたるは声を無くした。そこにはこれまで見たこともない美しい人物が立っていた。白銀に煌めく髪。細いフレームの眼鏡の奥の瞳はほたると同じ琥珀色。背は同じくらいに感じるが、高下駄の分だけ恐らく相手のほうがほたるよりも高い。青色の服がよく似合っている。

「本の返却ならこっちだ」

 そう言って彼は親切にほたるを案内してくれた。声や喋り方などの雰囲気で彼が男であることはすぐに解ったが、こんなに綺麗な男は初めて見た。いや、女にだって彼ほど綺麗な人など見たことないと思う。

「…なんか、すごく好みなんだけど…」

 一目惚れとでも言うのだろうか。ほたるは今まで他人に対してこのような感情を抱いたことは、男女問わず無かった。

 本の返却の手続きも、彼に教えられ、助けてもらって滞りなく済んだ。その途端、急に空腹を思い出した。

「えっと、ご飯…ここで食べろって言われたんだけど…」

 灯から渡された食券を彼に見せてみた。彼は券を手に取って見て、これまたとびきり美しく微笑を浮かべた。

「この館に併設されている食堂の券だな。ちょうど俺も昼食の頃合いだと思っていたところだから、一緒に行こう」

 この綺麗な人と一緒に食事ができる。初対面なのに、なんて運が良いのだろう。ほたるは心が躍った。

「えっと、名前聞いてもいい?俺はほたる」
「辰伶だ」

 綺麗な名前だ。彼にはとても似合っていると思った。同時に正体不明の切なさと懐かしさが、ほたるの胸を吹き抜けた。


 辰伶は有名人らしかった。宿泊させてもらっている灯の家に帰ったほたるは、図書館で会った綺麗な人物のことを何気に口にしただけで、灯は直ぐにそれを辰伶と理解し、彼についての色々な情報をほたるに齎してくれた。

 辰伶は無明歳刑流の本家という、壬生一族の中でも群を抜いた名家の当主であるという。出自不明のほたるからすると別世界の住人だ。壬生崩壊前なら口を利くどころか姿を目にする機会も無かっただろう。

 再建後の壬生では家柄に意味など無くなったが、それでもまだ人々の意識の中では名家という響きには特別な価値があるらしい。その呪縛からはほたるも自由ではなく、御大層にありがたがるつもりはないが、何となく『高嶺の花』という言葉が浮かんだ。

 辰伶自身には、名家出身であることを鼻に掛けている様子は見られなかった。それが見えたらいくら一目惚れした相手でも、ほたるは即座に興味を無くしただろう。

 ただ、生来の育ちの良さは隠せない。辰伶の所作はその指の先まで上品であるような気がした。それがほたるには格差を感じさせたし、また同時に、そんな風に全く育ちが違うほたるを食事に誘い、自然に楽しそうしていた辰伶のことが益々好きになった。

 辰伶が有名人なのは、その美貌や出自のせいだけではない。彼は崩壊した壬生の郷の再建を中心的な役割をもって指導してきたのだという。そもそも彼は元五曜星で、崩壊前の壬生でも重要な地位にあった。生き残った一族の中で、指導者としての能力や情熱、そしてカリスマ性を備えていたのが彼だったのだ。

 辰伶が元五曜星という情報は、ほたるの彼への興味を更に深めた。最強を求めるほたるは是非にと辰伶に死合を申し入れた。結果、ほたると辰伶は全くの互角で、死合の内容もこれまでになくほたるの心を熱くさせた。瞬く間に辰伶はほたるにとって唯一無二の存在となっていた。

「辰伶とは…どんな出会い方しても恋してたと思う」

 夢の中のようなほたるの呟きを、灯は微笑みで受け取った。


 ほたるにとって辰伶が特別であるように、辰伶もほたるを特別に親しい存在としている。そう感じることがしばしばあって、しかもそれは自惚れや勘違いなどではないようで、ほたるは幸せな日々を過ごしていた。

 しかし不安が無いわけではない。何しろ辰伶が綺麗で有名人で老若男女にモテ過ぎる。必要以上に辰伶の身体を触ろうとしたり、不必要に密着しようとする輩が多々いるのだが、それがあからさまに性的な意味を持たない限り、辰伶は拒否しないのだ。恐らく相手の下心に気づいていないのだろう。その鈍感さに、ほたるは危機感を覚える。このことを灯に相談してみた。

「それは私も思ったのよね。だから眼鏡かけさせてみたんだけど」
「あれ、目が悪いんじゃないの?」
「伊達眼鏡よ。少し野暮ったくして狂から隠そうなんて…ううん、何でもない」

 灯の思惑は解ったが、それなら完全に裏目に出ていると思う。まず、辰伶は小顔で眼鏡が似合う美人だ。そもそも眼鏡自体が萌えアイテムになりやすい。それから、普段かけてる眼鏡を外した瞬間、美人度が数倍に上がって、よけいに辰伶が綺麗であることを強調して周囲に知らしめてしまうのだ。

 辰伶はほたると特別に親しくしてくれてはいるが、恋人という訳ではない。互いに何の約束もしていないのだ。辰伶にとって、ほたる以上に特別な存在が、これから先現れない保証は全く無い。ほたるは辰伶を唯一無二の人と、もう決めてしまったのに。

 このところ、毎晩のように2人は食事を共にしている。今日は酒も飲んでみたりして、2人してほろ酔い加減で夜の道を歩いていた。月が冴え冴えと明るく美しい夜だった。

 ほたるは辰伶を家まで送った。辰伶は強いからその必要は無いのだろうけれど、単純に少しでも長く一緒にいたくて、無理矢理送らせてもらった。これはもう、家までついてきたというのが正しいかもしれない。

「ああ、もう着いてしまった」

 大きな屋敷の門の前で辰伶はそう呟いた。それを耳にして、ほたるの心は温かいものに満たされていった。辰伶もほたるとの別れを惜しんでくれている。迷惑ではなかったのだ。

「もう少し一緒にいたかったなあ…」

 素直に本音を口にする。すると辰伶はほたるを見詰めて、短い逡巡の後に言った。

「良かったら、寄っていかないか?」

 辰伶の家に誘われたのはこれが初めてではない。これまでも何度か誘われていたのだが、何故かほたるは断ってしまっていた。明確な理由はないのだが、強いて言うなら気後れしてとでもいうのだろうか。無明歳刑流本家、その名が何故か心に蟠る。

「いいの?じゃあ、寄ってく」

 辰伶との距離をもっと縮めたい。その想いが、ほたるにそう返事させた。ほたるの返事に辰伶は満足した様子で、その安堵の微笑みを月が美しく照らし出した。こんな些細なことがこんなにも辰伶を綺麗にするのなら、もっと早くそうすれば良かったとほたるは思った。


 名家の名に恥じず、屋敷は大きく庭は広かった。丹精された庭に向かって、2人は縁側に並んで座って静かに酒を酌み交わしていた。

「退屈していないか?」

 そんな風に言う辰伶は退屈そうに見えない。

「別に。何でそんなこと言うの?俺といるのは退屈?」
「そんなことはない。ただ、俺は雑談が苦手で、気の利いた話の1つもできないから、お前が退屈していないか心配なんだ」
「うるさくなくていいよ。てゆーか、辰伶が今夜はちょっと素直な気がする。俺もだけど」
「酒のせいかな」
「ああ、うん。酒のせいね」

 そうか。酒のせいか。だったらこれも酒のせいだろうか。

 ほたるは月を眺める辰伶の横顔をじっと見つめた。それに気づいた辰伶がほたるの方に顔を向ける。

「何だ?」

 月の下の辰伶がやけに綺麗に見えて、だからこの気持ちが抑えられないのだろうか。ほたるは辰伶の唇に己のそれを寄せて、ゆっくりと静かに口付けた。振れるだけで離れては、また口付ける。3度目には辰伶も目を閉じてほたるのキスを自ら受けてくれた。そのまま自然に口付けは深くなり、いつのまにか辰伶に覆い被さる形で押し倒していた。辰伶の腕もほたるの背中を抱いていた。

「辰伶、好き」

 言わなくてはならない。絶対にこれだけは伝えなくてはいけない。ほろ酔い加減の頭でも、ほたるは大事なことを忘れなかった。

「俺は辰伶が好き。辰伶だけが好き。だから、辰伶が欲しい」
「ほたる…」

 開きかけた辰伶の唇を深く貪る。ほたるの背中を抱いていた辰伶の指が強くしがみついてそれに応えた。

 受け入れられている。夢のような幸福感に満たされて、ほたるは辰伶の服の中に隠された肌を求めた。ほたるの指が直に触れると、辰伶は敏感に反応して声をあげた。

「あ、螢惑っ…」

 ほたるの頭の中で何かが弾けた。『ケイコク』の音が、ほたるの奥で眠っていた意識を引きずり出す。

「え?…あれ、辰伶?」

 己の身体の下に辰伶を敷き込んでいる。この体勢はマズくないかと思った途端、ここに至るまでの自分の行動を全て思い出した。紛うことなく、辰伶を抱こうとしてる最中だ。

 辰伶は異母兄弟で、こんなことをして良い相手ではない。しかもここは、ほたるの苦しみの元である無明歳刑流本家の屋敷。忘れたくても忘れ得ぬはずのこれらのことを、何故忘れていたのだろう。

「ゴメン。辰伶、俺、酔ってた」

 飛び上がる勢いで辰伶からどいたほたるは、早口でそれだけ言い残し、屋敷を飛び出した。


 直感的に灯の仕業と看破したほたるは、宿泊している灯の家に帰るなり、灯を問い詰めた。

「だから、あんたが『辰伶と異母兄弟じゃなかったら良かった』なんて言うから、ちょっと催眠術にかけて忘れさせてあげたんじゃないの。辰伶には上手く言いくるめて協力して貰ったの」

 ほたるのもう一つの名である『螢惑』が催眠解除のキーワードで、うっかりその名を辰伶が呼んだ為に催眠術が解けたのだ。

「何が『辰伶が異母兄弟じゃなかったら恋なんかしなかった』よ。どんな出会い方しても結局、辰伶に恋したじゃない。諦めて素直になんなさい」
「諦める方向が違うと思う。てゆーか、俺、辰伶に好きって言っちゃったし。キスしちゃったし。押し倒しちゃったし。ダメだよ、異母兄弟なんだから」
「え、ほたる、どこまでやっちゃったの?詳しく教えなさいよ」

 灯が肉食獣のように目を輝かせてほたるに詰め寄ったところで、来客の気配がした。辰伶だ。

「螢惑と2人きりで話がしたいんだが…」

 どうぞどうぞと、灯が居間を貸してくれたが、ここでは何処に灯の『耳』があるか解らない。ほたるは辰伶を外へ誘った。

「騙して悪かった」

 開口一番に辰伶は謝った。しかし、首謀者は灯で、辰伶は協力者というよりはむしろ被害者のようなものだとほたるは思っていたから、最初から辰伶に対して怒ってはいなかった。そもそも灯に対しても怒ってはいない気がする。ただ、ほたるは自分自身に負けた気がして、それが気に入らなかった。

「あきれただろう」
「何が?」
「何がって…」

 辰伶は自嘲気味に話すが、ほたるは彼の心情が解らなかった。あきれるというなら、性懲りもなく辰伶に恋した自分と、堪え性もなく辰伶に告白し押し倒した自分にあきれる。

「異母弟であるお前にあんなことされて…」
「ああ、ゴメン。酔ってたってことで忘れてよ」
「ろくに抵抗もせずに流されて……いや、こんな言い方は卑怯だな。お前は催眠術で正気じゃなかったから、俺のことを好きだなんて思いこんで、俺はお前の勘違いに便乗してお前に抱かれて、お前を手に入れようとした。おかしいだろう。異母兄弟なのに、こんな…」

 辰伶は恥じ入る態で己の罪を告白しているが、その内容はほたるにとって甘いものだった。その甘さはほたるに都合が良過ぎて、まだ何か違う術が掛けられているのではないかと疑ってしまうほどだ。こんなことがあっていいものだろうか。

「ちょっと待って。勘違いって、それは無いんじゃない?俺は催眠術に掛けられる前から、ずっと辰伶のことが好きだった。異母兄弟のお前のこと、欲しいってずっと思ってた」

 ほたるの告白を辰伶は俄かに信じられないようだった。ほたるだって、この想いが実る日がくるなんて、全く期待していなかった。

 でも信じて欲しい。

「どんな出会い方しても、俺は辰伶に恋するから」

 それはちゃんと真実として証明されたから。


 おわり