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ちちのみの

-3-


 陰陽殿で吹雪を前に辰伶は畏まっていた。そうして膝を突きながら、陰で懸命に呼吸を調える。吹雪の傍らにはひしぎが影のように立っていた。相変わらず陰気な漢である。

「どうした、辰伶。そんなに乳を揺らせて」
「……」
「……」

 吹雪の如何なる言動にもツッコミを入れない。それは辰伶とひしぎに共通する認識であり、暗黙の了解であった。

「…いえ、吹雪様に於かれましてはお変わりなく、この辰伶、安心致しました」

 急ぎ(乳を揺らし)馳せ参じて来た辰伶であったが、吹雪は全く平常と変わることは無かった。他の者のように身体は変化していなかった。それはひしぎにしても同じで、辰伶は太四老の実力を垣間見たような気がした。(←そんなところに感心せんでも…)

「それで、辰伶。何をしに来たのだ?」
「ええと、それは…。あ、そうでした。螢惑が外界から帰参致しまして、これはその土産ということで、どうぞ、水虫の治療にお役立て下さいませ」

 返答に窮した辰伶は、適当なことを言って、螢惑から貰った石鹸を差し出した。

「……」
「良い弟子をお持ちですね、吹雪」

 吹雪はそれを黙って受け取った。吹雪も辰伶の言動にはツッコミを入れない。そういう師弟関係だ。

「辰伶、あなたは現在壬生で起こっている事件について、吹雪の意見を伺いたてにきたのではないですか?」
「え?……あ、ああ、その通りです」

 ひしぎが出してくれた助け舟に、辰伶はかなり遅れて気づいた。この漢は本当に腹芸の全く出来ない真っ直ぐな性質だと、ひしぎは思った。吹雪にはさぞかし扱い易かっただろう。ふと己の人間関係を省みて、どうして自分の周りには性格の捻じ曲がった人格破綻者しかいないのだろうと、ひしぎは指折り数えた。吹雪しかり、時人しかり、遊庵しかり、先代紅の王しかり…。段々と物憂い気持ちになる。こんな時は、ちょっぴり村正が懐かしい。しかしその村正にしても色々と難しい人物だった。そんな風に思考のドツボに嵌って、ひしぎは益々陰気になるのだった。

「それについては調査済みだ」

 吹雪の言葉に驚くと共に、その対応の素早さに対して、辰伶は吹雪への尊敬の念を新たにした。

「原因はDr.ホワイトの研究所から垂れ流された廃液だ。それが空気中へと気化し、壬生の郷全体へ広がったのだ」
「Dr.ホワイトめ、相変わらず怪しげな研究を…。それで吹雪様、この件に関しましては、如何様な対処を?」
「放置だ」
「は?」

 辰伶の胸が微かに震えた。

「何もしない。2、3日もすれば自然に元に戻ることは解かっている。だからこの件は捨て置く」
「そ、そうですか。2、3日で戻れるなら…」
「それまで存分に皆の目の保養をさせてやるといい」
「吹雪様がそうおっしゃるのでしたら」

 吹雪の言葉は全て鵜呑みの辰伶である。それはどんな時でも変わらない。そしてひしぎは、吹雪と辰伶のやり取りにはツッコミを入れないことを信条にしていた。

「そんなところで聴いていないと、出てきたらどうですか」

 ひしぎの呼びかけに、柱の陰で物音がした。辰伶が振り返って見ると、螢惑が姿を現した。螢惑は辰伶の隣へと、一直線にやってくると、吹雪を指差して言い放った。

「これが陰陽殿のもっさり?」
「!」

 余りに命知らずな螢惑の発言に辰伶は驚き、咄嗟に螢惑の口を塞いだ。

「きさまっ、吹雪様に対して何てことを」
「え、じゃあ、壬生の毛根?」
「黙れ、無礼者。誰が陰陽殿の白いムックだ。誰がモリゾー(漂白済み)だ」
「それは初めて聞いた」

 辰伶と螢惑の言い争いを、吹雪は平生と変わらぬ冷めた目で見ている。そこからは何の感情も読み取れないが……少なくとも不愉快になっている筈だ。

「きさまは一体、何をしに来たんだ。吹雪様を中傷する為か」
「え?ああ、そうだ。思い出した」

 螢惑はスルリと辰伶の横を抜け、吹雪の傍へ歩いていった。そして何の前触れも無く、吹雪の胸板を撫で回した。その振る舞いに、辰伶は全身凍りついた。

「き、き、きさっ…きさまっ!何を、何を考えてっ」

 完全にパニックに陥っている辰伶を他所に、螢惑は堂々と胸を張って言った。

「勝った」

 えっへんと、胸をそらすこの馬鹿は、何の勝負で誰に勝ったと言うのか。

「きさまのパターンは解かっているから訊かずとも想像がつくが……誰に何が勝ったと?」
「吹雪に胸の大きさが」
「きさまという奴は、漢の胸板に勝って嬉しいか―――っ」

 ツッコミどころが違うし。そして、パターン通り辰伶と螢惑の争いでエンディングを迎えようとしていた。2人がどれ程必殺技を繰り出そうが、一向に慌てる様子の無い吹雪とひしぎは、さすがに太四老である。しかし、陰陽殿の床や壁や柱はそうはいかない。天井にさえ穴が開く始末である。

「ひしぎ。俺は良い弟子を持ったと思うぞ。少なくとも遊庵よりはな。……そして、遊庵も同じように思うことになるだろう」
「…了解しました。今回の件で破損した箇所の修理代については、遊庵の給料から差っ引いておきます」

 吹雪の口元に微かな笑みが浮かんだ…筈は無い。少なくとも、ひしぎは見ていない。


終わり

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