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必勝!合格術


 空は非常に晴れていた。突き抜けるように青く澄んだ空だが、天気はこの際、関係ない。雨だろうが、雪だろうが、日程変更はない。

 この日は五曜星の入隊試験が、陰陽殿の一角で行われていた。五曜星とは壬生の中枢として実戦部隊を指揮する要職である。今日の試験は五曜星の直下部隊へ入隊する為のものだ。

 試験は3次まであり、1次の筆記、2次の実技(試合)で合否は決まる。では3次試験は何の為にあるのか。

 五曜星の部隊の中でも実力によってランク分けがされている。勿論、そのトップが五曜星の名で呼ばれる。3次試験では、五曜星の1人と試合を行い、受験者がどれ程の力量を持っているかを見るのである。滅多にないことだが、受験者が3次試験で五曜星を倒した場合、その者が新たに五曜星となる。(か、どうかは知りませんが、ここではそういうことにしといて下さい。)

 この日は1次試験だった。五曜星は名誉ある部隊なので、戦闘能力だけでなく、知識や教養など、人格の面でも審査される。

 というのは表向きで、実はこの筆記試験は名門の子弟には予め試験問題が密かに配布されている。当然、高得点を取得するのは上流貴族の子弟が占めることとなり、要するにこれは身分が低い受験者を篩い落とすためのものだった。建前にも実力主義を謳っている壬生では、あからさまに身分で差別することは憚られたのである。このことは上流貴族の間では公然の秘密であった。

 ところが、その名門の上流貴族の子弟であるにも拘らず、全くそんな裏事情を知らない、ひょっとしたら微妙にハブられてるかもしれない受験生がいた。後に水の五曜星となるその漢は、名を辰伶という。

 下級眷属でも知っている者は知っているこの裏事情を、彼が知らなかったのは、彼の周りに与える印象が大きく働いていた。つまり、根っから真面目で、気性が真っ直ぐで、融通が利かなくて、ひょっとしたら大マジで壬生の為に命なんか懸けちゃったりしちゃいそ〜な人物だったので、誰もうっかり試験の不正のことなど話せなかったのである。それは彼の父親にしても同じで、『ちょ〜っとガチガチに教育し過ぎたかな〜』と微妙に後悔している。壬生の正義を信じて疑わない息子にカンニングペーパーなど渡した日には、ショックでどんな凶行に走るか実の父にも測りかねた。


 試験会場で、辰伶は螢惑という漢と隣り合わせた。彼も後に火の五曜星となる漢だったが、この時はまだ一介の受験生であった。

 辰伶はこの漢のことを、個人的に知っていた。螢惑は辰伶にとって、異母弟にあたる。それを知るものは殆どいない。螢惑も辰伶が半分とはいえ血の繋がった兄弟であることなど知らないはずであった。(※かなり後になって、お互いに知っていて黙っていたことが判明)

 実は、螢惑がこの試験を受けられるように陰で取り計らったのが辰伶である。生まれの差で不遇の身にある異母弟と、同じ位置で対等に競い合いたいという思いが辰伶にはあった。そんな彼の好きな言葉は『正々堂々』。実に分かり易い。

 試験の開始直前に問題と解答の用紙が配られた。会場の空気が張り詰める。その時であった。

「あ、筆忘れた」

 緊張感の欠けた声に、会場中が静まり返った。いや、もともと静かだったので、まるで温度が1度下がったようだ。続けて、声の主は言った。

「ま、いいや」

 良いわけなどあろうはずが無い。辰伶は信じられない思いで、隣に座する漢を見遣った。

 試験に筆記具を忘れてくる粗忽者に、受験生達の注目が集まった。しかし彼らは螢惑を一瞥すると、残念そうに向き直った。螢惑の出で立ちから彼の身分の低いことを推察し、もともと不合格であろうと思われる人物が失格になっても、自分の合否には影響がないと思ったからだ。

 合格確実と目されている辰伶あたりが忘れたなら、強力なライバルが減ったと、内心で手を叩いて喜んだことだろう。辰伶は事前に試験問題を貰ってはいないが、例えば、今回の筆記試験で重きを占める小論文の題目は『壬生の戦士の在り方』である。壬生と紅の王に対して、如何に忠誠心を持っているかということを美文を連ねて書けば良いのだが、辰伶は先にも説明した通りの為人である。素で模範解答を書いてしまうに違いない。

 とにかく、こんなことで螢惑が受験に失敗したとあっては、螢惑の五曜星入隊試験の為に駆けずり回った辰伶の労力は水の泡である。

 用意周到な辰伶は、予備の筆を持っていた。それを螢惑の机に放る。

「……」

 螢惑は筆を辰伶を交互に見ると、筆を辰伶に放り返した。

「なっ……」
「いらない」

 辰伶は再度、筆を放った。

「いいから使え」
「いらないってば」

 螢惑も更に放り返す。二人の間で何度も筆の応酬がされ、堪りかねた辰伶は強く言った。

「意地を張らずに使え!」
「だって、墨も忘れたから」

 沈黙が流れた。がっくりと力が抜けて、ふと気がつけば、試験を開始するタイミングが掴めない試験監が困った顔をしていた。

 辰伶は自分の墨を力任せに真っ二つに折り、半分を螢惑に渡した。

「施しはいらない」
「誰がやると言った。後で返せ。当然だろ」
「…わかった」

 辰伶は試験の監督官に言った。

「どうぞ。試験を始めて下さい」


 キシキシキシキシ…

 螢惑が筆記用具を忘れたことを除けば、試験は問題なく普通に行われた。

 キシキシキシキシキシキシキシキシ…

 辰伶は隣から伝わってくる気配から、螢惑も割りとスラスラと解答している様子を感じ取っていた。どうやら頭は悪くないようだ。辰伶としては、螢惑が小論文にどのようなことを書いたか興味があった。彼が壬生のことをどのように思っているか知りたいと思った。しかし、それはそれとして…

キシキシキシキシキシキシ…

 この音は何とかならないものかと、辰伶は思った。

 螢惑の墨を摺る音に集中力を乱されて、会場中が殺気立っていた。


 試験が終わり、回答用紙は伏せたまま、受験生は試験会場を一旦出ることとなった。その時に、螢惑を数人の受験生が囲んだ。

「何?」

 螢惑を囲む受験生の内の1人が、凶悪な顔をして言った。

「何じゃないだろう。煩いんだよ。試験の間中、不愉快な音を立てやがって」
「音って…、これのこと?」

 螢惑は墨で硯を引っ掻いた。奥歯に沁みるような厭な音が響き渡り、全員が一斉に耳を塞いだ。

「下品な音を立てるな!」
「このクズが。どうせ安物の墨だろう!」

 ダンッ!

 突如として、激しく机を打ち鳴らされた。全員が反射的にそちらを見ると、辰伶が睨んでいた。

「悪かったな。安物で…」

 ゆらりと立ち上がった辰伶に気圧され、螢惑を囲んでいた輪が割れて後退った。螢惑の墨は辰伶が貸し与えたものだったことを、失言者は思い出した。

 辰伶は苛立っていた。螢惑の立てる不快な音を、一番近くで聴かされていたのは、他ならぬ辰伶である。その自分が我慢していたのに、それよりもマシな場所に居た者たちが何を文句を言うのだと思っていたところに重ねて、自分の持ち物に難癖をつけられたのだ。

 その冷たい緊迫を無視しするかのように、螢惑が言った。

「安いと変な音がするの?じゃあ、高いのはしないの?」
「え?」

 いつの間にやら螢惑は、先ほど螢惑の(というよりは辰伶の)墨を安物と言った者の墨を拝借していた。そして硯に擦り付ける。

キキィ〜

 全員が耳を塞いで仰け反った。

「うそつき。高くても音がするじゃない」
「お前の摺り方がおかしいんだっ」

 1人が螢惑に硯を投げつけた。螢惑がかわしたので、その後ろの席の受験者とその解答用紙が墨に黒く染まった。

「わっ!何てことしやがるっ」

 解答用紙を真っ黒にされて逆上した受験生は、たっぷり墨のついた筆をめちゃくちゃに振り回して来た。何人かの着物に横縞ができ、何人かの顔に髭が生えた。

 全員の何かがプツリと切れた。

 喚声が上がり、一気に落書き合戦となった。もう敵も味方もない。誰彼構わず筆で墨をなすりつけあう。螢惑はそのど真ん中にいた。螢惑はそれほど逆上してはいなかったが、単純に落書きが面白かったからだ。

 辰伶も止め役に回らなかった。もともと血の気の多いほうであったし、それでなくともこの時は機嫌が悪かった。

 螢惑と辰伶の2人は執拗にお互いの顔に落書きしてやろうと筆を振るっていた。しかし、どちらも相手を巧くかわし、被害は全て周囲に及んでいる。

 ますます熱くなった会場は、落書き合戦を通り越して乱闘騒ぎとなった。手に負えないと判断した試験監督者が、試験の会場責任者を呼んできた。

「お前らっ!全員やめろっ!!」
「ここをどこだと思っている!!」

 その声と共に、激しい攻撃が襲い来た。

「うるさいっ」
「邪魔しないで」

 辰伶の水龍がそれを跳ね返す。螢惑の炎が打ち破る。

 必殺技まで繰り出されて、試験会場は阿鼻叫喚の渦に呑まれていった。


 結局、今回の五曜星入隊試験は1次で終わってしまった。解答用紙の殆どが水に流されるか、炎に焼かれるかしてしまい、そうでないものも墨に汚れて判読不能だった。その中で、無事だったのは辰伶と螢惑の解答用紙のみだった。落書きに夢中のようでいて、ちゃっかり自分の解答用紙は守っていた二人だったのだ。

 このような事態にも拘らず、再試験を要求する声は無かった。辰伶と螢惑の戦いっぷりを見て、ほぼ全員が『こいつらとは一緒にやっていけない』と、辞退してしまったのだ。

 尚且つ、今回の試験会場の責任者は水の五曜星と火の五曜星で、2人はそれぞれ辰伶と螢惑に倒されてしまったのだった。五曜星を倒したということは、即ち…。

 こうして壬生史上に黒々と汚点を残して、2人の新五曜星が誕生したのである。


 太四老の遊庵は、膝を叩いて笑っていた。

「何か面白いことでもありましたか?」
「おお、ひしぎ。見ろよ、コイツ」

 同じく太四老であるひしぎは、遊庵から渡された紙を見た。

「五曜星入隊試験の解答ですね」
「おおよ。その螢惑って奴の小論文見てみろ。ケッサクだぞ」

 小論文の課題は『壬生の戦士の在り方』である。

「…なんですか、これは」
「笑っちまうだろ」

 螢惑が書いたのは『納豆のおいしい食べ方30パターン』だった。辰伶が見たら『それが壬生の戦士の心構えか!』と憤慨したことだろう。

「これは、点数がつきますか?」
「知らねーの?ちゃんと名前が書けてたら2点貰えるんだぜ」

 将来に不安の影が暗く差し掛かる今日この頃。それでも結構暢気な壬生の郷だった。


 終わり

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